デフ・レパード

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デフ・レパード
Def Leppard
デフ・レパードのコンサート(2007年7月26日、アメリカ・ノースダコタ州・マイノットで)
デフ・レパードのコンサート(2007年7月26日アメリカノースダコタ州マイノットで)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランド シェフィールド
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
活動期間 1977年〜現在
レーベル マーキュリー
ユニバーサル・ミュージック
フォノグラム
ヴァーティゴ
アイランド
ポリグラム
公式サイト www.defleppard.com
メンバー
ジョー・エリオット
リック・サヴェージ
リック・アレン
フィル・コリン
ヴィヴィアン・キャンベル
旧メンバー
スティーヴ・クラーク
ピート・ウィリス
トニー・ケニング
フランク・ヌーン

デフ・レパード (Def Leppard) はイギリスハードロックバンドである。1980年代初頭にアイアン・メイデンサクソンなどと並んで、NWOBHM (New Wave Of British Heavy Metal) ムーヴメントの中心的存在となった(ただし、彼ら自身はNWOBHMバンドに括られることを嫌っていると言われる)。

イギリスのトップバンドのひとつで、アルバム総売上は6500万枚を超える(3500万枚は全米での売り上げ)。アルバム『炎のターゲット』と『ヒステリア』が空前の大ヒットを飛ばし、80年代を代表するロックバンドのひとつとなった。また、「VH1の最も偉大なハードロックバンド」において31位を獲得した。

メンバー[編集]

ジョー・エリオット
リック・サヴェージ
リック・アレン
フィル・コリン
ヴィヴィアン・キャンベル

オリジナル

現メンバー

  • ジョー・エリオット (Joe Elliott) (リードヴォーカル、アコースティックギター、ピアノ)
  • リック・サヴェージ (Rick Savage) (ベース、ヴォーカル)
  • リック・アレン (Rick Allen) (ドラム)
  • フィル・コリン (Phil Collen) (ギター、ヴォーカル)
  • ヴィヴィアン・キャンベル (Vivian Campbell) (ギター、ヴォーカル)

ヒストリー[編集]

1977年~1979年[編集]

1977年、タプトン・スクールの生徒であったリック・サヴェージ(ベース)、ピート・ウィリス(ギター)、トニー・ケニング(ドラム)により、バンドの母体となるアトミック・マスが結成される。偶然、バスに乗り遅れたピートがジョー・エリオットと出会い、ギタリストとして勧誘するが、最終的にはジョー・エリオットはヴォーカリストとして参加。

バンド名は、元々"Deaf Leopard"(耳の聞こえない豹)であったが、ケニングの提案で現在の綴りに変更される。1978年1月には、スティーヴ・クラークがバンドに加入する。

同年11月には3曲のコンパクト盤であるDef Leppard EPのレコーディング作業に入る。この時トニーはバンドを去り、後任としてフランク・ヌーンが加入するが、彼も脱退し、その月末には当時15歳のリック・アレンが正式なドラマーとして加入する。その後フォノグラム社と契約。

1980年~1983年[編集]

1980年3月14日発売の『オン・スルー・ザ・ナイト』 (On Through the Night) でレコードデビュー。同作は全英チャートで15位となった。

1981年7月11日には2ndアルバムの『ハイ・アンド・ドライ』 (High 'n' Dry) をリリースする。プロデューサーはAC/DCなどを手がけたロバート・ジョン“マット”ランジ。ヨーロッパ・ツアーではオジー・オズボーンブラックフットのオープニングアクトを務めた。

翌年1982年7月、飲酒問題でバンドを解雇されたウィリスの後任として、元ガール(Girl)のフィル・コリンが加入する。

1983年1月20日は3rdアルバム、『炎のターゲット』 (Pyromania) のを発表。同アルバムの先行シングル、「フォトグラフ」はMTVのリクエスト放送でマイケル・ジャクソンの「今夜はビート・イット」を超える支持を集めた。全米シングルチャートでは12位に入るヒットとなった。続くシングル、「ロック・オブ・エイジ」、「フーリン」により、アルバムは年末までに600万枚を売り上げ、全米チャートではマイケル・ジャクソンの『スリラー』に次ぐ最高2位を獲得した。アメリカではRIAAによりダイアモンドディスクに認定されている。

