ホツマツタヱ

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ホツマツタヱ』は、「ヲシテ」なる「文字」(いわゆる「神代文字」の一つである)を使っているいわゆる「ヲシテ文献」のひとつ(学会、学界、学者からは偽書とされている)。五七調の長歌体で記され、全40アヤ(章)、10700行余、で構成された、研究者によれば記紀の「原書」であるという、いわゆる「古史古伝」のひとつである。その成立時期は、記紀との内容比較から『古事記』『日本書紀』よりも古いという主張もあるが、写本の出現時期などからは少なく見積もった場合、江戸時代中期までしか遡れない。『春日山紀』(安永8年、1779)の存在による[1](『春日山紀』は、江戸時代当時の木版活版での印刷出版物である。岩波書店版『国書総目録』に記載あり)。

この古文書は、1966年(昭和41年)に自由国民社の編集長であった松本善之助が東京、神田の古書店で写本を偶然発見したことから世に知られることになった[要出典]松本はそれまで『現代用語の基礎知識』や『現代の経営(ピーター・ドラッカー)』など出版事業に深く携わっていた[要出典]『ホツマツタヱ』との出会い以来は、写本の発見とその校正、読解に心血を注ぎ込んで、『古事記』・『日本書紀』との三書対照を踏まえて、『ホツマツタヱ』こそが、記紀の原典であると確信するに至った[要出典]

2016年12月に愛好家が、「再発見50高島 ホツマツタヱ 縄文ロマンの集い」を開催した。清藤直樹は、ホツマツタヱは「数千年前から紀元後までの歴史や風土などを記した大叙事詩だ」と言った。[2]

概要[編集]

ホツマツタヱ』(ほつまつたゑ)は、ヲシテによって五七調長歌体で記され、全40アヤ(章)で構成された古典である。その成立時期は不詳であるが、少なくとも江戸時代中期にまで遡ることが可能である[1]。安永8年版と安永9年版の二種類の版本が『春日山紀』にある。『春日山紀』には、『ホツマツタヱ』の40アヤの各所からの引用文がヲシテ文字の原文で縦横に掲載されている。歴史学日本語学等の学界においては、戦前から清原貞雄らにより後世の偽書であるとされ、近年も日本史学の分野では武光誠、日本語学の分野では飯間浩明らにより江戸時代神道家によって作成された偽書であるとされている[要出典]だが、それら否定派の人々は『ホツマツタヱ』の原文を精査しているわけではなかった[要出典]また、ヲシテ神代文字のひとつとみなす研究家からは古史古伝のひとつと同一視されている[要出典]しかし、漢字が渡来する以前に日本で通用していた文字と文献であって、後世の偽造とされる神代文字古史古伝とは全く異なるとの主張もある[要出典]。  文献全体の包括的な史料批判は、池田満によって『定本ホツマツタヱ』(展望社)が上梓されて、『古事記』『日本書紀』との原文の内容比較がなされている。この出版によって古典として呼ぶにもふさわしいと、言う研究家も多い[要出典]記紀との厳密な原文での比較に耐え得るのは、もともとが、由来の正しい著作物であると判断されるからである[要出典]。また、『日本書紀』『古事記』との、内容比較においてどう判断してゆくかは、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満、展望社)によって公表されている。また、『ホツマツタヱ』などの内容についての総合的な解説は『ホツマ辞典』(池田満、展望社)によって、年表や、系図も付録されて詳しく公表されている。

ホツマツタヱ』には、複数の写本が現存している。幾つかの写本では「ホツマツタへ」「ホツマツタエ」とも、また漢訳されて「秀真伝」「秀真政伝紀」とも表記されている。[3][4]ホツマ』と略されて呼称されることもある[要出典]。『ホツマツタヱ』と同様の文字による古文書である『ミカサフミ』(「三笠紀」)『フトマニ』(「太占」)も発見されている。この3書に使われている文字は同一で、文書の中では「ヲシテ」と呼ばれている。ヲシテ」は、過去の神代文字研究、または同文献の研究経緯により「ホツマ文字」「秀真文字」「伊予文字」と呼ばれたり、「オシテ」、「オシデ」と表記される場合もある。しかし、ヲシテ文献の本文(原文)には、清音表記「ヲシテ」の用例が大部分を占めているため、濁音の「ヲシデ」の表記には疑問を呈せられることも非常に多い[要出典]

