日本軽金属

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日本軽金属株式会社
Nippon Light Metal Company, Ltd.
本社(天王洲郵船ビル)
種類 株式会社
市場情報
東証1部 5701
1949年5月16日 - 2012年9月26日
大証1部(廃止) 5701
1949年5月14日 - 2012年9月26日
略称 日軽金、日軽、NLM
本社所在地 日本の旗 日本
105-8681
東京都港区新橋1丁目1-13
アーバンネット内幸町ビル
設立 1939年昭和14年)3月30日
業種 非鉄金属
法人番号 2010701007662 ウィキデータを編集
事業内容 アルミニウム・化成品の製造・販売
代表者 岡本一郎(代表取締役社長)
資本金 300億円
(2015年3月31日現在)
売上高 単独:1,345億86百万円
(2015年3月期)
営業利益 単独:10億93百万円
(2015年3月期)
純利益 単独:17億85百万円
(2015年3月期)
純資産 単独:549億84百万円
(2015年3月31日現在)
総資産 単独:1,957億54百万円
(2015年3月31日現在)
従業員数 単独:1,886人
(2015年3月31日現在)
決算期 3月31日
主要株主 日本軽金属ホールディングス 100%(2015年3月31日現在)
外部リンク www.nikkeikin.co.jp
特記事項:古河三水会の会員会社である。
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日本軽金属株式会社(にっぽんけいきんぞく、英称:Nippon Light Metal Company, Ltd.)は、日本軽金属ホールディングス傘下のアルミニウムの総合メーカーである。2014年3月まで日本で唯一アルミニウム製錬工場を国内に持っていた。アルミニウムの加工品の他、酸化アルミニウム(アルミナ)や水酸化アルミニウムなどの化成品の製造を行っている。

2012年持株会社である日本軽金属ホールディングス株式会社を設立し、その傘下の事業子会社となった。

略称は日軽金日軽NLMなど。コーポレートスローガンは「アルミにこだわり、アルミを超えてゆく」である。

概要[編集]

旧:古河財閥と関わりが深く、古河グループの一員である。古河系企業が旧:第一勧業銀行(現:みずほ銀行)をメインバンクとしていた関係から旧:渋沢財閥が戦後財閥解体により再編し第一勧銀グループを結成した際は他の古河系企業とともに第一勧銀グループに参加している[1][2]カナダの世界的アルミニウムメーカーであるアルキャン(現:リオ・ティント・アルキャン)と提携し、現在もアルキャングループのアジアでの拠点となっている。

富士川水系の静岡県及び山梨県の合計6カ所に水力発電所を保有し自家発電を行っているため、電力価格の高騰により国内他社がアルミニウム製錬から撤退する中、価格競争力を維持し精錬事業を継続していたが、設備の老朽化に伴い、2014年3月末をもって製錬事業から撤退した。

山梨県南巨摩郡早川町には堤高80.5mを誇る雨畑ダム(アーチ式)を、山梨県南巨摩郡南部町に堤高40.5mを誇る柿元ダム(重力式)を有する。どちらも1960年代に竣工したため堆砂が進んでいる。また静岡市の清水港に、ボーキサイト輸入用の岸壁を保有しているが、2012年10月より原料を水酸化アルミニウムに全面転換している[3]

持株会社設立まで東京証券取引所大阪証券取引所の各一部に上場。非鉄金属企業として、最初に東証一部に上場した。

1980年代には、アルミニウム市況の低迷により経営不振に陥るが、自社製品であるアルミニウムを活用した、手動アイスクリーム製造機『どんびえ』や果実酒製造機『できごころ』といった家庭向けの製品が次々とヒットし、経営不振から立ち直ることとなった。

事業所所在地[編集]

本社・支社・支店[編集]

製造拠点[編集]

  • 苫小牧製造所 - 北海道苫小牧市晴海町43-3
  • 蒲原製造所 - 静岡県静岡市清水区蒲原161
    • グループ素材センター
    • 蒲原電極箔工場
    • 蒲原熱交製品工場
    • 蒲原ケミカル工場
    • 清水工場 - 静岡県静岡市清水区三保4025-1
    • 名古屋工場 - 愛知県稲沢市小池1-11-1

研究所[編集]

  • グループ技術センター
    • 静岡県静岡市清水区蒲原1-34-1

事業部[編集]

  • 化成品事業部
  • 板事業部
  • グループ素材センター
  • 容器部
  • 熱交事業部
  • メタル・素形材事業部
  • 電極箔事業部
  • 景観製品部

