法政大学文化連盟

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中核派の集会で演説を行う活動家(2009年6月14日 代々木公園にて)

法政大学文化連盟(ほうせいだいがくぶんかれんめい、1959年 - )は、法政大学で創立されたサークル連盟であった。しかしながらここで取り上げる「文化連盟」は新左翼学生運動団体として法政大学学友会の本部団体の1つではなくセクトの影響下にあり、無期停学中法政大学学生1名[1]のほか学外の中核派全学連構成員で組織されている。過去存在した学友会費を分配する目的で設立された法政大学文化連盟とは別の組織であり今日の活動趣旨とは異なる[2]。また、法政大学を名乗っているが過去現在において法政大学とは関係ない団体であり[3]、中核派全学連の一派と見做されている[4]。社会科学研究会等他の名称を名乗る事もある[5]

概要[編集]

1959年にサークル連合として設立された[6]。1968年に学生会館設立要求書を作成・提出した団体のひとつである。ノンセクト系系が第一文化連盟(一文連)・第二文化連盟(二文連)執行部を握り、法政大学全共闘として活発な活動を行ってきた。80年代には、セクト党派と距離をおきつつ、サークル闘争委員会などとして、他の学友会団体とともに町田移転反対闘争、学費値上げ阻止闘争などを担った。

革共同海老原事件を契機とした当局ロックアウト体制の実施[編集]

1970年、中核派による革マル派海老原殺害事件が起きた際、被害者をリンチし殺害した場所が法政大学構内であったため[7]、大学当局は学園管理の責任を問われることとなった[8]。その後、国からの通達もあり[9]大学当局は、殺害現場となったサークルボックスのある六角校舎を解体するとともに、夜間休日学生立ち入り禁止など「三条件六項目」によるロックアウト体制を実行、本校地区全体を取り囲む鉄柵を設置した。

学館(学生会館)闘争と日共=民青6.19武装襲撃[編集]

黒ヘルノンセクト系の法大全共闘は、サークルボックスを含む学生会館建設に当たって「三条件六項目体制解体・学館自主管理」を掲げ[10][11]、一文連のサークル共闘会議など、法政大学全共闘の主力を担っていった。また、当時62年館(市ヶ谷地区 現市ヶ谷田町校舎)を拠点にしていた日共系が運営に当たっていた生協について、学生会館学生連盟総会で学館から排除を決めたたことに対して、1973年6月19日夕刻から、九段会館で開催された不破哲三の集会に集まった民青部隊と本校58年館835教室に潜入していた民青部隊が、本校防衛に当たっていた法大全共闘と正門と55・58年館前などで激突、竹ヤリ、投石によるゲバルト戦を繰り広げたため、本校キャンパスはロックアウトされ、飯田橋市ヶ谷一帯は出動した警視庁麹町署機動隊によって厳戒下に置かれた。その後、法大全共闘によって、一文連サ共闘など多くのサークル員が参加した数次の泊まり込みによる夜間ロックアウト粉砕・三条件六項目解体闘争が行われてきたが[12]、1973年11月14日、自治会・サークル員を中心に泊まり込み闘争に決起、70数名の逮捕者を出し[12]一気に闘いの高揚期を迎え、その後の大衆的実力闘争を担う法大学館闘争の主導権を握った。これらの闘争によって、翌74年、学生会館学生連盟を主体とした、学館の学生自主管理が実現した。

町田移転阻止闘争、学費値上げ阻止闘争[編集]

対革マル戦争を終息させた中核派が法大に戻り、サークル員を含む黒ヘル系法大全共闘を暴力を以て排除した。 その後、1980年代に入り、学生会館を自主管理する学友会各学生団体により、社会学部等の町田市移転反対闘争、学費値上げ反対闘争が闘われた。その主力を担ったのは、政治セクトからは一定の距離を置く「黒いヘルメットと白衣」の集団であった。

00年代以降[編集]

当時の学生が主体となって策定した公認サークル制度が始まり、この学生の中の女子が文化連盟に怖い思いをさせられながら泣いて文化連盟を説得した。これより以前においても公認制度が存在せず非公認であったが、制度発足のため2008年に非公認となる。この決定を一方的であるとした文化連盟は不満を表明、過激な抗議運動を行い、その過程で授業妨害や器物損壊など多数の犯罪を行ったとして、公安警察により構成員が逮捕されるに至っている。法政大学以外の学生が多数加わっており[13]、現在は市ヶ谷キャンパス周辺において、中核派系全学連とともに活動している。

現状と学内の反応[編集]

法政大学国際文化学部四年に在籍する男性学生1名 武田雄飛丸(無期停学中)がメンバーに加わっており団体が法政大学を名乗る根拠となっている[14]。現在も授業妨害、講演会の妨害活動や教職員に対する侮辱的な発言を繰り返して行っており、学内の学生からは『妨害された』『集中できなかった』などの授業アンケートの回答があり、「プロの活動家の妨害もあり大変残念であった。学問の自由との兼ね合いもあり難しいだろうが、厳しい対策がとれないものかと感じた」という批判的な反応が大勢である[15]

組織[編集]

団体の賛同人には、松本哉鈴木邦男塩見孝也早見慶子外山恒一矢部史郎吉田一郎中川文人井土紀州などが名を連ねている[16]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ http://dougakukai.blog.fc2.com/blog-entry-262.html
  2. ^ 法政大学 一連の事件の経緯について 2009.05.29
  3. ^ 法政大学広報課Twitter 2015.08.06
  4. ^ 全学連(全日本学生自治会総連合)ホームページ 2014.06.08
  5. ^ http://08bunren.blog25.fc2.com/blog-entry-719.html
  6. ^ 法政大学文化連盟ホームページ
  7. ^ 朝日新聞 1970年8月12日 夕刊9頁 「法・慶両大学を捜索 地下室に人血反応 法大構内事件との関連を追及」
  8. ^ 朝日新聞 1970年8月16日 朝刊22頁 「文部省 法大総長から事情聞く 東教大生殺人事件」
  9. ^ 朝日新聞 1970年8月18日 東京/夕刊1頁11段 「内ゲバ対策に大学管理強化 文相語る 学生運動」
  10. ^ 朝日新聞 1973年1月31日 朝刊23頁 「黒ヘル乱入 三人が重傷 法大で内ゲバ 大学紛争」
  11. ^ 朝日新聞 1973年6月20日 朝刊23頁 「黒ヘル、学生集会を襲う 自治会系の50人重軽傷 法大紛争」
  12. ^ a b 朝日新聞 1973年11月14日 夕刊10頁 「覆面学生座り込む 法大73人逮捕 法大紛争」
  13. ^ 法政大学 4月24日の事件について 2009.04.30
  14. ^ 法政大学文化連盟ブログ
  15. ^ 「死ね!」「アホ!」-法政大活動家の訴訟で飛び交う怒号 中核派系支援者に順法精神なし 廊下でも罵声浴びせ… 産経新聞 2015年7月16日 2015年7月17日閲覧
  16. ^ 法政大学文化連盟賛同人

外部リンク[編集]