大阪府立市岡高等学校
| 大阪府立市岡高等学校 | |
|---|---|
|
大阪府立市岡高等学校 | |
北緯34度40分2.9秒 東経135度27分58.6秒 / 北緯34.667472度 東経135.466278度 | |
| 過去の名称 |
|
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 |
|
| 併合学校 | 大阪府立市岡第二中学校 |
| 校訓 | 「自彊の精神」 |
| 設立年月日 | 1901年4月1日 |
| 創立記念日 | 6月12日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 単位制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 学校コード | D127210000096 |
| 高校コード | 27130G |
| 所在地 |
〒552-0002 大阪市港区市岡元町二丁目12番12号 |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
大阪府立市岡高等学校(おおさかふりつ いちおか こうとうがっこう、英: Osaka Prefectural Ichioka High School)は、大阪市港区市岡元町二丁目にある公立の全日制普通科高等学校であり、単位制高等学校。略称は市岡高、通称は
概要
大阪府の「教育一〇ヵ年計画」に基づき20世紀初頭に新設された旧制中学校4校の一つであり、府内7校目、大阪市内3校目として設立された大阪府第七中学校を前身校とする。
学制改革に伴い新制高等学校に改組された後、50年に渡り、全日制と定時制を並置する複数課程併置校であった。また、定時制課程は、公立の夜間中学として1933年に日本で初めて開設された大阪府立夜間中学'[注釈 1]を前身としていた。
2009年度より単位制高校に改組されて以降、教員が約10名程度加配されており、80以上の選択科目に加え、少人数(10人未満)での授業も多数開講されている。
スクール・ミッション
交通至便な弁天町に建つ、単位制による課程を置く歴史ある普通科高校として、変化の激しい時代にあっても、生徒文化として引き継がれる「自彊の精神[注釈 2]」のもと、他者を尊重し、多様な人々と協働しながら自己実現を図り、社会に貢献する人物を育成する[1]。
めざす学校像
同校創立以来、時代を超えて受け継がれる「自彊の精神」のもと、自ら学び考え行動し他者と協働できる力をもって、変化の激しい時代をたくましく生き抜き、社会に貢献できる人材を育成する。
- 全日制普通科単位制における少人数授業などの特色を最大限に生かし、希望進路を実現するための確かな学力を身につける。
- 自主性・自律性を重んじ、部活動、生徒会活動およびさまざま学校行事に取り組み、互いの協力や切磋琢磨を通じて人間力を育む。
- 社会に貢献するためのさまざまな素養を身につけ、広い視野を持ちグローバルに活躍できる人材を育成する[2]。
校訓
校訓は「自彊の精神」である[3]。
スクール・ポリシー
グラデュエーション・ポリシー
- 生徒一人ひとりが「なりたい自分」 の実現に向かって自ら課題を見つけ自ら学ぶことにより、未来を切り拓く「確かな力」 を育む。
- 「自身の可能性」を信じ、最後まで諦めず努力し続けることのできる「実行力」を育てる。
- 他者との協調性や多様性を尊重し、よりよい社会を築こうとする豊かな心を持った人材を育成する[4]。
カリキュラム・ポリシー
- 単位制の特長を活かし、生徒一人ひとりの学習状況や進路実現に応えられるように、少人数授業や多種多様な選択科目を設置する。
- 生徒の主体的・意欲的な探究活動を促し、自主自律の精神を育む。
