メタリカ
メタリカ | |
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O2アリーナ公演にて(2017年10月22日) | |
基本情報 | |
出身地 | アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス[1][2] |
ジャンル | |
活動期間 | 1981年 - |
レーベル | |
公式サイト | https://www.metallica.com |
メンバー | |
旧メンバー |
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メタリカ(英語: Metallica)は、アメリカ合衆国出身のヘヴィメタル・バンド。
1981年に同国西海岸にて結成。2019年までにアルバム総売上枚数が世界中で1億2000万枚を記録するなど[7]、世界的に最も成功を収めたメタルバンドとして知られる。
『グラミー賞』8回受賞(18回ノミネート)[8]。2009年『ロックの殿堂』入り。ローリング・ストーン誌選出「歴史上最も偉大な100組のアーティスト」第61位。同読者選出「最高のメタル・バンド ベスト10」第1位。ウォール・ストリート・ジャーナルの「史上最も人気のある100のロックバンド」8位[9]。
同時期にデビューしたメガデス、アンスラックス、スレイヤーと共にスラッシュメタル"BIG4"と形容された一角として君臨している。
バンド名の由来
経緯はラーズの友人であるサンフランシスコ地区メタル・プロモーターのロン・クインターナが新しいメタル雑誌の名前を『Metallica』にしようとした際、ラーズがすぐに別の名前『Metal Mania』を提案し、『Metallica』という名前は自分とジェイムズが始めたバンド名(本バンドのこと)にすることを決めた[10]。
各アルバムでの楽曲構成の変化
[11]スラッシュメタルというジャンルの先駆者としても知られ、1983年のデビュー作『キル・エム・オール』ではダイアモンド・ヘッドなどのNWOBHMとモーターヘッドの両者の影響を存分に受けた、ハードコア的でもあるヴァイオレントさの横溢するスピードメタルの作品。
1984年の2作目『ライド・ザ・ライトニング』、1986年の3作目『メタル・マスター』では叙情的なフレーズを盛り込み、楽曲に構成を持たせるようになった。
1988年の4作目『メタル・ジャスティス』では、複雑な拍子の楽曲にチャレンジする。
1991年の5作目『メタリカ』(通称『ブラック・アルバム』)では、スピードよりもグルーヴを重視した作風に変化し、当時のヘヴィメタルに留まらず、後のニューメタルやラウドロック等のロック・シーンに多大な影響を与えた。
このグルーヴへの傾倒は、1996年の6作目『ロード』、翌1997年の7作目『リロード』において決定的となり、メンバーの音楽的なバックグラウンドを反映させた多彩なアプローチを盛り込んだオルタナティヴ・ロックに傾斜し、ヘヴィメタルシーンにおいて広く影響を与える作品となった。
1998年にはカバー・アルバム『ガレージ・インク』を発表。ダイヤモンド・ヘッド、シン・リジィ、レーナード・スキナード、ブラック・サバス、ミスフィッツなど27曲をカバー。ライブではいずれかの曲をよく披露する。
8作目『セイント・アンガー』は、2017年現在になっても彼らのキャリアの中で異色のアルバムであり、大きなターニングポイントとなる作品となる。殆どがドロップC(ドロップD+1音下げ)のチューニングで演奏し、非常に重く仕上げられている。全曲を通じてギターソロがなく、リフだけに徹底して作りこまれている。制作当時は『リロード』まで在籍していたジェイソン・ニューステッドが脱退し、ロバート・トゥルヒーヨが加入する直前であったためベーシストが不在で、プロデューサーのボブ・ロックがベースを弾いている。
9作目アルバム『デス・マグネティック』では、リック・ルービンをプロデューサーに迎え、ロバートが参加する初のアルバムとなる。スラッシュメタルに回帰した、とメンバーは語っており、初期のような疾走感を強調した作風である。
ロバートは、5弦ベースをフィンガーで演奏するスタイルでバリエーションの広い表現が盛り込まれ、シンプルなリフが多く、プロモーションも手助けし広い分野でのアーティストから高く評価される1枚になっている。
2011年に、ルー・リードと共作のアルバム『LuLu』を発表。全曲を通じて、メタリカのヘヴィなサウンドにルーの独特な歌い回しを乗せるもので、昨今のロックシーンをリードした人物同士によるコラボレーション作品として、高い評価を得ている。またこのアルバムでのサウンド作りは、その後のアルバム『Hardwired...To Self-Destruct』の基盤になった。