12世紀初頭に成立した『類聚名義抄』などにヲシテに関する記述が認められると理解して、ホツマツタヱは少なくとも平安時代以前に遡るとし、真書であると考える熱心な研究家も少なからず居る[要出典]池田満の基礎研究書籍の『定本ホツマツタヱ』『ホツマ辞典』(展望社)の刊行を境にして、真書であると考える熱心な研究家もその数を増してきた[要出典]。更に『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・平岡 憲人 明治書院)や『よみがえる日本語Ⅱ-助詞のみなもと「ヲシテ」』(池田 満・青木 純雄・斯波 克幸)の出版を受けて、さらにその勢いは増しつつある。かつて江戸時代には和仁估安聡小笠原通当等が真書であると主張した[要出典]

近代的な文献学の手法に基づいた研究が始まったのは、ホツマツタヱが再発見された1966年以降である[要出典]。諸写本の微妙な文字の違いの校異の表記、『古事記』『日本書紀』と『ホツマツタヱ』の3書比較、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『カクのフミ(フトマニなど)』の総合的な研究とその本来のあるべき姿への復権が進められつつある(参考図書を参照のこと)。

ホツマツタヱ』を真書であるとする研究者は、記紀よりも古い日本最古の叙事詩、歴史書であると主張している[要出典]ホツマツタヱ』が扱っている歴史は、いわゆる天地開闢から始まって記紀神代や人皇12代景行天皇(オシロワケ)56年までである[要出典]

ホツマツタヱの文字と類似文献[編集]

 『ホツマツタヱ』を表記している文字は、文中の記述によれば『ヲシテ』(ホツマ文字)と呼ばれていた[要出典]ヲシテホツマ文字)は1音1字の文字である。母音要素(母態)と子音要素(父相)の組み合わせで成り立っている。48文字の基本文字があり、変体文字を含めると197文字が確認されている。文字について詳しくは、『ヲシテ』を参照のこと。松本善之助は、ヲシテの呼び名に、「日本固有文字」の新名称を命名している[要出典]

 同時代のヲシテホツマ文字)で書かれた文献には、伊勢神宮初代の神臣(クニナツ)オオカシマ命が記した『ミカサフミ』、アマテルカミ(記紀にいう、天照大神)が編纂して占いに用いたと伝えられている『フトマニ』などが発見されている。類似文献について詳しくは、『ヲシテ文献』を参照のこと。

ホツマツタヱの意味[編集]

従来説(和仁估安聡説)[編集]

ホツマ』は東国(おおよそ今の関東平野のエリア)を指した用語であったが、東国における優れた治世を讃称する用語へと変化した[要出典]ホツマ』の意味は、『』は現代語の「秀でたこと」、『』は現代語の『』、『』は現代語の『まこと』の意で、3つ繋ぐと『ひいでたまこと(秀でた真)』『まことの中のまこと(真の中の真)』という意味となる[要出典]。漢訳すると『秀真』となる。『ツタヱ』は『伝え・言い伝え』であり、『ホツマツタヱ』は、『まことの中のまことの言い伝え(真の中の真の言い伝え)』の意味である。『正式の伝記・正式の歴史書・正史』という意味となる。江戸時代には漢訳されて『秀真伝』『秀真政伝紀』などと表記されたこともある[要出典]

新説(ヲシテ言語学説)[編集]

』はそれぞれの名家に伝承されていた文書を示す。あえて漢訳するとしたら『』が適切である。『』は名家に伝承されていた複数の文書を集めるイメージになっている。あえて漢訳するとしたら『』が適切である。『』は集めた文書を平たく受止めたうえで、一つの筋に纏めて次に進めるというイメージになっている。現代語でいうと『編集』である。あえて漢訳すれば、『』が適切である。いくつもの名家に伝わった文書を集めて、編集して、一つの文書に結実させてゆくプロセス。そのプロセスを『ホツマ』と命名しているのである。『ホツマツタヱ』はこうしたプロセスを経て纏められた文書群を後世に伝えることである。あえて漢訳すると、『文集纏伝』となる。この説はヲシテ文字の形に込められている意味やイメージを研究した結果導き出されたものである。この結論に和仁估安聡が至らなかったということは、和仁估安聡ヲシテ文字を理解していなかったことを示している。ヲシテ文字を和仁估安聡が読めないので、和仁估安聡が当て字を当ててみただけなのだろう。これは、和仁估安聡ホツマツタヱの著者であるという仮説に疑問をもたらすものである。何故なら、『ホツマ』という言葉に適合した内容の奉呈文を記述しながら『ホツマ』に『秀真』という無内容な当て字を当てたことになるからである。和仁估安聡ホツマツタヱの完写本の著者であるとしたら、「秀真」という表題の読みに対応した『ホツマ』という文字の形に合致するストーリーを、和仁估安聡は一体、どのように創作したのであろうか?このようなパズルを内包する文書が、近世に創造された例があろうか?それは、大変考えにくいことである。ヲシテ文献においては、ヲシテの語義と文法上の機能が、ヲシテ文字の形が示唆する意味やイメージと関連し、説明可能となっている。こうした関係性が江戸時代に成立したと考えることは非常に難しい。

