済州島
座標: 北緯33度22分 東経126度32分 / 北緯33.367度 東経126.533度
済州道 | |
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所在地 | 韓国済州特別自治道 |
所在海域 | 黄海・東シナ海・日本海 |
面積 | 1,845 km² |
最高標高 | 1,950 m |
最高峰 | 漢拏山 |
プロジェクト 地形 |
済州道 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 제주도 |
漢字: | 濟州道 |
発音: | チェジュド |
日本語読み: | さいしゅうどう |
ローマ字転写: | Jeju-do |
済州道(さいしゅうどう、チェジュとう、朝鮮語:제주도、英語:Jeju Island)は、朝鮮半島の南西、日本海、東シナ海、黄海の間にある火山島[1]。その付属島嶼と併せて大韓民国済州特別自治道を構成する。人口は約66万人、面積は1,845km2。以前には英語などの西洋言語では Quelpart(クエルパート、퀠파트)とも呼ばれていた。
15世紀初頭頃まで、耽羅という独立した王国があった。李氏朝鮮の併合後も朝鮮半島からの人口流入はほとんどなく独自の文化を維持し、20世紀まで保っていた[2]。現代ではソウルを超える観光地となっている[3][4]。なお、朝鮮語では「島」と「道」は同じ音のため、「済州島」と「済州道」の区別に注意を要する。
地理
済州道は韓国の最南端[5]に位置する楕円形をした火山島であり、同国で最大面積の島[6]。
島の中心には標高1,950mの漢拏山がある。180万年前から火山活動が始まり[7]、楯状火山の活動で島がほぼ形成され[8]、その後、単成火山群が活動した[8]。島内および海岸には360個以上の火砕丘が形成されている[9]。岩質は主に玄武岩から成る。漢拏山は同国において最高峰であり[10]、多くの登山客が訪れる。済州道は日本とも近く、最も近い長崎県の五島列島まで180kmほどの距離にある。
行政面では、済州特別自治道が置かれ、済州市が島の北半分を、西帰浦市が南半分を市域としている。
地形
島内には火山活動に由来する地形が多く残され、以下の3つが「済州の火山島と溶岩洞窟群」として2007年に世界遺産に登録された。
気候
島の周辺には暖流である対馬海流が流れているため、大陸性気候により冬の寒さが厳しい韓国の中では最も気候が温暖である。この気候を利用して、韓国で唯一のミカンの産地となっている。
しかし、冬になると半島部と同様の北西季節風の影響や島の中央に漢拏山がそびえる地形的要因により、非常に風が強く島の南北の気温差が大きい。この季節風により風下となる南側には、しばしばカルマン渦の雲が発生する。漢拏山の北側にある済州市は東京と同じくらいの寒さで(風が強いため、体感気温はさらに低い)、関東地方と同程度(年に1、2回以上)のまとまった降雪もある。一方、南部に位置する西帰浦市は1月の平均気温は6.8度とより温暖な気候で、日中の気温は10度以上になり、日本の高知県や宮崎県北部の気候に相当する。
- 済州市の極値
- 最高気温37.5℃(1942年7月25日)
- 最低気温-6.0℃(1977年2月16日)
- 過去最深積雪21.5cm(1959年1月18日)
済州市(1981−2010)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 8.3 (46.9) |
9.4 (48.9) |
12.8 (55) |
17.5 (63.5) |
21.6 (70.9) |
24.8 (76.6) |
29.0 (84.2) |
29.8 (85.6) |
25.8 (78.4) |
21.3 (70.3) |
16.0 (60.8) |
11.0 (51.8) |
18.9 (66) |
日平均気温 °C (°F) | 5.7 (42.3) |
6.4 (43.5) |
9.4 (48.9) |
13.8 (56.8) |
