ちわきまゆみ

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ちわき まゆみ1963年2月2日 - )は、日本の女性ミュージシャンボーカリストラジオパーソナリティ。本名、地脇 真由美(読みは同じ)。東京都渋谷区出身。跡見学園女子大学文学科卒業[1]

本項では、ちわきがメジャーデビューする契機となった1980年代音楽ユニットMENU(メニュー)」についても記述する。

来歴・人物[編集]

生い立ち[編集]

自ら「昔からミーハー」と語っており、最初にミーハーを感じたのは3歳の時にザ・タイガースを好きになったことで、後にモンキーズが好きになり、4歳でビートルズの映画『ア・ハード・デイズ・ナイト(ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!)』を見て感銘を受け、ビートルズファンになった[1]

雑誌『ミュージック・ライフ』のグラビアを見てマーク・ボランのファンになり、10歳の時に東京ヒルトンホテル(現・キャピトル東急ホテル)の前で来日したマークを待ち、マークに頭を撫でてもらったということがあった[1]

6歳下の妹がいたが、ちわきが12歳の時に交通事故で亡くなっている。その時を境に「この家族を盛り上げなくちゃいけない」と発起して、本格的に歌手を目指すようになったという。アルバム『Angel-We Are Beautiful』は、その妹のために作った作品だと語っている[1]

中学生時代はキッスエアロスミスに夢中だったこともあった[2]

MENU時代[編集]

ちわきは大学在学中から、バンドのボーカルとして活動していた[1]

リーダーの星渉(ほし わたる)と、「MENU」の原型となるバンド「Le Menu」を結成。当時は5人編成で、星とちわきの他、のちにDe-LAXを結成する京極輝男鈴木正美、キーボードの内田理恵が在籍した。1980年代に流行した無国籍風ニューウェイヴ・バンド色が強く、トーキング・ヘッズバウ・ワウ・ワウエイドリアン・ブリューなどに影響を受けていたと星は語っている[3]。その後、音楽性の違いから他のメンバーが脱退、星とちわきの2人でテクノポップユニットMENU」を結成し、星が作曲、ちわきが作詞とボーカルという体制となった[3]

MENUとしては、ユピテル工業レコードレーベルユピテルレコード」から、1983年原マスミ太洋民技 (Pacific Ethno Techno) との共演でオムニバスアルバム『明るい家族計画』をリリース、「オハヨーSONG」「パイナップル・プリンセス」の2曲で参加[4]。MENU時代も鈴木正美はサポートメンバーとして参加していた[4]

ユピテルレコードからは、1984年に『明るい家族計画』からのシングルカット『オハヨーSONG/パイナップル・プリンセス』をリリース、ジャケットデザインは『明るい家族計画』のものがそのまま使用されている[4]。同1984年にはユピテルレコードからミニアルバム2枚を発表、『Do Do'n' Ka-Don!(ドドンカドン!)』、『RAKU RAKU KIRAKU』をリリースした[4]

その後、東芝EMIの「Eastworld」レーベルに移籍し、1985年リミックスミニアルバム『Re-Face』(規格品番:WTP40200)をリリース[4]。同1985年には、富士フイルムフォトラマCMCF出演した[3]。同1985年にMENUを解散、ソロデビューした[1]

ちわきがMENU時代に目指していたのは、オルタード・イメージ英語版クレア・グローガン英語版や、プラスチックス佐藤チカ英語版であった[2]。そのため、彼女らの歌声のように個性を持たないといけないと思ったことから、ロリータ&ニュー・ウェイヴ的なアプローチをしてみた、と語っていた[2]

デビュー当時は「喝采」のヒットで知られるちあきなおみによく間違われ、実際に音楽雑誌などでも誤植が相次いだため『VOW』(宝島社)にも取り上げられた。

ソロデビュー後[編集]

1986年10月から1987年9月まで1年間、『オールナイトニッポン』(ニッポン放送)水曜2部(毎週水曜日深夜3時)のレギュラーパーソナリティを務め、『インディーズベスト10』などインディーズバンドを特集した企画・コーナーなどを行っていた。また、オールナイトニッポンの第一部をスペシャルウィークに1回だけ担当した経験を持つ。その際に、定番のオープニングテーマ「BITTERSWEET SAMBA」を「うるさいから」という理由で止めさせた。同曲を放送中の自己都合で強制停止させたパーソナリティは彼女のみである[1](現時点で)。

20代の頃はSM風の衣装が特徴的だった[1]。コンサートなどで纏うビザールな衣装は、本人がSM店への取材を参考にして取り入れたという。

2012年1月21日J-WAVEの番組「OTOAJITO[5]」で、クリス・ペプラーを相手に、キッスの長年の大ファンであることを語った。

ディスコグラフィ[編集]

MENU名義[編集]

  1. 明るい家族計画(1983年、ユピテルレコード、規格品番: YD25-0011) - 原マスミらとのオムニバス・アルバム
  2. オハヨーSONG/パイナップル・プリンセス(1984年、ユピテルレコード、規格品番:YPR-8)-『明るい家族計画』からのシングルカット
  3. Do Do'n' Ka-Don!(1984年、ユピテルレコード、規格品番:YV18-1001)- 5曲入りミニアルバム
  4. RAKU RAKU KIRAKU(1984年、ユピテルレコード、規格品番:YV18-1002)- 6曲入りミニアルバム
  5. Re-Face(東芝EMI/Eastworld、規格品番:WTP40200)- 6曲入りミニアルバム。1曲を除きミニアルバム2枚の収録曲のリミックス

シングル[編集]

  1. GOOD MORNING I LOVE YOU (1985年10月19日)
  2. エンジェル・ブルー(1986年3月20日) - ファミリーコンピュータ用ゲームソフト『ハイドライド・スペシャル』(東芝EMI)イメージソング
  3. よごれたいのに(1986年7月23日)
  4. CiNIMACHiNEBURA (1986年11月21日)
  5. オーロラ・ガール(1987年1月22日)
  6. SAVE ME (1987年10月5日)
  7. Be My Angel (1988年9月4日)
  8. THE LOOK! (1989年6月21日)
  9. エスケープ/むかし私が愛した人(1994年5月25日)

アルバム[編集]

  1. Jewels (1985年11月21日)
  2. Angel-We Are Beautiful (1986年6月4日)
  3. ATTACK TREATMENT (1987年2月4日)
  4. Dangerous Is My Middle Name (1987年10月26日)
  5. Gloria (1988年9月23日)
  6. EROTIC&PAIN (1992年1月29日)
  7. Singles (1994年9月25日)
  8. POPPERMOST '85〜'88 BEST/remastering (1999年7月16日)

出演[編集]

ラジオ番組[編集]

テレビ番組[編集]

テレビドラマ[編集]

映画[編集]

PV[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h 月刊ラジオパラダイス 1986年12月号 63 - 67ページ「Radio People Interview ちわきまゆみ」より。
  2. ^ a b c 昭和40年男(クレタパブリッシング)2021年8月号 p.138 - 141 ちわきまゆみインタビュー
  3. ^ a b c テクノポップ/アーティストインタヴュー 幻のテクノポップバンド~MENU All About 趣味、2007年1月22日
  4. ^ a b c d e MENU Discogs
  5. ^ OTOAJITO J-WAVE

関連項目[編集]

外部リンク[編集]