それと、この説は従来説(和仁估安聡説)が皮相的な理解に留まっていることをも意味している。[4]

ホツマツタヱの内容[編集]

あわうた
(小笠原長弘写本ハツアヤより)。全編がこのようなヲシテによる長歌で記述される。ヲシテの右にあるのは、伝承中に付加されたふりがな。

ホツマツタヱ』は、アメツチの始まり(天地開闢)から、カミヨ(記紀にいう神代)、そして初代人皇のカンヤマトイハワレヒコ(神武天皇)を経て人皇12代のヲシロワケ(景行天皇)の56年までを記述している。取り扱っている時代の構成はほぼ記紀と同様である[要出典]だが漢字文への翻訳に際しておおよそ半分程度の漏れが生じている[要出典]詳しく神代について言えば、約8割もの漏れが生じている[要出典]

1アヤから28アヤまでが前編で「クシミカタマ」の編集、29アヤから40アヤは後編で「オホタタネコ」の編著による。

記紀との大きな違いは、カミヨ(神代)の出来事は、天上の出来事ではなく、日本列島の上に実在の人物が、実在の場所で行った出来事として記述していることである[要出典]。つまり、皇室の祖先が8代アマカミのアマテルカミ(天照大神)や初代アマカミのクニトコタチまで遡る。また『ホツマ ツタヱ』で固有の哲学を述べている箇所は、記紀には該当箇所がほとんど無い、いわば漢字文への翻訳過程で翻訳削除されているという特徴がある[要出典]

『ホツマツタヱ』では、上記の歴史の他、ワカウタ(和歌)の成立、アワ歌という48音の基本音を表すウタおよび「縄文哲学」の詳しい記述、皇室の成立と歴史、結婚の法、イミナの意味、ミソキの方法、正しい食事の法、マクラ言葉(枕詞)の意味、刑罰の法、国の乱れの原因、国の意味、統治理念、ヲシテという文字のなりたち、ミクサタカラ(三種の神器)(タマ・カカミ・ツルキ)の成立と意味、トノヲシテと呼ばれる当時の憲法、国号の変遷、乗馬の法、各地の馬の品種、トリヰ(鳥居)の意味、自然神の祭祀、大宇宙とヒトの関係、暦の法、ヤマトウチ(神武東遷)の背景、天皇即位の儀式の変遷、ツツウタの意味、葬儀の法などが述べられている。

また、歴代の天皇のイミナ(実名)と陵墓、伊勢神宮他主要な神社の創建のいわれ、ヤマトコトハ(大和言葉)の語源なども述べられている。

真書であれば、日本の国の創建と古代日本の文明を明らかにする書物ということになる。 真書としての根拠の提示に、池田満は、『定本ホツマツタヱ』(松本善之助 監修、池田満 著、展望社)、および、『ホツマツタヱを読み解く』(池田満 著、展望社)、『ホツマ辞典』(池田満、展望社)などを出版して世に問うている。「縄文哲学」の言葉は、池田満の命名による。

完本として公開されている写本[編集]