沿革[編集]

  • 1939年(昭和14年)3月30日 - 日本軽金属株式会社設立。
  • 1940年(昭和15年)5月 - 特殊軽合金稲沢工場(現在の名古屋工場)操業開始。
  • 1940年(昭和15年)10月 - 蒲原工場(現在の蒲原電解・鋳造工場)操業開始。
  • 1941年(昭和16年) - (旧)新潟工場操業開始。
  • 1941年(昭和16年)9月 - 清水工場操業開始。
  • 1949年(昭和24年)5月 - 東京証券取引所などに株式上場。
  • 1958年(昭和33年) - 清水工場の化成品部門を日軽化工株式会社として分社化。
  • 1961年(昭和36年)4月 - 株式会社日本軽金属総合研究所(後の日軽技研)を設立。
  • 1963年(昭和38年)10月 - 日本フルハーフ株式会社設立。
  • 1964年(昭和39年)4月 - 日軽アルミ船橋工場操業開始。
  • 1965年(昭和40年)2月 - アルミニウム線材株式会社を設立。
  • 1969年(昭和44年)10月 - 苫小牧電解工場操業開始。
  • 1970年(昭和45年)
    • 大阪アルミ(後の日軽アルミ)滋賀工場操業開始。
    • 4月 - 幸田工場操業開始。
  • 1972年(昭和47年) - 苫小牧アルミナ工場操業開始。
  • 1973年(昭和48年)4月 - 関西アルミ合金(後の大信軽金属)三重工場操業開始。
  • 1974年(昭和49年)10月 - 日軽アルミ株式会社を吸収合併、船橋工場・滋賀工場継承。
  • 1978年(昭和53年)
    • 大信軽金属静岡工場(後の蒲原合金工場)操業開始。
    • 10月 - 日軽圧延株式会社を吸収合併。
  • 1980年(昭和55年)12月 - (旧)新潟工場操業停止。工場跡地は新潟県庁。
  • 1982年(昭和57年)
    • 蒲原鋳鍛工場(後の蒲原ホイール工場)操業開始。
    • 4月 - (新)新潟工場操業開始。
    • 6月 - 日軽苫小牧株式会社を設立、苫小牧製造所の電解部門を除く事業を譲渡。
  • 1983年(昭和58年) - 電算材システム部門を日軽情報システム株式会社として分社化。
  • 1984年(昭和59年)2月 - グループの建材事業を統合し、新日軽株式会社を設立。
  • 1985年(昭和60年)
    • MD苫小牧工場操業開始。
    • 4月 - 苫小牧電解工場操業停止。ニッカル押出株式会社を吸収合併、蒲原押出工場を継承。
  • 1986年(昭和61年)
    • 苫小牧アルミナ工場操業停止。
    • 冷熱事業システム営業部を日軽冷熱株式会社として分社化。
    • 蒲原電極箔工場操業開始。
  • 1988年(昭和63年)5月 - 蒲原熱交製品工場操業開始。
  • 1989年(平成元年)4月 - 日軽化工・日軽苫小牧を吸収合併。
  • 1990年(平成2年) - 佐賀工場操業開始。
  • 1991年(平成3年)4月 - 大信軽金属株式会社を吸収合併、蒲原合金工場・三重工場を継承。
  • 1993年(平成5年) - 日軽冷熱を合併、パネルシステム事業部発足。
  • 1995年(平成7年) - 株式会社日軽技研を合併、グループ技術センター発足。
  • 1996年(平成8年)10月 - 船橋工場の建材部門を新日軽に譲渡。
  • 1997年(平成9年) - 蒲原ホイール工場操業停止。
  • 1999年(平成11年)
    • 蒲原合金工場操業停止。
    • 10月 - (旧)東洋アルミニウム株式会社を合併、東洋アルミ事業部発足。
  • 2000年(平成12年) - MD苫小牧工場操業停止、メモリーディスク基盤事業部廃止。
  • 2000年(平成12年)
  • 2002年(平成14年)10月 - パネルシステム事業部(滋賀工場・佐賀工場・苫小牧パネル工場・船橋分工場)を日軽パネルシステム株式会社、押出・軽圧加工事業部(蒲原押出工場・新潟工場押出部門)を日軽金アクト株式会社、(新)新潟工場を日軽新潟株式会社として分社化。東洋アルミ事業部を(新)東洋アルミニウム株式会社に吸収分割し廃止。
  • 2007年(平成19年)4月 - アルミニウム合金事業(幸田工場・三重工場)を株式会社エムシーアルミに譲渡、商号を日軽エムシーアルミ株式会社に変更し子会社化。
  • 2009年(平成21年)6月 - 札幌証券取引所名古屋証券取引所福岡証券取引所上場廃止。
  • 2009年(平成21年)7月 - 新日軽の(グループ会社保有分も含めた)全株式を、住生活グループ(後のLIXILグループ)に譲渡すると発表。
  • 2010年(平成22年)4月 - 新日軽の全株式を住生活グループに譲渡。
  • 2011年(平成23年)3月 - 日軽金アクト株式会社、日軽形材株式会社理研軽金属工業株式会社、日軽建材工業株式会社、株式会社エヌティーシー、日軽新潟株式会社、日軽蒲原株式会社の7社が共同株式移転により、中間持株会社日軽金加工開発ホールディングス株式会社(日本軽金属の完全子会社)を設立し、7社はその完全子会社(日本軽金属の孫会社)となる[6]
  • 2012年(平成24年)
    • 9月26日 - 東京証券取引所大阪証券取引所上場廃止。
    • 10月1日 - 単独株式移転により持株会社日本軽金属ホールディングス株式会社を設立。その事業子会社となる[7]。当社に代わり同社が東京証券取引所、大阪証券取引所の各一部に上場[8]。同時に日軽金加工開発ホールディングス株式会社及び(新)東洋アルミニウム株式会社の保有株式を日本軽金属ホールディングス株式会社に譲渡、日本フルハーフ株式会社の保有株式を同社に現物配当し、3社及びその関係会社は当社の子会社から外れ、3社は持株会社直接の子会社となった[9]
  • 2014年(平成26年)3月31日 - アルミニウム精錬事業を終了[10]
  • 2015年(平成27年)1月20日 - 株式会社東陽理化学研究所を子会社化[11]
  • 2021年5月17日 - 名古屋工場で生産するアルミ板製品の検査において1996年ごろから不正検査を行っていたことが判明。同年5月14日付で名古屋工場のJIS認証取り消された。

