偽書

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偽書(ぎしょ)とは、製作者や製作時期などの由来が偽られている文書書物のこと。主として歴史学において(つまりはその文献の史的側面が問題とされる場合に)用いられる語である。単に内容に虚偽を含むだけの文書は偽書と呼ばれることはない。

偽書という概念は、美術的な書の贋作も含んでいる。ちなみに英語でもforgeryは偽書、贋作どちらの意味もある。

本項目では、偽書全般について記述する。
(註 :なお、例示には偽書として評価の定まっているもののほか、「専門家によって偽書の疑いを提示されたことがあるもの」も含む。偽書としての疑いの程度やその根拠については、リンクされている各記事を参照のこと。

偽書の位置付け[編集]

偽文書や偽書の作成がなされた事情は、その当時の歴史的背景に由来することが多く、学問上、完全に無意味とされる物は後述のオカルト的・詐欺的な例外を除けば少ない。 当時の為政者や作者(と推定される人物)の心理面やその影響力を考察する点では歴史学上の価値もある。また民俗学などで民間信仰の変遷を辿る際には手がかりになることもある。

意図した人為の反映されがちな文献資料 (歴史学)の欠点を補うため考古学的結果(考古資料)に照らし合わせることも行われる。

歴史学民俗学を繋ぐものとして重視する学者も存在する。網野善彦は、偽書には真正な文書からだけでは中々分からない庶民意識伝承習俗が含まれているとして、単に感覚的に嫌悪するだけでなく、偽書が成立した背景、成立過程や機能を研究する事で貴重なものが得られるとしている。

日本の歴史における偽書[編集]

日本においては偽書目録は少なく、速見行道の『偽書叢』(嘉永6年 3巻 早稲田大学蔵)と伊勢貞丈撰の「偽撰の書目」が存在する程度である[1]

  • 『偽書叢』に掲載された偽書(抜粋)
  • 「偽撰の書目」に掲載された偽書(抜粋)
    • 『江源武鑑』、『三河後風土記』、『大成経』

以下概説する。

歴史書[編集]

歴史書においては直ちに真偽を判断できない難しさもあって偽書とされている史料が多い。真偽の判定にあたっては、他文献との内容の相違や矛盾よりも、その書の成立時期について主張されている場合が多く、その時期を検証することが史料批判の出発点となる。

先代旧事本紀』は、室町時代までは記紀とならぶ「三部の本書」としての扱いを受けていた。しかし、序文に「『日本書紀』に先行する7世紀の編纂」とあることが江戸時代になると『天皇記』・『国記』に相当する記述を装っているとされ、すでに国学者多田義俊伊勢貞丈らが偽書と断じている。成立は7世紀よりもかなり下った平安時代初期9世紀ごろと見られる。ノンフィクションライター藤原明は、承平6年(936年)に宮廷で行われた日本紀講の席上に、文章博士矢田部公望が突如披露した書物であるとしている。公望の出自は物部であることから、自らあるいはその筋に近い者が氏祖の権威付けのために創作した可能性が高いとしている[2]17世紀には旧事本紀、あるいは日本書紀を底本に創作したと推測される『先代旧事本紀大成経』が現れている[3][4]。しかし後世では、序文の真偽はさておいても記述には記紀や古語拾遺にも見られない独自の伝承や神名も見られ、これに史料価値を認める研究者もいる。

他にも古史古伝では明らかに偽書であることが判明している史料が多くある。「『古事記』より以前の歴史書」とのふれ込みで話題となった竹内文書は昭和期に入ってから竹内巨麿が世に広めたもので、日本国外の近代都市名の記述があるなどして偽書と断じられている。しかし、『東日流外三郡誌』のように20世紀の語彙が含まれるものもありながら、史料批判を受けることなく地元の市史に用いられたという例もある(類例には『浜松城記』がある)。

国家の命運をはるか未来まで予言したという聖徳太子による『未来記』なる偽書は古くから流布し、『太平記』には楠木正成が味方の士気を鼓舞するため、後醍醐天皇からこの書の閲覧を許されたとの記述がある。

江戸時代の戦記物・系図の偽書[編集]

江戸時代には諸侯の先祖を飾るため軍記物の偽作が横行し、系図が乱れた。佐々木氏郷(沢田源内) は、『江源武鑑』、大系図、倭論語の版本その他、写本の偽書を流行させた。