  1. 和仁估安聡本(やすとし本) 40アヤの全巻あり
    滋賀県高島市、藤樹記念館にて保管
    漢訳文付本
    写本自序;安永4年・1775
    1992年発見
    『和仁估安聡本ホツマツタヱ』(わにこやすとしほん ほつまつたえ)として印影版が市販された。
    現在につたわり公開されている写本すべての親本。21アヤがカタカナ表記。28-41(4行)カタカナ表記。
  2. 小笠原長弘本(ながひろ本) 40アヤの全巻あり
    宇和島市、小笠原家所蔵
    写本時代、明治33年頃/1900頃
    1967年発見
    『覆刻版ホツマツタへ』として市販された。
    抜け行の多い写本。特殊ヲシテ表記が少ない。古い濁音表記が少ない。数詞ヲシテ(数詞ハネ)の表記が少ない。13アヤで8行、16アヤで8行の抜け個所あり。
  3. 小笠原長武本(ながたけ本) 40アヤの全巻あり
    16アヤまで:池田満保管 、17~40アヤ:宇和島市、小笠原家所蔵
    写本時代、明治期;1868〜1921
    数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。
  4. 内閣文庫所蔵本(小笠原長武写本) 40アヤの全巻あり
    国立公文書館、所蔵
    写本時代、明治期;1868〜1921
    国立公文書館で閲覧できる。
    小笠原長武本と同等。数詞ヲシテの表記が多い。13アヤで8行の抜け個所あり。

目録[編集]

和仁估安聡本(やすとし本) ホツマツタヱの目録 「ヲシテをカナに直したもの(と漢訳文)」 もともとの、『ホツマツタヱ』のフミ(書籍)の仕立て方は、巻子本であったと考えられる[要出典]時代の変遷に伴って写本が繰り返し行われて伝えられてくる過程で、今に伝わる最古の写本の、江戸時代の時には、冊子仕立ての写本にして伝えられた[要出典]その際に、箱に収める必要から、「天地人」の3箱にしたため、「アのヒマキ」などの名称が付されたと推定できる[要出典]。古い時代の、ヲシテ文献の成立時代には、アヤの番号での呼び名は「ふそむのあやに」(ホ0-18)の用例がある事から、アヤ番号は用いられていた事が判る。だが、「アのヒマキ」などの区分は、ヲシテ時代においておこなわれていたのかどうかは、根拠がない。

  • アのヒマキ(天の巻)
    • コトノベのアヤ        (序)
    • キツのナとホムシさるアヤ(1.東西の名と穂虫去るアヤ)
    • アメナナヨトコミキのアヤ(2.天七代、床御酒のアヤ)
    • ヒヒメミオうむトノのアヤ(3.一姫三男生む殿のアヤ)
    • ヒノカミのミズミナのアヤ(4.日の神の瑞御名のアヤ)
    • ワカのマクラコトハのアヤ(5.和歌の枕言葉のアヤ)
    • ヒノカミソフキサキのアヤ(6.日の神十二后のアヤ)
    • ノコシフミサガをたつアヤ(7.遺し文サガお絶つアヤ)
    • タマがえしハタレうつアヤ(8.魂返しハタレ撃つアヤ)
    • ヤクモウチコトつくるアヤ(9.ヤクモ撃ち琴つくるアヤ)
    • カシマたちツリタイのアヤ(10.鹿島断ちツリタイのアヤ)
    • ミクサゆつりみうけのアヤ(11.三種神器譲り、御受けのアヤ)
    • アキツヒメアマカツのアヤ(12.アキツ姫、天が児のアヤ)
    • ワカヒコイセススカのアヤ(13.ワカ彦、伊勢、鈴鹿のアヤ)
    • ヨツギのるノトコトのアヤ(14.世継ぎ告る祝詞のアヤ)
    • ミケヨロツなりそめのアヤ(15.御食、万、生成のアヤ)
    • はらみつつしむヲビのアヤ(16.胎み慎しむ帯のアヤ)
  • ワのヒマキ(地の巻)
    • カンカガミヤタのナのアヤ(17.神鏡八咫の名のアヤ)
    • ヲノコロとまじなふのアヤ(18.オノコロとまじなふのアヤ)
    • ノリノリヒトヌキマのアヤ(19.ノリノリヒトヌキマのアヤ)
    • スメミマゴトクサゑるアヤ(20.皇御孫十種神宝得るアヤ)
    • ニハリミヤノリさたむアヤ(21.宮造り法の制定のアヤ)
    • ヲキツヒコヒミツのハラヒ(22.オキツヒコ火水のアヤ)
    • ミハさためツルキナのアヤ(23.御衣定め剱名のアヤ)
    • コヱクニハラミヤマのアヤ(24.コヱ国ハラミ山のアヤ)
    • ヒコミコトチをゑるのアヤ(25.ヒコ命鉤を得るのアヤ)
    • ウカヤアヲイカツラのアヤ(26.ウガヤ葵桂のアヤ)
    • ミオヤカミフナタマのアヤ(27.御祖神船魂のアヤ)
    • キミトミノコシノリのアヤ(28.君臣遺し法のアヤ)
  • ヤのヒマキ(人の巻)
    • タケヒトヤマトうちのアヤ(29.神武大和討ちのアヤ)
    • アマキミミヤコトリのアヤ(30.天君、都鳥のアヤ)
    • ナヲリカミミワカミのアヤ(31.ナオリ神ミワ神のアヤ)
    • フジとアワウミミズのアヤ(32.富士と淡海瑞のアヤ)
    • カミあがめヱヤミたすアヤ(33.神崇め疫病治すアヤ)
    • ミマキのミヨミマナのアヤ(34.ミマキの御世任那のアヤ)
    • ヒボコきたるスマイのアヤ(35.ヒボコ来る角力のアヤ)
    • ヤマトヒメカミしつむアヤ(36.ヤマト姫、神鎮むアヤ)
    • トリあわせタチバナのアヤ(37.鶏合せ、橘のアヤ)
    • ヒシロノヨクマソうつアヤ(38.ヒシロの世、クマソ撃つアヤ)
    • ホツマうちツズウタのアヤ(39.ホツマ撃ち、つず歌のアヤ)
    • アツタカミヨをいなむアヤ(40.アツタ神、世をいなむアヤ)

