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ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ディープ・パープル > ディープ・パープルの作品 > ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ
『ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』
ディープ・パープルライブ・アルバム
リリース
録音 1969年9月24日
イングランドの旗 ロンドン ロイヤル・アルバート・ホール
ジャンル クラシック音楽ハードロック
時間
レーベル イギリスの旗ハーヴェスト(オリジナル盤)
EMI(リイシュー盤)
アメリカ合衆国の旗テトラグラマトン(オリジナル盤)
ワーナー・ブラザース・レコード(リイシュー盤)
プロデュース ディープ・パープル
専門評論家によるレビュー
チャート最高順位
  • 26位(イギリス[1]
  • 149位(アメリカ[2]
  • ディープ・パープル アルバム 年表
    ディープ・パープル III
    (1969年)
    ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ
    (1969年)
    イン・ロック
    (1970年)
    テンプレートを表示

    ディープ・パープル・アンド・ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラ』(Concerto for Group and Orchestra)は、1969年9月24日ロイヤル・アルバート・ホールで行われたイングランドロックバンドディープ・パープルロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の共演を収録したライブ・アルバムで、同年12月に発表された。

    イアン・ギランロジャー・グローヴァーを迎えた第2期ディープ・パープルの初アルバムで、ディープ・パープル初のライブ・アルバムでもある。

    解説

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    経緯

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    ギランとグローヴァーを迎えた第2期ディープ・パープル[3]は、1969年7月10日にロンドンのスピークイージー・クラブで初のステージに立ち[注釈 1]、7月25日に第一弾シングル「ハレルヤ[注釈 2][4]を発表した[注釈 3][5][6][7]。そして国内でライヴ活動を行ないながら、ギタリストのリッチー・ブラックモアを中心に新曲を書き始め、8月末に始まったヨーロッパ・ツアーから「ニール・アンド・プレイ」「チャイルド・イン・タイム」を披露し始めた。

    その数か月前の同年4月、第1期ディープ・パープルが前作『ディープ・パープル III』のツアーを行なっていた時、彼等のマネージメントはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団と共演する企画を立てて、ロイヤル・アルバート・ホールを同年9月に使用する契約を結んだ[8]。そして第1期の曲作りの中心役を担っていたキーボーディストのジョン・ロードに、共演用の新曲を準備するように促した[注釈 4][9]。ロードは本番まで半年足らずの間、メンバー交代劇や第2期のライヴ活動の合間を縫って「グループとオーケストラのための協奏曲」の作曲に勤しんだ。広報担当のベン・ニスベット(Ben Nisbet)は近代イギリスを代表する作曲家の一人であるマルコム・アーノルドに協力を要請し、アーノルドはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の指揮を引き受け、ロードの作曲に助言を与えた[10]

    ディープ・パープルとロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団は9月24日にロイヤル・アルバート・ホールで共演して、歴史上初めて、オーケストラとロック・バンドの合同演奏のコンサートを実現させた。当日は第1部でアーノルドが指揮するロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団がアーノルド作曲「交響曲第六番」、第2部でディープ・パープルが「ハッシュ」「リング・ザット・ネック」「チャイルド・イン・タイム[注釈 5]、第3部で両者が「グループとオーケストラのための協奏曲」を演奏し、アンコールでは両者が「グループとオーケストラのための協奏曲」の第三楽章の一部分を再演した。コンサートの模様はBBCによってテレビ放映された。

    内容

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    「グループとオーケストラのための協奏曲」[10]は、合奏協奏曲協奏交響曲管弦楽のための協奏曲の各々の特徴を組み合わせたものであり、オリジナル・レコードの内ジャケットには、ロードによる解説が掲載された。第一楽章ではグループ(ディープ・パープル)とオーケストラが拮抗する様がブラックモアのギターのカデンツァを中心に描かれる。第二楽章はギランのボーカル・ソロ[注釈 6]とロードのオルガン・ソロがそれぞれオーケストラと絡んで混沌とした共存の雰囲気を醸し出す。第三楽章ではイアン・ペイスのドラム・ソロを挟んで、両者が協調していく。

    アルバムはアメリカでは1969年12月にテトラグラマトン・レコード英語版[11]、イギリスでは1970年1月にハーヴェスト・レコード[12]から発表された。アメリカではテトラグラマトン・レコードの倒産に伴なって、1970年8月に彼等の新しい所属先であるワーナー・ブラザーズ・レコード[13]から再発された。