2016年に10作目『ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト』は前作よりもシンプルなリフ構成で作られ、ストレートでキャッチーなリフやメロディの楽曲が多く、発売から数か月間で全世界140カ国の音楽チャートで1位を記録した。 また、2015年12月に他界したレミー・キルミスターへ捧げた「Murder One」も収録。
歌詞の題材は、自己の内面や死、孤独、狂気、核戦争、司法システムの矛盾、表現の自由などシビアな内容が多く、その中で文学作品や映画からのインスパイアも少なくない。
レッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーは、「彼らは、どのピース&ラブ・バンド以上に、人々をひとつにした」と評している[12]。
バイオグラフィ
- 1981年10月、テニスを断念したラーズ・ウルリッヒがジェイムズ・ヘットフィールドを誘う形でメタリカが結成される。
- 1982年、アメリカのインディーズ・ヘヴィメタル・レーベル「メタル・ブレイド・レコーズ」で製作されていたコンピレーションアルバムの第一弾『Metal Massacre 1 - (邦題:メタル・マサカー1) 』に提供するために「 Hit The Lights - (邦題:ヒット・ザ・ライツ)」をレコーディング、その直後にデイヴ・ムステインが加入する。
- 1983年2月にサンフランシスコに拠点を移す。
- 1984年初頭、ヴェノムのサポートとしてヨーロッパツアーを行う。
- 6月に2ndアルバム『 Ride the Lightning - (邦題:ライド・ザ・ライトニング -) 』発表、年末より大規模な欧米ツアーを敢行。メジャー・レーベルエレクトラとの契約を獲得し、Qプライムとマネージメント契約を締結。
- 1985年8月、イギリス・ドニントンパークで開催されたモンスターズ・オブ・ロックに出演。
- 1986年3月、3rdアルバム『Master of Puppets - (メタル・マスター )』発表(メジャーデビュー)、ビルボード29位にランクイン。50万枚以上の売り上げを記録し、メタリカ初のゴールド・ディスクを獲得する。
- ダメージ・インク・ツアーでヨーロッパ巡業中の9月27日、スウェーデンでメンバーの乗ったバスのスリップ事故により、ベーシストのクリフ・バートンがバスの下敷きになり死亡。9月27日以降のツアーを急遽キャンセルしたメンバーは翌28日にアメリカに帰国、10月7日の葬儀参列後、後任ベーシストのオーディションを行い、元フロットサム・アンド・ジェットサムのジェイソン・ニューステッドがメタリカに迎えられる。
- 1987年8月、メタリカに影響を与えたバンドのカヴァー曲をレコーディングした『The $5.98 E.P. Garage Days Re-Revisited - (邦題:メタル・ガレージ - )』(EP)を発表。一時期は入手困難のため、かなりの高額で取引されていたが、2018年にはオリジナル・フォーマットに準拠したリマスター盤が発売された。
- 1988年9月、4thアルバム『...And Justice for All (邦題:メタル・ジャスティス - ) 』発表。「One」を収録し、映画『ジョニーは戦場へ行った』とのコラボレーションとなった初のミュージック・ビデオも発売され、アルバム プロモーションツアーでは、CDジャケットの石像が崩れ落ちる大仕掛けなセットであった。
- 1989年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門に「One」がノミネート。
- 1990年2月、グラミー賞ヘヴィメタル部門で「One」が受賞。グラミー賞授賞式においては、フォーマルスーツの慣例を無視して自然体のジーンズ姿で登場した。
- 10月より、アルバム制作にとりかかる。
- 1991年8月、スラッシュメタルから完全に脱却した5thアルバム『Metallica - (邦題:メタリカ) 』(通称 Black Album (ブラック・アルバム))を発表。全米初登場1位を4週連続獲得し、全世界で2000万枚を超える大ヒットを飛ばす。3年に亘る長期間のワールドツアーを終えた後、暫く休養期間に入る。
- 1992年8月8日、ジェイムズが、ガンズ・アンド・ローゼズとのスタジアムツアーでのメタリカのステージで、"Fade to Black"のオープニングにおいてパイロテクニクスの事故が発生し、腕や顔などにII〜III度の大やけどを負う。事故後わずか17日でステージへと戻り、その後4週間、ライヴではジェイムズがヴォーカルのみを担当し、リズム・ギターをメタル・チャーチのギタリスト、ジョン・マーシャルが代行した。