17.8 (64) |
21.5 (70.7) |
25.8 (78.4) |
26.8 (80.2) |
23.0 (73.4) |
18.2 (64.8) |
12.8 (55) |
8.1 (46.6) |
15.8 (60.4) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.2 (37.8) |
3.6 (38.5) |
6.1 (43) |
10.2 (50.4) |
14.4 (57.9) |
18.7 (65.7) |
23.3 (73.9) |
24.3 (75.7) |
20.4 (68.7) |
15.1 (59.2) |
9.8 (49.6) |
5.3 (41.5) |
12.9 (55.2) |
降水量 mm (inch) | 65.2 (2.567) |
62.6 (2.465) |
88.6 (3.488) |
89.6 (3.528) |
96.4 (3.795) |
181.4 (7.142) |
239.9 (9.445) |
262.5 (10.335) |
221.6 (8.724) |
80.3 (3.161) |
61.9 (2.437) |
47.7 (1.878) |
1,497.6 (58.961) |
平均降水日数 (≥0.1 mm) | 12.6 | 10.3 | 11.2 | 10.0 | 10.4 | 11.8 | 12.5 | 13.5 | 10.8 | 7.0 | 9.3 | 10.8 | 130.2 |
% 湿度 | 65.3 | 64.9 | 64.9 | 66.5 | 70.4 | 76.8 | 78.3 | 76.5 | 73.7 | 66.9 | 65.1 | 65.1 | 69.6 |
平均月間日照時間 | 70.4 | 105.4 | 158.9 | 194.4 | 211.9 | 170.9 | 195.6 | 195.6 | 161.7 | 178.5 | 126.0 | 84.8 | 1,854.1 |
出典:Korea Meteorological Administration [11] |
- 西帰浦市の極値
- 最高気温35.9℃(1966年8月3日)
- 最低気温-6.3℃(1977年2月16日)
- 過去最深積雪37.8cm(1963年1月25日)
西帰浦市 (1981−2010)の気候 | |||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
平均最高気温 °C (°F) | 10.7 (51.3) |
11.6 (52.9) |
14.4 (57.9) |
18.5 (65.3) |
22.0 (71.6) |
24.6 (76.3) |
28.3 (82.9) |
30.1 (86.2) |
27.4 (81.3) |
23.4 (74.1) |
18.2 (64.8) |
13.2 (55.8) |
20.2 (68.4) |
日平均気温 °C (°F) | 6.8 (44.2) |
7.8 (46) |
10.6 (51.1) |
14.8 (58.6) |
18.6 (65.5) |
21.7 (71.1) |
25.6 (78.1) |
27.1 (80.8) |
23.9 (75) |
19.3 (66.7) |
14.1 (57.4) |
9.3 (48.7) |
16.6 (61.9) |
平均最低気温 °C (°F) | 3.6 (38.5) |
4.4 (39.9) |
7.1 (44.8) |
11.3 (52.3) |
15.3 (59.5) |
19.2 (66.6) |
23.5 (74.3) |
24.6 (76.3) |
21.1 (70) |
15.9 (60.6) |
10.6 (51.1) |
5.9 (42.6) |
13.5 (56.3) |
降水量 mm (inch) | 61.0 (2.402) |
77.1 (3.035) |
131.2 (5.165) |
