アインシュタインの予言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

アインシュタインの予言(アインシュタインのよげん)は、アルベルト・アインシュタインの発言として流布されている約300文字程度の言葉である。「近代日本の驚くべき発展」を賞賛し、「来たるべき世界政府の盟主は日本が担うことになるであろう」と予言している。さらに、「そのような尊い国を作っておいてくれたことをに感謝する」と続く。

ドイツ文学研究者の中澤英雄は、2005年平成17年)に「アインシュタインがこのような趣旨の発言をした例は一例も存在しない」とする論証を提出した[1][2][3][4]

概要[編集]

この文章の初出は明確ではないが、1950年代に遡ることができる。以降書籍雑誌引用・再引用が繰り返され、インターネットの普及後はウェブ上の記事においても多数引用されている。度重なる引用と孫引きによって、文章が一部抜け落ちていたり、一部の語句が書き換えられていたりと、現在様々なバージョンが流布しているが、大筋では大同小異である。以下に典型例の一つを挙げる[2][5]

近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る。
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない。
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。

この言葉は「日本人愛国心をくすぐる内容」と宣伝され、再三に渡って引用されており、古いものでは今村均1956年昭和31年)の著書『祖国愛』に、また、名越二荒之助1977年(昭和52年)の著書『新世紀の宝庫・日本』においても存在が確認できる[2]。最近のものでは、2005年(平成17年)の『世界の偉人たちが贈る日本賛辞の至言33撰』で紹介されている[6]。しかし、この文章の出典とされる雑誌『改造1922年(大正11年)12月号(アインシュタイン特集号)には、該当の文章は存在しない。

偽書説[編集]

2005年(平成17年)、ドイツ文学研究者の中澤英雄東京大学教授(当時)は、この発言がアインシュタインのものであるという確定的な典拠は存在せず、またアインシュタインの思想とは矛盾する内容であると発表した。中澤は、この「予言」の原型を宗教家田中智學1928年(昭和3年)に著した本『日本とは如何なる國ぞ』の一節であると指摘した[1][2][3][4]。以下にそれを記す。

高崎正風氏が特に私に傳言して呉れと話された談に、曾て海外へ派遣された海江田子爵丸山作樂氏を伴れて獨逸のスタイン博士を訪問した時、スタイン博士が、日本の歷史を訪ねられた所から、丸山氏は得意に日本開闢以來の歷史を要説して、日本君民の狀況を話したら、博士は非常に驚いて、

『どうも日本といふ國は、舊い國だと聞いたから、これには何か立派な原因があるだらうと思ツて、これまで訪ねて來た日本の學者や政客等に就いてそれを訊ねても、誰も話してくれない、私の國にはお話し申す樣な史實はありませんとばかりで、謙遜ではあらうが、あまりに要領を得ないので、心ひそかに遺憾におもツて居たところ、今日うけたまはツて始めて宿年の疑ひを解いた。そんな立派な歷史があればこそ東洋の君子國として、世界に比類のない、皇統連綿萬世一系の一大事蹟が保たれて居るのである、世界の中にどこか一ケ所ぐらゐ、爾ういふ國がなくてはならぬ、トいふわけは、今に世界の將來は、段々開けるだけ開け、揉むだけ揉んだ最後が、必ず爭ひに疲れて、きツと世界的平和を要求する時が來るに相違ない。さういふ場合に、假りに世界各國が聚ツて其方法を議するとして、それには一つの世界的盟主をあげようとなツたとする、扨ていかなる國を推して「世界の盟主」とするかとなると、武力や金力では、足元から爭ひが伴う、さういふ時に一番無難にすべてが心服するのは、この世の中で一番古い貴い家といふことになる、あらゆる國々の歷史に超越した古さと貴さを有ツたものが、だれも爭ひ得ない世界的長者といふことになる、そういふものが此の世の中に一つなければ世界の紛亂は永久に治めるよすがゞない。果して今日本の史實を聞いて、天は人類のためにかういふ國を造ツて置いたものだといふことを確め得た』

と言はれて、大層悅ばれたといふ事で、子爵が歸朝早々葉山なる高崎氏を尋ねて話されたといふことで、それを高崎氏の知人なる吾が門人某に托して私に傳へられた。私はこれを聞いて、左もこそと思ツた。 — 田中巴之助田中 1928, pp. 30 f.

