イアン・ギラン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
イアン・ギラン
Ian Gillan
Deep Purple - inFinite - The Long Goodbye Tour - Barclaycard Arena Hamburg 2017 22.jpg
ディープ・パープル - ドイツ・ハンブルク公演 (2017年3月)
基本情報
生誕 (1945-08-19) 1945年8月19日(75歳)
出身地 イングランドの旗 イングランド ロンドン
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
ブルースロック
プログレッシブ・ロック
職業 ボーカリスト
作詞家
活動期間 1965年 - 現在
共同作業者 The Javelins
エピソード・シックス
ディープ・パープル
イアン・ギラン・バンド
ギラン
ブラック・サバス
ギラン=グローヴァー
WhoCares
公式サイト http://www.gillan.com/jp-ra.html Ian Gillan - Caramba!

イアン・ギランIan Gillan1945年8月19日 - )は、イギリス出身のロックボーカリスト。身長185cm。

ハードロック・バンド「ディープ・パープル」のメンバーとして知られる。2016年、同バンド名義でロックの殿堂入り[1]

来歴[編集]

ディープ・パープル時代 (1972年)
ギラン時代 (1983年)

イギリスロンドン市ハウンズローにてスコットランド系の家庭に産まれる。少年時代にエルヴィス・プレスリーに憧れたのがきっかけで1962年にガース・ロケット・アンド・ザ・ムーンシャイナーズというアマチュア・バンドを結成し音楽活動を始めた(当初ボーカルとドラムを兼任していたが、程なくしてボーカル専任になる)。その後、セミプロ・バンドのザ・ジャヴェリンズを経て、1965年にプロ・バンドのエピソード・シックスに参加する。

ディープ・パープル[編集]

1969年、同じエピソード・シックスのメンバーだったロジャー・グローヴァーと共に第2期ディープ・パープルメンバーとして加入、ボーカルとパーカッションを担当する。ブルースをベースに金切り声を立てる独特のボーカル・スタイルは後のヘヴィメタルボーカリストにも大きな影響を与える。なお、彼の在籍した期間に『イン・ロック』、『ファイアーボール』、『マシン・ヘッド』、『紫の肖像』のスタジオ・アルバムの他、1972年の初来日公演を収録した『ライヴ・イン・ジャパン (ディープ・パープルのアルバム)』を残している。1973年の日本公演後脱退。

ジーザス・クライスト・スーパースター[編集]

1970年にはミュージカルの鬼才ティム・ライス作詞、アンドリュー・ロイド・ウェバー作曲でイエス・キリストの最後の7日間を描いたミュージカル「ジーザスクライスト・スーパースター」のオリジナル・キャストの主人公イエス・キリスト役として、イボンヌ・エリマンらとともにアルバムの録音に参加している。この2枚組LPは1971年のビルボード年間アルバム部門で1位となる大ヒットとなり、ニューヨーク・ブロードウェイでの舞台化に繋がった (イアン・ギランはミュージカルの舞台には出ていない)。また、1973年の映画化に際しては主演での起用依頼もあったがディープ・パープルのツアー・スケジュールを優先するためにマネージメントが断っている。

イアン・ギラン・バンド - ギラン[編集]

ディープ・パープルを離れてからモーター・サイクルとホテルの多角経営で音楽ビジネスから退き、1975年ロジャー・グローヴァー主催によるバタフライ・ボールのコンサートで復帰を果たす。1976年からイアン・ギラン・バンドで音楽活動を再開、即興的な音楽からの影響を導入しディープ・パープルとは趣の異なるジャズ・ロック・スタイルが日本では人気を博すものの、イギリスではオールド・スクールの音楽は評価されずに一旦解体し、新たな編成によるギランを結成する。

グルジアで妻ブロンと結婚式 (1990年)
ファンとのショット (2005年)

ブラック・サバス[編集]