174.9 (6.886) |
205.8 (8.102) |
276.9 (10.902) |
309.8 (12.197) |
291.6 (11.48) |
196.6 (7.74) |
81.6 (3.213) |
71.4 (2.811) |
45.1 (1.776) |
1,923 (75.709) |
平均降水日数 (≥0.1 mm) | 10.3 | 9.5 | 11.0 | 10.5 | 10.7 | 12.9 | 14.3 | 14.2 | 10.3 | 6.1 | 7.4 | 8.1 | 125.3 |
% 湿度 | 62.8 | 62.1 | 62.4 | 64.5 | 69.9 | 78.2 | 84.1 | 79.0 | 72.5 | 63.9 | 63.2 | 62.2 | 68.7 |
平均月間日照時間 | 152.2 | 152.6 | 174.0 | 190.9 | 199.0 | 144.2 | 142.1 | 184.2 | 176.1 | 207.1 | 170.5 | 161.8 | 2,054.7 |
出典:Korea Meteorological Administration [11] |
歴史
耽羅国三姓神話
済州道には、「三姓神話」という、朝鮮半島の「檀君神話」とは違った耽羅民族の独自の建国神話があり、『高麗史』や『世宗実録』におよそ次のような内容で表されている。
瀛州(ヨンジュ)と呼ばれ、未だ人の住まない太古の済州に「高、梁、夫」の3つの姓を持った3人の神人(3神が高乙那・良乙那・夫乙那と描かれるものも[12])が、漢拏山の北山麓の地の穴(三姓穴)から現れたのが現在の済州の人々の先祖であるという。ある日、漢拏山から遠くの海を眺めていた彼らは、東の方から流れてくる木の箱を発見した。開けてみると、箱の中には東国の碧浪国(日本と取る学者もいる)から来たという紅帯紫衣の使者と美しい3人の姫と駒と馬と五穀が入っており[12]、神人は、彼女達を妻として迎え、年齢順に住処を定めて暮らすようになった。その後神人の子孫達は、産業と五穀の栽培を始めて集落を作るようになり、約900年後に皆の人望を集めた高氏を王として、初めて「タクラ」という王国が成立したとされる。
耽羅国
三国志に現れる3世紀の州胡を済州道人(耽羅民族)に比定する説がある。その後耽羅国が成立し、4世紀頃には、百済に朝貢していた。
新羅の朝鮮半島統一後は、主に新羅に朝貢するようになったが、日本へも朝貢を行い、日本からも使節が派遣されるなど独自の外交を行った(遣耽羅使)。
『三国志』『後漢書』によれば、耽羅国の言語は朝鮮民族とは言語系統が異なるものであったと述べている。
高麗朝時代
高麗時代の1105年に耽羅郡として直轄領として組み込まれ、1214年から済州と呼ばれるようになるが、在地支配層は依然健在で、高い独立性を維持し続けた。
元に対して抵抗した三別抄の残党は、済州道を最後の拠点として立てこもった。反乱は元・高麗軍によって平定され、済州道は元の直轄地に組み込まれた。
元が済州に牧場を設けたため、以後の済州は馬産地になり、また元からの移住者およびその子孫は牧子と呼ばれた。
朝鮮時代
朝鮮王朝の時代には朝鮮八道の1つ、全羅道に組み込まれ、在地勢力は次第に力を失っていった。朝鮮時代には江華島と並ぶ流刑地の一つでもあり、主に政争で負けた王族や両班が流刑にされている。1629から1830年まで島にいる全て住民に対して出陸禁止令が出されていた[3]。
15世紀の済州には船に居住して海産物を採る海民が存在し、本土の海岸まで出ていくものがあり、一部は海賊化した[13]。
19世紀の後期には日本漁船の島の周辺海域への進出とそれに伴う漁民間の衝突が日朝間の政治問題となった(朝鮮出漁)。
日本統治時代
1910年の韓国併合で大日本帝国の領土となり、1945年まで朝鮮総督府によって統治されていた。1922年に島と大阪をつなぐ直行便「君が代丸」が就航すると多くの島民が労働のため日本内地へ渡航し、彼らが集住した猪飼野周辺には後の生野コリアタウンの原型が形作られていった。
