絶対君主制
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絶対君主制(ぜったいくんしゅせい, 英: Absolute monarchy)は、君主制の一形態で、君主が統治の全権能を持ち、自由に権力を行使する政体である[1]。この対義語で、君主の権力が憲法などで制限されている政体は制限君主制という。
統治の正当性
絶対君主制においては貴族や諸侯、議会よりも君主の権威が優越する。その正当性の根拠が、神意に求められることがある(王権神授説)[1]。また、君主を民の家長とみなしたり、国家・臣民を君主の財産と考えることによっても正当化される[1]。
歴史学での用法
歴史学では絶対王政もしくは絶対主義という語が一般的に用いられる。絶対君主制という語は一般的に用いられず、政体の点での絶対王政を説明する時に用いられる。
実際の例
ヨーロッパでは、16世紀後半のスペイン、イングランド、17世紀のフランス、スウェーデンなどが絶対王制の典型である。18世紀の啓蒙主義は、これを否定する形の新たな君主制であり該当しないが、当初は啓蒙専制君主と言われた。東アジアでは、中国の王朝とその影響下にある地域で見られた東洋的専制主義もこの典型例とされる[1]。
1945年以後の世界では、バーレーン国が2002年に立憲君主制に移行し「バーレーン王国」に国名変更したり、ブータンが徐々に立憲君主制へ移行、また2008年にネパールが共和制になるなど、絶対君主制国家は減少傾向にある。
しかしながら、絶対君主制から制限君主制(立憲君主制)への移行を果たしても、君主権が大幅に温存されれば、権力分立が不完全となり、立憲主義が徹底されない。このような政体は外見的立憲君主制(または、外見的立憲主義に基づく立憲君主制)と呼ばれる。1850年以降のプロイセン王国がその代表例である。また、ドイツ帝国憲法の影響を受けた明治憲法下の日本もこの類に属するという見解もある[1][2][3]が、意見が分かれている。 外見的立憲君主制の国家は絶対君主制的実質も持ち[3]、政府が議会に優位した[4]。
また、制度的には民主的な憲法が存在しても、君主が非常事態宣言や国会停止などの強権を頻繁にあるいは長期に発動している場合、三権分立などの権力分立が行われていても各要職を王族で固めて相互チェックが機能していない場合、更には国民の知る権利が不十分で実質的な批判ができない場合(いわゆる非自由主義的民主主義)など、立憲主義が形骸化している場合には、実質的には絶対君主制に近いとも言える。ただしこれらは立憲君主制に限らず共和制でも共通である。
現在の絶対君主国一覧
立憲君主制より絶対君主制に移行中の国家
- ブルネイ・ダルサラーム国…独立以来、スルタン(ブルネイの国王)を元首とする立憲君主制を政体としていた。だが、徐々に君主の大権が強化されており、近年は絶対君主制に極めて近い政体となっている。