三河後風土記』は平岩主計親吉の、『徳川歴代』は大須賀康高の著書と伝わるが、実際の著者は不明で、その横行は伊勢貞丈の安斎随筆(1784年)、小宮山昌秀(楓軒)の『偽書考』・『楓軒偶記』に記載されている。 『三河後風土記』については、これを校正した『改正三河後風土記』(成島司直著)で実は沢田源内が著者だという説が出ている。

江戸〜現代[編集]

偽文書[編集]

編纂資料とは別に古文書においては家系の由緒の装飾などを目的に作成された偽文書の存在が指摘される。偽文書は真文書の筆跡や印判などを精巧に再現したものから真文書の一部を改変したものまで多様なものが存在し、古文書学においては真文書と偽文書の真贋の見分け方や偽文書が作成された背景事情が問題視される。

偽書である歴史書の例[編集]

分類の便宜上、中国古典は歴史書に限らずここで扱う。

偽書の可能性が指摘されている歴史書の例[編集]

史料[編集]

偽書の可能性を疑われる歴史的文書は歴史書に限らず、様々な史料も俎上に載せられる。ヨーロッパでの偽作事件ではピエール・ルイスがフェニキアで発掘し翻訳したと偽った『ビリティスの歌』、フリードリヒ・ヴァーゲンフェルトにより偽作された『フェニキア史』などが有名である。現代の例では20世紀末葉に現れた『万歳三唱令』などがある。前者の場合は潤色の一環と捉えられるが、後者は偽作の意図が不明である。このように偽史料が作成される意図は一括できるものではないが、しばしば世の中を騒がせることになるのは、政治的意図を動機に含む(少なくともそのように推測される)偽書である。この種の偽書として悪名高いのが『シオン賢者の議定書』(ユダヤ議定書)である。これは現在では元になったと推測される文献まで特定されている明白な偽書であるが、かつては反ユダヤ主義の正当化に用いられ、ユダヤ陰謀論者には現在でも評価する者がいる。陰謀論にまつわる偽書としては、『田中上奏文』(田中メモランダム)などもある。また、偽史料のなかにはヒトラーの日記(Hitler Diaries)のように詐欺事件の種になったものもある。

なお、偽書と疑われる史料の原本が残存しない場合には、他の文献に引用されたものが俎上に載せられることがある。既に言及した十七条憲法などはその例である。近現代では、ジェームズ・チャーチワードが一連のムー大陸関連書で基礎史料として引用した「ナーカル」という粘土板が架空の来歴に基づく偽書だったのではないかと疑われている例(ジェームズ・チャーチワード#主張)などを挙げることができる。

偽書の可能性が指摘されている史料の例[編集]

宗教書[編集]

歴史的文脈で宗教書を捉えた時には、その来歴は当然検証の対象となる。しかし、宗教書においては、その宗教が信奉する宗派の創始者に由来すると主張するのが常である。

キリスト教[編集]

キリスト教の例で言えば、「マルコペトロの通訳であったかどうか、そのマルコが福音書を書いたかどうか」は歴史学の対象となるが、「『マルコによる福音書』がペトロに近い人物によって書かれたペトロの論説を伝えているものかどうか」は神学である。ゆえに偽書であるか否かという議論に馴染まない側面もあり、近世以降に派生した宗教の教典(モルモン書原理講論)などを除けば、来歴に虚偽を含んでいようと、殊更に偽書呼ばわりされることはない。なお、上記のような理由により、「偽書か否か」と「正典か否か」は別問題となる。

新約聖書イエス・キリストの直接の弟子である使徒に由来するとされる正典と、それ以外の外典との仕分けが4世紀には行われている。しかし、正典中のパウロの名による14の文書中で、実際パウロの著作と現在同意されているものは8つほどである。正典中の5つのヨハネ文書のうち、4つは匿名著者の文書がヨハネに帰せられており、残りの一つはヨハネによると記されているが、その真偽を疑われているものである。

仏教[編集]

仏教経典について言えば、冒頭で「このように私は聞いた」(如是我聞)と述べ、釈迦の説法を聞き写したという体裁をとるのがしきたりで、その内容は仏説であるという。「仏説」を紀元前5世紀ごろの釈迦が話したことを直接の弟子が書き取ったものと定義するならば、そのようなものは現存しない。『阿含経』などもっとも古いと思われるものでも早くて紀元前4世紀、それから長い時間をかけて、徐々に結集として編集されたものと考えられている。『般若経』など大乗仏典は紀元前後から3世紀ごろの成立であり、釈迦の時代から大きく離れているため仏説ではないと主張されることもあるが、成立時期の問題よりも、上座部仏教大乗仏教の間での教義の違いを反映していると言えよう(→大乗非仏説を参照)。『無量義経』『仏説盂蘭盆経』『十王経』『十句観音経』など、原典がサンスクリット語などのインドの言葉ではなく、中国朝鮮半島において漢文で成立したものが偽経(疑経)と呼ばれることもある。