済州道四・三事件と大韓民国への編入
日本の降伏後、連合国占領軍の到着が朝鮮本土に比べて遅れた島内は朝鮮建国準備委員会の済州道支部を起源とする人民委員会が統治を担ったが、政策を巡って人民委員会と米軍政庁は1947年から対立を深めた。そして1948年4月3日には朝鮮の南北分断を固定するとの理由から、南朝鮮単独での総選挙実施に反対する過程で済州道四・三事件が発生し、少なくとも3万人の島民が南朝鮮国防警備隊やその後身の大韓民国国軍、西北青年会等の民間右翼などによって虐殺された。この事件は、朝鮮半島の南北支配戦争の渦中で済州道だけは島民だけで今後の行方を決めようとする運動を、北側の介入と見て南側の軍部や自警団が抹殺したものである。結果として済州道は大韓民国に組み込まれた。この虐殺事件の混乱で済州道民は周辺国に難民として逃れた。現在の在日韓国・朝鮮人には、この時に命からがら日本に逃れて来た者も多い。
済州道四・三事件以降の済州道
5・16軍事クーデターで実権を握った朴正煕の下で、島の観光開発が進められた。
2018年にはイエメンから済州道に来た561人のうち552人が難民申請する事態に反対の世論が巻き起こった。韓国国民から政府に対して、難民拒否を求める請願には2017年に韓国大統領府が請願サイトを開設して以降、最多の約70万を超える署名が集まった。その後もソウルでも反対抗議集会が起きるなど議論の的となっている(後述)[14][3][15]。
文化・生活
済州道民は「星主」という国王を中心として、朝鮮半島とは違う独自の神話・称号文化を持った民族であった。
王氏高麗の侵略や李氏朝鮮の併合後も朝鮮半島からの人口流入は殆どなく独自も文化を維持し、20世紀まで保っていた。
トルハルバン
トルハルバン(石じいさん)は、もともと朝鮮時代の行政区域である3つの郡・県のそれぞれの東・西・南門の入口に立てられた、村の災厄を追い払う守護神(道祖神)であったが、現在は済州道のシンボルとして各地に立てられ、土産物としてトルハルバンを模した置物が製作・販売されている。
「三麗」と「三多」、および「三無」
済州道の特徴を言い表すのに、「三麗」と「三多」、および「三無」という言葉がある。三麗とは、「美しい心」「素晴らしい自然」「美味しい果物」といった島民の心や景観の美しさ、特産物を意味する。三多とは、「石と風と女の3つが多い」という意味。火山島であるため、火山の噴火により流出した火山岩が多く、台風が度々通過する上、季節風の吹く地域であり、またかつては漁労のため海に出て遭難するなど男性の死亡率が高かったことに由来している[要出典]。
三無とは、「泥棒がいない」「乞食がいない」「外部からの(泥棒と乞食の)侵入を防ぐ門が無い(必要無い)」という意味を表す。かつての済州道は、厳しい自然環境を克服するため協同精神が発達しており、そのことも前述の3つが無かった(あるいは必要とされなかった)とされてきた所以とされる。そのために韓国本土に住む人々の気性の激しさとは対照的に性格も温和で純朴だと言われる(日本国内各地に点在するコリアタウンでも済州道出身者は、古くから同島出身者を「流刑地住民の子孫」として差別してきた韓国本土出身者を避けて(東京都荒川区三河島や大阪市生野区桃谷等に)集結していた[16])。
大宅壮一の著書『炎は流れる』の朝鮮編には、「済州道民は朝鮮半島本土と違い、性格は温厚で生活様式が日本に近い」とある。
差別
朝鮮本土ではかつて済州出身者が異質な存在として差別的に扱われることが多く、済州道民の反発を招く事件も起こった(詳細は済州道四・三事件、韓国の地域対立を参照)。2000年代に入っても済州道出身という理由で就職に落ちるなどの事例もある[17]。
交通
島の北、済州市の市街地に隣接して済州国際空港がある。日本国内からは成田国際空港・関西国際空港との間に直行便があり、大韓航空、ティーウェイ航空が就航している。その他の日本国内から済州国際空港へ行く場合には、ソウル金浦国際空港か、釜山金海国際空港を経由するのが一般的である。
