ラスト・コンサート・イン・ジャパン
| 『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』 | ||||
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| ディープ・パープル の ライブ・アルバム | ||||
| リリース | ||||
| 録音 | 1975年12月15日 | |||
| ジャンル | ハードロック | |||
| 時間 | ||||
| レーベル |
EMI(リイシュー盤) | |||
| プロデュース |
ディープ・パープル マーティン・バーチ | |||
| 専門評論家によるレビュー | ||||
| チャート最高順位 | ||||
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| ディープ・パープル アルバム 年表 | ||||
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『ラスト・コンサート・イン・ジャパン』 (Last Concert in Japan) はイギリスのロックバンド、ディープ・パープルが1977年に発表したライブ・アルバム。
収録曲[編集]
- 紫の炎 - Burn 6分59秒
- ラヴ・チャイルド -Love Child 4分41秒
- ユー・キープ・オン・ムーヴィン - You Keep on Movin 6分12秒
- ワイルド・ドッグ - Wild Dog 6分01秒
- レイディ・ラック - Lady Luck 3分53秒
- スモーク・オン・ザ・ウォーター - Smoke on the Water
- 幸運な兵士 - Soldier of Fortune
- ウーマン・フロム・トーキョー - Woman From Tokyo 3曲合計12分41秒
- ハイウェイ・スター - Highway Star 6分46秒
メンバー[編集]
解説[編集]
1975年8月に予定されていた第3期メンバーでの来日公演がギタリストであるリッチー・ブラックモアが脱退したため中止になった。しかし急遽、後任であるアメリカ人ギタリスト、トミー・ボーリンの加入が決定した為、バンドは同年12月に3度目の来日を果たすこととなった。前々回の1972年の初来日公演の模様を収録したアルバム『ライヴ・イン・ジャパン』が非常に好評であり、今回のコンサートもライヴレコーディングおよび16mmフィルムによる撮影をバンド側に了承を得ていた。
しかし、バンドのギタリストであるトミー・ボーリンのドラッグ中毒による症状が悪化、左手が思うように使えないためスライド(ボトルネック)奏法でプレイ、まともな演奏とは程遠く聴衆をがっかりさせた。またデヴィッド・カヴァーデイルらの声の調子も悪かった。スタジオ盤カム・テイスト・ザ・バンドの出来は良かったが、このアルバムのために第4期ディープ・パープルの評価は決定的に悪いものとなってしまう。
今回のツアーでの東京公演は1日のみの開催の為、コンサート会場である日本武道館は通常閉鎖している北側スタンドをすべて開放してしまいその結果、14,000人余りの大観衆が押し寄せた。
1976年7月に諸般の事情によりバンドは解散、同年12月4日にその後を追うようにトミー・ボーリンはドラッグの大量摂取により他界した。レコード会社は翌1977年5月に「トミー・ボーリン追悼盤」と銘打ち日本のみでの発売を決定した。本作の発売に対しメンバーの1人であったグレン・ヒューズは「リリースすべき作品ではなかった」と後のインタビューで語っており、ジョン・ロードも「カネの為にやったことだ」と述べている。
本作はいわゆるダイジェスト版でありコンサートで演奏された全曲は収録されていなかったが、2001年にアメリカ合衆国とイギリスで『This Time Around: Live in Tokyo』とタイトルを変えてコンサート全曲を収録したアルバムが発売された。このアルバムは日本でも2003年に紙ジャケット仕様でバップレコードから発売されている。
レコーディングと併行して撮影されたフィルムはその後、フイルムコンサートなどで上映されテレビでも一部放送されたが1985年、音楽ビデオソフトとして「ライジス・オーヴァー・ジャパン (Rises Over Japan)」というタイトルで発売された。
作品内容[編集]
トミー・ボーリンのギター音が意図的に低くミキシングされており相対的にジョン・ロードのキーボード音が比較的大きく聴こえる作品に仕上がっている。イアン・ペイスのドラミングは終始活発でありこの作品の中心的な要となっている。 選曲の部分では「スモーク・オン・ザ・ウォーター」から「ウーマン・フロム・トーキョー」までは意図的に編集したものであり、実際のコンサートのセットリストとは異なっている。アンコール曲であり本作の最後を飾る「ハイウェイ・スター」ではキーボードソロの部分をジョン・ロードは放棄してしまいほとんど弾いていない。完全版の『This Time Around:Live in Tokyo』を聴くと同曲のすぐ前に演奏された「Stormbringer」でも彼はキーボードソロをほとんど弾いておらず腕に何か異常をきたしていたと考えられる。実際、彼は左腕を痛めていて来日中に病院に診療に行っている。
特記[編集]
脚注[編集]
- ^ 『オリコンチャート・ブックLP編(昭和45年‐平成1年)』(オリジナルコンフィデンス/1990年/ISBN 4-87131-025-6)p.205
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