金城哲夫

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きんじょう てつお
金城 哲夫
本名 金城 哲夫
生年月日 (1938-07-05) 1938年7月5日
没年月日 (1976-02-26) 1976年2月26日(満37歳没)
出生地 日本の旗 日本東京都港区[1]
民族 日本人
ジャンル 脚本家
活動期間 1963 - 1976年
主な作品
1966年
ウルトラQ
ウルトラマン
快獣ブースカ
1967年
ウルトラセブン
1968年
怪奇大作戦
マイティジャック
1971年
帰ってきたウルトラマン』第11話

金城 哲夫(きんじょう てつお、1938年7月5日 - 1976年2月26日)は、日本の脚本家沖縄県島尻郡南風原町出身。第一期ウルトラシリーズを企画し、脚本面から支えた作家として知られる。なお「金城」姓は本来「カナグシク」「カナグスク」と発音し、沖縄県ではきわめて一般的な名字(苗字)のひとつである[2]

来歴[編集]

那覇高校の受験に失敗、上京して玉川学園高等部、玉川大学文学部教育学科卒業。玉川時代に、恩師である上原輝男の影響を受け、脚本に興味を持ち始める。一度帰郷し映画『吉屋チルー物語』を製作。上原より教え子の一人だった円谷皐を介して円谷英二を紹介され、東宝特撮映画で健筆を振るっていた関沢新一から脚本家としての指導を受ける。関沢の薫陶による「ポジティブな娯楽(エンターテインメント)志向」は以後の金城の作風の根幹をなした。

1963年円谷プロダクションへ入社、企画文芸部の主任として『ウルトラQ』『ウルトラマン』『快獣ブースカ』『ウルトラセブン』など、黎明期の円谷プロが製作した特撮テレビ映画の企画立案と脚本を手掛ける。『Q』『マン』の相次ぐ高視聴率により怪獣ブームを巻き起こし順風満帆かと思われたが、大人向けの特撮を目指した1968年製作の『マイティジャック』は、平均視聴率が8.3%と低迷したために1クールで打ち切りとなってしまう。挽回を図った『怪奇大作戦』は、平均視聴率22%と健闘したものの、スポンサーが「ウルトラに比べて低い」という判断を下したために、予定の2クールで終了。番組の受注が途絶えた円谷プロは、経営状態の悪化に伴い大幅なリストラを敢行し始める。その煽りで文芸部も廃されて以前のような発言力を失った金城は、今後はシナリオライターではなくプロデューサーへ専念するよう迫られたことで1969年に円谷プロを退社する。沖縄県に帰郷しラジオパーソナリティーや沖縄芝居の脚本・演出、沖縄海洋博の構成・演出などで活躍した。

1976年2月23日、泥酔した状態で自宅(後述の「松風苑」の敷地内。現在資料館)2階の仕事場へ直接入ろうとして足を滑らせ転落[3]。直ちに病院に搬送されたが、3日後の2月26日に脳挫傷のため死去。37歳没。

評価[編集]

自身の脚本執筆だけでなく、他のシナリオライターへの発注や改訂作業を行ない、監督のローテーションを組むなど「脚本監修」「シリーズ構成」の役割を担い、『Q』・『マン』・『セブン』の高い完成度に貢献した、初期円谷プロ最大の功労者の一人。オーソドックスながら骨太で力強いドラマ作りを行ない、殊に映像化を念頭に置いた躍動感溢れるト書き[4]については高野宏一や中野稔といった特撮スタッフの多くが「非常に刺激になった」、「映像化への意欲を大いにそそられた」と口を揃えて証言している。また円谷プロ時代の同僚ライターであった上原正三は「金城が物語の本流を決めてくれていたからこそ、自分や実相寺昭雄が安心して変化球を投げることができた」と述懐している[5]

高野は金城が円谷プロを去った際のいきさつに関して、その数年後に起こる金城の事故死のこともあり、「金ちゃんには本当に申し訳ないことをしてしまった。もっとぼくなんかが体を張って止めるべきだった」と涙ながらに語った。円谷プロは現在も金城の貢献を高く評価しており、2016年にテレビ向けの企画・脚本を公募する「円谷プロダクションクリエイティブアワード 金城哲夫賞」を設けた。

