猿楽町 (千代田区)

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猿楽町(さるがくちょう)は、東京都千代田区町名住居表示実施済み。現行行政地名は猿楽町一丁目及び猿楽町二丁目。2011年2月1日現在の住民基本台帳による人口は746人。郵便番号は101-0064。

地理[編集]

千代田区の北部に位置し、町域北部から東部は神田駿河台に、南部は神田小川町に、西部は錦華通りを境に三崎町西神田神田神保町に接する。主に商業地として利用されておりで貸しビルや商店のほか、大学高等学校などの教育施設も見られる。

住居表示により、それまでの「神田猿楽町」から「神田」を冠さない現町名へ変わったが、「神田猿楽町」へ町名を戻す住民運動が起こっており、2007年8月1日、「千代田区住居表示検討懇談会」からこの答申が千代田区長に提出された。

なお、東京都渋谷区にも同名の猿楽町がある。

歴史[編集]

江戸時代には一帯が武家屋敷で、現在の錦華通りが表猿楽丁、猿楽通りが裏猿楽丁と呼ばれていた。

明治5年1875年)に武家地が廃されると、現・白山通りより西が中猿楽町、白山通りと錦華通りの間が猿楽町(丁目なし)、現・猿楽通りより東が裏猿楽町、残りの部分が南から順に猿楽町一~三丁目に編成された。猿楽町(丁目なし)は明治41年(1911年)に表猿楽町と改名された。

明治時代には周囲の神田駿河台神田小川町などと同様、学校が次々と開設した。明治14年(1881年)の女子仏学校(現・白百合学園中学校・高等学校)、明治23年(1890年) の神田高等女学校(現・神田女学園中学校・高等学校)、明治40年(1907年)の 東京音楽大学などがそれである。

また、東京大学予備門に通う学生の下宿が多く存在し、明治10年代には夏目漱石正岡子規らが猿楽町に下宿している。日華学会など中国留学生のための施設も点在した。

(旧)猿楽町一~三丁目、表猿楽町、中猿楽町、裏猿楽町は、関東大震災復興にともなう区画整理と町名変更により、昭和8・9年(1933・1934年)、猿楽町一・二丁目に再編され、一部は駿河台、西神田、神保町に編入された(別項「」を参照)。昭和22年(1947年)の千代田区成立時に「神田」を冠称して神田猿楽町一・二丁目となる。昭和44年(1969年)4月、当地区に住居表示を実施。神田猿楽町一・二丁目に神田駿河台二丁目の一部を加えた区域が、「神田」の冠称を除いた猿楽町一・二丁目となった。

地名の由来[編集]

町名は、慶長頃に現・神田神保町一~二丁目から西神田一~二丁目にかけて猿楽師観世大夫一団の屋敷があったことに由来する。屋敷は万治2年(1659年)の神田川工事の折に移転したという。「猿」の俗称「エテ」より「エテガク丁」とも呼ばれた。

沿革[編集]

町名の変遷[編集]

実施後 実施年月日 実施前(特記なければ、各町名ともその全域)
猿楽町一丁目 1969年4月1日 神田猿楽町一丁目
猿楽町二丁目 神田猿楽町二丁目、神田駿河台二丁目(一部)

交通[編集]

道路[編集]

  • 猿楽通り
  • 錦華通り

施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 昭和44年7月2日自治省告示第113号「住居表示が実施された件」

関連項目[編集]

外部リンク[編集]