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今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。
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2009年8月19日 (水) 07:17時点における版

ヘヴィメタルHeavy Metal)は音楽のジャンルの一つ。基本的な俗称はメタル1970年代後半から1980年代はじめにかけて現れたロックのスタイルで、ハードロックの延長線上にある。両者を並べてHR/HM(HM/HR)と表現することもある。日本のヘヴィメタルファン(メタラーと呼ばれる)の中にはヘヴィメタルを「ヘビメタ」と略すことを好まない人もいる。

特徴

ヘヴィメタルは、ハードロックが限界点を迎えた後に顕われたパンク・ロックムーブメントの激動の中で新たな音楽性を求めた者達がハードロックを発展させた末に生まれたジャンルである。従って、ハードロックとヘヴィメタルの間に厳密な境界線は無く、「何をもってヘヴィメタルとするのか」という定義は存在しない。そのためハードロックとヘヴィメタルとをひとくくりにしてHR/HM(HM/HR)と呼ぶこともある。

日本では世間的には長髪・革ジャンなどのファッションで、ギターもドラムもひたすらジャカジャカ・ドカドカとかきならしてうるさく、歌詞も悪魔・地獄・死といった過激な内容の音楽、といったイメージで捉えられる。このイメージはメタルの一面を間違いなく捉えているが、これだけを過剰に強調した捉えかたは本質から外れている。悪魔崇拝を公言するバンドもあるが、ファッションやアルバム&曲のコンセプトなどのイメージ面に於いてオカルトモチーフ逆十字、逆ペンタグラム666など)を借用しているだけのバンドもあり、必ずしも実際にそのバンドが悪魔を崇拝しているとは限らない。むしろクリスチャン・メタルと言うジャンルがあるほどで、メタル=悪魔崇拝という考えは間違いとさえ言える場合すらある。

ヘヴィメタルは比較的古くから、アリーナ向けの商業ロックとアンダーグラウンドにシーンが分かれていて、また時代が下るごとにシーンも細分化が進んできた。シーンの分化はすなわち音楽性の多様性を生み出し、そのため様々なサブジャンルを内包している。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。

音楽的特徴

メンバー構成は、ロック一般に見られるものとあまり変わらない。ギターボーカルベースドラムを主軸にし、これに、キーボードが加わることもある。ただし、ヘヴィメタルバンドにはギタリストが二人いることも少なくない。また、多くの場合、重いディストーションをかけたギターとバスドラムを2つセッティングしたドラムセット(ツーバス)が使われている。ギターはリズムギターリードギターに分かれている場合と、二人が同じリフを弾いて重さを増している場合の二つがある。リフはパワーコードを主体とし、ベースはリズムギターのユニゾンを弾いていることが多い。

ヘヴィメタルでは、ギターソロが重視される場合が多い。特にギタリストが二人いる場合は、二人が交互にギターソロを弾くことがある。また、ドラムソロやベースソロも行われることも多く、よりも演奏で魅せるような曲も多い。こういった傾向から、速弾きなどのテクニカルな演奏を得意とするプレイヤーを多く生み出している

通例のポピュラー音楽のテンポが概ね 80-130bpmであるのに比して、80-200bpm以上と総じて速いテンポの曲または曲の一部を許容する傾向を持つ。

ヘヴィメタルでは、低音域が重要視され、ギターやベースのチューニングを下げて通常より低い音が出せるようにしたり、アタック音の強いバスドラムを左右の足で継続的に踏みつづけるなどの特徴が見られる。ヘヴィメタルは音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたとも言われている。

歴史

ヘヴィメタル黎明期

今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドについては諸説ある。

ビートルズヘルター・スケルター - Helter Skelter」(『ザ・ビートルズ』収録、1968年発表)をヘヴィメタルの元祖の一つとする説もある。割れるようなサウンド、激しいリフの上にシャウトするコーラス部などの音楽的な要素と、この曲に影響されてシャロン・テートらを惨殺し当時大きな話題となった狂信的な悪魔崇拝者カルト集団首領チャールズ・マンソンによる米国での殺人事件と結びついたイメージも後のパンクロックやヘヴィメタルに多大な影響を与えた。