ウルトラシリーズにはお馴染みの人物であり、『ウルトラセブン』に登場のキングジョーの元ネタとなった[6]。『ウルトラマンマックス』第22話『胡蝶の夢』では、造形家の女が怪獣の名前をカイトに尋ねられた際、名前からの発想を「天才・金城哲夫的」と評する台詞がある。

ウルトラシリーズには、上述のキングジョー以外にも、チブル星人沖縄方言で「頭」を意味する)やジラース(沖縄方言で「次郎叔父さん」を意味する)など、沖縄県を想起させるキャラクターが登場する。このため、金城の創作は、神ともされるまれびとが背景になっている、と指摘されることもある。

『ウルトラマン』の伝説怪獣ウーの雪んこに扱われている差別と迫害は沖縄出身の金城の沖縄と本土人との関係が指摘されている[7]ほか、侵略を受けた被征服民の悲哀をモチーフとした「ノンマルトの使者」などの作品から、アメリカ統治下時代の沖縄県で育った作者のアイデンティティーと考察する評論[8]やスタッフからの評価も見られる。しかし一方で上原正三は沖縄戦の体験がない上原に比べ、実際に体験した金城は母親が足を切断するなどの苦難に見舞われていたのにもかかわらず、戦争について語ることはなかったと述べ[9]、「傷が深ければ深いほどそんなに簡単に出すわけがない」とも語っている。また満田かずほも「彼から沖縄や米軍の問題などは聞いたことがない」と語っており、上原をはじめとした円谷プロ時代の金城を知るスタッフの幾人かからは円谷プロ時代の金城に関する沖縄出身云々といった考察については否定的な見解が示されている[10]

テレビドラマでの最後の脚本作品となった『帰ってきたウルトラマン』第11話「毒ガス怪獣出現」について漫画家・小林よしのりは自身の漫画『沖縄論』の中で、「本エピソードは、明らかに他の『帰マン』の話に比べて浮いていた。金城氏の怒りが伝わってくるようだった」と述べている。

自身の出身地である沖縄とその時点で住んでいた土地(東京)の二つの地を生きることをメフィラス星人の「お前は地球人なのか、それとも人間なのか」にハヤタが答えた「両方さ」に表すなど自身の経験をシリーズにも生かしている[8]

沖縄県に帰郷後の金城は地元のラジオ番組で、沖縄における米軍基地の負担を減らすために自衛隊による自主防衛の選択肢について触れ、それにより地元住人の不評を買い、また自ら演出立案に携わった沖縄海洋博でも、当時疲弊していた沖縄県経済の建て直しを図ったが、却って開催前よりも経済は悪化の一途を辿ってしまう。そのことが元来オプティミストだった彼をペシミストへと変え、のちの事故につながる精神的な要因になったとも言われている。

2016年、「ウルトラシリーズ」放送開始50年を記念して、自身の名を冠した脚本賞「円谷プロダクションクリエイティブアワード 金城哲夫賞」が創設される。本賞は未来のクリエイターの発掘・育成を目的としている[11]

主な作品[編集]

脚本[編集]

テレビドラマ[編集]

ラジオドラマ[編集]

  • 江戸上り異聞〜里之子抹殺(1975年)[12]

未使用脚本・シノプシス[編集]

  • WOO
    • 宇宙人来訪す
    • 富士五湖騒動(原案、脚本)
    • 魔線(原案)
  • UNBALANCE
    • 女王蜂の恐怖
    • 魔の一夜
    • 宇宙新婚旅行
  • ウルトラQ
    • ゴロー対スペースモンスター
    • 火星のバラ
    • ガラダマの谷
  • ウルトラセブン
    • 人間泥棒
  • 怪奇大作戦
    • フランケン1968
    • 海王奇談
  • ゴジラ・レッドムーン・エラブス・ハーフン 怪獣番外地(映画)

監督、脚本、制作[編集]

  • 吉屋チルー物語(1962年)[13]