- 学習活動や部活動を通じて、思考力や判断力を身につけ、高い目標にチャレンジする生徒を育成する。
- 学校行事や生徒会活動を積極的に企画・運営することで、課題解決能力や他者と協働する精神を育む[4]。
アドミッション・ポリシー
同校は、多様性を理解し、主体的に判断し、協働できる力をもって“変化の激しい時代を元気よく生き抜く生徒”の育成を目標とし、進路実現への取組み100%、部活動への取組み100%、学校行事と自主活動への取組み100%を教育目標に掲げている。次の3つの生徒像に対して、横断的な能力と資質を備え、夢の実現のための努力を惜しまない生徒を求める。
- 少人数を特色とする全日制普通科(単位制)の授業と、進学に特化した講習により、高い志で希望の進路を実現する生徒
- 伝統の部活動と主体的な学習の両立を通じて、自分で判断し行動する力、最後まで諦めない力の重要性を理解し、伸ばす努力をする生徒
- 学校行事と自主活動を通じて、心豊かに、創造する力を伸ばすことのできる生徒[4]
沿革
略歴
学校創立
1901年3月、大阪府告示60号により大阪市西区市岡町(現在地)に大阪府第七中学校の設置の件の認可がた公示された[5]。同校は大阪府第一中学校[注釈 3]を仮事務所として開校準備の事務取扱をおこなった[5]。
一方で大阪府は同年3月、大阪府立のすべての中学校・高等女学校[注釈 4]について、同年4月より従来の設置順序順の番号での校名をやめ、所在地の地名を取り入れた校名へと一斉に改称する方針を出した。そのため、同年4月に大阪府市岡中学校と改称し、開校した。
さらに文部省令施行に伴い[注釈 5]、開校から約2ヶ月後の1901年6月3日付で大阪府立市岡中学校と再改称した。
同年6月12日に開校式を実施し、この日を創立記念日としている[5]。
旧制市岡中学校
1926年に新校舎が竣工した[6]。1931年には室戸台風により校舎浸水の被害を受けている。
1944年4月1日より国民学校令等戦時特例の施行に伴い、戦時非常措置として修業年限が4年に短縮された。また生徒の勤労奉仕などが実施された。
1945年3月の大阪大空襲では木造校舎を焼失する被害を受けた。終戦直後の同年9月には枕崎台風で被災し、同年10月から11月にかけて大阪府立今宮中学校[注釈 6]の教室を借用して仮校舎とした[6]。
市岡高等学校
学制改革により、大阪府立市岡中学校と大阪府立市岡第二中学校が統合される形で、新制高等学校への改組転換が行われた。1947年度より大阪府立市岡中学校および大阪府立市岡第二中学校は募集停止され、1948年4月1日に大阪府立市岡高等学校が開設されて、通常課程と夜間課程が併置された。
男女共学が実施され、大阪府立港高等学校(旧制市岡高等女学校)および大阪市立西華高等学校(旧制西華高等女学校)と生徒・職員を交流した。
1950年3月31日には大阪府立市岡中学校および大阪府立市岡第二中学校は廃止され、大阪府立市岡高等学校へ改組転換された。翌4月1日には通常課程を全日制課程、夜間課程を定時制課程と改称された。[6]。
1968年9月2日には学生運動の影響を受け、校務分掌任命制に反対した生徒数名が校長室を占拠する騒ぎが起きた[7]。この騒ぎは、日本で最初の高校生による学校占拠であったとされている。学園紛争はその後1970年頃まで影響を及ぼした[7]。1972年には制服が廃止され、服装の自由化が実施された[7]。
1979年に校舎の全面改築構想が発表され、1985年に竣工した[7]。
単位制高等学校
