残侠子守唄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
残侠子守唄
美空ひばりシングル
初出アルバム『残侠子守唄』
B面 人生吹きだまり
リリース
規格 シングル
ジャンル 演歌
レーベル 日本コロムビア
作詞・作曲 作詞:たかたかし
作曲:弦哲也
プロデュース かとう哲也
美空ひばり シングル 年表
笑ってよムーンライト
(1983年)
残侠子守唄
1983年
冬のくちびる
1984年
テンプレートを表示

残侠子守唄」(ざんきょうこもりうた)は、1983年昭和58年)11月1日に発売された、美空ひばりの楽曲。

概要[編集]

本曲は同日に発売された、同名アルバムからのシングルカットである。

"任侠の世界を描いたせりふ入りの唄"というコンセプトのもとに作られた。[1] この当時はカラオケが流行り始めており、せりふ入りの歌は人気があり、ひばりの男歌はファンの間でも人気が高かった。

だが、ひばりが「お兄ちゃん」と呼び慕っていた鶴田浩二1971年のヒット曲・傷だらけの人生に曲のパターンが似ていたことから、ひばり本人が歌う事に難色を示した。当時のコロムビアの制作部のひばり担当であった境弘邦の説得にも、亡き母・喜美枝に変わってプロデューサーとして姉を支えていた弟・哲也の言葉にも耳を貸そうとしなかった。[2]

そんなおり、哲也が体調を崩して入院した。境は哲也に病床からも説得を続けてもらうよう頼んだが、哲也の体調面の事もあり、ひばりに直接レコーディングだけでもして欲しいと直談判をした。さすがのひばりも根負けし、レコーディングをすることを承諾した。 できばえは境のイメージ通りに出来上がっており、最終的にはひばりもシングル化を許可した。

その後、同年10月23日放送のフジテレビ系列の人気歌謡番組・夜のヒットスタジオにて本曲を初披露した。境は入院中の哲也を訪ね、番組が放送されること、また感想を聞かせて欲しい旨を伝えた。ところが翌日の10月24日、哲也は心不全のため42歳の若さでこの世を去った。 病室にて番組を観ていた哲也は付き添いの人に「なかなか味があっていいね。あれはやってよかったよ。」と境に伝えるよう頼んでいたという。結果的に哲也のプロデュース作品としては、本曲が最後になってしまった。

プロデューサーとして、またひばりプロダクションの社長として、本格的に活躍しようとしていた矢先の死であった。弟の死を聞いたひばりは半狂乱になり、亡骸におおいかぶさりながら号泣していたという。

翌年には、本シングルの2曲に、新しく吹き込んだカバー曲8曲を含めたアルバム「残侠子守唄~'84有線ヒット」も発売された。

収録曲[編集]

  1. 残侠子守唄
  2. 人生吹きだまり

アルバム「残侠子守唄」収録曲(1983年11月1日発売)[編集]

  1. 残侠子守唄
  2. しのぶ
  3. 花しぐれ
  4. 夕霧草
  5. 木場の女
  6. 人生吹きだまり
  7. 湯の宿
  8. 酒酔草
  9. 霧の東京
  10. 人生松竹梅

アルバム「残侠子守唄~'84有線ヒット」(1984年3月21日発売)[編集]

  1. 残侠子守唄
  2. 矢切の渡しちあきなおみ細川たかしカバー
  3. 釜山港へ帰れチョー・ヨンピルのカバー)
  4. まわり道琴風豪規のカバー)
  5. さざんかの宿大川栄策のカバー)
  6. 人生吹きだまり
  7. 冬桜森進一のカバー)
  8. 細雪五木ひろしのカバー)
  9. 兄弟船鳥羽一郎のカバー)
  10. 新宿情話ムーディー松島細川たかしのカバー)

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 美空ひばりトレジャーズ 第8章より引用
  2. ^ 美空ひばりトレジャーズ 第8章より引用