ニック・シンパー
ニック・シンパー | |
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![]() Nasty Habits在籍時のオフショット (2015年10月) | |
基本情報 | |
出生名 | Nicholas John Simper |
生誕 | 1945年11月3日(79歳) |
出身地 |
![]() ミドルセックス州 サウスオール・ノーウッド |
ジャンル |
ハードロック ヘヴィメタル プログレッシブ・ロック |
職業 | ロックミュージシャン、ベーシスト |
担当楽器 | ベース |
活動期間 | 1957年 - 現在 |
共同作業者 |
ジョニー・キッド&ザ・パイレーツ ディープ・パープル ウォーホース ニック・シンパーズ・ダイナマイト ニック・シンパーズ・ファンダンゴ クォーターマスII ザ・グッド・オールド・ボーイズ ナスティー・ハビッツ ほか |
公式サイト | 公式ウェブサイト |
ニック・シンパー(Nick Simper, 1945年11月3日 - )はイングランド出身のロック・ミュージシャン、ベーシスト。ディープ・パープルのオリジナル・メンバー。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]旧ミドルセックス州サウスオールのノーウッドで生まれる。本名ニコラス・ジョン・シンパー。
幼年時代からギターを弾き始め、やがてベース・ギターに持ち替えた。
黎明期
[編集]1959年に加入したザ・レネゲイズ[注釈 1]を皮切りに[1]、デルタ・ファイヴ、サム・アザー・ガイズ、バディ・ブリトン&リージェンツ(The Regents)など数々のバンドを経験し、セッション活動を行なった。スクリーミング・ロード・サッチ・アンド・ザ・サヴェイジズに在籍していたリッチー・ブラックモアと知り合う。
1966年にはメンバーを一新したジョニー・キッド&ザ・パイレーツに加入したが、10月7日、キッドとともに交通事故に遭遇。彼は軽傷だったがキッドは死亡した[2]。1967年までの短期間ザ・パイレーツを再興するが、すぐにヴォーカル・グループのザ・フラワー・ポット・メンのバック・バンドに参加し、ジョン・ロードと出会う[3]。
ディープ・パープル
[編集]1968年、ロードとブラックモアが新たに結成したラウンドアバウトに加入。ラウンドアバウトは同年4月にディープ・パープルと改名して[4]、3作のアルバムを発表して「ハッシュ」と「ケンタッキー・ウーマン」のヒット曲を放った。
1969年4月初めから5月末まで行なわれた2度目のアメリカ・ツアーの途中、ロードとブラックモアはハード・ロックを指向してシンパーとボーカリストのロッド・エヴァンスを辞めさせることを決意[5]。シンパーとエヴァンスは、6月にイギリス各地で行なわれたコンサート[5]を経て、7月4日のカーディフ公演を最後に[6]ディープ・パープルを去った[7]。自分に対する処遇に不満を持ったシンパーは訴訟を起こして、約10,000ポンドの賠償金を得た代わりに、将来のアルバムの印税を取得する権利を放棄した[要出典]。
その後
[編集]1970年にウォーホース(Warhorse)[注釈 2][8]、1979年にニック・シンパーズ・ファンダンゴ(Nick Simper's Fandango)[9]を結成し、それぞれスタジオ・アルバムを2作発表した。
1971年4月、ロンドンのCountry Clubでロード・サッチのライブ活動に参加[10][注釈 3]。1972年にサッチがロード・サッチ・アンド・ヘヴィ・フレンズ名義で発表したライブ・アルバム『ハンズ・オブ・ジャック・ザ・リッパー』[11]に参加[注釈 3]。
1997年には、元クォーターマスのミック・アンダーウッドが結成したクォーターマスIIに、元レインボーのドン・エイリーらとともに参加した。
2000年代にはザ・グッド・オールド・ボーイズ(The Good Old Boys)[12]に参加したり、オーストリアのナスティー・ハビッツ(Nasty Habits)[13]と共演するなど、精力的に活動した。

2016年、ディープ・パープルが『ロックの殿堂』入りを果たしたが、シンパーは受賞者に選ばれなかった[注釈 4][14]。
ディスコグラフィ
[編集]ディープ・パープル
[編集]- オリジナル・アルバム
- 『ハッシュ』 - Shades of Deep Purple (1968年)
- 『詩人タリエシンの世界』 - The Book of Taliesyn (1968年)
- 『ディープ・パープル III』 - Deep Purple (1969年)
- ライヴ・アルバム
- Inglewood – Live in California (2002年)
- BBC Sessions 1968–1970 (2011年)[注釈 5]
- 編集アルバム
シンパーが在籍した第1期の音源のみを編集したアルバムを記す。
- 『紫の軌跡』 - Purple Passages (1972年)
- The Early Years (2004年)
- シングル
- 「ハッシュ」(1968年)[15]
- 「ケンタッキー・ウーマン」(1968年)[16]
- 「リヴァー・ディープ・マウンテン・ハイ」(1968年)[17]
- 「エマレッタ」- Emmaretta (1969年)[18]
ウォーホース
[編集]- オリジナル・アルバム
- 編集アルバム
ニック・シンパーズ・ファンダンゴ
[編集]クォーターマスII
[編集]- Long Road (1997年)[23]
ザ・グッド・オールド・ボーイズ
[編集]- Live At The Deep Purple Convention (2009年)[24]
ナスティー・ハビッツ
[編集]以下、ニック・シンパー・アンド・ナスティー・ハビッツ名義。
- The Deep Purple MKI Songbook (2010年)[25]
- Live at Szene, Vienna (2012年)[26]
- De La Frog Conspiracy (2015年)[27]
Blaggards & Cowboys
[編集]参加アルバム
[編集]- Hands of Jack the Ripper (1972年)[11]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ Popoff (2016), p. 16.
- ^ Popoff (2016), p. 27.
- ^ Popoff (2016), p. 30.
- ^ Popoff (2016), p. 36.
- ^ a b Popoff (2016), p. 53.
- ^ Popoff (2016), p. 56.
- ^ DEEP PURPLEプロフィール - ビクターエンターテインメント
- ^ Popoff (2016), pp. 71, 112, 167.
- ^ “Discogs”. 2023年12月21日閲覧。
- ^ Popoff (2016), p. 87.
- ^ a b “Discogs”. 2024年1月10日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月21日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月21日閲覧。
- ^ D.カヴァデールとG.ヒューズ、殿堂入りセレモニーに出席 - BARKS
- ^ “Discogs”. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月19日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月23日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月23日閲覧。
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- ^ “Discogs”. 2023年12月21日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2023年12月21日閲覧。
引用文献
[編集]- Popoff, Martin (2016). The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979). Bedford, England: Wymer Publishing. ISBN 978-1-908724-42-7