サバーハ家

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サバーハ家アラビア語: آل صباح‎、Al-Sabah)は、クウェートの首長家。18世紀より現在まで、クウェートのアミール首長)を輩出している。

概要[編集]

もともとはバーレーンハリーファ家英語版同様にオナイザ族英語版バニー・ウトバ英語版氏族に属し、中央アラビアのダルイーヤにいたが、同じオナイザ族のサウード家に追われてクウェートに移住。18世紀に、オスマン帝国との交渉役としてクウェート商人の互選でサバーハ家が選ばれ、首長となった。さらに1871年アブドゥッラー2世・アッ=サバーハがオスマン帝国からカーイマカム総督)の称号を与えられ、クウェートは隣国・イラクバスラ州の一部であると認められた。


なお、現在の憲法の規定により、首長及び皇太子は第7代ムバーラク大首長の直系男子と定められている。なお、これはムバーラクが兄のムハンマドを暗殺して首長になったが、ムハンマドの子息は健在で、現在も子孫がいることによる。ムバーラク大首長の王子、第8代ジャービル首長(ジャービル家)と第9代サーリム首長(サーリム家)の子孫から、ほぼ交互に首長を輩出しているが、近年、サーリム家の衰えが激しく、ジャービル家に首長・皇太子・首相他政府ポストのほとんどを押さえられている。

サバーハ家の歴代首長[編集]

サバーハ1世 1756年 - 1762年 オネイザ族の出身で、元は商人。商人仲間から、オスマン帝国との交渉役として互選され、首長となる。後にオスマン帝国から総督の称号も得る。
2 アブドゥッラー1世 1762年 - 1814年5月3日
3 ジャービル1世 1814年 - 1859年
4 サバーハ2世 1859年 - 1866年
5 アブドゥッラー2世 1866年 - 1892年
6 ムハンマド首長 1892年 - 1896年
7 ムバーラク大首長 1896年 - 1915年 イギリス保護領となることによって、周辺・他国の干渉を排する政策をとり、クウェートの独立国家としての基礎を作る。アル・カビール(大首長)の称号を得る。)
8 ジャービル2世 1915年 - 1917年 ジャビール家の祖。
9 サーリム首長 1917年 - 1921年 サーリム家の祖。
10 アフマド=ビン=ジャービル・アッ=サバーハ ジャービル家 1921年 - 1950年
11 アブドゥッラー3世 サーリム家 1950年 - 1965年
12 サバーハ3世 サーリム家 1965年 - 1977年
13 ジャービル・アル=アフマド・アッ=サバーハ ジャービル家 1977年 - 2006年1月15日 湾岸戦争時の首長。
14 サアド・アル=アブドゥッラー・アッ=サバーハ サーリム家 2006年1月15日 - 同24日 10日天下首長。即位時には既に重病で、継承法の規定により議会に対し内閣(首相はサバーハ皇太子)から首長交代の要請がなされ、議会の全会一致で廃位された。サアド首長側は即位式まで待つよう要請したが、聞き入れられなかった。
15 サバーハ・アル=アフマド・アル=ジャービル・アッ=サバーハ ジャービル家 2006年1月24日 - 現在の首長。

主な王族[編集]

第10代アフマド首長の王子で、第13代ジャビール首長・第15代サバーハ首長の弟。1937年生まれ。
第10代アフマド首長の王子で、第13代ジャービル首長・第15代サバーハ首長・ナワーフ皇太子の末の弟。湾岸戦争時、イラク軍と戦った唯一の王族。その戦闘により死亡した。クウェート国民からは英雄と崇敬されている。
1961年生まれ。ファハド王子の子、現首長の甥。元エネルギー大臣。父ファハド王子の行いにより、国民の人気が高く、政治的にも発言力が強い。現在のアジア・ハンドボール連盟の会長を務めている。

略系図(サバーハ家)[編集]

初代   7代
サバーハ…ムバーラク
       │8代(ジャービル家祖)
       ├ジャービル
       ││10代
       │└アフマド   首相
       │ ├ムハンマド─ナーセル
       │ │13代
       │ ├ジャービル
       │ │15代
       │ ├サバーハ
       │ │皇太子
       │ ├ナワーフ
       │ │     アジアハンドボール連盟会長
       │ └ファハド─アフマド
       │9代(サーリム家祖)
       └サーリム
        │11代    14代
        ├アブドゥッラー─サアド
        │12代
        └サバーハ