3月にはビリー・スクワイアをオープニングアクトに迎えて、ツアーを開始し、9月にはカリフォルニア州サンディエゴのジャック・マーフィー・スタジアムに5万5千人を集めた。

1984年~1989年[編集]

1984年2月、バンドは本拠地をアイルランドのダブリンへ移した。バンドは新しいアルバムの制作に取りかかるが、同年12月31日にドラマーのリック・アレンがシェフィールド郊外で交通事故を起こし、左腕を全て切断することになった。他のメンバーはアレン以外のドラマーは考えられないとメンバーチェンジを考えることなく、一時期はバンド自体を解散することも考えたが、事故報道を経て、そのような経緯を知ったシモンズ社がアレンの両足・右腕だけでも演奏が可能なカスタマイズのエレクトリック・ドラムを製作し、他のメンバーが、アレンがそれに対応しての復帰を待つかたちで、1986年にドニントンで開催されたモンスターズ・オブ・ロックでバンドは久々にライブを行った。

1987年8月3日には4thアルバム、『ヒステリア』 (Hysteria) を発表。セカンド・シングルの「アニマル」は全英シングルチャートで6位を記録し、母国イギリスでもスターの仲間入りを果たす。アルバム自体もその週には全英1位となった。4thシングル、「シュガー・オン・ミー」は全米シングルチャートで2位を記録。アメリカでの売り上げは前作『炎のターゲット』と比べ、スローペースであったが、ほぼ1年後の1988年7月に遂に全米でも1位を獲得する。10月には「ラヴ・バイツ」が全米1位、1989年1月には「アーマゲドン」が3位に入る。

ヒステリア』は7つものシングルが全米でチャートインし、アルバム自体も3年間チャートインした。これまでに全米だけで1200万枚、全世界で2000万枚以上を売り上げている。

センター・ステージを採用したツアーは、15ヶ月間にわたって行われた。

1990年~1999年[編集]

1991年1月8日、ギタリストのスティーヴ・クラークが、アルコールと精神安定剤、鎮痛薬の過剰摂取で死亡。当時5作目のレコーディング中であったが、バンドは後任ギタリストは迎えず、残りのギターパートは全てフィル・コリンが担当。1992年3月30日に5枚目のアルバム『アドレナライズ』 (Adrenalize) を発表した。このアルバムは15カ国で1位を記録、全世界で700万枚以上を売り上げた。

アルバム発表後、クラークの後任として元ディオホワイトスネイクヴィヴィアン・キャンベルが加入。翌年の1993年にはB面曲、未発表曲等を集めたアルバム『レトロ・アクティヴ』 (Retro Active) をリリースした。スウィートのカヴァー「アクション」や、映画『ラスト・アクション・ヒーロー』のサントラに使われヒットした「トゥー・ステップス・ビハインド」 (Two Steps Behind) はこのアルバムに収められている。

1995年には彼ら初のベスト・アルバムデフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ』 (Vault: Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) ) をリリース。新曲として「ラヴ・アンド・ヘイト」(When Love & Hate Collide)がシングル・ヒットし、チャートインした。

1996年に4年ぶりのスタジオ・アルバム『スラング』 (Slang) をリリースしたが、作風が過去の作品群とは異なっていたため、売り上げはふるわなかった。

1999年4月にはアルバム『ユーフォリア』 (Euphoria) を発表。先行シングル「プロミセス」 (Promises) がヒットし、メインストリーム・ロックのチャートで3週間1位をキープした。

2000年~[編集]

2001年、彼らのドキュメンタリーDVD『Hysteria - The Def Leppard Story』をリリースした。

2002年7月、8枚目となるスタジオ・アルバム『X』 (X) をリリースした。このアルバムは全米初登場で11位となったが、売り上げは思うように伸びずに終わった。このアルバムのツアーは、所属レコード会社との関係が悪かったため、レコード会社から資金を提供されず、バンドの費用負担で行われた。アルバムの売れ行きとは裏腹に、10000人程度収容できる会場をメインに行われた北米ツアーはほぼ満席で、大成功に終わった。