大阪府教育委員会は1999年に「教育改革プログラム」および「全日制府立高等学校特色づくり・再編整備第1期実施計画」を策定し、2008年度までの教育改革についての検討の中で、全日制普通科単位制高校の設置を言及した[8]。2003年には「府立高等学校特色づくり・再編整備計画(全体計画)」[9]を策定し、対象校2校を全日制普通科単位制高校に改組することが提言された。その内1校は第3学区[注釈 7]の府立高校が構想され、同委員会の方針を受けて、市岡高等学校が対象校として選ばれた。2009年度入学生より単位制が導入され、2011年度には全日制普通科単位制高校へ移行転換された。
定時制課程
1933年2月14日、日本最初の公立夜間中学として、明治14年文部省達第4号[注釈 8]による大阪府立夜間中学の設置開校の件が認可された。[10]。開設の背景には、経済的事情で進学断念を余儀なくされた勤労青少年が、向学心から独学に励み、専門学校入学者検定を目指す事例が増加していたことがあった。大阪府は勤労青少年の勉学意欲をかなえるとして、高等小学校卒業以上、ないしは14歳以上の入学検定合格者を対象者とする、4年制の府立夜間中学の設置を進めていた[10]。同年5月5日に開校式を挙行した。
1934年3月13日、同校卒業者は、専門学校入学者規定により、専門学校入学に関し中学校卒業者と同等以上の学力を有する者と指定された。また同月30日には、府立夜間中学2校目となる高津夜間中学[注釈 9]の開設に伴い、同年4月1日より大阪府立市岡夜間中学と改称の件が認可された[10]。
1943年4月1日、中等学校令の施行に伴い、同令による大阪府立市岡第二中学校の設置開校の件と、大阪府立市岡夜間中学を1946年3月31日限り廃止の件が認可された[10]。大阪府立市岡第二中学校は3年修業の夜間課程のみ設置された。
1947年度より大阪府立市岡第二中学校は募集停止され、1948年4月1日に大阪府立市岡高等学校が開設されて、夜間課程が設置された。1950年3月31日には大阪府立市岡第二中学校は廃止され、大阪府立市岡高等学校へ改組転換された。翌4月1日には夜間課程を定時制課程と改称された。[6]。
その後、1990年代に大阪府教育委員会が定時制高校を大幅に再編する策を打ち出したことに伴い、1995年に市岡・今宮・勝山・高津・守口・佐野の6校の定時制が統廃合の対象となることが発表された。対象となった6校の関係者が連携しての統廃合反対運動なども起こったが覆すことはできず、定時制は1996年以降の募集を停止し、1998年3月に閉課程となった。
定時制廃止反対運動を機に、「夜に学ぶ場」を何らかの形で残したいと、市岡高校定時制同窓会「田龍会」等学校関係者や有志ボランティアが中心となって、1996年に来日外国人などを対象にした「市岡日本語教室」を設置した。当初は市岡高校の会議室等を借用する形で運営したが、定時制廃止後は港区民センターを主な教室としている。日本語教室の運営母体として1996年に「市岡国際教育協会」を設立し、同協会は1999年にNPO法人となった[11]。
年表
- 1901年3月 - 大阪市西区市岡町(現在地)に大阪府第七中学校を設置し、同年4月より開校する件が認可。
- 1901年
- 1933年2月14日 - 大阪府立夜間中学の設置開校の件が認可。
- 1934年4月1日 - 大阪府立市岡夜間中学と改称。
- 1943年4月1日 - 大阪府立市岡夜間中学を1946年3月31日限り廃止の件、および大阪府立市岡第二中学校を設置開校する件が認可。
- 1946年3月31日 - 大阪府立夜間中学廃止。
- 1948年
- 4月1日 - 学制改革により大阪府立市岡高等学校が開設。通常課程普通科および夜間課程普通科を併置。
- 大阪府立港高等学校(旧制大阪府立市岡高等女学校)・大阪市立西華高等学校(旧制大阪市立西華高等女学校)と生徒・職員を交流して男女共学を実施。
- 1950年
- 3月31日 - 大阪府立市岡中学校および大阪府立市岡第二中学校廃止。
- 4月1日 - 通常課程を全日制課程、夜間課程を定時制課程と改称。
- 1968年9月2日 - 校長室が占拠される。