小説[編集]

  • 怪獣絵物語ウルトラマン(1967年、ノーベル書房、『怪獣大全集』第3巻)

作詞[編集]

  • 恐怖の町(1968年)
  • 暗闇のバラード(1968年)
※『怪奇大作戦』主題歌・挿入歌

沖縄芝居[編集]

  • 佐敷の暴れん坊(1970年)
  • 一人豊見城(1971年)
  • 泊気質ハーリー異聞(1972年)
  • 風雲琉球処分前夜(1972年)
  • 虎!北へ走る(1974年)

幻の一本の企画書「超人X(仮)」[編集]

「怪奇大作戦 パーフェクトコレクション」の封入のブックレットに記載されたものから。金城が円谷プロダクションから退社する前、最後に書き残した企画書が「超人X(仮)」であった。非円谷プロ作品である『巨人の星』と円谷プロ作品である『ウルトラセブン』と『怪奇大作戦』の3作品をミックスした、より高度な線を狙ったものだったが没になった。

演じた俳優・声優[編集]

出演[編集]

参考文献[編集]

  • 上原正三『金城哲夫 ウルトラマン島唄』(筑摩書房、1999年) ISBN 4-480-88507-2
  • 上原正三「私の思い出・戦争・金城哲夫・ウルトラマン」、『うらそえ文芸』第8号、浦添市文化協会文芸部会、2003年5月。
  • 志賀泉「ウルトラマンの故郷はニライカナイ」、『ひらら』創刊号(特集=沖縄という磁場)、パシュラル出版社、2003年8月。

脚注[編集]

  1. ^ 山田輝子『ウルトラマンを創った男 金城哲夫の生涯』(朝日文庫、1997年) ISBN 4-02-261208-8 第一章 沖縄からきた少年 p24
  2. ^ 沖縄県の名字を参照
  3. ^ 「出先から帰宅した際に仕事場の玄関扉が施錠されていたが、母屋に鍵を取りに戻るのが面倒で、たまたま開いていた窓から入ろうとして転落したもの」と推定されている。
  4. ^ 他のライターは「ウルトラマンと怪獣の戦い ~ 以下特撮スタッフでよろしく」程度の記述でお茶を濁す場合がほとんどだったが、金城は戦闘シーンをきわめて詳細に叙述していた。
  5. ^ 別冊宝島「映画宝島」Vol.2『怪獣学・入門!』(JICC出版局・1992年)p.64.
  6. ^ 金城の実父のあだ名が元だとする説もある。
  7. ^ DVD.「金城哲夫西へ!」
  8. ^ a b 歴史秘話ヒストリア2010年9月15日放送分より[出典無効]
  9. ^ 別冊宝島「映画宝島」Vol.2『怪獣学・入門!』(JICC出版局・1992年)p.74.
  10. ^ 別冊宝島「映画宝島」Vol.2『怪獣学・入門!』(JICC出版局・1992年)p.66.
  11. ^ “ウルトラマンシリーズのメインライター・金城哲夫賞創設記念イベントに中島かずき”. ステージナタリー. (2016年10月27日). http://natalie.mu/stage/news/207100 2016年10月28日閲覧。 
  12. ^ 琉球放送ラジオ。2014年9月1日にRBCiラジオスペシャルで再放送が行われた。
  13. ^ a b c 1990年代に友寄視聴覚教材社よりVHSビデオソフトが商品化されている。現在は『金城哲夫 西へ!』(2005年5月27日発売、ハピネット・ピクチャーズ)に一部映像収録
  14. ^ 光の国から僕らのために―金城哲夫伝―
  15. ^ 盟友の上原正三による唯一の脚本回。なお、田口成光の脚本による第26話では、シリーズ後半へのキーパーソンとして「キンジョウテツオ」という沖縄の少年が登場している。
  16. ^ 金城は同番組アシスタントの真理アンヌの以前からのファンでウルトラマン、ウルトラセブンへのゲスト起用やウルトラセブンのヒロイン・友里アンヌの由来も真理からと言われている。
  17. ^ 1998年9月13日放送分

外部リンク[編集]