1983年、突如ブラック・サバスに加入してアルバム『悪魔の落とし子』を制作。プロモーション・ツアーを行いアンコールに「スモーク・オン・ザ・ウォーター」を歌ったが、これがファンやプレスから「パープル・サバス」と揶揄される事態に陥り、正当な評価は殆ど得られなかった。結局、1984年4月にディープ・パープル再結成のためにグループから離れた。

再結成ディープ・パープル[編集]

1984年の再結成ディープ・パープルに参加、アルバム『パーフェクト・ストレンジャーズ』を制作。1989年にブラックモアの意向により解雇され、1992年のアルバム『紫の聖戦』のレコーディング中に復帰するが、ブラックモアが納得できるボーカル・パフォーマンスに達しなかった。が、そのまま『紫の聖戦』が見切り発車的に発売されてしまった。グループ結成25周年記念の1993年にギランの復帰に反対していたブラックモアが脱退した後、1994年スティーヴ・モーズを迎えて以降バンドの状態は良好で現在までメンバーとして活動している。

2000年代のソロ活動[編集]

2006年には、歌手生活40周年を記念したセルフ・カヴァー・アルバム『ギランズ・イン』をリリース。また、同年発売のXbox 360用ソフト『ブルードラゴン』の挿入歌「Eternity」の歌手として参加し(「植松伸夫 with イアン・ギラン」名義)、同作のボス戦BGMとして使用されている。

WhoCares[編集]

2011年には、ブラック・サバスのトニー・アイオミとともに、アルメニア大地震の被害を受けた音楽学校の再建を目的としたチャリティ・プロジェクト「WhoCares」を結成。これにはディープ・パープルの盟友のジョン・ロードに、リンデ(HIM)、ニコ・マクブレインアイアン・メイデン)、ジェイソン・ニューステッド(元メタリカ)らも参加。シングル「Out of My Mind / Holy Water」を発表。

その他[編集]

  • 一番好きなボーカリストとして第1期ディープ・パープルロッド・エヴァンスを挙げている。
  • リッチー・ブラックモアとは犬猿の仲として知られているが、かつてはロニー・ジェイムス・ディオ脱退後のレインボーに加入を打診されたこともある。ブラックモアとギランは酒の席で話をしたため、うやむやな雰囲気の中、話は流れた。
  • エピソード・シックス時代、最初の結婚と離婚を経験している。
  • 現在の妻(ブロン)との間に娘(グレース)がいる。
  • 妹のポーリーン・ギランもかつてはミュージシャンとして『Hearts Of Fire』というアルバムを残している。

ディスコグラフィ[編集]

ソロ・アルバム[編集]

  • 『アクシデンタリー・オン・パーパス』 - Accidentally on Purpose (1988年) ※ギラン=グローヴァー名義
  • 『ネイキッド・サンダー』 - Naked Thunder (1990年)
  • 『トゥールボックス』 - Toolbox (1991年)
  • 『ドリームキャッチャー』 - Dreamcatcher (1997年)
  • ギランズ・イン』 - Gillan's Inn (2006年)
  • Live in Anaheim 2006 (2008年) ※ライブ
  • One Eye to Morocco (2009年)

Various Artists, Andrew Lloyd Webber & Tim Rice[編集]

  • 『イエス・キリスト・スーパースター』 - Jesus Christ Superstar (1970年)

ディープ・パープル[編集]

スタジオ・アルバム[編集]

ライブ・アルバム[編集]

イアン・ギラン・バンド[編集]

  • 『チャイルド・イン・タイム』 - Child In Time (1976年)
  • 『鋼鉄のロック魂』 - Clear Air Turbulence (1977年)
  • 『魔性の勇者』 - Scarabus (1977年)

ギラン[編集]

ブラック・サバス[編集]

The Javelins[編集]

  • Sole Agency and Representation (1994年)

WhoCares[編集]

(Ian Gillan, Tony Iommi & Friends)

  • Ian Gillan & Tony Iommi: WhoCares (2012年)

脚注[編集]

  1. ^ ディープ・パープルのイアン・ギラン、殿堂入りにコメント - BARKS

外部リンク[編集]