    第二部でディープ・パープルが披露した「ハッシュ」「リング・ザット・ネック」「チャイルド・イン・タイム」は、2002年に発表されたCDに追加収録された[14]

    映像

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    当日の模様はビデオ・ソフト化されて、アルバムと同名で発表された[15]。2003年にリリースされたDVD[16]は、ロンドンのアビー・ロード・スタジオで2001年6月にJonathan Allen[17]によってミックスされ、2002年3月にPeter Mew[18]によってデジタル・リマスタリングされた。

    収録曲

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    1. 第1楽章 - "First Movement" - 19:12
      • a. モデラート - "Moderato"
      • b. アレグロ - "Allegro"
      • c. ヴィヴァーチェ - "Vivace"
    2. 第2楽章 - "Second Movement"
      • パート1 アンダンテ - "Part 1-Andante" - 6:32
    3. 第2楽章 - "Second Movement"
      • パート2 - "Part 2" - 12:28
    4. 第3楽章 - "Third Movement" - 15:31
      • ヴィヴァーチェ - "Vivace"
      • プレスト - "Presto"

    オリジナルLP

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    イギリス盤とアメリカ盤で曲名が一部異なるが、内容は同じである。

    イギリス盤

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    • Harvest Records (SHVL 767)[12]
    Side One
    #タイトル作詞作曲
    1.「First Movement: Moderato - Allegro」 Jon Lord
    2.「Second Movement: Andante Part 1」 Lord (Lyrics by Ian Gillan)
    Side Two
    #タイトル作詞作曲
    1.「Second Movement: Andante Conclusion」 Lord (Lyrics by Ian Gillan)
    2.「Third Movement: Vivace - Presto」 Lord

    アメリカ盤

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    • Tetragrammaton Records (T-131)[11]
    • Warner Bros. Records (WS 1860)[13]
    Side One
    #タイトル作詞作曲
    1.「First Movement
    • Moderato
    • Allegro
    • Vivace
     Jon Lord
    2.「Second Movement
    • Part One - Andante
     Lord (Lyrics by Ian Gillan)
    Side Two
    #タイトル作詞作曲
    1.「Second Movement
    • Part Two
     Lord (Lyrics by Ian Gillan)
    2.「Third Movement」 Lord

    参加ミュージシャン

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    ディープ・パープル
    ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団

    「グループとオーケストラのための協奏曲」のその後

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    ディープ・パープルはロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演を成功させた後、国内とヨーロッパのツアーを続けながら[注釈 7]、翌10月からロンドンのスタジオで新作アルバムの制作を開始した[19]。コンサートの聴衆の中には彼等がオーケストラと共演すると考えていた者もいたが[20]、彼等はハード・ロックを演奏し[注釈 8]、翌1970年6月にアルバム『ディープ・パープル・イン・ロック』を発表してハード・ロック・バンドの代表格としての地位を築く大きな第一歩を踏み出した。本作が同年8月にアメリカでワーナー・ブラザーズ・レコードから再発された時、彼等はアメリカ・ツアーの合間を縫って同月25日にハリウッド・ボウルロサンジェルス・フィルハーモニック[注釈 9]と共演して本作を再演した[21]。それを唯一の例外として、以後約30年間[注釈 10]、本作を顧みることはなかった[注釈 11]

    1999年、彼等[注釈 12]は本作発表の30周年を記念して、ロイヤル・アルバート・ホールに戻ってポール・マンが指揮するロンドン交響楽団と本作を再演して、ライブCD"In Concert with The London Symphony Orchestra"に収録した。引き続いて2000年から2001年にかけて、南アフリカ、ヨーロッパ、日本でマンが指揮するオーケストラ[注釈 13]と共演して、本作を披露した。

    ロードは2001年にディープ・パープルを脱退し、2009年に40周年記念として、アイルランドのRTÉ Concert Orchestraとダブリンで共演して本作を再演した。その後も2011年までの間、数回にわたって様々なオーケストラと共演した。2011年、彼はマンとロイヤル・リヴァプール・フィルハーモニー管弦楽団による初のスタジオ録音版の制作に病魔を押して参加し、翌2012年、完成した作品[22]を聴き、7月に他界した。