- 1972年4月1日 - 制服自由化を実施。
- 1998年 - 定時制課程を閉課程。同窓会の100周年記念事業「市岡の森」が舞洲に完成。
- 2009年 - 全日制普通科単位制高校へ移行。
- 2021年 - 従来の2学期制から3学期制に変更[12]。
基礎データ
所在地
アクセス
- 大阪シティバス(60・88系統)「市岡元町」停留所より北北東へ約230m(徒歩約3分)
- Osaka Metro ●中央線 C13 「弁天町駅」より東南東へ約350m(徒歩約5分)
- JR ■大阪環状線 JR-O15「弁天町駅」より東南東へ約450m(徒歩約7分)
象徴
校章
校章は、中学校の「中」の字を表象する六稜の上に「市岡」の字を円形に図案化したものを配して「市岡中」を、六稜の背後に引かれた三本線は「大阪三中」であることを表す。また、三本線は同校硬式野球部のピルボックスキャップで知られている。
標準服
比較的自由な校風で、制服ではなく着用自由の標準服が規定され、服装は生徒各自の判断に任される。但し、硬式野球部所属の生徒のみ、標準服と学生帽を制服・制帽として着用する運用を行う[注釈 10]。
設置する課程、学科及び定員
入学者選抜
「一般入学者選抜(全日制の課程)」が実施され、また、合格者数が募集人員に満たない場合は「二次入学者選抜」が実施される。入学者は、学力検査の成績に調査書の評定を加えた総合点により選抜された者が、校長により決定される。
総合点を算出するにあたって、「学力検査問題の種類並びに学力検査の成績及び調査書の評定にかける倍率のタイプ」はⅠであり、学力検査の満点は630点、 調査書の満点は270点とし、総合点の満点は900点となる。
また、学力検査における問題の種類については、国語、英語、ならびに数学は「標準的問題(B)」が選択されており、英語のリスニングテストの配点は約20%(5分の1)とされる。
教育課程
1年時は芸術選択科目以外は全員が共通科目を履修する。2・3年では文系・準理系・理系の3コースに分かれた上で、学習指導要領で指定されている必履修教科・科目(体育など)および学校が指定した最小限の共通履修科目以外は、各生徒の進路希望に応じて選択教科・選択科目を履修するシステムとなっている[13]。選択教科・科目は80科目以上開設されている。
特別活動
学校行事
宿泊を伴うオリエンテーションは無い。水泳大会や水泳合宿といった夏季の体育行事も無い。また冬季の体育行事としては、耐寒登山やマラソン大会、球技大会も無い。文化行事としては、芸術選択科目の作品展示会・発表会や百人一首大会、予餞会は無いが、芸術鑑賞会と合唱コンクールは行われている。
- 1学期
- 4月 - 入学式、始業式・対面式・新入生歓迎会、スタサポ、クラブ体験、前期生徒会役選、校外学習
- 5月 - 1学期中間考査、3年実力テスト、体育祭
- 6月 - 避難訓練、科目選択説明会、読書旬間、芸術鑑賞(1,2年)、創立記念日
- 7月 - 1学期期末考査、夏期講習、終業式、交通安全教室、3年補充授業、インドネシア語学研修
- 2学期
- 8月 - 数学課題考査、スタサポ(1,2年)、始業式・音楽鑑賞会、オープンスクール
- 9月 - 文化祭、後期生徒会役選
- 10月 - 2学期中間考査、オープンスクール
- 11月 - 読書旬間、オープンスクール、1,2年実力テスト、避難訓練、2学期期末(2年)
- 12月 - 2年修学旅行、2学期期末(1,3年)、冬期講習、オープンスクール、終業式
- 3学期
部活動
運動部は18、文化部は16(内、同好会2・委員会1)あり、クラブ数は34である。
