西武大宮線

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川越電気鉄道から転送)
西武鉄道 大宮線
川越電気鉄道時代の運行風景 (現在のさいたま市大宮区上小町付近)
川越電気鉄道時代の運行風景
(現在のさいたま市大宮区上小町付近)
基本情報
現況 廃止
日本の旗 日本
所在地 埼玉県
種類 路面電車軌道
起点 川越久保町駅
終点 大宮駅
駅数 15駅
開業 1906年4月16日
廃止 1941年2月25日
所有者 西武鉄道(旧)
運営者 西武鉄道(旧)
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
路線距離 12.8 km
軌間 1,372 mm
線路数 単線
電化方式 直流600 V 架空電車線方式
テンプレートを表示
駅・施設・接続路線
uexSTR+l uexSTR+r
uexSTR uexBHF
0.0 川越久保町駅
uexABZg+l uexSTRr
uexBHF
0.2 成田山前駅
uexhKRZWae
新河岸川
uexBHF
2.4 二ノ関駅
uexhKRZWae
九十川
uexBHF
2.9 沼端駅
uexBHF
4.0 黒須駅
uexhKRZWae
荒川
uexBHF
5.1 芝地駅
uexBHF
6.4 高木駅
uexBHF
7.3 西遊馬駅
uexBHF
8.8 五味貝戸駅
uexBHF
9.7 内野駅
uexhKRZWae
鴨川
uexBHF
10.9 並木駅
uexBHF
11.2 種鶏場前駅
uexhKRZWae
鴻沼川
uexBHF
12.1 大成駅
uexBHF
12.5 工場前駅
uexSTRr
12.8 大宮駅
HUB
大宮駅
STRq
STRq
省線東北本線
STR+r
総武鉄道 (II)

大宮線(おおみやせん)は、かつて埼玉県川越市川越久保町駅大宮市(現・さいたま市大宮区)の大宮駅を結んでいた西武鉄道の軌道路線である。埼玉県で最初の電化路線として開業したが、川越線の開業に伴い1941年に廃止された。

本項では、開業当初の事業者である川越電気鉄道についても記す。

なお、本記事において「西武鉄道」とは特記なければ武蔵野鉄道合併前の(旧)西武鉄道を指すものとする。大宮線廃止後の1945年に武蔵野鉄道と合併して、西武農業鉄道となり、1946年に現在の西武鉄道となった。

路線データ[編集]

沿革[編集]

川越馬車鉄道[編集]

1902年(明治35年)5月9日に第八十五国立銀行取締役の綾部利右衛門らの発起によって川越馬車鉄道が川越で設立された。設立時における役員構成は、取締役5名のうち社長の綾部をはじめ3名が入間郡川越町(現・川越市)の商人であり、川越馬車鉄道は川越商人主導で経営されていたが、実際には馬車鉄道としては開業はしなかった[1][注釈 1]

川越電灯→川越電気鉄道[編集]

これに続いて、綾部ら川越馬車鉄道の設立にかかわった川越商人たちは電気供給事業へ進出を目論み、資本金125,000円で川越電灯の設立を計画した。ただし、川越電灯の仮定款附則第58条の項目に「本社ハ川越馬車鉄道株式会社総会ニ於テ合併ノ決議ニ基キ、成立ノ上同会社ト合併シ川越大宮間ヲ電気鉄道株式会社ニ動力変更改設スル事」としていたように、設立当初から川越馬車鉄道との合併が予定されていた。実際に川越電灯は、1903年(明治36年)9月8日に設立されたあと、1903年9月26日に開催された川越馬車鉄道の臨時株主総会での合併決議を受け、同年10月21日に川越馬車鉄道と合併した。このように、別会社の設立による資金調達という方法で、綾部らは未開業の馬車鉄道の電化と電灯供給事業への進出を果たした。川越馬車鉄道の資本金は25万円となり、1903年(明治36年)12月には社名を川越電気鉄道と改称、翌1904年3月に電気鉄道の許可を得た。