海運面では、釜山と木浦との間にフェリーが就航しているほか、島内の陸上交通は路線バスが多数運行されている。今日鉄道は存在しないが、1929年から1931年にかけては済州道循環軌道が存在した。
軍事
大韓民国海軍は2006年現在、済州道に新たに海軍基地を建設中である。基地建設後は、独島級揚陸艦と計画中の最新鋭潜水艦をそこに集中配備し、済州道に機動艦隊用前進基地を建設する予定[要出典]。
観光
ゴルフ場やカジノなどの観光・娯楽施設が多数あるほか、海産物なども豊富なため、韓国国内のみならず、日本などからも多くの観光客が訪れる。かつては外国人観光客の多くを日本人が占めたが、近年は外国人に対するビザ特例措置(済州道のみを訪問する場合、観光ビザ免除)もあり、中国人観光客が急増している[18]。2007年、世界自然遺産に選定された済州の火山島と溶岩洞窟群は、2011年に韓国国民の熱心な活動により、新世界七不思議財団によって新・世界七不思議 自然版に選定された。
済州道ジオパーク
2010年、済州道全域が「済州道ジオパーク」として世界ジオパークネットワーク(GGN)に加盟認定された。2013年8月には、日本の島原半島ジオパークと姉妹提携が結ばれている[19][20]。また、同年9月にはアジア太平洋ジオパークネットワーク (APGN) の第3回シンポジウムが開催された。
難民流入問題
イエメン内戦を逃れた難民が相次いでビザ不要のマレーシアに逃れたものの、マレーシアでは滞在期間の延長が許可されなかった。このため2017年12月にマレーシアからの直行便が就航し、観光活性化のために多くの外国人に対し一定期間の滞在であればビザを不要としていた済州道が次の目的地となり、2018年4月頃より済州道にイエメン難民が増え始めた[21]。
2017年に難民申請を行ったイエメン人は42人であったが[22]、2018年は約半年間足らずで561名が入国し、そのうち519人が難民申請を行った[14]。4月30日には難民申請者に対して済州出入国・外国人庁が島から出ることを制限する措置を行い、難民審査が終わるまでは韓国本土に渡ることができなくなった[22]。6月1日には韓国外交部がビザ不要の地域からイエメンを除外した[21]。
こうした難民の急激な増加に韓国政府は特別就労許可を出すなど対応したものの、韓国国内からは否定的な世論が巻き起こり、大統領府には難民申請許可の廃止を求める国民請願が提案され、20万人以上の賛同を得た[21]。一方で韓国もかつては済州道四・三事件の際に難民を出した経緯があるため、国際社会に恩返しするために受け入れ体制を整えるべきという主張も見られる[14]。難民申請者がSNSで銃を持った写真を掲載していたことが問題視されたが、イエメンの文化では勇猛さのアピールとして武器と一緒に撮影する事があると韓国政府は見解を述べ難民認定に関する問題とはならなかった[23]。
その後は難民申請の放棄などもあり、最終的に申請を行ったイエメン人は481人で、2018年9月中旬には、人道的配慮として未成年者や妊婦、負傷者など23人のイエメン人が滞在を認められた[24]。2020年2月までに3人が難民認定され、443人が就労することが出来る人道的滞在許可となっている[25]。
関連人物
出身者
島内風景
-
山房山溶岩ドーム
-
城山日出峰から
-
天帝淵瀑布
-
天地淵瀑布
-
正房瀑布
-
漢拏山山麓
-
東門市場
脚注
- ^ アンソニー・テイラー『世界の聖地バイブル : パワースポット&スピリチュアルスポットのガイド決定版』ガイアブックス、産調出版、16ページ、2011年、ISBN 978-4-88282-780-1
- ^ 탐라국 저항의 역사
- ^ a b c “韓国・済州島「イエメン難民殺到」を読み解く10のキーワード - Yahoo!ニュース” (日本語). Yahoo!ニュース 2018年9月11日閲覧。
- ^ “韓国人が訪問した旅行先、済州・ソウルより大阪がもっと多い?| Joongang Ilbo | 中央日報”. s.japanese.joins.com. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 高知県や福岡県と同緯度
