神田駿河台
神田駿河台 | |
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聖橋。向かって右側が神田駿河台。左側が湯島。 | |
北緯35度41分57秒 東経139度45分49秒 / 北緯35.69917度 東経139.76361度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 千代田区 |
地域 | 神田地域 |
人口 | |
• 合計 | 542人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
郵便番号 |
101-0062 |
市外局番 | 03(東京MA) |
ナンバープレート | 品川 |
※座標は神田駿河台二丁目付近 |
神田駿河台(かんだするがだい)は、東京都千代田区の町名。現行行政地名は神田駿河台一丁目から神田駿河台四丁目。
地理
千代田区・神田地域の北に位置し、文京区(本郷・湯島)との区境にあたる。「駿台(すんだい)」との略称も存在する。
もとは本郷台地と連続していたが、江戸幕府二代将軍・徳川秀忠の命を受けた仙台藩祖・伊達政宗が1620年(元和6年)に仙台堀(神田川)の開削によって分離した[2][3][4][5][6]。また、削って下町を埋めた為に、今では台地では無い所もある。
関東大震災の復興区画整理事業の第1号地となった。戦前の旧神田区時代は、明治の元勲である西園寺公望が私邸を構えるなど、山の手の住宅街として知られていたが、1970年代に入ると民家が主としてオフィスビル、店舗などに取って変わられ現在では住宅の存在が稀になった。
1960年代には御茶ノ水駅から本郷通り沿い周辺を中心として学生相手の店が多くなり始めた事もあって日本のカルチェ・ラタンと呼ばれた。
河川
歴史
地名の由来
徳川家康の死後、江戸幕府が駿府の役人を住まわせた事が地名の由来。
沿革
- 1967年(昭和42年)4月1日 - 神田駿河台二丁目の一部で住居表示を施行し、町名を変更する[7]。
- 1969年(昭和44年)4月1日 - 神田駿河台二丁目7番地[8]で住居表示を施行し、町名を変更する[9]。
町名の変遷
実施後 | 実施年月日 | 実施前(特記なければ、各町名ともその一部) |
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三崎町一丁目 | 1967年4月1日 | 神田三崎町一丁目、神田駿河台二丁目 |
猿楽町二丁目 | 1969年4月1日 | 神田猿楽町二丁目(全域)、神田駿河台二丁目 |
交通
鉄道
道路
施設
- 企業・法人
-
- 日本BS放送(BS11)
- 三井住友海上火災保険
- 佐々木研究所(杏雲堂病院)
- 東京基督教女子青年会(YWCA)
- 山の上ホテル
- 古今書院
- 宗教施設
脚注
- ^ 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳) 千代田区
- ^ 第五章 神田川山脈「御茶ノ水の茗渓」 (PDF) (川副秀樹 著、『東京「消えた山」発掘散歩』 p.80-83)
- ^ 首都圏みやぎゆかりの地「仙台堀(神田川)」(宮城県)
- ^ 地下鉄の駅名に見る江戸のなごり(その2) (PDF) (社団法人日本地下鉄協会「SUBWAY 日本地下鉄協会報 第194号」 2012年8月31日発行)p.48-50
- ^ J-BECレポート 2013 vol.8 (PDF) (一般財団法人橋梁調査会) p.33
- ^ 緑と水のひろば No.68 SUMMER 2012 (PDF) (公益財団法人東京都公園協会)
- ^ 同年4月11日、自治省告示第81号
- ^ 住居表示実施地区と未実施地区一覧 千代田区
- ^ 同年7月2日、自治省告示第113号
関連項目
外部リンク
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神田小川町 |