その他にも1960年代後半からクリームヴァニラ・ファッジレッド・ツェッペリンディープ・パープルを始めとするラウドなロックが多数現れた。これらのバンドも音的にヘヴィメタルな要素を多分に含んでいるが、いずれもハードロックの範疇に留まると見なすことが多い。

以上のようにヘヴィメタルの祖としては色々挙げられるが、いずれも後から見て「そうとも取れる」というレベルであり、確実にヘヴィメタルの祖と言えるバンドと言ったら何と言っても1970年デビューのブラック・サバスである。歌詞、楽曲ともに当時のロックシーンにおいてセンセーショナルであったことは間違いなく、その影響は現代のヘヴィメタルシーンにとどまらず、他のロックンロール・バンドにまで受け継がれている。

ジャンルとしてヘヴィメタルが成立し始めるのは1970年前後である。

ヘヴィメタルの確立

レインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」「キル・ザ・キング」で聞くことのできる、ベース・ギターバスドラムリズム・ギターの三者が同期するリズムは、インパクトの強い独特の疾走感とドライブ感を演出し、その後のヘヴィメタルの定番スタイルとなった。

ジューダス・プリーストは結成当初は比較的オーソドックスなハードロックをプレイしていたが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代末以降はレザーファッションやフォーメーションなどステージ・パフォーマンスの面でもいわゆる「ヘヴィメタル」のイメージを作り上げた。

ドイツのスコーピオンズの存在も重要である。スコーピオンズ登場前のドイツはロック不毛の地と呼ばれるほど、スター・アーティストが不在の状況であった。スコーピオンズの登場後、彼らに続くグループが現れ続け、ジャーマンメタルの世界を作り出した。

NWOBHM

ブリティッシュ・ハードロック1970年代初頭に一時代を築き上げるが、1970年代半ばにパンク・ロック・ムーブメントが起きると、かつてのハードロックは「オールド・ウェーブ」と呼ばれるようになり、ブリティッシュ・ハードロック・シーンはその勢いを失っていく。しかしながら、アンダーグラウンドシーンでは様々な若手バンドが頭角を現し、サウンズ誌の記者ジェフ・バートンにより『NWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)』と名付けられたこのムーブメントはイギリス全土に広がり、1980年にはアイアン・メイデンデフ・レパードがメジャーデビューし、シーンは一気に活性化していく。

それに先立ちホークウインドから派生したモーターヘッドは、従来のロックンロールやハードロックに重いギターとスピード感のあるリズムを導入し、NWOBHMや後のスラッシュメタルの先駆けになり、彼らが関連したバンドサクソンなどともに同様の疾走感をもったバイカー向けロックンロールがシーンに定着することとなる。また、イギリス国外のバンドがシーンに登場し、ドイツのアクセプト、フランスのトラスト、オランダのヴァンデンバーグ、デンマークのプリティ・メイズマーシフル・フェイト、スペインのバロン・ロッホなどが注目された。さらにディープ・パープルのコンピレーション・アルバムが大ヒットするなど、かつてのハードロックバンドの再評価、活躍も見られた。

これに対して日本からは1981年LOUDNESS(ラウドネス)がデビュー。1976年にデビューしていたBOW WOWとともに世界進出を果たし、セールス的にも好成績を収める。

舞台はアメリカへ~産業化と全盛期

1980年代に入ると、ヘヴィメタルの中心はアメリカに移っていく。まずモトリー・クルーラットの成功によりロサンゼルスを中心としたシーンが活性化、LAメタルと呼ばれるジャンルが誕生、ドッケンW.A.S.P.ポイズンの他、ニュージャージーのボン・ジョヴィなどのバンドが次々とメジャーデビューを果たすなど、アメリカから多くのバンドが誕生した。MTVはHM/HRバンドを大々的にバックアップ、ヘヴィメタルの産業化が進んでいくこととなる。