こうして成立した川越電気鉄道は、1904年(明治37年)に、入間郡川越町堅久保に常磐炭田石炭を燃料とする埼玉県下初の100kW出力の発電機2基による川越火力発電所(出力260kW)を建設。直流200ボルト送電を開始し、翌年1月から川越町内431戸での電灯供給を開始した。同社は埼玉県下で初めて電灯を灯した電気事業者でもある。

一方、川越 - 大宮間の電気鉄道は、1904年3月に営業許可を受け、1906年4月に開業した。埼玉県で最初に走った電車である。これに伴い、1906年(明治39年)10月に大宮電灯を合併し、北足立郡大宮町および周辺へと配電地域を拡げた。

敷設工事は経費節減のため、当時発足したばかりだった赤羽工兵隊の鉄道大隊が演習をかねて行った。この際に野戦鉄道程度の整備水準で敷設したため、軌道の地固めが極めて不十分だった。このため電車の動揺が激しく脱線事故が頻発し、1931年昭和6年)にはついに脱線による死亡事故が発生する事態にもなった。しかしながら資金不足により軌道整備もままならなかったという[2]

武蔵水電→西武鉄道[編集]

電灯電力事業はかなりの収益を上げ、1909年(明治42年)、出力900kWの水力発電所を秩父郡矢納村神流川水系に建設して、営業地域を埼玉県秩父地区や比企地区群馬県南部へも拡張することを計画した。この計画は、浅野総一郎ら資本家を加えた別会社で事業展開することになり、1913年(大正2年)、資本金70万円で神流川水力電気が設立され、同年に社名を武蔵水電と改称した。同年7月に川越電気鉄道から50kWを受電して武蔵水電は開業し、水力発電所の完成を受けて翌年12月に川越電気鉄道と武蔵水電は合併し、社名は武蔵水電を引き継いだ。武蔵水電は1920年(大正9年)6月に川越鉄道(現在の西武新宿線国分寺線)を、翌年10月に西武軌道(後の都電杉並線)を相次いで吸収合併し3つの営業鉄軌道を所有する会社となった。1922年(大正11年)11月、武蔵水電の電灯電力事業は帝国電灯に合併されるが、鉄軌道事業は新設会社の武蔵鉄道に譲渡されることになった。武蔵鉄道は8月に西武鉄道として設立され11月に武蔵水電の鉄軌道事業を譲受した。帝国電灯の電灯電力事業は現在では東京電力に統合されている。また、前述の相次ぐ合併の中で川越東線と改称していた当線は、西武鉄道成立の頃に大宮線と改称した。

最初の路線の開業の直前に社名を川越馬車鉄道から川越電気鉄道に変更していることからわかるように、馬車鉄道ではなく電気軌道(路面電車)で開業を果たした。軌間に1372mmの馬車軌が採用されたのは東京市電に倣ったためだとされている。そのため車両は東京市電から払い下げられた車両を使用した[注釈 2]。周囲の住民からは「チンチン電車」の愛称で呼ばれていた。

西武鉄道大宮線に改名した大正末期時点で路線の老朽化が指摘されており、地元からは近代化の要望が出されたが、政府の荒川河川改修延期が妨げとなって近代化の目途はまったく立たなかった。そこで地元は1927年(昭和2年)に国有鉄道敷設期成同盟会を結成。川越 - 大宮間の国鉄線誘致運動を開始した。こうした状況下、同年夏に川越久保町駅で車庫火災が発生。当時大宮線所属の電動客車すべて(11両)を焼失した。原因は落雷とも漏電とも言われている。この火災後は中古車両を補充し運行を再開したが、1931年(昭和6年)に三橋村内で脱線事故を引き起こした。これにより川越市の中学生が犠牲となったことから、西武鉄道大宮線の不備は連日センセーショナルに報道された。