    脚注

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    注釈

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    1. ^ 同年7月4日のウェールズカーディフで行われた第1期最後のコンサートから、一週間足らずしか経っていなかった。
    2. ^ 第1期のアルバムのプロデューサーだったデレク・ローレンスのThe Derek Lawrence Statementが以前発表した'I Am The Preacher'を取り上げて改題した。Roger GreenawayRoger Cookの共作。レコーディングは第1期末の6月7日と12日に、正式加入前のギランとグローヴァ―を招いて極秘に行なわれた。
    3. ^ イギリスではハーヴェスト・レコード、アメリカではテトラグラマトン・レーベルから発表された。B面収録曲は第1期の「4月の協奏曲」。
    4. ^ ロードはデイヴ・ブルーベック・カルテットが1961年に発表したアルバム'Bernstein Plays Brubeck Plays Bernstein'を聴いて、オーケストラとロック・バンドの共演を思いついた。彼はアルバム『詩人タリエシンの世界』(1968年)の「聖なる歌」と『ディープ・パープル III』の「4月の協奏曲」の間奏部に室内楽曲を提供していた。
    5. ^ 「ハッシュ」はデビュー・アルバム『ハッシュ』(1968年)、「リング・ザット・ネック」はセカンド・アルバム『詩人タリエシンの世界』(1968年)の収録曲。「チャイルド・イン・タイム」は未発表の新曲で、次作の『ディープ・パープル・イン・ロック』(1970年)に収録された。
    6. ^ 歌詞はギランが本番直前に書き上げた。
    7. ^ 10月4日にモントルーカジノで録音された音源がLive in Montreux 69として入手可能である。
    8. ^ ロードは1991年に発売されたドキュメンタリー・ビデオ『ヘヴィ・メタル・パイオニアズ』(Heavy Metal Pioneers)で、「ジミ・ヘンドリックスに影響を受けたリッチー(ブラックモア)の希望を受け入れてハード・ロックの路線に進む事に決め、その為に〈第1期のメンバーの)ロッド(エヴァンス)ニック(シンパー)を誰かに替えるべきだと判断した」と述べ、ハード・ロック・バンドになることは第2期に入った時に既に決まっていたとしている。一方ブラックモアは、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演の後、次はハード・ロックのアルバムを作ろうと主張して「もし失敗したら、今後ずっと協奏曲を演奏するから」とロードを説得した、という話を好んで今日に至るまで繰り返している。
    9. ^ ローレンス・フォスターが指揮した。
    10. ^ ディープ・パープルは数回のメンバー交代の末、1976年に解散。1984年に本作に参加した第2期のメンバーで再結成された。
    11. ^ 彼等は1970年9月17日にロイヤル・フェスティバル・ホールで、アーノルドが指揮するオーケストラ・オブ・ザ・ライト・ソサエティ・ミュージック(The Orchestra of The Light Music Society)と共演してロード作の「ジェミニ組曲」を披露した。この録音は1993年に"Deep Purple And The Orchestra Of The Light Music Society Conducted By Malcolm Arnold – Gemini Suite Live"として発表された。
    12. ^ 本作の参加メンバーからブラックモアを除いた4人とギタリストのスティーヴ・モーズ
    13. ^ 南アフリカでは地元のオーケストラ、ヨーロッパではルーマニアの George Enescu Philharmonic Orchestra、日本では新日本フィルハーモニー交響楽団と共演した。

    出典

    [編集]
    1. ^ ChartArchive - Deep Purple
    2. ^ Deep Purple - Awards : AllMusic
    3. ^ Popoff (2016), pp. 56.
    4. ^ Discogs”. 2023年12月2日閲覧。
    5. ^ Popoff (2016), p. 60.
    6. ^ Discogs”. 2023年12月2日閲覧。
    7. ^ Discogs”. 2023年12月2日閲覧。
    8. ^ 'Deep Purple'[1]に添付された、サイモン・ロビンソン(Deep Purple Appreciation Society Archives)のライナーノーツより。
    9. ^ Popoff (2016), p. 17.
    10. ^ a b musicweb-international.com”. 2023年8月20日閲覧。
    11. ^ a b Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    12. ^ a b Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    13. ^ a b Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    14. ^ Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    15. ^ Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    16. ^ Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    17. ^ Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    18. ^ Discogs”. 2023年11月28日閲覧。
    19. ^ Popoff (2016), p. 61.
    20. ^ Popoff (2016), p. 70.
    21. ^ Popoff (2016), p. 78.
    22. ^ Discogs”. 2023年5月16日閲覧。

    引用文献

    [編集]
    • Popoff, Martin (2016). The Deep Purple Family Year By Year Volume One (to 1979). Bedford, England: Wymer Publishing. ISBN 978-1-908724-42-7