こうしてヘヴィメタルの巨大マーケットがアメリカに誕生すると、それは旧来の英国市場とは比較にならない規模であり、欧州のバンドの多くがアメリカ進出を目指すようになった。ジューダス・プリーストやアイアン・メイデンといった英国の古参もとより、英米以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、日本のラウドネス、カナダのベテラン、ラッシュトライアンフ等の活動が目立った。1980年代後半にはボン・ジョヴィデフ・レパードホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に天文学的なセールスをあげ、ドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。

同時期のヨーロッパ独自のシーンの発達

1980年代中期のヨーロッパでは英国の伝統的ハードロックの影響下に、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプト、透明感のあるクラシカルなサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。またイングヴェイ・マルムスティーンによってネオクラシカルメタルが誕生、彼の速弾きは世界のギタリストたちに衝撃を与える。それとともに、ハロウィンらを初めとするジャーマンメタル勢の活躍はメロディアスで疾走感みなぎる新たな形式を生み出し、後のメロディックスピードメタルへと繋がった。

スラッシュメタルの流行とその影響

NWOBHMそのものは1980年代半ばにその勢いを失ってしまうが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなった。 アメリカのアンダーグラウンドシーンでは、メタリカメガデススレイヤーアンスラックスなどのバンドが、ハードコア・パンクの影響を受けながらよりへヴィで過激な音楽形態であるスラッシュメタルを確立。これらはテンポの速さ、リフに重きを置いたサウンド、ダークな世界観を特徴とし、当時隆盛を極めていたLAメタルとは一線を画するものであった。

80年代後半のメタルシーンを席巻したスラッシュメタルも似通ったスタイルのバンドの乱立などで衰退していくが、フロリダではスラッシュメタルの凶暴性を突き詰めたデスメタル、北欧ノルウェーではスラッシュメタルの要素に加え反キリスト教の概念を強調したブラックメタルが誕生するなど、その後のエクストリーム・メタルシーンの成立に大きな影響を与えるとともに、シーンの細分化が進んだ。

古典的ヘヴィメタルの衰退~オルタナティブ・メタルの勃興

ヘヴィメタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、ポップ・ミュージック化した産業ロックへの反発から生まれたニルヴァーナをはじめとするグランジ/オルタナティブ・ロックの人気の爆発により、1980年代的なヘヴィメタル(いわゆる正統派メタル)は、過去の遺物扱いを受けることになる。

そのような状況下では古典的ヘヴィメタルバンドが従来の活動を続けられるはずもなく、バンド再編、有力メンバーの離脱、音楽性の変化などが求められた。当然それに対応できないバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドは表舞台から消えていった。

この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、オルタナティヴ・サウンドと通じるような重厚な音楽性を導入してヘヴィメタルの新しい方向性を示し、2200万枚という大ヒットを飛ばす。そして、パンテラの『俗悪』、ミニストリーの『詩篇69』、ヘルメットの『ミーンタイム』などは数々のバンドの手本とするところとなる。そのパンテラに強く触発されたロブ・ハルフォードジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、この時期の流れを象徴するものといえよう。

この動きに呼応するようにしてヘヴィメタルは若手ミュージシャンを中心にオルタナティブ・メタルとして復活を始める。それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、ヒップホップレゲエの要素の導入など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。一方の日本ではこの動きをモダン・ヘヴィネスやヘヴィ・ロックと呼称して区分し、旧来のヘヴィメタルとは違うことを強調したマーケティングが行われた。

このような流れの中、シャロン・オズボーンは、夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーするオズフェストという前代未聞のツアーに打って出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンスリップノットコーンなどのプロモーションに大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。

こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であったが、ヘヴィメタルとしての本質を見失っていき、メタル界全体が進むべき道を見出せない錯綜の時代となりメタル界全体の衰退という状況を生み出した。

