ジューダス・プリースト

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ジューダス・プリースト
Judas Priest
Judas Priest - Wacken Open Air 2015-3543.jpg
ドイツ・ヴァッケン公演 (2015年7月)
基本情報
別名 FREIGHT (1970年)
出身地 イングランドの旗 イングランド
バーミンガム
ジャンル ヘヴィメタル[1][2]
ハードロック[2]
NWOBHM[2]
アルバムロック[2]
活動期間 1969年 - 現在
レーベル ガル・レコード
CBS/コロムビア
SPV/Steamhammer
CMC International
アトランティック・レコード
エピック・レコード
公式サイト JUDASPRIEST.com
メンバー ロブ・ハルフォード(Vo)
グレン・ティプトン(G)
リッチー・フォークナー(G)
イアン・ヒル(B)
スコット・トラヴィス(Ds)
旧メンバー 以下を参照
バンドのロゴ

ジューダス・プリースト (Judas Priest) は、イングランド出身のヘヴィメタルバンド

ボーカルを務めるロブ・ハルフォードは「メタル・ゴッド」という愛称で知られ、HR/HM、スピードメタルシーンの尊敬を集める重鎮の一人でもある。

来歴[編集]

結成からレコードデビューまで (1969年 - 1974年)[編集]

1969年、現在とはまったく違うメンバーで、結成される。K・K・ダウニング(G)がオーディションを受けるが、落選。

1970年イアン・ヒル(B)、K・K・ダウニング(G)、ジョン・エリス(Ds)で、「FREIGHT」というバンドをバーミンガムで結成する。半年後、アル・アトキンス(Vo)が加入。皮肉なことにアトキンスは、オリジナル ジューダス・プリーストのオーディションでK・K・ダウニングを落とした張本人だった。

この頃FREIGHTは、メンバーの事故死などで活動停止状態にあった「ジューダス・プリースト」の名前を引き継ぐ形で改名。

1971年、ジョン・エリス(Ds)が脱退。後任にアラン・ムーア(Ds)が加入するが、年末に脱退。

1972年、ジャマイカ出身のクリス・キャンベル(Ds)が加入。イギリス中を回り本格的なライブ活動を開始する。

1973年、バンドの厳しい財政状況に耐えかねたアル・アトキンス(Vo)が脱退。追うようにしてクリス・キャンベル(Ds)も脱退。

同年5月、イアン・ヒル(B)のガールフレンド(結婚したが、後に離婚)のスー・ハルフォードの兄、ロブ・ハルフォード(Vo)が加入。ロブ・ハルフォードの紹介で、バンド仲間であったジョン・ヒンチ(Ds)が加入。

ヘヴィメタルバンドへの進化 (1974年 - 1980年)[編集]

1974年、イギリスのマイナーレーベル「ガル・レコード」と契約。しかし契約内容はバンド側に不利な内容であり、バンドが受け取るギャラは一ヶ月にわずか50ポンドであったため、メンバーはアルバイトをしたり、生活保護を受けるなど、経済的に困窮していた。

4月、レーベル側の提案でもう一人メンバーを加えることを決定。キーボーディストホーン奏者を迎えるアイディアもあったが、結局もう一人ギタリストを加えることに決定。元「FLYING HAT BAND」のグレン・ティプトン(G)が加入。K・K・ダウニングと共にツインリードギターとなった。

9月、ファースト・アルバム『ロッカ・ローラ』でデビュー。プロデューサーは、ブラック・サバスバッジーとの仕事で知られるロジャー・ベイン。アルバム発表後、レコード会社の支援なしでツアーを開始。地道な活動が功を奏してツアーは長期的なものとなった。

1975年 8月、「ナショナル・ジャズ・アンド・ブルース・フェスティバル」に出演。スタジオアルバムには未発表の曲「Mother Sun」を演奏した。フェスティバル後、ジョン・ヒンチ(Ds)が脱退。後任にアラン・ムーア(Ds)が復帰。