三本線の帽子で知られる硬式野球部は、春夏あわせて21回(春11回・夏10回)甲子園に出場している。夏は1916年の第2回大会にて初出場・準優勝、春は1924年の第1回大会にて初出場・ベスト4の成績をあげている。甲子園球場で行われるようになった夏の第10回大会と春の第2回大会にも出場しており、大会と球場の両方の意味において春夏とも甲子園に最初に出場した大阪の学校である。夏は第1回大会から欠かさず地方大会に参加している皆勤校(大阪の学校では唯一)であるが、夏の第1回大会の地方大会は大阪大会ではなく関西大会(大阪・奈良・和歌山)で、和歌山県立和歌山中学校(現在の和歌山県立桐蔭高等学校)に決勝で敗れた。学制改革後の甲子園出場は春4回・夏0回にとどまっている。夏の第105回大会の大阪大会では体調不良者多数による部員不足で1回戦を棄権したが、大会に参加登録しており、不戦敗でも出場したと見なされ、皆勤出場の継続が認められた[14][15]。
軟式野球部は、1986年に第31回全国高等学校軟式野球選手権大会に出場した。軟式野球部のユニフォームは、帽子ではなくシャツの袖とストッキングに三本線が入っている。
サッカー部は、6回の全国大会出場経験があり、最高成績はベスト4。女子テニス部は、1950年のインターハイで全国優勝(団体)した。
- 運動部
- 文化部
高校関係者と組織
高校関係者組織
- 大阪府立市岡高等学校学校運営協議会 - 保護者、地域住民、校長、関係行政機関の職員の中から委嘱された委員による機関。学校運営及び当該運営への必要な支援に関して協議する。
- 大阪府立市岡高等学校PTA - 生徒保護者と教員による父母と教師の会(PTA)組織で、会員は入会金及び年会費を納入する。
- 大阪府立高等学校PTA協議会 - 大阪府教育庁に近接する大阪市中央区糸屋町に事務局を置くPTA協議会。大阪府立市岡高等学校PTAの会員をもって会員とし、会員は単位PTA分担金として会費を納入する。
- 大阪府立市岡高等学校教育後援会 - PTA会員またはPTA会員であった者による後援会組織で、会員は年会費を納入する。
- 大阪府立市岡高等学校 - 前身学校を含む卒業生による同窓会組織。事務局を校地内に所在する同窓会館「100周年記念会館」に置く。
- 大阪府立市岡高等学校定時制課程同窓会「田龍会」- 定時制課程卒業生による同窓会組織。
高校関係者一覧
著名な出身者
- 政治(立法・行政)
- 宗教
- 経済・実業
- 大坪文雄 - パナソニック特別顧問(16期)
- 喜多市松 - 元京阪電気鉄道社長[17](市岡中7期)
- 児島英一 - 元近畿日本ツーリスト社長[17](市岡中33期)
- 島田太郎 - 東芝社長(37期)[17]
- 新宅正明 - 元日本オラクル社長(25期)
- 高田順弘 - 元阪神タイガース球団社長(11期)
- 瀧省一 - 元関西銀行社長(市岡中40期)
- 玉田弘文 - いちよし証券社長[17](42期)
- 辻巌 - ロックペイント創業者(市岡中16期)
- 手塚昌利 - 元阪神電鉄社長、元阪神タイガースオーナー(市岡中43期)
- 能村龍太郎 - 元太陽工業社長(市岡中35期)
- 広岡知男 - 元朝日新聞社社長、東京六大学野球・東大選手・首位打者、野球殿堂(市岡中20期)
- 松原治 - 元紀伊國屋書店社長(市岡中31期)
- 山元賢治 - 元Apple Japan社長(30期)
- 山本和三郎 - 元池貝鉄工社長(市岡中29期)
- マスメディア
- 安藤豊 - RKB毎日放送アナウンサー(17期)
- 石田英司 - 毎日放送制作局エグゼクティブ(30期)
- 高橋大悟 - テレビ東京アナウンサー(71期)
- 山内久司 - ABC朝日放送顧問、花園大学客員教授(2期)
- 学術
- 石濱純太郎 - 関西大学名誉教授(東洋史学、市岡中1期)
- 岡芳包 - 元徳島大学学長(細胞生理学・体力医学、市岡中26期)
- 岡田實 - 大阪大学第8代総長(工学、市岡中19期)