2000年代以降のヘヴィメタル

1990年代後半のヨーロッパでは、デスメタルにメロディと和音を取り入れたメロディックデスメタル、ゴスファッションとクラシック音楽のサウンドを取り入れたゴシックメタル、イングヴェイの流れを更に強くしたメロディック・スピード・メタルなど、新たな動きが生み出されていった。この流れは一挙に進み、さらにアメリカではキルスウィッチ・エンゲイジシャドウズ・フォールをはじめとするメタルコア、ヨーロッパではラプソディー・オブ・ファイアなどのシンフォニックメタルが出現し、サブジャンル化(後述)は現在も止まることなく進んでいる。

こうしてヘヴィメタルのスタイルは分散化が進み、空洞化したヘヴィメタルは王道を失っていた。そこへ(再び)現れたのが、1980年代のヘヴィメタルを支えたクラシックメタルの王者であるジューダス・プリーストアイアン・メイデンらであった。黄金期のラインナップで再興した彼らは新たなアルバムの発売やツアーなど精力的な活動を行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きを見逃さず、これら2バンドはもちろん1980年代から2000年代で活躍しているバンドが多数参加する一大イベント「オズフェスト」を毎年の定例イベントとして仕上げていった。

折から音楽業界全体に「再結成ブーム」が到来していることもあり、ベテランバンドの再結成・再編成は止まるところを知らない。特にモトリー・クルーヨーロッパホワイトスネイクなどは反響を呼び、再結成ツアーが成功を収めた。ジャパニーズ・メタルにおいてもラウドネスがオリジナルメンバーに戻ったり、アースシェイカーANTHEMBOW WOWSHOW-YA等が再結成したりするなど、同じような現象が起きている。

現在はジューダス・プリースト、アイアン・メイデンなど正統派のメタル・バンドが復活する一方、若者の支持を集めた新世代トリヴィアムアヴェンジド・セヴンフォールド、根強い人気を保っているスカンジナビアのイン・フレイムスチルドレン・オブ・ボドム、女性ボーカリストを擁して大衆的な人気を得るに至ったナイトウィッシュエヴァネッセンスなど、幾多のジャンルにまたがる多くの新バンドが登場している。

アメリカの調査会社NPDによると、2006年に前年と比較して最も市場が成長したロック系音楽ジャンルはハードロック/ヘヴィメタルとなっている。

日本におけるヘヴィメタル

ジャパニーズ・メタルも参照のこと。

1980年代初期

1980年代初期に日本のメタルシーンに大きな影響を与えたアーティストはマイケル・シェンカー・グループゲイリー・ムーアレインボーヴァン・ヘイレンなどである。現在のJ-POPにおいてもマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアに影響されたアーティストは多く、1990年代初期のビーイング系音楽にはそれらしい泣きのフレーズや叙情的なメロディがふんだんに盛り込まれていた。

日本のバンドでは1981年に衝撃的なデビューを遂げたラウドネスが1983年からアメリカツアーを行ったり、1976年デビューのBOW WOWが1982年にレディング・フェスティバルに出演したり、日本でも若いヘヴィメタルバンドを盛り上げるために音楽雑誌のYOUNG GUITARロッキンfが積極的にメタルフェスを開いていたりと日本でもヘヴィメタルは盛り上がりを見せた。

1980年代中期(速弾きブーム)

アメリカでのLAメタルブームは日本のバンドにも影響を与え、日本のバンドの殆どがLAメタル系のような派手なルックスになった。その中でも特に派手だった44マグナムの人気は高く、中でも美形ギタリストの広瀬“JIMMY”さとしの女性人気は尋常ではなかった。

また、高崎晃ジェイク・E・リーウォーレン・デ・マルティーニジョージ・リンチ山本恭司らはギターヒーローとしてギター少年の憧れの的となる。その後登場した当時スティーラーだったイングヴェイ・マルムスティーンの出現は、速弾き戦国時代突入の幕開けとなった。

1980年代中期と言えば1984年10月にシンコー・ミュージック・エンタテイメントから創刊された日本初のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」の誕生は当時のヘヴィメタルファンには「待ってました!」と言わんばかりの登場であった。当時はインターネットもないためヘヴィメタルの情報が中々入ってこない時代でもあり、日本初のメタル雑誌の登場は更にメタルシーンを盛り上げる結果となった。