- 1996年6月、6thアルバム『Load』を発売し、全英・全米1位を記録。爆発的な売り上げを見せるも、正統的なヘヴィメタル要素が大幅に減退した内容は賛否両論を巻き起こした。
- 1997年11月、7thアルバム『Reload』発表、全米1位を獲得するものの、2作続けてのこの路線にスレイヤーは「メタリカは死んだ」と発言。ただし、収録曲のほとんどが『Load』のアウトテイクであり、実際は2枚組で発売する案もあった。
- 1998年11月、カヴァー曲を集めたアルバム『Garage Inc. - (邦題:ガレージ・インク) 』発表。
- 1999年11月、メタリカ本拠地のオーケストラ、サンフランシスコ交響楽団との競演ライヴアルバム『 S&M - (邦題:シンフォニー&メタリカ)』発表。
- 2000年4月、ナップスターを相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こす。
- 2001年1月、ジェイソン・ニューステッドが脱退。
- 2003年2月、新ベーシストとして元スイサイダル・テンデンシーズ〜オジー・オズボーンバンドのロバート・トゥルヒーヨが加入
- 6月、8thアルバム『St. Anger - (邦題:セイント・アンガー』発表。来日公演ではツアー前にキャンセル誤報があったものの、大成功を収めた。ロバートがオーディションにより加入したのは、このアルバムがほぼ完成した後であり、MTVアイコン・アワードを受賞する際に加入が公表された。このアルバムでベースを弾いているのは、90年代からのプロデューサーであるボブ・ロックである。
- 2004年、8thアルバム『St. Anger』が完成するまでの3年間に密着した(1600時間もの膨大なテープを編集した)映画『Some Kind of Monster -(邦題:メタリカ:真実の瞬間- )』が製作され、日本では2005年7月より限られた劇場でのみ上映された。
- 2006年8月、千葉と大阪で行なわれたサマー・ソニック'06へ参加。アルバム『Master of Puppets』の発表から20周年を迎えるこの年を記念して、アルバム全曲を曲順通りに演奏した。演奏終了時にヴォーカルのジェイムズ・ヘットフィールドは「Master Of Puppets! Happy 20 years anniversary!」と咆哮、モニタ画面には故クリフ・バートンの遺影が映しだされた。
- 2006年12月、1989年から2004年までの間にリリースされた21曲のPVを収録したDVD、「ザ・ビデオズ 1989-2004」を発表。ビルボードビデオチャート3位を獲得。
- 2008年9月、9thアルバム 「Death Magnetic - (邦題:デス・マグネティック )」発表。プロデューサーには、前作までのボブ・ロックからリック・ルービンに代わり、制作された。世界25ヶ国でアルバムチャート1位、オリコン初登場3位を獲得。
- 2009年4月4日、オハイオ州クリーブランドでの授賞式にてロックの殿堂入りを果たした。スピーチは、ライブにゲスト出演するなどの親交を持つレッド・ホット・チリ・ペッパーズのフリーが務めた。ライブでは、ジェイソンも参加して「Master of Puppets」「Enter Sandman」の2曲が演奏された。さらに初代ベーシストであるロン・マクガヴニーと、クリフ・バートンの両親、その他メンバーの親族150人も授賞式に出向いた[13]。元メンバーのデイヴ・ムステインは、メガデスとジューダス・プリーストとのヨーロッパ・ツアーで参加できなかったが、受賞を祝福する声明が発表された。
- 2010年9月25日・26日に、さいたまスーパーアリーナにて4年ぶりの来日公演を行う。
- 2011年10月、ルー・リードとのコラボレーションアルバム「Lulu」発表。
- 2013年12月8日、米コカ・コーラ・ゼロのスポンサーの下、南極大陸(キングジョージ島)公演を行う[14]。翌2014年に、「1年で、7大陸全てでコンサートを行った唯一のバンド」として、ギネス世界記録に認定された[15]。
- 2014年1月、グラミー賞で中国のピアニスト、ラン・ランと最優秀ハード・ロック/メタル・パフォーマンス賞にノミネートされていたサウンドトラック・アルバム『Metallica Through The Never - (邦題:メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー)』から「One」を演奏。メタリカがグラミー賞で演奏するのは、生中継が初めて行われた1991年以来23年振りとなる。
