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ホツマツタヱ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ホツマツタヱ
内閣文庫本序文
著者不明(和仁安聡?)
出版日江戸時代?

『ホツマツタヱ』(秀真伝、秀真政伝紀)は、古史古伝のひとつである。40章から構成される長歌体の神話伝説集であり、「ヲシテ(ヲシデ、ホツマ文字)」と呼称される幾何学的神代文字で記述されている。いわゆる『ヲシテ文献(ホツマ文献)』のひとつであり、大三輪氏の祖とされる大田田根子に仮託されているが、実際の成立時期は江戸時代後期であると考えられている。 1966年に松本善之助によって再発見されて以降、同書が『日本書紀』『古事記』の下敷きとなった真書であるとする主張が生まれ、数百人規模の「研究会」が現れている。また、政治運動やスピリチュアリティの文脈で取り上げられる例もみられる。一方で、同書を偽書と位置づけた上で、近世思想史・近世文学の資料として扱う学術的な立場からの研究も進められている。

歴史

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成立の経緯と作者について

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吉田唯は、同書の成立を江戸時代後期にあたる安永年間(1772年 - 1781年)のことと推測している。これは、安永9年(1780年)に僧侶・溥泉が記した『春日山紀』(京都大学附属図書館所蔵)に、『ホツマツタヱ』の後世の写本と同様の記述が引用されているからである[1]。『春日山紀』を読む限り溥泉は真言宗の僧侶であるようであるが、彼の肩書は著作によって異なっており、吉田は「諸宗兼学であったとみるほうがよいのかもしれない」とまとめている[2]

日吉神社本『ホツマツタヱ』には『日本書紀』巻五に表れ、大三輪氏の祖とされる大田田根子によるとされる序が書かれている。また、同書の記述によれば、この写本はその子孫を称する人物である和仁安聡(和仁古安聡・和仁估安聡)こと井保勇之進が安永4年(1775年)に翻訳したものである[3]。1927年(昭和2年)に著された『高島郡誌』は、同人物について「横井川の山伏[4]」「本郡神社の由緒を偽作せり[5]」と記述している。原田実いわく、同書の記述からは、彼が同地において、沢田源内と並ぶ偽作常習者とみなされていたことがわかる[6]

現在の滋賀県高島市一帯には『和解三尾大明神本土記』『嘉茂大明神本土記』『太田大明神本土記』『子守大明神本土記』『三尾大明神略縁起』『万木森薬師如来縁起』など、『ホツマツタヱ』をはじめとするヲシテ文献と、用語・伝承に共通性がある寺社縁起が伝わっており、これらはいずれも安聡の作品とみられる[6]。藤原は、これらの縁起において賀茂阿志都彌神社を賀茂神社の元宮とする記述がみられること、安聡の家系(井保家)の先祖が比叡山目代井保坊という伝承があることから、叡山の記家による何らかの記述がこれらの文献の元になっている可能性、井保家が山門領において何らかの特権を維持すべく、こうした偽書を手掛けた可能性について論じている[7]。藤原によれば、安聡は漢訳をつけた『ホツマツタヱ』を、朝廷に献上しようとしたという。天明の大飢饉により安聡の継嗣が断絶すると、しばらく『ホツマツタヱ』は埋没する[8]

受容史

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天保元年(1830年)には、神道伝道のために京より近江を訪れた小笠原道当が、産所村の三尾神社に神宝として奉納された同書の存在を知り、借用を願い出た[9]。内閣文庫所蔵の同書写本は、天保14年(1843年)に道当によって記されたものである[3]。帰京後、通当は自らが神主をつとめる天道宮で『秀真伝』の注釈書『神代巻秀真政伝』10巻を著したほか、嘉永4年(1851年)に、京の書肆・山崎屋与兵衛より板行している[9]。室町期の連歌師である心敬は、歌論『ひとりごと』にて和歌の名門として知られる飛鳥井家冷泉家とともに小笠原家に触れている。吉田は、歌道の伝授に関わる家系が同書に関わっていたことは、『ホツマツタヱ』を読み解くうえでの手がかりのひとつになると論じている[10]。なお、藤原明は吉田の論に応答して、京都小笠原氏と小笠原道当の関連性は不明であるとして、同説への賛否を留保している[11]

平田篤胤は、文政2年(1819年)の『神字日文伝』「疑字篇」にて、これらの文献を記す際に用いられる文字であるヲシテについて、「土牘秀真文(はにふたほつまふみ)」「三笠山伝記」の名前で触れている[6]。明治には、小笠原通当の一族の子孫である長城・長武父子が、佐佐木信綱宛てに『ホツマツタヱ』を送り、宮中に同書を献上しようとしたものの、佐佐木により偽書として一蹴された。近代の超国家主義の風潮の中でも、同書が注目されることはほとんどなかった[8]