- ^ 東アジアの中でも大きめの島で、沖縄本島の1.5倍、対馬の2.5倍
- ^ 出典 : 済州火山島と溶岩洞窟 - 文化財庁、2016年10月閲覧
- ^ a b 長谷中利昭, 李文遠, 藤巻宏和, 北風嵐, 宮本毅, 谷口宏充「韓国,済州島の単成火山の地形学的特徴」『東北アジア研究』第2号、東北大学東北アジア研究センター、1998年3月、21-40頁、hdl:10097/41014、ISSN 1343-9332、NAID 110004822769。
- ^ 三宅康幸, 古山勝彦, 尹銑, 高基源, 長尾敬介「342. 韓国済州島の更新世火山岩の化学組成の時間的変遷」『日本地質学会学術大会講演要旨』第1993巻、日本地質学会、1993年、566頁、doi:10.14863/geosocabst.1993.0_566、ISSN 1348-3935、NAID 110003035298。
- ^ 38度線(軍事境界線)以南の現在統治範囲において
- ^ a b “평년값자료(1981−2010) 제주(184)”. Korea Meteorological Administration. 2011年5月1日閲覧。
- ^ a b 韓国済州島 高野史男著 ISBN 978-4121013262 p.13
- ^ 高橋公明「中世東アジア海域における海民と交流-済州島を中心として-」『名古屋大学文学部研究論集』第98号、名古屋大学文学部、1987年、p175-194、doi:10.18999/jouflh.33.175、ISSN 04694716、NAID 120000976129。
- ^ a b c “済州島にイエメン難民続々 就業や医療支援、反発も”. 日経電子版 (2018年6月20日). 2018年7月16日閲覧。
- ^ “済州島に逃れてきた一握りのイエメン難民にヒステリーを起こす韓国人|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト”. www.newsweekjapan.jp. 2018年9月11日閲覧。
- ^ 「在日の地図 大韓棄民国物語」(著:山野車輪 海王社)
- ^ 제주도민 지역차별
- ^ 聯合ニュース 2020年1月30日 제주도 "중국인 대상 무사증 입국제도 일시 중지 검토 중"
- ^ 聯合ニュース 2013年8月26日 済州島と島原半島ジオパーク 姉妹提携
- ^ 島原半島世界ジオパーク > イベント情報 > 済州島ジオパークと姉妹提携
- ^ a b c “済州島に来たイエメン難民500人に立ちはだかるイスラムフォビア”. ハンギョレ. (2018年6月19日) 2018年7月16日閲覧。
- ^ a b “難民審査が始まったイエメン人「済州島は小さな刑務所」”. ハンギョレ. (2018年6月29日) 2018年7月16日閲覧。
- ^ “제주 예멘인 난민 인정 0명…인도적 체류 허가 339명”. 2020年6月13日閲覧。
- ^ “済州島で難民申請のイエメン人 23人に人道的滞在許可=韓国”. 聯合ニュース. (2018年9月14日) 2018年9月19日閲覧。
- ^ “韓国で暮らすイエメン難民のいま 2018年、ビザなし済州島に殺到”. 西日本新聞. 2020年6月13日閲覧。
関連項目
- 大韓民国の島の一覧
- 耽羅
- 済州道四・三事件
- 済州方言
- 済州新聞社
- 済州新聞
- 放牧
- 在日韓国・朝鮮人
- 吉田清治 (文筆家)
- 李奎遠 - 朝鮮時代末期に済州道を踏査。
- ヘンドリック・ハメル - 17世紀、済州道に漂着したオランダ人
外部リンク
- 済州火山島と溶岩洞窟 - 文化財庁
- 済州道エリア観光地紹介 - 韓国観光公社公式サイト (日本語)
- 済州観光公社旅行ブログ - 済州観光公社 (日本語)
- Jeju Volcanic Island and Lava Tubes - 世界自然遺産 (英語)
- 地図 - Google マップ