- 2016年3月23日、3rdアルバム『Master of Puppets』が、アメリカ議会図書館が「文化的、歴史的、芸術的に重要な録音物を保存すること」を目的に2000年から毎年行っている『全米録音資料登録簿』の2016年度作品に登録された[16]。ヘヴィメタルの作品としては初の登録となる[17]。11月、10thアルバム『Hardwired... to Self-Destruct - (邦題:ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト -)』を発表。全米チャート1位を獲得[18]。
- 2019年8月14日、ルーマニア初となる小児がん専門病院の設立を目的とし、ルーマニアの医療インフラの整備を行っている団体「Daruieste Viata Association」へ25万ユーロ(約3,000万円)を寄付した[19]。
- 2023年4月14日、11thアルバム『72 Seasons』を発売。全米アルバムチャートでは2位だったが、全英チャートやその他世界15ヶ国で1位を獲得。またメタリカのアルバムが全英チャートで1位を獲得するのは、『Death Magnetic』(2008年)以来15年ぶり4作目となる[20][21]。
メンバー
現ラインナップ
- ジェイムズ・ヘットフィールド (James Hetfield, 1963年8月3日 - ) - ボーカル/リズムギター (1981- )
- カーク・ハメット (Kirk Hammett, 1962年11月18日 - ) - リードギター (1983- )
- サンフランシスコ出身。主にリードギター担当。ジョー・サトリアーニの生徒である。
- ロバート・トゥルヒーヨ (Robert Trujillo, 1964年10月23日 - ) - ベース (2003- )
- ラーズ・ウルリッヒ (Lars Ulrich, 1963年12月26日 - ) - ドラムス (1981- )
- デンマーク出身。1980年に、一家でロサンゼルスに移住。曲作りでも重要な役割を担う。
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ジェイムズ・ヘットフィールド(Vo/G) 2017年
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カーク・ハメット(G) 2017年
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ロバート・トゥルヒーヨ(B) 2017年
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ラーズ・ウルリッヒ(Ds) 2017年
旧メンバー
- ロン・マクガヴニー (Ron McGovney, 1962年11月2日 - ) - ベース (1982)
- ジェイムズの幼なじみであり、メタリカの初代ベーシスト。メタリカにおける自らの役割が、メンバーではなく、ローディーとなっていった屈辱感に耐え切れず、脱退した。
- デイヴ・ムステイン (Dave Mustaine, 1961年9月13日 - ) - リードギター (1982-1983)
- 同じくBIG 4と称されるメガデスのフロントマン兼ギター・ボーカル。メタリカ結成時のメンバーの一人であり、リード・ギタリスト及びメイン・ソングライターとして、初期メタリカの楽曲スタイルに多大な貢献をしたが、1stアルバムのレコーディング直前に解雇された。脱退時にムステインは自分の曲を使わないよう求めたが、1st・2ndにはムステインのクレジットされた楽曲が収録されている(例えば、メタリカの1st収録の“The Four Horsemen”とメガデスの1st収録の“Mechanix”は異名同曲であり、デモテープ“No Life Till Leather”に入っている“Mechanix”をオリジナルとする)。
- メタリカ時代のエピソードとしては、ムステインvsジェイムズとロンの派手な喧嘩がよく語られる。ロンの車(ポンティアックGTO)をムステインの犬が引っ掻いたため、ジェイムズがその犬を蹴ったことから口論となり、ムステインは、ジェイムズの顔面を殴り、背後から飛びかかってきたロンを部屋の反対側まで投げ飛ばした。ムステイン、ジェイムズ、ラーズ、ロン、それぞれの言い分は若干異なるものの、この件によって、ムステインと他のメンバーとの間にあった軋轢が表面化し、ムステインの解雇へつながることとなった(出典『Mustaine: A Heavy Metal Memoir』It Books 2010年)。
