ブント (市民団体)

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ブント(BUND)ドイツ語で「同盟」を意味し、日本の新左翼団体名では以下で使用されている。

  • 1958年に結成された共産主義者同盟(一次ブントおよび二次ブント)
  • 1997年に結成された市民団体(上記の二次ブントの分裂後に結成された「戦旗・共産主義者同盟」が改称した団体。現「アクティオ・ネットワーク」。以後、当記事ではこの市民団体について記載する。)

概要[編集]

ブントは市民団体で元新左翼党派。1997年に「戦旗・共産主義者同盟」(日向派、荒派)がブントと改称し誕生した。その際「ブントのマニフェスト」が発表されて共産主義革命と武装闘争路線を放棄し、自由主義を認めたうえでの社会変革と環境革命が掲げられた。ワークショップやフィールドワーク、コンサートの開催など、他の新左翼党派には見られない活動をしており、若手の獲得にも成功している[1]

2008年1月、臨時総会で組織名称を「アクティオ・ネットワーク」に変更。Actioとはラテン語で「活動」を意味する。アクティオ・ネットワークは、「党派」ではなく、各地域の社会運動団体からなるネットワークであると自己規定している。

公安警察は現在も前身である共産主義者同盟と同じく極左暴力集団とみなしており、アクティオ・ネットワークはこれに抗議している。

前身団体の戦旗・共産主義者同盟時代に、1971年の日石本館地下郵便局爆破事件・土田邸小包爆弾事件を起こしたとする書籍が出されている[2]

組織[編集]

  • 代表:年次総会で2名の共同代表理事を選出
  • 機関紙誌:Actio
  • 活動拠点:アクティオ編集部(東京都台東区

年表[編集]

  • 1995年1月 共産主義者同盟が機関紙の「戦旗」を「SENKI」と改称[3]荒岱介代表。
  • 1997年3月 共産主義者同盟が名称をブント(BUND)に変更[4]。「ブントのマニフェスト」を発表し共産主義を放棄、環境派へのシフトが行なわれる。
  • 1997年7月 ファシストを自称する元活動家、佐藤悟志に対し、数名の現役活動家がロフトプラスワンで殴る蹴るの暴行を加えた[5]。ブントは、それ以前に「殴り合い」があり、当日は構成員が「個人的憤激」から殴りかかったものであり組織的なものではないとしている[6][7]。また、2000年6月にも佐藤に対して同じ場所で再び集団暴行を加えた[8]。これもまたブントは「眼鏡を割られて」「思わず手か足を出した」ものであるとしている[9]。さらに、2001年10月には、ブントの参加した集会会場入り口付近に現れマイク情宣を始めた佐藤のマイクコードをひきちぎったとして、構成員が器物損壊罪に問われた[10][11]
  • 2007年5月 荒代表辞任。総会で水澤努を新代表選出。
  • 2007年5月 総会で機関紙名の表題をSENKIからActio(アクティオ)に変更。
  • 2008年1月 臨時総会で組織名称を「アクティオ・ネットワーク」に変更。
  • 2009年9月、Actio2009年10月号から発行主体が「一般社団法人アクティオ」に変更された[12]
  • 2010年5月 総会でアクティオ・ネットワークの組織的解消と一般社団法人アクティオへの移行を決定。
  • 2011年8月 事務所を埼玉県蕨市から東京都台東区に移転。
  • 2012年5月 水澤努が代表を辞任し共同代表制に移行。 

出典[編集]

  1. ^ 本橋信宏『悪人志願』メディアワークス、1999年、191頁
  2. ^ 中島修『40年目の真実―日石・土田爆弾事件』創出版、2011年
  3. ^ 『SENKI』発行の歩み”. ブント. 2007年8月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月29日閲覧。
  4. ^ ブント(BUND)とは”. ブント. 2007年9月6日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年7月29日閲覧。
  5. ^ いいだもも蔵田計成『検証内ゲバ Part2』社会批評社、2003年、245頁
  6. ^ [1]
  7. ^ [2]
  8. ^ 『検証内ゲバ Part2』249頁
  9. ^ [3]
  10. ^ [4]
  11. ^ 『検証内ゲバ Part2』255頁
  12. ^ エコ&ピース月刊誌Actio 2009年10月号(1295号)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]