グループ企業[編集]

アルミニウム関連の子会社を多く擁する。

アルミナ・化成品、地金関係

板、押出製品関係

加工製品、関連事業関係

以下は日本軽金属ホールディングスの子会社である。持株会社移行時に日本軽金属の子会社からは外れている。

以前にはアルミ家庭用品(ケットル、脚立など)部門として、株式会社日軽プロダクツがあったが、需要の低迷等に太刀打ちできず2005年(平成17年)に解散した。

諸問題[編集]

1955年(昭和30年)に日本軽金属清水工場からアルミナ精製時における副生物として排出された砒素を含む低純度の第二燐酸ソーダが複数企業を経て転売された。最終的に森永乳業徳島工場が転売された第二燐酸ソーダを乳質安定剤として使用してしまったため、缶入り粉ミルク「森永ドライミルク」を飲んだ1万数千名もの乳児が大量にヒ素中毒になり、死亡者も出た食中毒事件(森永ヒ素ミルク中毒事件)が発生した。なお現在も、脳性麻痺、知的発達障害、てんかん、脳波異常、精神障害等の重複障害に苦しんでいる被害者が多い。

死の川[編集]

日本軽金属が運営する雨畑ダム。山梨県の自治体に多額の補償金を渡し、一方で山梨県からの天下りを受け入れることで、富士川の汚染を黙認させ、富士川を「死の川」にしたと、2019年より静岡新聞の特集記事で報道されている。

富士川はかつてはアユ釣りが盛んで、2010年ぐらいまでは熊本県球磨川とともに「尺アユ」(30cmを超える大型のアユ)が釣れる河川として全国に知られた。なかでも「富士川鮎釣り大会」は、富士川町制90周年記念として1991年に第一回が開催されて以来、山梨県の観光資源のひとつであった。しかし2010年代以降はアユの生息がほぼ確認されていない。

静岡新聞の報道では、少なくとも2011年以降、山梨県の元治水課長が社長(当時)を務める採石業者(日本軽金属が一部出資)が、雨畑川(山梨県早川町)にアクリルアミドポリマーを含む汚泥を不法投棄したことにより、富士川水系の中下流域が汚染され、生物が生息できない「死の川」となっている[12]

駿河湾におけるサクラエビ漁業も、1999年には2451トンの水揚げがあったものが、2020年には25.8トンと近年は著しく減少しているが、日本軽金属雨畑ダムの濁った水が早川、富士川を経て駿河湾に注ぎ込んでいるためだと、2020年に静岡県知事川勝平太は主張している[13]