- 別れの際、ジェイムズは涙を流し、デイヴはバンドをクビになったことを親の死よりも辛い体験だったと語るなどから、お互いに辛い別れであり、止むを得ず解雇されたことが分かる(「メガデス ドキュメンタリー 狂気の旋律」より)。
- この解雇により長年確執を抱いているとされていた両者だったが、2004年に公開されたメタリカのドキュメンタリー映画「Some Kind OF Monster」内で、ラーズとデイブが対面し過去の出来事を真摯に受け止める様子が記録されている。
- そして2010年から2011年にかけて、BIG 4が一堂に会するライブツアー「The Big 4」が行われ、ついにメタリカとメガデスが同じステージ上で共演することとなった。さらにその後、メタリカ30周年を記念したライブで、ゲストギタリストとして出演。およそ30年ぶりにメタリカのメンバーとして共演を果たした。
- クリフ・バートン (Cliff Burton, 1962年2月10日 - 1986年9月27日) - ベース (1982-1986) RIP.1986
- 1st〜3rdアルバムのベーシストであるが、1986年の事故死以来『伝説のベーシスト』としてカリスマ視されている。ベルボトムジーンズは、彼のトレードマークでもあった。メタリカ以前には、トゥラウマというバンドに在籍していた。
- 初期メタリカの音楽性に大きな影響を与えたコンポーザーであり、その影響はクリフの手が入る前の1stアルバムと2nd〜3rdアルバムを聴けば判るとおり、最初期のスポンテニアスでややもすると平板だったサウンドに、叙情的ながら冷ややかなニュアンスやプログレッシブな構成美を導入させた。
- また、ベースのジミヘンとも呼ばれる程、奇妙奇天烈かつアグレッシヴなプレイをする個性的なベーシストでもあった。
- 1986年9月27日(現地時間)、スウェーデンをツアー中のバスが交通事故を起こし、クリフは不運にもバスの下敷きになり死亡する。そのときのエピソードとして、その日たまたまカークがクリフとベッドの位置をかけてカードをやり、クリフが勝ってベッドを交換、そして帰らぬ人となったのだと言う。後に初期メタリカアイテム、クリフ追悼ビデオ、「クリフに捧ぐ」(素材はライブをファンがカメラで撮影 [22]したものなどが採用され編集されている)が発売されている。
- メンバーのラーズ・ウルリッヒは後年に「自己主張は強い方で、明確な意見を持っていた。グループにかなり影響力のある人物だった」と回想している[23]。
- ジェイソン・ニューステッド (Jason Newsted, 1963年3月4日 - ) - ベース (1986-2001)
- フロットサム・アンド・ジェットサムの元リーダー兼ベーシスト。ピック奏法をメインにハードながら堅実なプレイをこなす、クリフとは正反対のプレイスタイルだった。クリフの死後にその穴を埋めるべく加入したが、加入が決まった際にメタリカの一員になれることに大変喜んだという。このことで、クリフの死の悲しみを拭えないメンバーから反感を買い、加入直後に制作されたアルバム「メタル・ジャスティス」に自身の演奏するベース・ギターパートを収録されない(実際のベース・パートはジェイムスが演奏、この要因については諸説ある)、自身のコンポジションがバンドに反映されない(在籍中に作曲者としてクレジットされたレパートリーはわずかに三曲のみであった)などの陰湿なイジメとも取れる冷遇を受けた。しかし後に、メンバーがそのことについて認め謝罪し和解している。
- 「自身のサイド・プロジェクトが認められなかった」ことを理由に2001年、メタリカを脱退。数ヶ月前にブラックアルバム10周年記念のインタビューを受けた矢先の出来事だった。脱退後はエコーブレイン、オジー・オズボーンやヴォイヴォドで活躍し、現在は自身のバンド、ニューステッドを率いて活動している。
- 2009年にはロックの殿堂入りにて現ベースのロバートを含めた5人のメンバーで「Master of Puppets」、「Enter Sandman」を演奏。これによりメタリカ史上初の新旧ベーシスト共演が実現した。その後も2011年に数日に渡って行われた30周年記念ライブにも登場し、5人のラインナップで数曲共演するなど交流が続いている。
ディスコグラフィ
オリジナル・アルバム
- 『キル・エム・オール』 - Kill 'em All(1983年)
- 『ライド・ザ・ライトニング』 - Ride the Lightning(1984年)
- 『メタル・マスター』 - Master of Puppets(1986年)
- 『メタル・ジャスティス』 - ...And Justice for All(1988年)
- 『メタリカ』 - Metallica(1991年)
- 『ロード』 - Load(1996年)
- 『リロード』 - Reload(1997年)