この事故後も同線は路盤や車両の老朽化からくる故障や脱線を起こし続け、ついには川越市民から廃止運動が起きる事態にまで発展した。この廃止運動は同線を利用していた通勤客約50名からなる「川越大宮間交通改善会」が起こしたもので、彼らは電車より安全なバスの運行を要望した。また西武鉄道大宮線を利用せずに自分達で自動車を雇うなどの不乗運動を展開した。この結果、西武鉄道が1933年(昭和8年)1月から西武鉄道大宮線と並行したバスを運行開始した[3]。33往復あった同線の便数は18往復に半減し、1934年(昭和9年)に国鉄川越線敷設が決定されたことで、西武鉄道大宮線の廃止は決定的なものとなった[4]

多くの区間は道路上に敷設される併用軌道で、川越久保町駅 - 大宮駅間を約45分で結んでいた。川越久保町駅から荒川河川敷付近(現在の荒川は、当時の蛇行部分をその後の河川改修で直線化したものであり、当時とはかなり違う)までは、一部を除き廃線跡は道路としてもあまり残っていない。一方、荒川河川敷の東側では現在の埼玉県道2号さいたま春日部線と並行し、県道2号線と路線開通後に作られた国道17号線との交差点(桜木町交差点)から大宮駅までは直線で結んでいた。荒川以東の路線跡は一部を除き現在でもほぼ道路として残っている。

1940年(昭和15年)に省線 川越線が開業し、川越駅 - 大宮駅間を約29分で結ぶようになったことで大宮線は乗客が激減し、翌年に廃線となった。設備は日本発送電の子会社である北海道石炭へ40万円で売却された[5]。廃線後2020年時点で、西武バスの路線バスが本川越駅 - 川越グリーンパーク間、川越グリーンパーク - 大宮駅西口間で運行されている

年表[編集]

  • 1902年(明治35年)5月9日川越馬車鉄道設立。
  • 1903年(明治36年)
    • 10月21日:川越馬車鉄道が川越電灯を合併。
    • 12月23日:川越馬車鉄道が川越電気鉄道に改称。
  • 1904年(明治37年)12月31日:入間郡川越町内で川越電気鉄道が電灯事業を開始。営利事業による埼玉県内で初めての点灯。
  • 1906年(明治39年)
    • 4月16日:川越久保町駅 - 大宮駅間で電車営業開始。埼玉県内で初めての電化路線。
    • 10月:北足立郡大宮町への電灯配電開始。
  • 1914年(大正3年)12月1日:川越電気鉄道が武蔵水電と合併。[6][7]
  • 1920年(大正9年)6月1日:武蔵水電が川越鉄道(現在の西武新宿線国分寺線)を合併。[8] 川越久保町駅 - 大宮駅間は川越東線となる。
  • 1921年(大正10年)10月1日:武蔵水電が西武軌道(後の都電杉並線)を合併。[9]
  • 1922年(大正11年)
    • 8月15日:武蔵鉄道が西武鉄道に改称し会社設立。[10][11]
    • 11月1日:武蔵水電が帝国電灯に吸収合併。[12]
    • 11月16日:帝国電灯が鉄軌道部門を西武鉄道に分離譲渡。[13]
    • 11月17日:川越東線が大宮線に改称。[14][注釈 3]
  • 1927年(昭和2年)8月28日:久保町車庫が火災により全焼。当時大宮線所属の電動客車すべて(11両)が焼失したほか、修繕工場や詰所など各設備に被害が出た。[15][注釈 4][16][注釈 5]
  • 1940年(昭和15年)
  • 1941年(昭和16年)2月25日:全線廃止。バスに転換。

駅一覧[編集]

駅名 駅間キロ 営業キロ 接続路線 線路 所在地
川越久保町駅 - 0.0 川越市
成田山前駅 0.2 0.2
二ノ関駅 2.2 2.4 入間郡
古谷村
沼端駅 0.5 2.9
黒須駅 1.1 4.0
芝地駅 1.1 5.1
高木駅 1.3 6.4 北足立郡 馬宮村
西遊馬駅 0.9 7.3
五味貝戸駅 1.5 8.8 指扇村
内野駅 0.9 9.7 大宮市
並木駅 1.2 10.9
種鶏場前駅 0.3 11.2
大成駅 0.9 12.1
工場前駅 0.4 12.5
大宮駅 0.3 12.8 鉄道省東北本線高崎線川越線
総武鉄道