雨畑ダムは日軽金が管理する発電専用のダムで、ダム湖の水は日本軽金属のアルミ製錬のために利用され、普段は富士川に放出されずに日軽金の敷設した専用のパイプラインを通って、日本軽金属蒲原製造所(静岡市清水区)の放水路から放出されるが、2016年時点での堆砂率93%と全く治水機能を持たないため、雨が降るたびに近隣への浸水を防ぐために発電を停止し、洪水吐ゲートからヘドロを含んだ大量の土砂を富士川に吐き出していた。

採石業者は「増水すれば流れる」[14]と承知のうえで汚泥を敷地に投棄、またコンクリート業者も、採石業者の許可を得てコンクリートくずを採石業者の敷地に投棄し、ほとんどが雨畑川に流出した。雨畑ダムの堆砂率の多さから、2019年8月の台風10号によって、ダム周囲の集落が浸水するなど大きな被害を受けたため、水害対策の為に角瀬発電所への水の引き込みは2019年8月より停止しており、現在は雨畑ダムの濁った水が富士川水系にそのまま流れている。

駿河湾サクラエビの不漁問題を抱える静岡県では非常に問題視されており、山梨県の採石業者の不法投棄問題も、由比港漁協(サクラエビが水揚金額の約9割を占める)の訴えを受けた静岡・山梨両県の合同調査によって2019年に判明した。この問題は、静岡新聞で積極的に報道されており、駿河湾のサクラエビ問題に始まってヘドロ不法投棄問題から戦後の日本軽金属の水利権問題にまで切り込んだ静岡新聞の特集「サクラエビ異変」が2021年に「水産ジャーナリスト賞」を受賞している[15]

静岡新聞は「駿河湾の宝石」と呼ばれるサクラエビの不漁の元凶として、雨畑ダムと日本軽金属を2019年より激しく非難しており、2020年1月1日には日本軽金属が雨畑ダムを含む富士川水系の4つの発電所を「アルミ製錬のために利用する」という建前で、実際は売電に転用していた「水利権の目的外使用」であったことを報道[16]。2020年2月には地元政治家(山梨県第1区)の中島克仁衆議院議員を動かして日本国政府の答弁書を引き出し、2020年11月には山梨県が国土交通省からの意見聴取を受ける事態となり、2021年2月より、日本軽金属の水利権問題が国会で議論されるまでに至った[17]。静岡新聞は山梨県の自治体による「水返せ運動」を引き起こすべく、山梨県や地元自治体に対する情報公開請求やアンケートなどの数々のアクションを起こしている。

山梨県としては特に問題視もされておらず、サクラエビの不漁問題の原因も「不法投棄の泥かは分からない」と考えており、したがって検出試験などの調査も行われていない。2019年に行われた山梨県・静岡県の合同による富士川の浮遊物質量の調査の結果では、山梨県側としては「調査前にまとまった降雨の見られたときを除き、目立った濁りは見られなかった」という認識であり、「富士川は、水の汚れが少ない、清らかな川」[18]と結論付けられた。

一方で、静岡県としては「環境基準の4倍を超えた観測地点があった調査日が、早川中下流で5日、雨畑川上流・雨畑ダム貯水池では8日あった」という認識であり、その濁りの原因を公式発表に記載しようとして山梨県側と対立、公式発表まで半年もめた末、山梨県大気水質保全課の公式発表とは別に、静岡県水産業局が「雨畑川上流からの土砂流入が原因の可能性が高い」と静岡県庁で「独自の補足」を行う異例の事態となった[19]。山梨県の採石業者の不法投棄問題は、当初は山梨県によって刑事告発も検討されていたが、2019年6月に「撤去完了」し、また下流域の水質にも異常は見られなかった(山梨県環境整備課の認識)ため、告発はなされなかった。

これらの富士川流域(山梨県内)の問題への対処は、静岡県と山梨県で温度差があるのも問題で、静岡新聞では2019年元旦より連日報道されているが、山梨県内ではあまり報道されておらず、山梨県環境整備課も「富士川にアユがいない」ということを2020年12月に静岡新聞の報道で知ったとのこと。また、2020年現在の山梨県知事の長崎幸太郎は、雨畑ダムのヘドロ問題はあくまで浸水対策の観点から問題視しているだけで、さらに「山梨県は海がないので、われわれが関心を持っているのは河川だ」[20]と、駿河湾のサクラエビ問題には全く関心を持っていないため、[要出典]山梨県は静岡県側と協力してヘドロ問題に対処する行動をみせながら、現実には両県で対立している[21]