ただし、田中はこの言葉を大日本帝国憲法制定に大きな影響を与えたドイツ人法学者ローレンツ・フォン・シュタインの発言として紹介しており、「予言」はアインシュタインのものではないとされている。

中澤は「シュタイン」と「アインシュタイン」という名前の類似性から、流布の過程ですり替わってしまったとし、また内容的にシュタインの思想とも食い違っており、シュタインの発言ではなく、田中による創作であると考察した。つまり、田中がシュタインを狂言回しに自らの思想を語ったものであり、それに細部の改変が加えられて「アインシュタインの予言」となり、現在に流布したのであると論証した。

この「予言」がアインシュタインのものではないという話は、2006年(平成18年)6月7日付の『朝日新聞』でも取り上げられ、中澤は「海外からみたらアインシュタインをかたってまで自国の自慢をしたいのかと、逆に日本への冷笑にもつながりかねない事態」と語っている[6]。また、アインシュタイン研究を行っている板垣良一東海大学教授(物理学史)は、「アインシュタインはキリスト教徒でもユダヤ教徒でもなく、にこだわらない人だった[7]」とした上で、彼が残した日記や文献の上でも日本の天皇制に言及したものはなく、この発言を「アインシュタインのものではない」と断言している[6]。またアインシュタインは、「私にとって神という単語は、人間の弱さの表現と産物以外の何物でもない。聖書は尊敬すべきコレクションだが、やはり原始的な伝説にすぎない。」「ユダヤ教は、ほかのすべての宗教と同様に、最も子どもじみた迷信を体現したものだ。私もユダヤ人の1人であり、その精神には深い親近感を覚えるが、ユダヤ人はほかの全ての人々と本質的に異なるところはない。私の経験した限り、ほかの人間より優れているということもなく、『選ばれた』側面は見当たらない」とも書き残しており、信じてもいない神に感謝することなどありえない[8]

また、原田実トンデモ日本史の真相』では、ここに収録された『予言』とほぼ同じものが、大本教の教義解説書『大本のしおり』1967年(昭和42年)刊に、「スタイン博士」の言葉として見られると指摘している[9]

もう一つの「アインシュタインの予言」[編集]

第二次世界大戦では原子爆弾が兵器として利用されましたが、第三次世界大戦が起こったら、どのような兵器が使われると思いますか?」というインタビューを受けたアインシュタインが「第三次世界大戦についてはわかりませんが、第四次大戦ならわかります。石と棍棒でしょう。」と答えたというもの[10][11]。これは「予言」というよりはむしろ、第三次世界大戦は全面核戦争である故、人類文明の崩壊は必然であるという「警句」である。

脚注[編集]

  1. ^ a b 中澤英雄 2005a.
  2. ^ a b c d 中澤英雄 2005b.
  3. ^ a b 中澤英雄 2005c.
  4. ^ a b 中澤英雄 2005d.
  5. ^ 原文は、河内正臣 『真実のメシア=大救世主に目覚めよ!』 山手書房新社、1992年(平成4年)11月、66頁。ISBN 4-8413-0074-0
  6. ^ a b c 朝日新聞 2006.
  7. ^ 例えば、1926年12月にマックス・ボルンへの手紙の中で量子力学確率による世界観(不確定性原理)を批判する文": Der Alte würfelt nicht." は日本では和訳「神はサイコロを振らない」で広く知られているが、これも厳密には正確でなく、: Alte(古きもの)という言葉に神という訳語を当てて意訳したものである。
  8. ^
  9. ^ 原田 2007 p.213には、『世界の盟主』と題する別バージョンの『予言』も収録されている。
  10. ^ Calaprice, Alice (2005). The new quotable Einstein. Princeton University Press. p. 173. ISBN 0-691-12075-7 
  11. ^ The culture of Einstein”. MSNBC (2005年4月19日). 2012年10月6日閲覧。

参考文献[編集]

関連書籍[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]