2004年、イギリスで『Best Of』、2005年にはアメリカで『Rock of Ages: The Definitive Collection』のベストアルバムをリリース、それぞれ最高位6位、10位を記録した。また2005年7月にフィラデルフィアで行われたLIVE 8(ライブ・エイト)に参加した。

2006年5月23日(日本発売6月28日)にカバー・アルバム『Yeah!〜イエーイ』 (Yeah!) をリリース。

2008年4月、10枚目のスタジオ・アルバム『ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ』 (Songs from the Sparkle Lounge) をリリースし、全米5位、全英10位を記録した。同アルバムからの先行シングル「ナイン・ライヴス」はアメリカのカントリー歌手、ティム・マッグロウがボーカルと作曲で参加している。本作品のツアーより、ホワイトスネイクとのダブルヘッドライナーでのツアーを敢行、同年、来日を果たし、武道館公演が行われた。

2011年6月7日(日本発売7月20日)に、ライブ・アルバム『ミラー・ボール』(Mirror Ball)をリリース。11月に3年ぶりの来日コンサートが大阪、東京で行われた。

ディスコグラフィ[編集]

スタジオアルバム[編集]

発売年 タイトル(邦題) タイトル(原題) UK US 全米売上
1980年 オン・スルー・ザ・ナイト On Through The Night 15 51 1,000,000
1981年 ハイ・アンド・ドライ High 'n' Dry 26 38 2,000,000
1983年 炎のターゲット Pyromania 18 2 10,000,000
1987年 ヒステリア Hysteria 1 1 13,000,000
1992年 アドレナライズ Adrenalize 1 1 3,000,000
1996年 スラング Slang 5 14 500,000
1999年 ユーフォリア Euphoria 11 11 500,000
2002年 X X 14 11 -
2006年 Yeah!〜イエーイ! Yeah! 52 16 -
2008年 ソングス・フロム・ザ・スパークル・ラウンジ Songs From The Sparkle Lounge 10 5 -


Def Leppard World - Discography

コンピレーションアルバム[編集]

発売年 タイトル(邦題) タイトル(原題) UK US 全米売上
1993年 レトロ・アクティヴ Retro Active 6 9 1,000,000
1995年 デフ・レパード・グレイテスト・ヒッツ Vault:Def Leppard's Greatest Hits (1980-1995) 3 15 4,000,000
2004年 ベスト Best of Def Leppard 6 - -
2005年 ロック・オブ・エイジズ Rock of Ages:The Definitive Collection - 10 1,000,000


ライブアルバム[編集]

発売年 タイトル(邦題) タイトル(原題) UK US 全米売上
2011年 ミラー・ボール Mirror Ball 44 16 -

全米通算売上枚数 3500万枚

  • 売上はRIAA(全米レコード協会)による認定枚数。

日本公演[編集]

1月24日 渋谷公会堂、25日 大阪厚生年金会館、26日 中野サンプラザ
5月17日 国立代々木競技場第一体育館、19日 横浜文化体育館、21日・22日 大阪フェスティバルホール、24日 名古屋市公会堂
6月15日 仙台サンプラザ、16日 横浜文化体育館、18日 大阪城ホール、19日 広島厚生年金会館、21日 - 23日 日本武道館
6月11日 名古屋国際会議場センチュリーホール、13日 広島厚生年金会館、14日 福岡サンパレスホール、17日 大阪城ホール、18日・19日 日本武道館、21日 横浜文化体育館、22日 仙台サンプラザ
9月24日 名古屋市民会館、26日 大阪フェスティバルホール、27日 大阪厚生年金会館、28日 Zepp Fukuoka、30日・10月1日・2日 東京国際フォーラム ホールA、4日 パシフィコ横浜国立大ホール
11月17日 Zepp Sendai、18日 金沢市観光会館、20日 愛知厚生年金会館、21日 大阪厚生年金会館、22日 神奈川県民ホール、25日~27日 渋谷公会堂
ホワイトスネイクとのジョイント・ツアー
10月23日・24日 日本武道館、27日 大阪城ホール、28日 名古屋 日本ガイシホール
11月5日 グランキューブ大阪、7日・8日 東京国際フォーラム ホールA

外部リンク[編集]