輸送・収支実績[編集]

年度 輸送人員(人) 貨物量(トン) 営業収入(円) 営業費(円) 営業益金(円) その他益金(円) その他損金(円) 支払利子(円)
1908 277,949 4,314 43,338 45,033 ▲ 1,695 電燈23,158
電気器具売買収入160
利子528
電燈1,146
臨時費1,089
1909 286,921 4,096 45,010 36,879 8,131 電燈23,775利子780 電燈6,775 1,176
1910 266,984 11,082 43,343 36,765 6,578 電燈23,947利子805 8,424
1911 283,176 13,324 47,083 41,134 5,949 電燈25,584利子777 電燈8,097
1912 296,841 13,061 51,474 44,227 7,247 電燈23,072その他2,569
利子1,051
9,575
1913 287,068 12,028 50,735 45,233 5,502 電燈電力29,033利子790 電燈電力10,902
1914 246,034 14,881 46,466 46,430 36 電気供給65,052利子959 電気供給41,805
1915 264,055 9,769 39,886 25,429 14,457 電気供給175,730 電気供給80,796 35,020
1916 283,155 9,964 40,273 32,817 7,456 232,328 140,884
1917 319,239 10,780 46,578 33,071 13,507 電気供給296,501 179,297
1918 351,260 14,044 56,361 27,971 28,390 357,897 200,145
1919 435,627 13,828 77,280 47,155 30,125 484,839 235,815
1920 459,733 14,897 110,445 56,607 53,838 823,988 433,278
1921 478,058 13,516 116,719 57,640 59,079
1922 598,542 14,273 176,748 60,780 115,968
1923 629,407 14,522 149,039 73,069 75,970
1924 702,682 13,981 160,166 93,230 66,936
1925 679,054 7,173 158,963 98,998 59,965
1926 678,224 49,124
1927 659,319 6,935
1928 600,407 3,414
1929 614,747 3,138
1930 557,280 1,701
1931 485,869 1,059
1932 460,900 508
1933 361,672 618
1934 362,230 575
1935 320,309 454
1936 334,097 548
1937 344,890 554
  • 鉄道院年報、鉄道院鉄道統計資料、鉄道省鉄道統計資料、鉄道統計資料、鉄道統計各年度版

車両[編集]

開業時は2軸電動客車7両(1 - 7、番号は推定)、2軸附随客車2両(1・2)、2軸有蓋貨車4両(ワブ1 - 4)、2軸無蓋貨車4両(ト1 - 4)。1925年には2軸電動客車4両(製造所不明)を増備し8 - 11と付番した。[16] 1927年8月の久保町車庫火災により大宮線所属の電動客車の全車両(11両)が焼失したため、一時運転を休止したが、新宿線(後の都電杉並線)より2軸電動客車2両(3は元京都電気鉄道、4は元東京市街鉄道)を軌間変更(1067mm→1372mm)の上で移籍し、また1927年12月に王子電気軌道から2軸電動客車5両を借入し[19]運転を再開した。王子電気軌道から借入した車両は1928年11月に正式に譲受(5 - 9)した[20]。また1928年10月に半鋼製2軸電動客車2両(1・2)を日本車輌製造で新製増備した。[16]