1976年3月、2ndアルバム『運命の翼』を発表。このアルバムではグレン・ティプトン(G)が本格的に曲作りに参加した上、レコーディング・エンジニアの一人に後の『ペインキラー』(1990年)のプロデューサー、クリス・タンガリーディスが参加している。

アルバム発表後ツアーを開始。ツアー自体はとても好評であったが、「ガル・レコード」との契約によって相変わらずバンドの財政は苦しく、メンバーは機材車で寝泊りする状況だった。そしてついに金に困ったアラン・ムーア(Ds)が脱退。

同年12月、新たにメジャーレーベル「CBSレコード」と契約。メンバーはドラマー不在のまま曲作りを始める。空き家となっていた修道院を借りてリハーサルを行った。

1977年1月にレコーディングを開始。「CBSレコード」側が「ヒット作のカヴァー」を収録するよう要請され、アメリカのフォーク・ミュージシャン、ジョーン・バエズの「Diamonds and Rust」をカヴァー。4月メジャー・デビュー作となる3rdアルバム『背信の門』を発表。ディープ・パープル(当時は解散している)のロジャー・グローヴァーがプロデュース、サイモン・フィリップス(Ds)が録音に参加。

当初はツアーにサイモン・フィリップス(Ds)を参加させる予定であったが、彼は他のプロジェクトで忙しく断念。バンドはオーディションを行い、元ANIMALSのレス・ビンクスを加入させる。5月にイギリスツアー、6月には初めてアメリカツアーに他のバンドの前座として臨んだ。オークランド・コロシアムでのフェスティバル「DAY ON THE GREEN」では、レッド・ツェッペリンと共演している。

1978年2月、4thアルバム『ステンド・クラス』を発表。プロデューサーにデニス・マッケイを起用したが、シングル向けにスプーキー・トゥースのカヴァー、「ベター・バイ・ユー、ベター・ザン・ミー」を追加録音。同曲のみジェイムス・ガスリーがプロデュースしており、ジェイムスの仕事ぶりを気に入ったバンドは次作でも彼を起用している。またこのアルバムからバンドのロゴが現在に近いものに変更されている。

アルバム発表後イギリスツアーを開始。2月にロンドンハマースミス・アポロで公演。3月にはガル・レコードが初期の2枚(ロッカ・ローラと運命の翼)から選曲したベストアルバムを発表した。

7月、初来日。東京、名古屋、大阪で公演。日程は25日:東京・中野サンプラザ、29日:東京・芝郵便貯金ホール、31日:東京・新宿厚生年金会館(昼夜2回公演)、8月3日:名古屋・名古屋市公会堂、5日:大阪・フェスティバルホール。来日ツアーの後、イギリスに戻りで新作の製作を開始。

10月、5thアルバム『殺人機械』発表。アメリカでは1979年2月に発表され、タイトルも『Hell Bent for Leather』と変更された。アメリカ盤にはフリートウッド・マックのカヴァー「グリーン・マナリシ」が追加収録されている。アルバム発表後イギリスツアー開始。このツアーからバンドのステージ衣装としてレザー&スタッドを着用するようになり、ロブ・ハルフォードハーレーダビッドソンを乗り回すパフォーマンスを始める。重厚で引き締まったサウンドによる音楽性と、ツアーにおけるステージ演出に至るまで今日のヘヴィ・メタルのスタイルがある程度確立されたといえる。

1979年、シングルカットされた「テイク・オン・ザ・ワールド」が全英で最高14位を記録。さらに2弾目のシングル「イヴニング・スター」は全英53位と大健闘。瞬く間に注目のバンドとなり、BBCの人気音楽番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に2回出演した。

2月、2度目の来日。日本側の提案でライブ・アルバムの録音が決定。10月にライブ・アルバム『イン・ジ・イースト』として発表され、後に海外でも9月に「UNLEASHED IN EAST」として発表された。日程は9・10日:東京・新宿厚生年金会館(10日は昼夜2回公演)、13・14日:大阪・フェスティバルホール、15日:東京・中野サンプラザホール。ただし、ロブ・ハルフォード(Vo)は滞在先のホテルの空調が原因で喉を痛め、ボーカル・パートは後に録り直している。

