京成スカイライナー放火事件

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放火された車両と同形のスカイライナー用車両
放火された車両と同形のスカイライナー用車両
場所 日本の旗 日本 千葉県印旛郡酒々井町津田沼検車区宗吾支区(現・宗吾車両基地)
座標
日付 1978年昭和53年)5月5日
3時30分頃 (日本標準時)
概要 鉄道車両放火事件。
原因 新空港国際空港(現成田国際空港)に対する反発
攻撃手段 時限発火装置による放火。
犯人 革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)

京成スカイライナー放火事件(けいせいスカイライナーほうかじけん)とは、1978年(昭和53年)5月5日千葉県印旛郡酒々井町で発生した放火テロ事件。日本の新左翼革命的共産主義者同盟全国委員会(中核派)が起こした事件である。

事件の概要[編集]

1978年(昭和53年)5月5日午前3時30分頃、千葉県印旛郡酒々井町の京成電鉄津田沼検車区宗吾支区(現・宗吾車両基地)から火の手が上がっているのを帰宅途中の通行人が発見し、110番通報した。

直ちに消火に努めたが火の勢いが強く、検車区内にあった「スカイライナー」用車両(AE車)のAE30編成4両が全半焼した。全焼したAE29号は廃車となり、すぐに2代目AE29号が新製された。

その後の調べで、全焼した車両(AE29号)の中から乾電池ぜんまいが発見された。また中核派を名乗る者より犯行声明が出されたことから、公安警察は時限発火による中核派のテロ装置事件と断定した。

日本国有鉄道の場合、独自の警察組織である鉄道公安が存在し、実際にこの年の3月から警備活動を実施していたが、私鉄の京成電鉄にはそのようなものはなく、夜の検車区はほとんど無防備状態であった。

影響[編集]

この放火が原因で、京成電鉄は「スカイライナー」の運行計画を見直し、新東京国際空港との5往復を、当面の間減便する方策を採らざるを得なかった。当時の運転課長である藤井浩二は「最も影響が出にくい方法としてこの策を採った」と鉄道ピクトリアル2007年3月臨時増刊号で語っている。またこの事件とは別に、1978年(昭和53年)5月19日にも、京成本線5ヶ所で同時多発列車妨害が発生している。

参考文献[編集]

  • 『千葉日報』1978年5月7日朝刊
  • 『京成電鉄85年の歩み』
  • 『鉄道ピクトリアル』2007年3月臨時増刊号 京成電鉄特集(電気車研究会)記事「京成の列車ダイヤに取り組んだ日々」

関連項目[編集]