同書が再度脚光を浴びるのは、1966年(昭和41年)に松本善之助が古書店で『ホツマツタヱ』の一部を発見して以降である。松本は安聡の故地である安曇川や、小笠原家のある宇和島などに足を運び[6]、『ホツマツタヱ』の完本のほか、『太占(フトマニ)』や『三笠文(ミカサフミ)』といったほかのヲシテ文献の所在も確認する[6]。松本はこれらの文献こそが記紀の原典にあたるという確信のもと研究会を結成し、1980年(昭和55年)には、毎日新聞社より『秘められた日本古代史[ホツマツタヘ]』を刊行している[7]

内容

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同書は自序と40紋(章)から構成される[12]、五七調長歌体の叙事詩の体裁をとる神話伝説集である。全編が、「ヲシテ(ヲシデ、ホツマ文字)」と呼称される幾何学的神代文字で記述されている。同書の記述によれば、同書の編纂は東征の帰途に病没した日本武尊の遺言にもとづく、神代以来の政道の根本を伝えることを目的としたものであり、景行天皇が『香久御機』、中臣氏の祖・大鹿島が『三笠文』、大三輪氏の祖・大田田根子が『秀真伝』を著した。いわく、同書は田根子の祖父にあたる、大物主櫛甕玉命神武天皇の勅命により記し、アワの宮に奉納した神代以来の古記を下敷きにしている[13]

吉田によれば、『ホツマツタヱ』には和歌の起源や大祓など、近世の思想と密接に関わる思想についての記述があり、これらは「近世神話(cf. 中世神話)として解釈することが可能である[1]。たとえば、同書を含むヲシテ文献においては和歌がきわめて重要視されている[14]。『ホツマツタヱ』第1紋においては、和歌の神であるワカヒメの誕生から結婚までが描かれるほか、各種の枕詞の起源がイザナギ黄泉国帰りやワカヒメの事跡と紐づけられる[6]。また、同書においては「男女の道」であるところの「伊勢の道」が説かれる[15]。枕詞の神秘主義的解釈や「伊勢の道(cf. 伊勢物語髄脳)」といったトピックは古今伝授の秘教主義的解釈にみられるものでもある[15][6]。さらに、同書においては天照大神が男神であるとの記述があり、こうした記述も中世の書籍にはしばしばみられるものである[16]。原田は、『ホツマツタヱ』は歌学が特定の家系により伝授されるものでなくなった近世の時流を反映する、「全体を『歌』として構成した近世歌道書」として読み解くことができると述べている[6]

藤原は、『ホツマツタヱ』には『先代旧事本紀大成経』の影響が濃厚に見られると論じる[17]。『大成経』は延宝期に登場した偽書であり、『先代旧事本紀』の完本を謳って流布された。同書はまもなく偽作として禁書となったが、「記紀以前の書」を騙り、神代文字の存在についても説いた同書は近世日本の偽書一般に並々ならぬ影響を与えることとなった[18]。『ホツマツタヱ』序文には「当時『七家の記し文』が存在したが、誤りが多い」との記述があり、これは藤原いわく『大成経』に由来する記述である。また、伊雑宮が皇宮であったとの記述、始原の神をアメミオヤとする記述、面足尊の時に天が一度崩壊したとの記述、孝霊天皇の御製とされる和歌など、同書には『大成経』由来と思われる記述が各所に散らばっており、藤原は「このような顕著な類似からすると、『秀真伝』は『大成経』の派生本の一つとみてよいかも知れない」と延べている[17]

受容

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真書としての受容

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記紀で扱われる以前の「超古代史」を記したとされる書籍は、吾郷清彦・佐治芳彦といった論者によって「古史古伝」と称された[19]。吾郷は古史古伝を「古伝四書」・「古史四書」・「異録四書」・「古典四書」の4つに分類し、うち「古伝四書」に『ホツマツタヱ』を分類している。「古伝四書」には『上記』『カタカムナのウタヒ』『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』が分類される[20]。これらの論者は「古史古伝」を真書、あるいは偽書であるとしても、何らかの古伝承を含むものとして取り扱った。なお、原田実は古史古伝のより適切な定義づけとして、「記紀で神話とされている『神代』を歴史として扱った近世から近現代にかけての偽書の総称」というものを提示している[21]

藤原明は、2004年(平成16年)の『日本の偽書』において、「近年『東日流外三郡誌』真贋論争の影響もあってか、超古代史関係の真書説の言説が静穏になりつつある中、『秀真伝』真書論者のみが目立っている」と論じている[7]。『産経新聞』の取材によれば、同書の研究会は東京・滋賀・岩手・徳島など全国数十か所にあり、数百人が所属する。2016年に高島市で開かれた、同書の発見50周年を記念した全国フォーラムには、400人が集まった[22]