- 亀崎直樹 - 岡山理科大学教授、元神戸市立須磨海浜水族園園長、元日本ウミガメ協議会会長(27期)
- 角山栄 - 和歌山大学名誉教授・元学長、元堺市博物館館長(経済史学・歴史学、市岡中34期)
- 河内将芳 - 奈良大学教授(日本史学・歴史学、34期)
- 黒坂光 - 京都産業大学学長(神経糖鎖生物学、28期)[18]
- 田宮猛雄 - 東京大学名誉教授、元日本医師会会長、国立がんセンター初代総長(市岡中1期)
- 津田正太郎 - 法政大学教授(社会学、44期)
- 冨田憲二 - 京都大学基礎物理学研究所名誉教授(宇宙物理学、8期)
- 三浦宏文 - 元工学院大学学長、東京大学名誉教授(ロボット工学、8期)
- 宮本又次 - 大阪大学名誉教授(民俗学・経済史学、文化功労者、市岡中19期)
- 文学・芸術
- 舞台芸術・芸能
- スポーツ
- 青木一三 - 元関大野球部選手・マネージャー、元阪神タイガース等のスカウト(市岡中42期)
- 阿部良之 - 自転車ロードレース選手、シドニーオリンピック出場(40期)
- 今西壽雄 - 登山家、元日本山岳会会長、マナスル世界初登頂(市岡中27期)
- 岩村吉博 - 元大阪タイガース選手(3期)
- 蔭山和夫 - 元南海ホークス選手・監督、元早大主将(市岡中39期)
- 笠原和夫(元高橋ユニオンズ選手・監督、元早大主将、最後の早慶戦出場(市岡中34期)
- 川本泰三 - 元サッカー日本代表監督、日本サッカー殿堂(市岡中26期)
- 小苗久信 - 元陸上競技選手、世界陸上アテネ大会110メートルハードル日本代表(43期)
- 佐伯達夫 - 元日本高等学校野球連盟会長、東京六大学野球・元早大選手、野球殿堂(市岡中8期)
- 島田行雄 - 元松下電器産業野球部監督(26期)
- 島野りーみん - プロボクサー。元女子競輪選手(53期)
- 伊達正男 - 元阪急ブレーブスコーチ、元早大投手、野球殿堂(市岡中23期)
- 田中勝雄 - 元早大野球部監督、野球殿堂(市岡中12期)
- 中西勝己 - 元毎日オリオンズ選手(6期)
- 藤田正樹 - 元大阪ガス野球部監督(28期)
- 南秀憲 - 元阪神タイガース選手、司法書士(31期)
- 南村侑広 - 元読売ジャイアンツ選手・コーチ、元早大選手(市岡中31期)
- 森田忠勇 - 元関大野球部監督、元大阪タイガース二軍監督(市岡中19期)
対外関係
海外姉妹校
リットン・ハイ・スクール - 姉妹校提携締結。ニュージーランドギズボーン市にある国立高校。2026年より同校を迎え入れ、国際交流活動を実施する予定。
交流校
ライアン・カトリック・カレッジ - オーストラリアクイーンズランド州タウンズビルにある私立高校。2017年度より2019年度まで、ホームステイ研修やオーストラリア語学研修中に同校を訪問し、2024年度は同校を迎え入れ、国際交流活動を実施した。
ケントメリディアン・ハイ・スクール - アメリカ合衆国ワシントン州ケントにある公立高校。2009年度より2015年度まで交換留学を実施し、毎年7月に同校から短期留学生を受け入れ、毎年3月に同校へ短期留学生を派遣した。
脚注
注釈
- ^ 大阪府立市岡夜間中学と改称された。
- ^ 自ら努め励み、志や夢に向かう、自主自立の精神。
- ^ 現在の大阪府立北野高等学校。
- ^ 1901年4月開校予定の学校も含む。
- ^ 1901年4月8日に文部省令第11条が出され、中学校・高等女学校などの名称について「○○県立・○○郡立」などの形で設置者の名称を冠することを義務づけ、命名規則に沿っていない既存校については6ヶ月以内に変更することを各道府県に指示した。大阪府は指示を受け、同年4月に改称したばかりの「大阪府○○中学校/高等女学校」の校名について、「大阪府立○○中学校/高等女学校」へと一斉に再変更することになった。