来日ツアーが終了後、5月までアメリカツアー、その後イギリスツアーを行った。

9月、レス・ビンクス(Ds)が脱退。後任に元トラピーズのデイヴ・ホーランド(Ds)が加入。KISSの前座としてアメリカツアーを行い、11月にはAC/DCの前座としてヨーロッパツアーを行った。

12月、ビートルズリンゴ・スター所有のスタジオにて新作アルバムのレコーディングを開始している。

NWOBHMの到来 アメリカ制覇と黄金時代 (1980年 - 1990年)[編集]

1980年、年が明けてすぐに、ニューアルバムのマスター・テープが何者かに盗難される事件が発生する。このマスター・テープはパリで録音され、ニューヨークミックス・ダウンする矢先の出来事であり、CBSレコード側は犯人の要求を飲んで5万ポンド(10万米ドル)を支払い、テープを取り戻した。しかし、2ヶ所の破損が発覚し、その部分を再レコーディングした。なお、この事件の犯人と動機は不明であるが、マネージメントの内部事情から発生したものではないか、と言われている。何故なら、この事件と前後して同じマネージメントのツーリストのテープが再び盗難にあう事件が起きており、偶然にしてはあまりにもタイミングが良すぎるためである[3]

3月から全英ツアーがスタート。前座はこの頃デビューして間もないアイアン・メイデンだった。

4月、6thアルバム『ブリティッシュ・スティール』発表。前年からのヘヴィ・メタルムーブメント(NWOBHM)に乗る形で全英チャート3位。バンドの愛称である「メタルゴッド」はこのアルバムに収録されている曲に由来する。「リヴィング・アフター・ミッドナイト」、「ブレイキング・ザ・ロウ」がシングルカットされ、12位まで上昇した。6月からの全米ツアーが開始されると、全米チャートでも34位まで上昇し、バンドは初のゴールドディスクを獲得した。

8月、イギリスのドニントン・パークで行われた第1回モンスターズ・オブ・ロックに出演。ヘッドライナーはリッチー・ブラックモア率いるレインボー。出演中は激しい雨の中で行われたが6万人の大観衆を前に演奏した。

ちなみに、この年の1月1日に2015年現在のギタリスト、リッチー・フォークナーがロンドンで誕生。

ウェールズ・カーディフ公演 (1981年)

1981年サクソンを前座に迎えて欧米ツアーを行った後、7thアルバム『黄金のスペクトル』発表。スペイン沿岸に近いイビザ島でレコーディングされた。夏にはアイアン・メイデンを前座につけてアメリカツアーを行う。この頃からステージ・セットが豪華なものになっており、フロントの4人はワイヤレス・システムを導入したことで、ギターマイクのコードを気にすることなく、ステージ上を自由に動き回れるようになった。11月からはイギリスツアー、サポートはアクセプト。年の暮れにガル・レコードは新たなベストアルバム『HERO,HERO』を発表している。

1982年7月、8thアルバム『復讐の叫び』を発表。前作に引き続きイビザ島でレコーディングされたが、ミキシングに手間取り、レコーディングから7ヶ月要した。ビデオ・クリップの効果もあって、全米で最高17位まで上昇。ゴールド・ディスクを獲得。8月に全米ツアーを開始すると、ステージセットは更に大きなものとなったため、ツアー各地で話題となりツアーは当初の12月から翌年3月まで延長された。その全米ツアー中に、ザ・フーを手掛けたビル・カービシュリーのマネージメントへ移籍し、アルバムは全米チャートに21週間ランクイン。バンドは初のダブル・プラチナディスクを獲得。バンド最大のヒット作となった。

『背徳の掟』ツアー (1984年)

1983年5月、ロサンゼルス郊外サンバーナディーノで行われた「USフェスティバル」に出演。バンドは2日目に登場し、ヴァン・ヘイレンオジー・オズボーンスコーピオンズモトリー・クルークワイエット・ライオットらと共に出演。この日だけで35万人以上を動員。