1984年には日本初の巨大ヘヴィメタル・フェスティバル「スーパー・ロック '84 イン・ジャパン」が西武球場等の各球場で行われ、ホワイトスネイクマイケル・シェンカー・グループスコーピオンズボン・ジョヴィアンヴィルらが出演。マイケル・シェンカー・グループ出演時におけるレイ・ケネディ(Vo)の、臨時参戦とは言えカンニング・ペーパーを見ながらの中腰で歌う年寄りのようなステージパフォーマンスには批判が集中した。尚、この時のイベントを収めたビデオは後に商品化されたが現在は廃盤であり、DVD化を待ち望んでいる声もある。

1980年代中期(ポップメタルへの反逆)

メタリカなどのスラッシュメタルバンドがアメリカのアンダーグラウンドシーンで人気を獲得する中、日本でもポップメタルに反逆する第二世代と呼ばれるバンドが次々と登場し、その中でもFLATBACKERANTHEMは音楽雑誌で第一世代のバンドに毒を吐き、過激な演奏でコアなファンを獲得した。同時期にデビューした聖飢魔IIBURRN!誌では0点という記録に残る評価を受けたが、ヘヴィメタルファン以外にも支持されていったバンドである。

1985年にはLOUDNESSが世界デビューを飾り、1987年にはVOW WOWがイギリスを中心に活動を開始した。また、1980年代の日本のメタルシーンはインディーズを中心に盛り上がりを見せ、その中には後にモンスターバンドと化すXの姿もあった。特にXは44マグナム以上に派手なルックスかつ凶暴なパフォーマンスで少しずつ人気を得ていた。また、当時のXは日本のヘヴィメタルシーンをあざ笑うかのようにテレビ番組の出演を繰り返していた。(詳しくはXの項目参照)

1980年代後半(バンドブーム)

1987年のGuns N' Rosesの登場により、日本のメタルシーンにおいてもGuns N' Rosesのフォロワーが登場した。1989年にデビューしたXについては、音楽面の将来性で多くが期待を持ったものの、TV等のメディア登場初期に見せたやりたい放題のパフォーマンスに反発、幻滅していった者も少なくない。

また、Xの成功と影響を受けてその後次々とデビューしたバンドには、楽曲や演奏技術は二の次でヴィジュアルとパフォーマンスばかりを過度に重視する、すなわち本来のバンドとしてのスタンスからさえ大きく逸脱した方向性を見せたものさえ出てくる始末であった。これらは若年女性層からの熱狂的な支持こそ受けていたが、ヘヴィメタルのプレイヤーやファンの間には、ヘヴィメタルのイメージに対して大きな誤解を与えるイロモノ( =「本来のその中心から外れているもの」の意) として強い不安感と嫌悪感を生む事になった。

事実、Xの活躍はめざましく、テレビや新聞、女性誌といった一般マスコミにも取り上げられて知名度を大きく上げる事となったが、これは同時にXのスタイルがヘヴィメタルのパブリック・イメージとして急激に浸透してしまうという事態を引き起こすことに繋がった。21世紀に入って現在ですら20代後半~40代前半の人たちからはこの当時のXのイメージに基づいた、ヘヴィメタルに対する偏ったイメージに根ざした発言が少なからず聞かれるところである。

しかし、それまでの日本のヘヴィメタルでは、歌謡曲と同様に一般マスコミから取り扱われる程の大ヒットを記録した曲は無く、従ってヘヴィメタル自体が日本の音楽史にあってはメインの売れ線からは一貫して外れた位置に置かれていた。その為ジャンル全体の情報量が不足している中、ヘヴィメタル分野で事実上初めて一般テレビマスコミにまで注目され話題性を提供できたのが、正統派ヘヴィメタルを好むプレイヤーやファンがイロモノ路線として嫌っていた、聖飢魔IIやXなどの見た目のインパクトも重要視し、音楽よりも視覚的なパフォーマンスでマスコミから扱われていたバンドであった。実際Xなどはメジャーレーベルで発売したCDで数字を叩き出すまでは『ちょっと過激な音楽もできるバラエティタレント』並の扱いしかされていなかった。かくして彼等がヘヴィメタルの見た目の象徴として扱われた為、これらの偏ったイメージが一般に定着してしまったという点は否めない。