- ^ 現在の大阪府立今宮高等学校。
- ^ 市岡高等学校全日制課程が属していた学区である。当時は大阪府立の全日制普通科高校には学区制が運用されていたが、2014年度より廃止された。
- ^ 府県立学校幼稚園書籍館等設置廃止規則である。
- ^ 大阪府立高津高等学校定時制課程。
- ^ 引退すれば私服の着用も可。
出典
- ^ “府立高等学校スクール・ミッション一覧” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月24日閲覧。
- ^ “令和7年度 学校経営計画及び学校評価” (PDF). 大阪府立市岡高等学校. 大阪府立市岡高等学校. p. 1. 2025年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月24日閲覧。
- ^ “沿革”. 大阪府立市岡高等学校. 大阪府立市岡高等学校. 2025年12月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月15日閲覧。
- ^ a b c “府立高等学校スクール・ポリシー一覧〈大阪市エリア〉” (PDF). 大阪府ホームページ. 大阪府. p. 1. 2025年11月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年12月24日閲覧。
- ^ a b c “自彊百年史 (1901年~1926年)”. 大阪府立市岡高等学校同窓会「澪標会」. 2021年4月24日閲覧。
- ^ a b c d “自彊百年史 (1926年~1950年)”. 大阪府立市岡高等学校同窓会「澪標会」. 2021年4月24日閲覧。
- ^ a b c d “自彊百年史 (1951年~1975年)”. 大阪府立市岡高等学校同窓会「澪標会」. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “高校改革に関すること”. 大阪府教育委員会 (2020年7月15日). 2021年4月24日閲覧。
- ^ “府立高等学校特色づくり・再編整備計画(全体計画)”. 大阪府教育委員会 (2003年11月22日). 2021年4月24日閲覧。
- ^ a b c d 『新修大阪市史 第7巻 近代3』大阪市史編纂委員会、1994年3月、943頁。
- ^ “協会について”. 市岡日本語教室. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “3学期制移行のお知らせ” (PDF). 大阪府立市岡高等学校 (2021年3月19日). 2021年4月24日閲覧。
- ^ “市岡の単位制について”. 大阪府立市岡高等学校. 2021年4月24日閲覧。
- ^ “古豪の市岡 部員不足で1回戦を棄権、第1回大会から皆勤出場 大阪大会”. デイリースポーツ (2023年7月16日). 2023年7月18日閲覧。
- ^ “大阪唯一の「皆勤校」市岡 コールド再出発!昨夏は部員不足で1回戦棄権”. スポニチアネックス (2024年7月16日). 2024年8月26日閲覧。
- ^ “毎日フォーラム・霞が関ふるさと記 大阪府・下”. 毎日新聞デジタル (毎日新聞社). (2019年9月10日) 2023年8月8日閲覧。
- ^ a b c d “【市岡高校】華麗なる卒業生人脈!”. ダイヤモンド・オンライン. 2023年5月26日閲覧。
- ^ 高校28期の黒坂 光(くろさか あきら)氏が京都産業大学 学長に決定 2020年7月29日(大阪府立市岡高等学校同窓会)
参考文献
- 大阪府立市岡高等学校『大阪府立市岡中学校・高等学校百年』2005年。
- 『新修大阪市史 第7巻 近代3』大阪市史編纂委員会、1994年。