儒教[編集]

儒教経典について言えば、四書五経に挙げられる書物の中で『孟子』を除いた他の書物は、すべて孔子ないしは周公旦が編したあるいは撰したものとされている。しかし、その多くが後人の手によって改編されたり、あるいは全く一から創作されたものであることは、キリスト教や仏教の聖典や経典の場合と同様の事情である。また、漢代災異説陰陽五行説、讖緯説が盛行すると、その影響下において、経書に対する緯書と称する書物が出現することとなる。そして、この場合もやはり、撰者は孔子に擬せられ、各経書に対する注釈書という形式をとって、王朝革命や自然災害などを孔子が予言していたものとして、当時、受容された。ただ、各王朝の実権者の側から見れば、容易に反体制集団に利用されることが予想される緯書は、厳しく禁圧される禁書の対象とされ、代には殆ど完本では伝わらなくなり、断片や他書への引用の形式でしか伝わっていない。

宗教書の例[編集]

文学における贋作[編集]

ヨーロッパでは活版印刷が行われるようになった近世には既に、フランソワ・ラブレーセルバンテスなどの人気作家に肖って、彼らの作品に便乗した偽物が出されていた。こうした偽物は同時代に出されたために来歴の主張に乏しいこともあってか、「偽書」よりも「贋作」と呼ばれるのが一般的である。こうした贋作は文体や語彙の齟齬から比較的容易に見抜かれてしまうものだが、中には『ガルガンチュワとパンタグリュエル』の「第五之書」のように、現在でもなお完全な決着をみていない例もある。

こうした贋造は無関係な人物による執筆の場合に問題となるのであって、縁のある人物が一部を加筆するといったケースなどは、普通贋作や偽書とは呼ばない。『源氏物語』は一部の巻が紫式部以外による執筆を疑われているものの、こうした場合は贋作とは呼ばないのが常である、シャーロック・ホームズシリーズの『指名手配の男』のような変則的なケースもある。

また、名義をはじめとする著者の属性に虚偽を含もうと、同一人物によって書かれたと見なされていれば、普通贋作や偽書などとは呼ばれない。例えば、シェークスピアは古くから別人説も唱えられているが、そうした立場からでも、偽書と呼ぶことはない(ウィリアム・ヘンリー・アイアランドの『ヴォーティガンとロウィーナ』のような作品はシェイクスピアの贋作と見なされる)。文学の場合、大きく時代を遡れば、アイソポス(イソップ)やホメロスなど著者の同一性自体が揺らいでいても偽書・贋作論議の埒外に置かれているケースもある。

フィクションにおける来歴の虚偽[編集]

小説などの中では、しばしば文書の来歴自体を偽るケースがある。風刺文学の最高峰と見なされる『ガリヴァー旅行記』は全編フィクションであるが、英国人船長にして医師のレミュエル・ガリヴァーなる人物の体験談であると、本文は主張している。

また、生物学の知識に裏打ちされた優れたパロディ『鼻行類』は、ハイアイアイ群島に生息した鼻行類の生態を精緻に分析した研究書という体裁を取っている。

ただし、これらのように虚構の中で虚偽の来歴が展開される文書は、普通偽書と呼ばれることはない。こうした例の中には、文書そのものが存在しないにも拘らず、もっともらしい来歴だけが滔々と作り上げられた『ネクロノミコン』のような特異な例もある。

また、本に書かれていることは信じられやすいという特性を利用して、架空の書物からの引用という形で解説することによって、荒唐無稽な技術や理論にリアリティを与えるというテクニックもある。(魁!!男塾の民明書房)

出典・脚注[編集]

  1. ^ 藤野七穂「「偽書」銘々伝」季刊『邪馬台国』1993年(平成5年)秋号52号梓書院
  2. ^ 藤原明『日本の偽書』文春新書。
  3. ^ 湯浅 1998, p. 66.
  4. ^ 佐藤 2000, p. 274.
  5. ^ 〈はじめての古事記〉神々の愛憎 壮大な冒険 2012年3月7日 朝日新聞デジタル

参考文献[編集]


関連項目[編集]