また、視聴率至上主義のテレビマスコミにとっては、それまで巨大ヒットを生み出さなかったヘヴィメタルに対して、そもそも「ロック音楽のイロモノ」程度の認識しか無かったという点も大きい。他にも当時の「BURRN!」などの編集スタイルなどの影響もあり、当時のヘヴィメタルのミュージシャンの多くには音楽一筋というイメージを最重視し、テレビなどでタレント的な活動もするヘヴィメタルやロックのミュージシャンを蔑視する風潮があったと言われており、一般マスコミの持つ大衆への影響力への軽視が招いたツケであるという指摘もある。

いずれにせよ、この1989年に始まったバンドブームにより、派手な見た目やパフォーマンスを重視し演奏を軽んじたバンドが非常に増えた。それらのバンドの多くがXと同系統のファッションという事から「ヘビメタ」と見なされた事により、普通に音楽性を重視して活動していたメタルバンドはその煽りをくらい軽視されるという結果になっていった。こうした経緯から、1990年代には日本のヘヴィメタルは少しずつ、しかし、確実に衰退していくこととなる。

挙げ句には「BURRN!」でさえ人気投票のBORE部門には「ヘビメタの流行とイカ天ブーム」がある程、当時のヘヴィメタルファンにはヘビメタは差別用語とみなされてしまっている。その後、インディーズでヘヴィメタルバンドとして活動していたバンドのほとんどがヴィジュアル系へと移行した。またメジャーデビューに際しての所属事務所やレコード会社の販売戦略面からの要求で、音楽性も含めて移行をせざるを得ない状況に追い込まれていったものも多い。

1990年代

世界的にヘヴィメタルシーンが力を失ってゆく中、日本国内ではドイツや北欧出身のメタルバンドを中心に依然として人気は根強く、ハロウィンなどのバンドは安定した人気を持っていた。1989年にデビューしたMr.Bigや1993年デビューのアングラは日本で高い評価を受け、特にMr.Bigは女子高生の支持を得るなど好評を博し、ポール・ギルバートはギターキッズの注目の的であった。1988年以降、1992年、1994年、1995年にはイングヴェイ・マルムスティーン日本武道館でのライブを成功させるなど、1990年代以降日本で好調な人気を得て、それ以降も日本を重要なマーケットとして位置づけて、活動している者も少なくない。

しかしこれは海外のバンドに限った事であり、日本のバンドはXの影響を受け、雨後の筍の如く出現してくるヴィジュアル系バンドの全盛の影に完全に隠れてしまい、冬の時代どころか氷河期に陥っていた。それまでの有力バンドは1989年に44マグナムが解散したのを筆頭に、1990年にVOW WOWとEZOとDEAD END、1992年にANTHEM、1994年にアースシェイカーと次々と解散してゆく。わずかにOutrageUnitedが日本のメタルファンからも根強い人気を誇ったが、メジャーな成功を収めたとは言い難かった。

また、このHM/HR系の斜陽化とバブル景気後の業態再編や利益性を重視する企業体質への変化の過程の中で、メジャーレーベルではこの時期にバンド整理を実行したものもあり、契約解除の理由はセールス不振やバンドメンバーのスキャンダルなど色々ではあってもメジャー契約を打ち切られ、新たなる契約先を求めて数多くのバンドが音楽業界をさまようことになった。また、この時期に解散に追い込まれたものも少なくない。唯一アメリカで安定した活動を続けるLOUDNESSにも全盛期の力は既に無く、メンバーチェンジを繰り返しながら2000年のオリジナルメンバー再集結までは細々とした活動が続く事となる。そして、本来ならばこれらの後続となるべき新進のメタルバンドについても、『ヘビメタはダサい』『時代後れ』などの理由をつけられて、メジャーデビューどころか、もはやそれ以前の段階の演奏の場の確保さえまともにできない者すら出るという有様で、演奏の場の確保を目的にビジュアル系やそれに近いスタイルへの転換を余儀なくされたケースもあった。