- 『セイント・アンガー』 - St. Anger(2003年)
- 『デス・マグネティック』 - Death Magnetic(2008年)
- 『ハードワイアード…トゥ・セルフディストラクト』 - Hardwired... to Self-Destruct(2016年)
- 『72シーズンズ』 - 72 Seasons(2023年)
補足備考
- 成功の軌跡
- 1980年代のMTV黎明期にあって、4thアルバムまでビデオクリップ制作をしなかった事で有名である。また、過激な音楽性であったため、大手ラジオ局でもほとんどエアプレイされなかったが、バンドを『ファンとの共同体』と位置づけ、ひたすらツアーを重ねることでファンのクチコミにより人気を獲得していった。
- 全世界でのアルバム・セールスが1億枚以上を誇ることながら、グラミー賞を8回受賞するなど、社会的な認知度も高い。コンサートの動員力も高く、1990年代の北米でのコンサート動員数で1位を記録する。また、大手マネージメントQプライムに10年以上マネージメントを任せてきたことも、彼らの成功に寄与しているといわれている。
- ナップスター論争
- 2000年4月に、メタリカがナップスターおよび大学3校を相手取り、著作権侵害、デジタル音楽ソフトの違法使用及び不正組織防止条例の違反で訴えを起こしたのが発端。一部のユーザーから「メタリカはBIGになって金の亡者となった」と非難を受ける一方、ミュージシャン側からは「メタリカの主張に賛同する」という動きが出るなど、一連の社会問題に発展。
- 2000年7月にナップスターの運営するウェブサイトに対して北カリフォルニア連邦地裁が閉鎖命令を下すものの、2001年2月にサンフランシスコ第9巡回区連邦控訴裁判所が北カリフォルニア連邦地裁の判決を覆し、サイトの継続を認める判決を下す。
- 2001年7月に、メタリカとナップスターが双方歩み寄る形で決着(詳細は公表されず)。
- 直接の関連はないが、アル・ヤンコビックが2006年に『Don't Download This Song』という楽曲でこの論争に触れている。
日本公演
- 1986年
- 11月15日 渋谷公会堂、17日 愛知県勤労会館、18日 フェスティバルホール、19日・20日 中野サンプラザ
- 1989年
- 1991年 "FINAL COUNTDOWN '91"
- 12月31日 東京ドーム
- 1993年
- 3月16日・17日 国立代々木競技場第一体育館、18日 横浜アリーナ、21日 福岡サンパレス、22日 大阪城ホール、23日 名古屋センチュリーホール
- 1998年
- 2003年
- 11月6日(ワールド・ツアー初日)・7日 国立代々木競技場第一体育館、9日 真駒内アイスアリーナ、11日 さいたまスーパーアリーナ、13日 大阪城ホール、14日 名古屋レインボーホール
- 2006年 "SUMMERSONIC 06"
- 8月12日 千葉マリンスタジアム、13日 大阪WTCオープンエアスタジアム
- 2010年
- 9月25日、26日 さいたまスーパーアリーナ
- 2013年 "SUMMERSONIC 2013"
- 8月10日 千葉マリンスタジアム、11日 舞洲OCEAN STAGE
関連項目
- ミスフィッツ - アメリカのホラーパンクバンド、メタリカの初期の作品では、彼らの楽曲を多くカヴァーしている。
- ビータリカ - ビートルズの楽曲を、メタリカ風ヘヴィメタルでカバーして演奏するバンド。
- 続・夕陽のガンマン - 劇中曲「Ecstasy of Gold」(放題:黄金のエクスタシー)をライブでの入場SEとして使用している。
- ジョニーは戦場へ行った - 「ONE」のPVで使用されている。
- アポカリプティカ - デビューアルバムが、チェロ四重奏によるメタリカのカバー曲のみで構成されている。
- 他にもドリーム・シアターやトリヴィアム、ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタインなどが、ライヴでカバー演奏している。
- マリアノ・リベラ -「Enter Sandman」を登場曲として使用。
- メタリカ学習帳 -1996年LOAD発売時の初回特典ノベルティ。非売品のため現在でも高値で取引されている。
- メタル一家-日本のバンドによるメタリカのトリビュートアルバム。9mm Parabellum Bulletなどが参加している。
脚注・注釈
- ^ a b c d Erlewine, Stephen Thomas. “Metallica Biography, Songs, & Albums”. AllMusic. RhythmOne. 2023年4月16日閲覧。
