大谷智久
千葉ロッテマリーンズ #14 | |
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2011年 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 兵庫県 |
生年月日 | 1985年2月14日(39歳) |
身長 体重 |
176 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2009年 ドラフト2位 |
初出場 | 2010年4月23日 |
年俸 | 2,500万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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大谷 智久(おおたに ともひさ, 1985年2月14日 - )は、兵庫県出身で千葉ロッテマリーンズに所属するプロ野球選手(投手)。ニックネームはともちんなど。
経歴
プロ入り前
岡山県新見市生まれ。小学生の時に神奈川県横浜市の「荏田ブランチーズ」でソフトボールを始め、大阪府の茨木市立西陵中学校在学時は軟式野球部に所属し大阪大会優勝[1]。
報徳学園高校に進学後は2年春からエースとなり、尾崎匡哉らと共に3年時にはセンバツに出場して西村健太朗・白濱裕太らを擁する広陵高校、須永英輝を擁する浦和学院高校、谷哲也を擁する鳴門工業高校などを破り優勝。自身は初戦から決勝戦までの6日間で5試合を全て完投した。夏は兵庫大会決勝で坂口智隆を擁する神戸国際大附高校を破り、夏の甲子園に春夏連続となる出場を果たすも1回戦で浦和学院高校に敗れた。
高校卒業後は東京六大学野球連盟所属の早稲田大学スポーツ科学部に進学し、1年春からリーグ戦で登板。2年時以降は主戦格となり、リーグ戦通算51試合登板、18勝8敗、防御率1.79、202奪三振の成績を残し、4年春には最優秀防御率のタイトルを獲得した。社会人野球のトヨタ自動車に入社後も1年目から公式戦で登板し、都市対抗野球大会と社会人野球日本選手権大会に3年連続で出場[2]。選手権大会では2007年、2008年と2連覇して後者では最優秀選手賞を受賞し、2009年の第80回都市対抗野球大会では準優勝して優秀選手賞を受賞。
2009年のドラフトでロッテから2位指名を受け、契約金8000万円、年俸1500万円(金額はいずれも推定)[3]で契約し入団。背番号は同年引退した小宮山悟が着けていた14に決まった[4]。なお、同僚の荻野貴司はロッテから、中澤雅人は東京ヤクルトスワローズからそれぞれ1位指名を受けた。
プロ入り後
2010年4月23日の福岡ソフトバンクホークス戦でリリーフとしてプロ初登板。同月25日の同カードでは先発した川越英隆が負傷降板した後を受けて2回途中からロングリリーフし、パシフィック・リーグの新人で最初の勝利投手となった[5]。
2011年は開幕一軍入り。当初はロングリリーフで好投した。その後、ビル・マーフィーの離脱等により5月31日の東京ヤクルトスワローズ戦で初の先発マウンドに上る。以後先発として起用され、7月2日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦で先発初勝利をあげた。しかし8月半ばからは打ち込まれる場面が目立ち、9月4日以降は再びリリーフに配置転換される。結局、先発としては15登板で3勝9敗、防御率4.21、WHIP1.36と振るわなかったが、救援では19試合に登板し防御率1.11、WHIP0.84と優れた数字を残した。
プレースタイル
平均球速約138km/h[6]の速球に、ツーシーム・スライダー・カット・ファスト・ボール・カーブ・フォークボール・チェンジアップといった多彩な球種を投げ分ける。
人物
アマチュア時代から「伸ばしても似合わず、寝癖直しも面倒」という理由から自分のバリカンで散髪しており、「海坊主」と自称する丸刈り頭がトレードマーク[1][5]。
社会人時代の監督である川島勝司は「カッとなることがあるが真面目」。高校時代の監督である永田裕治は「努力の子」と評している[1]。
俳優の森山未來、格闘家の長島☆自演乙☆雄一郎と報徳学園高校の同級生であり、センバツ優勝した試合では森山はアルプススタンドで応援していた。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2010 | ロッテ | 11 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 70 | 15.0 | 22 | 2 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 12 | 12 | 7.20 | 1.73 |
2011 | 34 | 15 | 0 | 0 | 0 | 3 | 9 | 0 | 5 | .250 | 497 | 120.0 | 123 | 8 | 23 | 1 | 3 | 78 | 1 | 0 | 49 | 45 | 3.38 | 1.22 | |
通算:2年 | 45 | 15 | 0 | 0 | 0 | 4 | 10 | 0 | 6 | .286 | 567 | 135.0 | 145 | 10 | 27 | 1 | 3 | 83 | 1 | 0 | 61 | 57 | 3.80 | 1.27 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 投手記録
- 初登板:2010年4月23日、対福岡ソフトバンクホークス4回戦(千葉マリンスタジアム)、7回表2死に3番手として救援登板、1回1/3を無失点
- 初勝利:2010年4月25日、対福岡ソフトバンクホークス6回戦(千葉マリンスタジアム)、2回表無死に2番手として救援登板、3回1/3を無失点
- 初奪三振:同上、3回表に山崎勝己から
- 初ホールド:2010年5月3日、対北海道日本ハムファイターズ7回戦(千葉マリンスタジアム)、6回表に3番手として救援登板、1回無失点
- 初先発:2011年5月31日、対東京ヤクルトスワローズ1回戦(QVCマリンフィールド)、5回2/3を2失点5奪三振(自責点0)で敗戦投手
- 初先発勝利:2011年7月2日、対東北楽天ゴールデンイーグルス8回戦(日本製紙クリネックススタジアム宮城)、7回1/3を2失点
- 打撃記録
- 初打席:2011年5月24日、対広島東洋カープ2回戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)、4回表に福井優也から二塁ゴロ
- 初安打:2011年6月6日、対中日ドラゴンズ4回戦(ナゴヤドーム)、5回表にマキシモ・ネルソンから右中間二塁打
背番号
- 14 (2010年 - )
脚注
- ^ a b c 「海坊主です!」大谷、パ新人一番乗りのプロ1勝! - スポーツニッポン 2010年4月26日
- ^ 2008年の第79回都市対抗野球大会は三菱重工名古屋の補強選手として出場。
- ^ ロッテ、荻野外野手・大谷投手と契約 - 読売新聞 2009年12月1日
- ^ 荻野貴司選手、大谷智久投手との契約について - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2009年11月30日
- ^ a b 緊急登板の大谷、プロ初星パ新人1番乗り/野球/デイリースポーツonline [リンク切れ] 2010年4月26日閲覧。
- ^ 『2012プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2012年、80頁頁。ISBN 978-4-905411-04-8。
関連項目
- 兵庫県出身の人物一覧
- 早稲田大学の人物一覧
- 千葉ロッテマリーンズの選手一覧
- 宮本賢・山本一徳 - 大学の同期