一方、ヴィジュアル系バンドの開拓者として別格の存在になったXについても、セールス面でこそ好調であったがその活動は順風満帆とまでは言えなかった。1992年にベースのTAIJIを解雇すると同時に名前もアメリカの同名のバンドとの混乱を避ける事を目的にX-JAPANと改めた。改名後はYOSHIKIの体調面の問題(頚椎椎間板ヘルニアや神経性無気力症候群など)もあってか初期の様な激しい曲は少なめになり、バラード主体となった。そして1997年にヴォーカルのTOSHIの音楽性の方向の違いによる脱退を機に2000年まで一時解散のはずだったが、ソロとして好調に活動していたhideが翌年急死してしまったため、全盛期のメンバーによる再結成は不可能となってしまったが、2007年にはYOSHIKIの口から「2007年には復活する」との宣言がなされ、2008年3月には東京ドーム公演を行っている。また、TAIJIこと沢田泰司もXを解雇された直後こそLOUDNESSなどに参加するものの、後に著しい低迷に陥り、一時はホームレス同然にまで転落していったのはよく知られるところである。

他方、企画色の強いモノではあったが、1996年にはヘヴィメタルとアニメソングを軽いノリで融合させたアニメタルがデビューし、マスコミが注目した他、カラオケ需要なども発生したことからヘヴィメタルとしては記録的なヒットとなった。これが数年間注目されなかった日本のメタルシーンに再び脚光を与えるきっかけとなる。その後1998年にSEX MACHINEGUNSConcerto Moonがデビュー。特にSEX MACHINEGUNSに関しては、かつてのXのように「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」、「堂本兄弟」、「パパパパパフィー」などのバラエティ番組にも数多く出演し、ヘヴィメタルをよく知らない世代の人々にもその名を轟かせた。これにより全盛期ほどではないが、多少の活気を取り戻したといえる。

2000年代

2000年代に入り、一時衰退していたヘヴィメタルが様々な形で再びロックの本流としての地位を確立してきた。最もヘヴィメタルだけではなく、ヘヴィメタルを中心にアレンジしたニュー・メタルのジャンルも盛り上がりを見せ、1980年代ブームをも取り入れたものが出てきている。しかし、アメリカン・ミュージック・アワードでヘヴィメタル部門が廃部されるなど、現在はまだ1980年代ほどの盛り上がりにまでは達していない。これには、ヘヴィメタル以外のジャンルのロック(ガレージ・ロックなど)が盛り上がりを見せている事も絡んでいる。

また、ドイツや北欧を中心とするヨーロッパ地域においては、1980年代ブームとほとんど代わりようが無いようなヘヴィメタルが、現在もロックの本流として地位を確立している。

現在の日本におけるヘヴィメタル

2000年以降、1980年代に活躍したバンドがオリジナルメンバーや全盛期のメンバーで再結成するなど、ベテランバンドの活動が活発になり、かつてのファンや当時を知らないファンを歓喜させたが、それらしい活動をするベテランバンドはLOUDNESSとANTHEMくらいである。2000年以降の有力なバンドには、2000年にBURRN!誌のプッシュを受けデビューしたDOUBLE DEALERや、2001年にメジャーデビューした陰陽座、2003年にデビューしたGalneryusなどがある。しかし、2006年にはSEX MACHINEGUNSが活動を休止(しかし2007年にはメンバーを変えて、また活動を再開している)、更に2007年にはDOUBLE DEALERがフロントマンの下山武徳がマネージャーとのトラブルが原因で解散を表明している。

日本国内では、若年層にソナタ・アークティカのような北欧のメロディックスピードメタルを類似したスタイルのバンドが増えている(但し、殆どのバンドがインディーズ止まり)。そのことからテクニックを重視するバンドが増えている。中には「疾走曲の無いメタルなんてメタルじゃない!」と発言するファンやプレイヤーが存在する反面、1990年代後半に出てきたラウドロック勢からは「速弾きはダサい」と発言するファンも存在する。ルックスに関しては陰陽座GalneryusAtomic Tornado時空海賊SEVEN SEAS等のヴィジュアル系のようなルックスのバンド(現にGalneryusのSyuはかつてヴィジュアル系バンドのメンバーだった)とDOUBLE DEALERArk Storm等の1980年代のメタルを継承したバンドに大別できる。