関連書籍[編集]

  • 『記紀原書ヲシテ』(上・下) 展望社 2004 ※ヲシテ表記・フリガナなし・校異の脚注付き・写植活字組み版
  • 『定本 ホツマツタヱ』(池田 満=校訂・編集) 展望社 2002/03 ISBN 4885460867 ※ヲシテ表記・フリガナつき・校異の頭注付き・写植活字組み版
  • 池田 満『ホツマ辞典-漢字以前の時代へ-』 ホツマ刊行会・ 展望社 1999/06 ISBN 4885460190 出例個所の明示もしている。ヲシテ時代での語意の解説、系図の付録、年表の付録あり。
  • 池田 満・青木 純雄・平岡 憲人『よみがえる日本語-ことばのみなもと「ヲシテ」』明治書院 2009/05 ISBN 4625634075
  • 池田 満・青木 純雄・斯波 克幸『よみがえる日本語Ⅱ-助詞のみなもと「ヲシテ」』明治書院 2015/07 ISBN 4625634156
  • 松本善之助『「〔ホツマツタヘ〕」の成立〈本文篇 1〉』(「ホツマツタヘ」中の神武天皇 の記事を

「古事記」「日本書紀」 の同部分と比較して) ホツマツタヘ研究会 1973/08

  • 池田 満『「ホツマツタヱ」を読み解く―日本の古代文字が語る縄文時代』 展望社 2001/11 ISBN 4885460832
  • 池田 満『縄文人のこころを旅する-ホツマツタヱが書き直す日本古代史-』 展望社 2003/05 ISBN 4885460980

脚注[編集]

  1. ^ a b 1780年(安永9年)。溥泉(ふせん)『春日山紀』・序文「是れ時、安永庚子歳二月吉日」龍谷大学・大宮図書館蔵。 『ホツマツタヱ』自体の成立時期については、自序などからは、1~28アヤはクシミカタマの最終編纂(アスス50年)。29アヤ~40アヤはオオタタネコの最終編纂(アスス843年)。 ヲシテ文献の記述の終わってからの後の記年が記紀ともに不確かなために、詳細は不詳となる[要出典]
  2. ^ 塚原和俊 神代文字「漢字以前」に思いはせ 150人参加 高島 /滋賀 毎日新聞2016年12月1日 地方版
  3. ^ ヲシテ文字の形に意味やイメージが込められているとするヲシテ言語学は「秀真はヲシテ文字そのものの意味やイメージからすると全くの当て字であり、『ホツマ』の翻訳としては適当ではない。」としている[要出典]ヲシテ言語学は『ホツマ』を「文集纏」と意訳&漢訳し、『ホツマツタヱ』を「文集纏伝」と意訳&漢訳している。
  4. ^ a b ヲシテ言語学のソースは、池田 満・青木 純雄・斯波 克幸『よみがえる日本語Ⅱ-助詞のみなもと「ヲシテ」』明治書院 2015/07 ISBN 4625634156[要ページ番号]

関連項目[編集]