雨畑ダムは、2019年の台風19号で県道や「雨畑の吊橋」が崩落し[22]、地区の孤立を招いたために長崎知事がダムを視察して日軽金を厳しく批判した[23]が、日軽金自身も雨畑ダムの問題で2020年3月期に特別損失110億円を計上する[24]など手を焼いており、国から行政指導を受けたために誰かが対処せざるを得ない雨畑ダム問題は、2021年現在、山梨県と日軽金で問題を押し付け合う形となっている。[要出典]

富士川から鮎がいなくなっても、富士川漁協(山梨県身延町)からは特に問題視されていないが、その背景として、日本軽金属から富士川漁協に年間1,500万円という、多額の漁業補償金が流れていることを静岡新聞が2019年6月に報道した[25]

雨畑ダムにおける水害の惹起[編集]

富士川水系の雨畑川に日本軽金属が建設した雨畑ダムの堆砂率が90%を超えており、川岸の集落にたびたび浸水等の水害を惹き起こしている。集落に壁を設置するなどしているが、抜本的な解決には至っていない。

名古屋工場におけるアルミ板製品の不正検査[編集]

2021年5月17日、日本軽金属の名古屋工場で生産するアルミ板製品の検査において1996年ごろから不正が行っていたことを親会社の日本軽金属ホールディングスが発表した。同年5月14日付で名古屋工場のJIS認証取り消しが行われた。

テレビコマーシャル[編集]

参考文献[編集]

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ 『講和から高度成長へ』、94頁。
  2. ^ 田中彰、「六大企業集団の無機能化: ポストバブル期における企業間ネットワークのオーガナイジング」『同志社商学』 2013年 64巻 5号 p.330-351, doi:10.14988/pa.2017.0000013201
  3. ^ 水酸化アルミニウム・アルミナ製品の価格改定に関するお知らせ”. 日本軽金属株式会社. 2016年6月9日閲覧。
  4. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1988年度撮影)
  5. ^ 国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成(1983年度撮影)
  6. ^ 子会社7社の共同株式移転による中間持株会社設立に関するお知らせプレスリリース 2011年1月28日
  7. ^ 単独株式移転による持株会社設立に関するお知らせプレスリリース 2012年5月15日
  8. ^ 日本軽金属ホールディングス株式会社の新規上場承認に関するお知らせプレスリリース 2012年9月3日
  9. ^ 第106期第3四半期四半期報告書
  10. ^ 買収防衛策適時開示”. 日本軽金属株式会社. 2016年6月9日閲覧。
  11. ^ 株式会社東陽理化学研究所の子会社化についてプレスリリース 2015年1月21日
  12. ^ 富士川の中下流域 凝集剤、生態系破壊か 山梨で業者が不法投棄 静岡新聞 2020年12月28日
  13. ^ ダムの堆砂、東京ドーム5個分撤去 計画に山梨、静岡知事なお不満 - 産経ニュース 2020.1.6
  14. ^ 山梨県、雨畑川の不法投棄で業者の社名公表: 日本経済新聞
  15. ^ 静岡新聞連載「サクラエビ異変」 水産ジャーナリスト賞 |静岡新聞アットエス 2021年3月4日
  16. ^ 水利権を目的外使用か 日軽金、製錬せず売電に転用 富士川水系 静岡新聞アットエス
  17. ^ 山梨2町、水返還求め意見書提出 日軽金発電所の水利権更新問題 静岡新聞アットエス
  18. ^ 山梨県/富士川等の水質調査(山梨県・静岡県合同での水質調査) 山梨県
  19. ^ 富士川の濁り、原因は記載せず 静岡・山梨両県が調査結果: 日本経済新聞
  20. ^ ダムの堆砂、東京ドーム5個分撤去 計画に山梨、静岡知事なお不満 - 産経ニュース 2020.1.6
  21. ^ サクラエビ不漁の原因は不明 山梨、静岡両県に温度差も - 産経ニュース
  22. ^ 雨畑ダム(山梨)湖底に大量ヘドロ 魚類や水草、確認できず 静岡新聞アットエス
  23. ^ 山梨知事「日軽金を提訴も検討」 上流浸水の雨畑ダムを視察 - 産経ニュース
  24. ^ 日軽金、純利益6割減 3月期決算、雨畑ダム対策で特損|静岡新聞アットエス
  25. ^ 富士川漁協、濁り「究明せず」 日軽金からは多額補償金 静岡新聞アットエス 2019年6月24日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]