芝地駅
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芝地駅 | |
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しばち Shibachi | |
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所在地 |
埼玉県入間郡古谷村古谷上 (現・川越市古谷上) |
所属事業者 | 西武鉄道 |
所属路線 | ■大宮線 |
キロ程 | 5.1 km(川越久保町駅起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1906年(明治39年)4月16日 |
廃止年月日 | 1941年(昭和16年)2月25日 |
芝地駅(しばちえき)は、埼玉県川越市古谷上(当時は入間郡古谷村古谷上)に存在した川越電気鉄道(その後西武鉄道大宮線)の電停。
概要[編集]
黒須電停からそのまま南東にまっすぐ進み、荒川を越えて東に進路を変えた先にあった。
当電停周辺は荒川等の氾濫によりたびたび水害に見舞われる土地であり、大宮線の線路も水をかぶりすぎて、ついに枕木がぐずぐずに腐る状態にまで進行した。やむなく会社側が1928年に枕木を新調し、大宮側の一部でのみ使用していた60ポンドレールを使用して強度を稼がざるを得ない状況になったこともあった。
当駅は荒川にほど近く、開業して間もない明治45年の時点で駅周辺に人家が皆無である[1]。
当駅周辺は桜草の自生地として知られていた[2] [3] [4]。
歴史[編集]
- 1906年(明治39年)4月16日 - 開業。
- 1927年(昭和2年)8月28日 - 車庫火災により運休、翌月3日まで不通となる。
- 1940年(昭和15年)12月20日 - 路線休止により休止。
- 1941年(昭和16年)2月25日 - 休止のまま廃駅。
隣の駅[編集]
廃線後の状況[編集]
荒川が1920年(大正9年)より37年の歳月をかけて大改修を受けたことにより[5]、黒須電停の先に残る旧流路から先の廃線跡は完全に潰滅状態と化しており、廃線どころか当時の道すら影も形もない状態である。
このような状況からみても、痕跡はおろか場所の比定すらほぼ不可能な状態であり、下手をすれば川底に沈んでいる可能性すらある。
脚注[編集]
- ^ 「咲いた万歩のまち歩き」2012-03-21 川越電気鉄道の経路を探る より -地図の原典は 時代統合情報システム(外部リンク参照)
- ^ 「咲いた万歩のまち歩き」2013-04-21 昭和初期のさいたま市公共交通機関 より
- ^ 「野新田桜草の会」桜草年表ページ下部 1935年(昭和10年)伊藤隼著「東京の植物を語る」 に芝地の記載あり。(アーカイブ)
- ^ 「東武沿線見回り奉行!! きのうのsukiyaki+(すきやきプラス)」もうすぐ鉄道の日~鉄道のことを知ろう~#4 ページ下部の昭和初期の関東近郊鉄道路線図 より西武大宮線部分を拡大 芝地の桜草の記載あり
- ^ 荒川の歴史 明治時代以降 - 国土交通省 関東地方整備局 荒川上流河川事務所、2018年7月30日閲覧。
参考文献[編集]
- 建設省編『埼玉県・西武鉄道』(建設省公文書)
- 鉄道省編『西武鉄道(元川越電気、武蔵水電)』(鉄道省文書)
- 鉄道省編『西武鉄道(元武蔵鉄道)2』(鉄道省文書)
- 鉄道省編『西武鉄道別全』(鉄道省文書)
- 鉄道省編『西武鉄道3』(鉄道省文書)
- 鉄道省編『西武鉄道』(鉄道省文書)