Mummy-D

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Mummy-D
出生名 坂間大介
別名 Mr.Drunk
生誕 (1970-04-14) 1970年4月14日(47歳)
出身地 日本の旗 日本 神奈川県横浜市
学歴 早稲田大学政治経済学部政治学科
ジャンル ヒップホップ
職業 ヒップホップMC
トラックメイカー
俳優
活動期間 1989年 -(RHYMESTERとして)
事務所 スタープレイヤーズ
共同作業者 宇多丸DJ JIN
公式サイト RHYMESTER

Mummy-D(マミーディー、1970年4月14日 - )は、日本のヒップホップグループ、RHYMESTERおよびマボロシMC、マイクロフォンNo.2、俳優。本名、坂間 大介(さかま だいすけ)。弟は同じくヒップホップMCのKOHEI JAPAN。トラックメイカーとしてはMr.Drunk名義で活動している。

来歴[編集]

神奈川県横浜市出身。神奈川県立横浜緑ヶ丘高校早稲田大学政治経済学部政治学科卒業。

高校時代はサッカー部に在籍。RHYMESTERメンバーの宇多丸が帰宅部出身を売りにしているのに対し、高校まで部活をやっていたことを売りにしている。

高校時代の文化祭で友人のバンドにギタリストとして参加する傍ら、個人でも初ステージを踏んでいる(本人によると、その曲はレゲエのような曲で「ウ○コは犯罪」)。また、別の高校に通っていた実弟のKOHEI JAPANと一緒にステージも踏んでいる(当時は『MCヤキニク(KOHEI JAPAN)とDJスペースシャトル(Mummy-D)』と名乗っていたと本人がラジオ番組で語っている)。

大学時代の1989年、「早稲田大学ソウルミュージック研究会ギャラクシー」で出会ったメンバーとRHYMESTERを結成。「ギャラクシー」では第13代部長を務めていた(第12代部長が宇多丸で、DJ JINは第16代部長)。

大学卒業後、桑沢デザイン研究所にてデザインを学ぶ。RHYMESTERの活動と並行して、当時の所属事務所であったファイルレコードに籍をおき、CDジャケットなどのデザインに携わっていた。『B-BOYイズム』の頃まではジャケットにデザイナーとしてのクレジットも見られる。

RHYMESTERの活動以外に、トラックメイカーとして他のラッパーや歌手とのコラボレーションもしている。マボロシのMCでもあり、そちらでは本名の坂間大介を名乗る。

2006年9月23日に一般の女性と結婚。披露宴にはメンバーの2人に加え、実弟のKOHEI JAPANやFull Of Harmonyなどの友人らが駆けつけ、ライブクイズ、DJ JINによる公開スパーリングなどのイベントが行われた。

2007年11月25日にRHYMESTERとマボロシの両ブログにて11月24日午前7時に第一子が誕生したことを報告した。その日のRHYMESTERのブログでのタイトルは、弟KOHEI JAPANの『Family』に収録されている「もしも息子が出来たなら…」だった。ちなみに子どもが誕生する前日には、KREVA日本武道館ライブにゲスト出演していた。

エピソード[編集]

  • Mummy-DのMummyは中学時代のあだ名のマミーから来ている。
  • 「ちょんまげのライマー」と呼ばれ[誰によって?]、独特な長髪のパーマヘアをちょんまげ風に結ぶヘアスタイルが特徴である。
  • 宇多丸にはZeebraとともに、ヒップホップ界の二大モテ男と言われている。
  • ヒップホップ界でのキャリアの出発はMCでは無くダンサーとされる[独自研究?]。「酔っ払いのライマー」とも呼ばれ[誰によって?]、3枚目のアルバム『グレイゾーン』(2004年発表)の「おぼえていない」という曲は、彼の酔って記憶が無い時のエピソードを題材にしている。同じアルバムの「だから私は酒を呑む」では「せんべい屋の長男」という表現が出てくるように、実家はせんべい屋である。
  • 一時期[いつ?]は実家に勘当されていたが現在は和解しており、実家の両親がライブ会場を訪れている。またKOHEI JAPANのミュージック・ビデオにも家族で共演している。
  • ヒップホップのジャンルで音楽活動をしている坂間広平(KOHEI JAPAN、ヒップホップグループMELLOW YELLOWの一員)は実弟。アルバム『リスペクト』(1999年発表)の「ブラザーズ」と言う曲は、ヒップホップの世界で兄弟が競い合い、切磋琢磨し、時に協力しあいながら技を磨いてゆくというストーリーになっていて、リリックが示すように、広平がヒップホップの世界に入ったきっかけは、兄の大介の影響が大きい。
  • 1990年代後半のライブ映像では[いつ?]、ステージ上で宇多丸に「10年代来のマイメン(親友の意味)」や「大ちゃん」と紹介されている。
  • アディダスなどスポーツ物のブランドを使ったファッションが得意で、時折[いつ?]ストリート系のファッション雑誌のグラビアを飾っている。最近は名前の大介の大の字のペンダントを着けている。
  • 写真を撮るのが趣味であり、ブログなどに載せている写真を撮っている。自称「写メラマン」。
  • 歴史日本史)への造詣が深く、地方へ行った際は古跡巡りなどをしている。
  • 友人の童子-Tが以前にラップを辞めようかどうか彼に相談したら[いつ?]「まだマイクを置くのは早いよ、オレが代表曲を作ってやるよ」と言って作られた曲は彼の出世曲となった「少年A」である。後輩のダースレイダーも素人時代にクラブで彼に会った時、興奮し「俺に曲作ってください」と言うと「お前がしっかり仕事で頼める所まできたらいつでもやるよ」と言われ、後にその仕事が実現した。
  • 酔っ払ってクラブシャッターを壊して、その弁償代わりに『かたじけナイト』と銘打ったMummy-DのノーギャラDJ出演が約1か月近く続いた[いつ?]。そしてその様子を見ていたDJミッツィーが『かたじけナイト』の名称に触発され、後に宇多丸も参加することになる日本語DJ集団のイベント名称は『申し訳ないと』と命名された。

客演作品[編集]

RHYMESTERマボロシの客演についてはそれぞれの項目参照。

プロデュース作品[編集]

Mr.Drunk名義での作品を含む

メディア出演[編集]

ナレーション[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

CM[編集]

  • マガシーク「うっかり篇」(2012年)
  • 「トビタテ!留学JAPAN」キャンペーン・広報Webムービー「Dear Father」(2016年)[1]

舞台[編集]

  • 最高はひとつじゃない 2016 SAKURA(2016年)[2]

脚注[編集]

  1. ^ “Mummy-D、留学への夢抱く“息子”村上虹郎とラップで会話”. 音楽ナタリー. (2016年4月7日). http://natalie.mu/music/news/182612 2016年4月7日閲覧。 
  2. ^ 内博貴、初ラップに四苦八苦 自己採点は「3点…」”. ORICON STYLE (2016年2月26日). 2016年2月26日閲覧。
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外部リンク[編集]