6月、再びイビザ島にて新作をレコーディング。ミキシング中にタイトルが決定。

12月、2年ぶりの英国ツアーを開始。ドイツドルトムントでのテレビ番組「ROCK POP」出演。ヘッドライナーはアイアン・メイデン

1984年、9thアルバム『背徳の掟』発表。発表後欧州ツアーを開始。ステージセットにはジャケットに描かれたモンスター「メタリアン」が組み込まれるようになった。全米最高18位まで上昇。最終的にプラチナ・ディスクを獲得した。

3月、5ヶ月間に渡る全米ツアーを開始。

『ラム・イット・ダウン』ツアー (1988年)

9月、三度目の来日。日程は6日:仙台・宮城県スポーツセンター、7日:東京・NHKホール、8日:名古屋・愛知県厚生年金会館、10,11日:大阪・フェスティバルホール、13日:東京・日本武道館。

1982年の全米ツアーのメンフィス・アトランタでの公演を収録した初のライブビデオ「LIVE VENGEANCE82」が発表。

1986年、10thアルバム『ターボ』発表。シンセサイザイズド・ギターを多用した。

1987年テキサス州ダラス公演を収録した『プリースト…ライヴ!』を発表。

1988年、11thアルバム『ラム・イット・ダウン』発表。

裁判、ロブ脱退、バンド存続の危機 (1991年 - 1996年)[編集]

1990年アメリカリノに住んでいた少年2人が1985年に自殺を図り、1人が即死した事件に関して、少年たちの遺族から「息子が自殺したのはバンドの曲に含まれるサブリミナルメッセージが原因」との荒唐無稽な理由で裁判を起こされるが、最終的にはバンド側の無罪判決となる。

デイヴ・ホーランド(Ds)脱退。元RACER Xスコット・トラヴィス(Ds)が参加、12thアルバム『ペインキラー』発表。

1993年、2枚組ベスト・アルバム『METAL WORKS』発表。その後ヴォーカルのロブ・ハルフォード(Vo)が自身のソロ・プロジェクトを巡り、レーベルと契約問題でもめ、バンドを脱退。その後数年間ヴォーカリスト不在の状態が続いた。

新ボーカリスト加入 (1996年 - 2003年)[編集]

ティム・オーウェンズ(Vo) 2009年

1996年に後任としてティム "リッパー" オーウェンズ(Vo)が加入。ロブの後任オーディションには元ガンマ・レイ、現プライマル・フィアラルフ・シーパーズロイヤル・ハントD.C.クーパーも参加した。

1997年、13thアルバム『ジャギュレイター』発表。

2001年、14thアルバム『デモリッション』を発表。

復帰からの再出発 (2003年 - 2011年)[編集]

2003年、ロブ・ハルフォード(Vo)が復帰、ティム・オーウェンズは脱退。

2005年2月には、ハルフォードハロウィンを手掛けたロイ・Zのプロデュースで15thアルバム『エンジェル・オブ・レトリビューション』が発表され、アメリカや日本ドイツを始めとする欧州各国でチャートインするなど健在ぶりを示した。2005年5月には日本武道館を始め全国7箇所に渡る来日公演を行い、その模様を収録したDVD『RISING IN THE EAST』が2005年12月に発売された。

2008年、初の2枚組オリジナルアルバムである16thアルバム『ノストラダムス』を発表。その後、世界ツアーが行われ、9月下旬から名古屋と大阪、横浜、東京で日本公演が行われた。

2009年、『BRITISH STEEL』のリリース30周年を記念した再現ツアーにて来日。神戸と名古屋、幕張メッセで行われるLOUD PARKへの参加の3公演を行なった。

2010年、公式ホームページで、2011年に最後のワールドツアー(2015年に撤回)を行うことが発表された。

K・K・ダウニングの脱退から現在まで (2011年 - )[編集]

