デイヴ・ムステイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
デイヴ・ムステイン
Dave Mustaine
Dave Mustaine at Priest Fest.jpg
2009年3月)
基本情報
出生名 David Scott Mustaine
生誕 1961年9月13日(55歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州 ラ・メーサ
ジャンル スラッシュメタル
ヘヴィメタル
ハードロック
担当楽器 ギター
ヴォーカル
活動期間 1978年 - 現在
共同作業者 メガデス
メタリカ
MD.45
公式サイト www.megadeth.com
著名使用楽器
Jackson KV1
ESP DV8
Dean VMNT

デイヴ・ムステイン (Dave Scott Mustaine, 1961年9月13日 - ) は、アメリカギタリストヴォーカリスト作詞家作曲家ミュージシャンスラッシュメタルバンド・メガデスの中心人物として知られる。また、デビュー前のメタリカでギタリストを務めていたが、メンバー間の衝突により解雇された過去がある。

来歴[編集]

生い立ち[編集]

1961年9月13日アメリカ合衆国カリフォルニア州ラメーサにて生まれる。家庭の問題から15歳で実家を離れ、マリファナを売ることで生計を立てる[1]。また、当時のガールフレンドが勤務先のレコード店から盗んだレコードと自分のマリファナを交換することでハードロックヘヴィメタルハードコア・パンクなどの音楽に触れる[1]。ギターを本格的に弾き始めたのもこの頃で、「パニック」というバンドに参加し音楽活動を始める。

メタリカ[編集]

1981年ロサンゼルスの地元紙「リサイクラー」にてリードギタリストを募集していたメタリカに加入。ギタリストおよびソングライターとしてバンドに貢献する一方、ドラッグアルコールへの依存および暴力的な素行によりバンド内での人間関係に軋轢を生じさせた。

1983年4月11日、メタリカはファースト・アルバムのレコーディングのためにニューヨークへ向かうが、現地に着くとメンバーはムステインに解雇を宣告。強制的に荷物をまとめさせると、ロサンゼルス行きのバスに押し込んだ。後にムステインはこの解雇が親の死より辛い出来事であったと語っている[2]

メガデス[編集]

メガデス - エストニア公演(2010年)

失意の中、ロサンゼルスに戻ったムステインは、メタリカに復讐するため彼らを越えるバンドを作ることを決意。同じアパートの下の階に住んでいたデイヴィッド・エレフソンとの出会いがきっかけとなり、1983年メガデスを結成。オーディションを重ねても適任者が見つからなかったため、自身がギターを弾きながらヴォーカルを担当することになった。

1985年に『キリング・イズ・マイ・ビジネス』でデビュー。翌年にはメジャー・レーベルのキャピトル・レコードから『ピース・セルズ…バット・フーズ・バイイング?』を発表。続く1987年には最初のワールド・ツアーを行うなど、徐々に成功の道を歩み始める。1988年にはアイアン・メイデンキッスと共にモンスターズ・オブ・ロックへの出演を果たした。その一方でアルバムを発表するごとにメンバーを解雇したり、薬物依存症治療施設への入所を繰り返したりするなど、周辺のトラブルに事欠かなかった。

メガデスの人気は1990年発表の4作目『ラスト・イン・ピース』で頂点に達し、リードギタリストにマーティ・フリードマンを加えたことでメンバーも固定化された。1990年から1995年まで6年連続でグラミー賞の「ベスト・メタル・パフォーマンス」にノミネートされるなど、一流アーティストとしての地位を不動のものとした。私生活でも1991年結婚1994年には娘が産まれている。

U.S.海軍施設にて(2011年)

ところが、2002年に左手の橈骨神経を痛めたことを理由にメガデスからの脱退を発表し、突然音楽活動を休止した[3]。ある医師からは二度とギターを弾けないとも言われるほどの怪我だったが、理学療法により回復。また、療養中にクリスチャンになった。

2004年よりメガデスとしての音楽活動を再開。2010年にはメタリカスレイヤーアンスラックスと共に“BIG4(スラッシュメタル四天王)″として共演を果たし[4]、長年にわたって確執のあったメタリカのメンバーとも和解した。

サイドプロジェクト[編集]

1996年MD.45というサイドプロジェクトで活動を行い、アルバム一枚を発表した。

2011年には元アンスラックスのギタリストであるダン・スピッツと共にレコーディングを行っていることが報じられた[5]

使用機材[編集]

愛用のギター"Dean VMNT"(2007年)
Dean製ダブルネックギター(2011年)

メタリカ時代を含めキャリア初期においてはB.C.リッチのBichの10弦モデルをメインに使用していた。 通常の6弦ギターに4本の副弦を張れるタイプの特殊なギターであったが、副弦は張らず、通常の6弦ギターとして愛用していた。

1986年からジャクソン・ギターに乗り換え、ラットロビン・クロスビー(通称King)が使用していた「キングV」を元に自身のモデル「KV1」を製作した。

2003年からはESPとエンドース契約を締結。同社の協力の下で2004年に「ESP DV8」、2005年に「ESP Axxion」を製作、販売した。

2006年12月には新たにDeanギターと契約したことが発表された。現在は同社が製作した自身のシグネチャーモデル「VMNT」および「Zero」[6]を使用している。

評価[編集]

メタリカ時代はリードギターを務めていたこともあり、ギタリストとしての実力は確かなもので、テクニカルかつ攻撃的なリフと複雑な展開のソロを正確に弾きこなす。ロック・ジャーナリスト、ジョエル・マクアイヴァーの著書「The 100 Greatest Metal Guitarists(100人の偉大なメタル・ギタリスト)」では1位に選ばれている。

脚注[編集]

外部リンク[編集]