また、日本でもアーク・エネミーチルドレン・オブ・ボドムの影響でメロディックデスメタルを演奏するバンド(BLOOD STAIN CHILDSERPENTなど)も増えている。

一方で、BURRN!等のメディアは日本の若手バンドをあまり取り上げずベテランバンドを大きく扱う傾向にある(特にBURRN!は編集スタッフ各々の嗜好に左右される場合多し)ため、若手や中堅バンドがあまりスポットを当てられない風潮もある。また、歴史的にもメガヒットがほとんど無いジャンルであるため、テレビの音楽番組への露出やコマーシャルのタイアップに恵まれない事も、若手バンドの知名度向上面においてネックとなっている。

ギター雑誌ではあるものの、BURRN!と競合誌(発行元が同じシンコー・ミュージック)でもあるYOUNG GUITAR誌は積極的に若手バンド及びギタリストを取り上げているものの、取り上げているバンド及びギタリストの大半がスポンサーであるESPや音楽学校のMI JAPAN出身のギタリストが所属するバンドか、1980年代を彷彿させるネオクラシカルな速弾きばかりを披露するギタリストやバンドをプッシュするため、楽器を弾かないファンには良い評価も得られず、あまり盛り上がってるとは言えない状況である。しかし、これはBURRN!のようなリスナー向け雑誌ではなく、ギタリスト向け情報誌である以上、演奏以外の情報を掲載する事はコンセプトから外れる為、仕方のない事ではある。

同じく、1980年代から日本のバンドを積極的にプッシュしている「ロッキンf」は若手のバンドをDVD等に収録してプッシュはしているものの、若年層には手の出しにくい高めの値段(1500円)が原因なのか、かつてのような盛り上がりは無くなりつつあり、2007年8月発売号を最後に権利関係の問題で「ロッキンf」名義での発行が終了し、老舗雑誌の歴史から幕を閉じることになった。但し、名称を「We ROCK」に変更し、現在も刊行中である。

また海外では日本のメタルよりメタルに影響受けたメタルテイストなアニメソングやヴィジュアル系アーティスト、日本のメタルでも前述のヴィジュアル系のようなルックスのバンドが受け入れられている事も含めて、メタル一筋のメタラーにとっては皮肉な出来事であろう。

一方、海外のメタルが再び盛り上がりを見せていることで、日本のメタルファンも増えつつあり、再び日本にもブームが到来する可能性が出始めたと言われている。

2008年4月9日、イギリスのヘヴィ・メタル専門月刊誌『Metal Hammer』が主催するメタル音楽賞「METAL HAMMER GOLDEN GODS 2008」の最優秀インターナショナルバンド部門にDir en greyがノミネートされる。

Kornのヴォーカル、ジョナサン・デイヴィスはDir en greyについて“日本から来た最高にクレイジーでサイコティックなバンド”と絶賛し、同年10月にはヘヴィメタルフェス「LOUD PARK 06」に出演している。

ヴィジュアル系出身であるが、現在は世界が認めるメタルバンドへと変貌を遂げている。


ヘヴィメタルのサブジャンル

主に1990年代以降、時代に合わせてサウンドを変更し生き延びるバンドもあれば衰退の波に飲み込まれて消えていくバンドもあった。その一方で、新しいサウンドや他ジャンルのサウンドを貪欲に消化し、様々なスタイルでプレイするヘヴィメタル・バンドが誕生した。なお、下記のジャンルは定義が非常に曖昧でもある。

地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。

主要ヘヴィメタルバンド

ヘヴィメタル・アーティストの一覧を参照。

ヘヴィメタルを取り扱うメディア

テレビ番組

ラジオ番組

雑誌

休刊した雑誌

漫画

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