K・K・ダウニング(G) 2009年

2011年4月20日、6月から行われるワールドツアー、『EPITAPH』にK・K・ダウニング(G)が参加しないことが発表された[4]。これは事実上の脱退であり、最後のツアーを前に、長きにわたって演奏されてきたグレンとのツインリードが過去のものとなった[5]

2011年5月25日、K・K・ダウニング(G)に代わる新しいイギリス人ギタリスト、リッチー・フォークナーが加入。アメリカのテレビ番組でお披露目。オランダ公演を行う。

2012年2月リッチー・フォークナー擁する新メンバーで初来日。福岡、横浜、神戸、広島、名古屋、東京と公演を行う。

2014年、17thアルバム『贖罪の化身』発表。バンド史上初めて全米チャートTOP10入りした(最高6位)[6]

2015年にツアー『REDEEMER OF SOULS TOUR』を行うことを発表。日本、ブラジル、オーストラリア等での公演も決定し、ワールドツアーの終了を事実上撤回した[7]

メンバー[編集]

現メンバー[編集]

        
ロブ・ハルフォード(Vo) 2014年
グレン・ティプトン(G) 2014年
リッチー・フォークナー(G) 2012年
イアン・ヒル(B) 2009年
スコット・トラヴィス(Ds) 2005年

旧メンバー[編集]

アーリー・ジューダスプリースト メンバー
  • アル・アトキンス Al Atkins - ボーカル (1969年 - 1973年)
  • ジョン・ペリー John Perry - ギター (1969年)
  • ブルーノ・ステープンヒル Bruno Stapenhill - ベース (1969年 - 1970年)
  • ジョン・パートリッジ John Partidge - ドラムス (1969年 - 1970年)
バンド名 継承後

音楽的特徴[編集]

USAツアー (2005年)

ヴォーカルのロブ・ハルフォードの広い音域を生かした歌唱(特にシャウト)と グレン・ティプトンK. K. ダウニングのツインリードギターが特徴。初期の頃は(ブリティッシュ系)ハードロックとして抒情的なアプローチを旨としたが、70年代末よりそうした湿り気を捨て硬質かつ純化されたヘヴィメタルというアプローチを主流としていく。1980年の『ブリティッシュ・スティール』において硬く乾いたリフと「泣き」を刈り込んだ攻撃的なギターソロという「メタル・ゴッド」としてのアイデンティティを確立、80年代の終りまで大きな存在感を放った。

また80年代における音数の極端な簡素化やギターシンセサイザーの導入、またリッパー・オーウェンズ在籍時のモダンなメタルへの接近、2枚組コンセプトアルバムの『ノストラダムス』など、大御所らしからぬ音楽性の模索の激しさ、いわゆる「問題作」の多さらに定評がある。しかしメンバーはそれらの路線の失敗から常に同じ音楽しか求められていないという苦悩を抱えており、それがロブやK.K.の脱退にも繋がっている。

後続のNWOBHM勢、プライマル・フィアのような正統派スレイヤーアンスラックスなどのスラッシュ勢、日本のバンドでは、陰陽座などにも絶大な影響を与えた。

パフォーマンス[編集]

バイク・パフォーマンス (2005年3月)

1970年代中期には袖や裾がヒラヒラした衣装や、カウボーイハットを着用したりしてステージに上がっていた彼らだが、1979年の『Killing Machine』(国によっては『Hell Bent For Leather』という名で発表された)を境に、レザー&スタッドを基調とした男らしいファッションに転向した。

ステージではギターとベースの3人がフォーメーションを組み、リズムに合わせて上半身ごと楽器を振り回したり、またアンコールではロブがハーレーダビッドソンのバイクに跨って登場するなど、独特のパフォーマンスを繰り広げ、やがてそれは一つの様式美とされるようになった。

このようなプリーストのファッションやパフォーマンスは多くのバンドに影響を与え、特にレザーファッションはヘヴィメタルという音楽そのものの象徴となった。これらの衣装は、アメリカ・ツアー中にSMショップで売られているのを見て着想を得たという。

プロモーションビデオ[編集]