『ホツマツタヱ』は、しばしば政治運動やオカルト疑似科学の文脈でも取り上げられる[23]。吉田は「YouTubeで『神代文字』と入力すると、神代文字の書き方講座や神代文字に音をつけて歌う人の動画が数多くヒットする」と、同書に掲載される和歌である「アワウタ」がスピリチュアルなかたちで受容されていることに触れている[1]

偽書としての研究

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『ホツマツタヱ』の研究は従来神代文字を信奉する在野の研究者によって手掛けられており、これを偽書としたうえで研究した者は原田実・藤原明などわずかにとどまった[1]。吉田唯は、ヲシテ文献にみられる神道教説や古代史解釈を、近世思想史・近世文学の資料として取り扱っている[6]。藤原は、吉田の研究がこれまで真贋二元論にとどまっていた同書の研究を転回させ、川平ひとしによる中世偽書の研究のようなアプローチに近づけるものであると評価しつつも、文献の取扱に一部問題があるとも指摘している[31]

吉田は『ホツマツタヱ』をふくむ神代文字研究の現状の問題点として、現在においても熱狂的な信奉者がいるゆえのデリケートさ、信奉者でないものが史料そのものにアクセスすることの困難さ、研究者の少なさを挙げている[1]

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d e 吉田唯「神代文字の時空間 : 古代への幻想と国粋主義者たち」『ユリイカ』第52巻第15号、青土社、2020年12月、99-106頁、ISBN 978-4791703944 
  2. ^ 吉田 2018, No.129/1341.
  3. ^ a b 吉田 2018, No.157/1341.
  4. ^ 滋賀県高島郡教育会 1927, p. 163.
  5. ^ 滋賀県高島郡教育会 1927, p. 2.
  6. ^ a b c d e f g h i 原田実「歌道とかかわりのある偽書 ──「鵜鷺系偽書」「ヲシテ文献」」『偽書が揺るがせた日本史』(kindle)山川出版社、2020年3月25日、72-80頁。ISBN 978-4634151635 
  7. ^ a b c 藤原 2019, p. 107.
  8. ^ a b 藤原 2019, pp. 105–106.
  9. ^ a b 藤原 2019, p. 105.
  10. ^ 吉田 2018, No.179–195/1341.
  11. ^ 藤原 2019, p. 175.
  12. ^ 吉田 2018, No.155/1341.
  13. ^ 藤原 2019, pp. 104–105.
  14. ^ 吉田 2018, No.421/1341.
  15. ^ a b 藤原 2019, p. 111.
  16. ^ 藤原 2019, pp. 110–111.
  17. ^ a b 藤原 2019, p. 150.
  18. ^ 藤原 2019, pp. 130–149.
  19. ^ 原田 2020, p. 59, 62.
  20. ^ 吉田 2018, No.22/1341.
  21. ^ 原田 2020, pp. 63–64.
  22. ^ 産経新聞 (2016年12月16日). “【関西の議論】日本最古?の神話「ホツマツタヱ」とは…古事記、日本書紀より古い?学界は疑問視も愛好家の研究盛ん(1/2ページ)”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年12月6日閲覧。
  23. ^ a b 左巻健男鈴木エイト藤倉善郎(編)『カルト・オカルト 忍びよるトンデモの正体』あけび書房、2022年12月9日、77-82 雨宮純「第9章:参政党とオカルト・疑似科学」頁。ISBN 978-4871542241
  24. ^ ホツマツタヱ基礎講座〜日本人の誇りを取り戻す為に〜”. 参政党 (2023年11月26日). 2025年6月23日閲覧。
  25. ^ 他党とは違う組織づくり!参政党の目指す先とは〜後編〜|神谷宗幣”. 参政党 (2023年11月9日). 2025年6月23日閲覧。
  26. ^ 『天御祖神の降臨:古代文献「ホツマツタヱ」に記された創造神』大川隆法、幸福の科学出版、2019年1月31日
  27. ^ 『映画「愛国女子—紅武士道」公式ガイドブック』総合プロデューサー:大田薫インタビュー p57
  28. ^ a b 反ワクチン陰謀論団体のイベントを県や市が後援、総務政務官など議員の登壇も」やや日刊カルト新聞、2023年2月22日。2023年2月22日閲覧
  29. ^ 2023年2月19日(日) みんなで学ぼう 講演会」みんなで学ぼう会。2022年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月22日閲覧
  30. ^ イベント後援のつくば市が反ワクチン・反マスク団体に「注意」」やや日刊カルト新聞、2023年3月2日。2023年3月3日閲覧
  31. ^ 藤原 2019, p. 174.

参考文献

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