なお1949年に鉄道ファンが久保町車庫跡を訪れて廃車体を確認している[21]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『埼玉県統計書 明治44年』177頁には、川越電気鉄道について「馬車鉄道として設立登記したが運輸営業を開始せず、動力変更の認可を得て電気鉄道として運輸営業を開始した」とある。
  2. ^ 但し、車両の項目に記載の通り当線で元・東京市電の車両が確実に走行したのは西武大宮線時代の川越久保町駅車庫火災以降、焼失車両の補填として西武新宿線(軌道)から転属した車両であり、開業時に東京市電からの払下げ車両が存在していたかどうかは不明である。
  3. ^ 「川越東線→大宮線、西武線→新宿線」への変更と記載。西武線は元・西武軌道
  4. ^ 火災保険の項目に「本年八月二十八日大宮線修繕工場、車庫係員詰所、線路工詰所、倉庫、貨物積卸場上屋及電動客車四輪車拾壹輛全焼、貨車附随車壹輛半焼」と記載
  5. ^ 付随車と貨車は人力で避難させられたため焼失を免れたとされる。

出典[編集]

  1. ^ 中田亙「川越馬車鉄道は開業しなかった」『埼玉地方史』No35、1996年
  2. ^ 三久保町町内史編集委員会編『語り継ぐ町内史Ⅰ チンチン電車』川越市三久保町自治会、1988年。 
  3. ^ 『全国乗合自動車総覧』(国立国会図書館デジタルコレクション)
  4. ^ 「ちんちん電車があったころ 昭和初年の川越電車・西武大宮線」『小江戸ものがたり 第十二号』川越むかし工房、2009年10月30日
  5. ^ 野田正穂「旧西武鉄道の経営と地域社会」『東村山市史研究』No.4、1995年、33頁
  6. ^ 鉄道院文書『武蔵水電、川越電気合併の件』(国立公文書館所蔵)
  7. ^ 「川越電気鉄道株式会社追加登記」『官報』1914年12月21日(国立国会図書館デジタルコレクション)
  8. ^ 鉄道院文書『川越鉄道合併(武蔵水電二)の件』(国立公文書館所蔵)
  9. ^ 鉄道省文書『西武軌道、武蔵水電両社合併の件』(国立公文書館所蔵)
  10. ^ 鉄道省文書『武蔵鉄道を西武鉄道と改称会社設立登記終了並び定款変更届』(国立公文書館所蔵、鉄道免許)
  11. ^ 「株式会社設立」『官報』1923年1月16日(国立国会図書館デジタルコレクション)"一 商號 西武鐵道株式會社 … 一 設立年月日 大正十一年八月十五日"
  12. ^ 「武蔵水電株式会社解散」『官報』1923年1月11日(国立国会図書館デジタルコレクション)"帝國電燈株式會社ト合併ニ因リ大正十一年十一月一日解散ス"
  13. ^ 『鉄道省鉄道統計資料 大正11年度』 p.139(国立国会図書館デジタルコレクション)"帝國電燈ハ武蔵鐵道ヘ(西武鐵道ト改稱) 11.6.2〔許可年月日〕 11.11.16〔実行年月日〕"
  14. ^ 鉄道省文書『線名変更届』(国立公文書館所蔵)
  15. ^ 『西武鉄道株式会社 昭和二年下半期(昭和二年六月一日-昭和二年十一月三十日)第十一回営業報告』
  16. ^ a b c 『写真で見る西武鉄道100年』ネコ・パブリッシング、2013年7月19日発行 ISBN 978-4777013760
  17. ^ 龍神由美(小泉功監修)『瓦版川越今昔ものかたり』 その25からその36、幹書房、2003年。ISBN 4902615118 
  18. ^ 中田亙「西武鉄道大宮線小史」『埼玉地方史』No.33 1995年
  19. ^ 鉄道省文書『王子電気軌道所属車輌借入使用の件』(国立公文書館所蔵)
  20. ^ 鉄道省文書『王子電気軌道所属電動客車譲受使用の件』(国立公文書館所蔵)
  21. ^ 飯島正資「川越久保町訪問その他」『復刻RomanceCar』No.20、アテネ書房、1983年

参考文献[編集]

  • 益井茂夫「西武鉄道(旧)軌道線の車両」『鉄道ピクトリアル』No.716 2002年4月臨時増刊号
  • 「ちんちん電車があったころ 昭和初年の川越電車・西武大宮線」『小江戸ものがたり 第十二号』川越むかし工房、2009年10月30日

外部リンク[編集]