アメリカでの成功を目論み、1980年代初頭からミュージック・ビデオを多数製作するが、どこか可笑しな「怪作」が多い。

  • 「Breaking the Law」
    メンバー達が銀行強盗となり、金庫から元々自分達の所有物であるはずのゴールド・ディスクを盗み出し逃走する。警備員はなぜか追いかけたり警察に通報したりせず、ベニヤ板で作られたギターを手に踊り狂う。他にも、演奏の音圧でメガネが割れる、ロブのハイトーンシャウトで監視カメラが爆発するなど、奇妙な演出が多い。
  • 「Heading Out to the Highway」
    チープな背景絵が描かれた書き割りをバックにメンバー達が演奏している。後半、ロブが車道で謎のダンスを踊り続ける。
  • 「Don't Go」
    チープな合成画像を背景に、メンバーがそれぞれドアを開け外に出ると、色々と不条理な世界に迷い込んでしまうという極めてシュールな映像。一応楽曲の「行くな、俺を置いて行くな」というコンセプトには合致しているものの、演出がシュール過ぎて大半のファンには意味が伝わらなかった。
  • 「Hot Rockin」
    前半はメンバー達がウェイトトレーニングやサウナを楽しんでいる光景、後半はスタジオライヴだが、ロブのマイクや靴、ギターのネックなどに火が付く。これは実際に燃やしており、ロブによれば撮影終了直後に慌てて靴を脱いだとのこと。
  • 「Freewheel Burning」
    少年が「ポールポジション」をプレイ中、非常に不自然な合成(自機マシンのドライバーの位置にいるのに、何故かプレイヤーの方向を向いている)によってロブが画面に登場。中盤ではゲームセンターの客達が何かに憑り付かれたかのようにゲームをしながら激しくヘッドバンギングをし暴れる(しかし、そのような状態ながらもまともにプレイしている)。ゲームは、曲が終わると同時にゲームオーバーとなり、プレイしていた少年は何故か気を失ってしまう。
  • 「Locked in」「Turbo Lover」
    この2曲は連作になっている。「Locked in」では、骸骨のような怪物が率いるアマゾネス達のアジトに、ロブを除く4人のメンバー達が潜入、脈絡無く逆さ吊りにされたロブを救出する(さらに救出の際、意識が朦朧としたロブをKKが往復ビンタ)。「Turbo Lover」では、メンバーが怪物の追っ手からバイク(サイドカー含む)で逃走する。何の目的でロブを拉致したかなどの設定は一切明らかにされない。怪物は人形アニメーションで撮影されているが、そのボディは、ポールキャストの骨格がむきだしでかなりチープ。

これらのミュージック・ビデオは、映像作品集「FUEL FOR LIFE」に収録されている(国内盤は廃盤。DVD「Electric Eye」で本項で述べたPVは全て収録され視聴可能)。全てのPVがこのような可笑しなものではなく、「You've Got Another Thing Comin'」や「Painkiller」は終始シリアスで、特に「Painkiller」や「Burn in Hell」は過激でシビアな雰囲気が漂っている。

ディスコグラフィ[編集]

オリジナルアルバム[編集]

ベストアルバム[編集]

  1. メタル・ワークス'73-'93 - Metal Works '73-'93 (1993年)
  2. リヴィング・アフターミッドナイト ~ザ・ベスト・オブ・ザ・メタル・ゴッド (1998年1月21日)
  3. エッセンシャル・ジューダス・プリースト - The Essential Judas Priest (2006年)

ライブアルバム[編集]

  1. イン・ジ・イースト - Unleashed In the East (1979年)
  2. プリースト…ライヴ! - Priest...Live! (1987年)
  3. '98ライヴ - メルトダウン - Live Meltdown (1998年)
  4. ライヴ・イン・ロンドン - Live In London (2003年)
  5. ア・タッチ・オブ・イーヴル - A Touch of Evil: Live (2009年)

ボックスセット[編集]

  1. メタロジー - Metalogy (2004年)

関連項目[編集]

脚注[編集]

外部リンク[編集]