難波

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難波駅前(左・高島屋大阪店、右・なんばマルイ
新歌舞伎座
なんばパークス
なんばマルイ

難波(なんば)は、大阪府大阪市中央区浪速区の地域名称。または、中央区の町名

概要

大阪の二大繁華街の一つであるミナミに包含され、一般的にはその玄関口となる難波駅大阪難波駅周辺の繁華街を指す。ミナミが心斎橋駅界隈から南海難波駅界隈までの広範な地域を指すのに対し、難波は概ね道頓堀以南・千日前以西の地域を指し、場合によっては道頓堀・千日前・湊町日本橋を含めた地域まで指すこともある。老舗や高級店が多い心斎橋と比べ、ミナミの玄関口でもある難波は多種多様な商店が混在する。

JR難波駅も難波駅や大阪難波駅と地下連絡通路などでつながっているが、長年親しまれてきた湊町駅という旧駅名と所在地の浪速区湊町という町名から、同駅周辺は現在でも湊町と呼ばれることが多い。ただし、本来の湊町は道頓堀川南岸の一画に過ぎず、現行住居表示の湊町は大半がもと難波である。

南海難波駅周辺は、再開発地域となっており、難波駅前の南街会館跡地には、丸井TOHOシネマズが入居するなんばマルイ2006年9月22日にオープンした。2007年4月完成のなんばパークス2期にも大阪市内最大級のシネマコンプレックス「なんばパークスシネマ」が新設され、映画館数が一気に増える事になった。

高島屋大阪店(本店)は、既存本館の改修と新館増床により、分散しているブランド品と洋品雑貨売り場、レストランをそれぞれ集約・拡張する新本館計画が行われた。投資額は約250億円。2010年3月2日には増床第1期分である東ゾーンのオープンを皮切りに、2010年秋の第2期オープンした後、2011年3月3日にグランドオープンした。増床面積は2万2000平方メートルで、現在の店舗面積5万6000平方メートルと合わせると7万8000平方メートルとなり、西日本最大級の百貨店へと変貌した。また、2007年に完成したなんばパークス2期の専門店街のプロデュースも行い、高島屋はミナミの集客作戦に大規模な投資をしている。

範囲

現在の住居表示で難波と付くものには、中央区難波(1~5丁目)、中央区難波千日前、浪速区難波中(1~3丁目)がある。

大阪市営地下鉄の難波駅(四つ橋線は除く)・大阪難波駅・高島屋・なんばマルイが難波に、千日前道具屋筋商店街なんばグランド花月吉本会館)や5upよしもとNMB48劇場(YES-NAMBAビル)が難波千日前に、なんばパークスや大阪府立体育会館が難波中に所在する。南海難波駅と同駅ホーム下に位置するなんばCITYは難波と難波中に跨っている。

沿革

難波の地名の由来となった西成郡難波村は、もともと南船場島之内新町堀江の一帯にあり、上難波村(南船場)と下難波村(他)に分かれていた。現在ではほとんど難波と認識されることのない南船場に、後述の難波別院難波神社があるのはこのためである。大坂城下の拡張に伴い、上難波村はわずかに飛地を残す程度となり、下難波村は道頓堀以南へ移動となった。また、堀江の開発によって、木津川沿いの地域は西成郡西側町・材木置場として分割された。1700年、上難波村飛地を下難波村に編入し、難波村に改称された。

難波村のうち最も早く市街化したのが概ね現在の中央区難波にあたる難波新地である。まず、1724年大火の後に火除地となった天満橋南詰の本堺町・京橋一丁目および京橋北詰の相生西町・相生東町(一部)の移転先として、道頓堀の南西に元堺町・元京橋町・元相生町の3町が置かれた。次いで、1765年に3町と元伏見坂町(通称:坂町)の南側が開発され、難波新地1丁目~3丁目が形成された。

明治に入ると、1872年に坂町裏の1丁目が南阪裏町に改称されて坂町(現・千日前1丁目)に編入された形になったが、同時に元堺町・元京橋町・元相生町の3町を編入して、難波新地1番町~4番町に再編された。翌1873年には難波村のうち市街化が見られた区域を編入して、難波新地1番町~6番町となった。

1879年郡区町村編制法により難波新地は大阪府南区に含まれ、1889年市制施行によって、大阪市南区へ移行。また、同年の町村制施行によって、難波村は西成郡西側町・材木置場町・西高津村髭剃を編入し、難波村大字難波・西側・材木置場・西高津となった。1897年には難波村も大阪市南区へ編入された。

1900年の大字改編により、大字難波に以下の16町が成立し、難波を冠する町名は難波新地の6町を含め22町となった。なお、大字西側・材木置場は木津川町に、大字西高津は南阪町に改称された。

  • 難波河原町
  • 難波新川
  • 難波蔵前町
  • 難波元町
  • 難波東円手町
  • 難波西円手町
  • 難波東神田町
  • 難波西神田町
  • 難波桜川町
  • 難波反物町
  • 難波稲荷町
  • 難波塩草町
  • 難波小田町
  • 難波立葉町
  • 難波芦原町
  • 難波久保吉町

1925年、難波新地を除く16町は新設された浪速区へ編入され、同時に難波の冠称を廃した。1943年、南区と浪速区の境界変更が行われ、河原町北部が南区へ編入された。1967年には反物町が桜川町へ、小田町が塩草町へ編入された。

1980年に浪速区が、1982年に南区が現在の住居表示を実施。1989年、南区が東区と統合されて中央区となり現在に至る。

このように、難波新地を核とする繁華街が現在一般的に難波と呼ばれているが、本来の難波はさらに西の木津川付近までの地域を含んでいる。

主な商業施設・商店街・地下街

交通機関

難波を冠する施設等

難波別院

難波別院(なんばべついん)は、中央区久太郎町4丁目1-11に所在する真宗大谷派寺院。「南御堂」と通称される。

難波神社

難波神社(なんばじんじゃ)は、中央区博労町4丁目1-3に所在する神社

難波八阪神社

難波八阪神社(なんばやさかじんじゃ)浪速区元町2丁目9-19に所在する神社。旧 下難波村の氏神社。

その他

なお、駅名の記載などで、ローマ字で表記される場合ヘボン式の表記では、3文字目はNでなくMを使用する。("NANBA"ではなく、"NAMBA"である。)

関連項目