外務省審議官実父宅放火殺人事件

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外務省審議官実父宅放火殺人事件(がいむしょうしんぎかんじつふたくほうかさつじんじけん)とは1991年9月に発生した事件。

概要[編集]

1991年9月4日午前5時頃、東京都大田区で元千葉工業大学講師(当時82歳)の家が全焼し、就寝していた元講師と妻(当時81歳)が全身やけどで重傷を負う事件が発生。

9月6日中核派の機関紙から「埼玉県新座市陸上自衛隊朝霞駐屯地内の2カ所、横浜市成田空港建設関連企業役員宅と独身寮[1]と東京都大田区の堤功一外務省大臣官房審議官宅の同時5箇所を狙った同時爆弾テロである。天皇皇后ASEAN諸国歴訪を取り仕切る外務省大臣官房審議官堤功一宅を狙った」とする犯行声明が出た。その後の捜査で、焼け跡から時限式発火装置の燃えカスが発見された。発火装置は家屋の最も燃えやすい場所に仕掛けられ、更にタオルやぼろ布を敷くなどの手口で燃焼効果を高めていたという[2]

堤の自宅は隣の家屋であり、この事件は誤爆であった。また、そもそも狙われた堤は天皇皇后のASEAN諸国歴訪とは何の関係がないことが判明し、二重の意味で誤爆であった。

9月27日、元講師は多臓器不全で死亡。元講師妻も肺炎敗血症で翌1992年3月19日に死亡。

中核派の幹部である北小路敏は1991年10月13日の集会で、この事件について「誤爆ではない」「罪を問われる人の自宅を攻撃対象にする以上、すれすれの問題だから仕方がない。家族にも半ば責任はある」[2]と開き直る言葉を報道陣に返した。

中核派の機関紙が自認する犯行であったが犯行の詳細がわからず、2006年9月に公訴時効が成立した。

脚注[編集]

  1. ^ 標的となったのは、梓設計の常務宅車両及び日揮大倉山寮。(立花書房編『新 警備用語辞典』立花書房、2009年、463-688頁。)
  2. ^ a b 『平成4年 警察白書』「第7章 公安の維持」”. 警察庁. 2017年12月5日閲覧。

関連項目[編集]