- ^ George-Warren, Holly; Pareles, Jon; Romanowski, Patricia, eds (2001) [1983]. Rolling Stone Encyclopedia of Rock & Roll. Touchstone. p. 642. ISBN 978-0-743-20120-9
- ^ Loudwire Staff (2020年9月23日). “Every Metallica Song Ranked”. Loudwire. Townsquare Media. 2023年4月16日閲覧。
- ^ a b “Metallica makes comeback in thrash metal with new album”. www.trtworld.com. TRT (2016年8月19日). 2023年4月17日閲覧。
- ^ a b c Phillips, William; Cogan, Brian (2009). Encyclopedia of Heavy Metal Music. Santa Barbara, California: ABC-CLIO. pp. 160-162. ISBN 978-0-313-34801-3
- ^ McPadden, Mike (2012). If You like Metallica...: Here Are Over 200 Bands, CDs, Movies and Other Oddities That You Will Love. Backbeat. p. 130. ISBN 978-1-476-81358-5
- ^ “Metallica sets 2019 North Little Rock stop on latest tour” (英語). Arkansas Online (2018年2月26日). 2019年7月4日閲覧。
- ^ “Metallica | Artist”. GRAMMY.com. Recording Academy. 2023年4月17日閲覧。
- ^ St, 24/7 Wall. “The 100 most popular rock bands of all time”. Business Insider. 2019年4月12日閲覧。
- ^ http://www.metalcorefanzine.com/rq.html MetalCore Fanzine / Ron Quintanaインタビュー記事
- ^ Metallica:プロフィール - BARKS
- ^ メタリカ、ジェフ・ベックらロックの殿堂入り
- ^ メタリカ、ロックの殿堂入りにベーシスト3人が勢ぞろい - BARKS
- ^ 世界最高峰のモンスターロックバンド「メタリカ」が南極大陸でライブを決行! 地球上のすべての大陸を制覇
- ^ “メタリカ、ギネスブックに載る”. BARKS. (2014年9月5日) 2014年9月6日閲覧。
- ^ “メタリカ、ジョン・コルトレーン、サンタナ、ビリー・ジョエル等が新たに登録、アメリカ議会図書館による国家保存重要録音登録制度の2016年度作品が明らかに”. amass. (2016年3月24日) 2016年3月24日閲覧。
- ^ “メタリカのアルバム、米議会図書館が永久保存 ヘビメタでは初”. AFPBB News. (2016年3月24日) 2016年3月24日閲覧。
- ^ メタリカの新作、初登場で全米1位に - BARKS
- ^ “メタリカ、ルーマニア初の小児がん専門病院建設に3,000万円寄付”. BARKS. 2019年9月18日閲覧。
- ^ “METALLICA、世界15ヶ国で1位獲得したニュー・アルバム『72 Seasons』に寄せられたBABYMETAL&古田新太のコメント公開!”. 激ロック. 2023年5月5日閲覧。
- ^ “メタリカ 15年ぶりに全英アルバム・チャートで1位を獲得”. amass.jp. 2023年5月5日閲覧。
- ^ 海外ではコンサートの撮影は違法ではない。
- ^ “メタリカのラーズ、「クリフ・バートンがいたら?」に「いい質問だ」”. BARKS (2017年11月13日). 2018年1月19日閲覧。
外部リンク
- Metallica.com - 公式ウェブサイト
- Metallica (Metallica) - Facebook
- メタリカ (@Metallica) - X(旧Twitter)
- メタリカ (@metallica) - Instagram
- ユニバーサルミュージック内公式ページ
- ワーナーミュージック・ジャパン - メタリカ
- メタリカ - Spotify
- メタリカ - Apple Music
- メタリカ - LINE MUSIC