山本一徳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
山本 一徳
Kazunori Yamamoto28.jpg
ロッテ時代(2011年8月1日)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 島根県安来市
生年月日 1983年6月13日(30歳)
身長
体重
184 cm
94 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 大学生・社会人ドラフト5巡目
初出場 2007年3月27日
最終出場 2011年7月26日
年俸 900万円(2011年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

山本 一徳(やまもと かずのり、1983年6月13日 - )は、千葉ロッテマリーンズに所属していた元プロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

島根県安来市出身。小学校1年生の頃から野球を始め、安来高校では2年夏の県大会2回戦で7回コールドながらノーヒットノーランを達成し、ベスト4進出に貢献[1]。3年生の5月に腰を痛め、同年夏は外野手として7安打3打点を挙げたが、ベスト8で出雲工高に敗れた[1]。高校卒業後は一浪の後に一般入試早稲田大学に入学。

東京六大学では宮本賢大谷智久の左右のエースの存在もあり未勝利に終わったが、独特のスリー・クォーターから繰り出す最速144km/hの動く速球と184cm、90kgという恵まれた体格を買われ、2006年のプロ野球ドラフト会議日本ハムから5巡目で指名された。既にトヨタ自動車に進むことが内定していたが、同年11月30日に契約金と年俸それぞれ6,000万円、1,200万円(いずれも推定)で契約を結び[2]、宮本らとともに入団した。

日本ハム時代[編集]

2007年はルーキーながら開幕一軍に登録され、12試合に登板した。2008年は一軍出場はなかったが、二軍でイースタン・リーグ最多の43試合に登板し経験を積んだ。

2010年オフ、根本朋久との交換トレードが11月22日に公示され、高口隆行と共に千葉ロッテマリーンズへ移籍した[3]

ロッテ時代[編集]

2011年7月20日、対オリックス戦でプロ5年目にして初勝利を挙げた[4]。同年は、自己最多の14試合に登板し、防御率2.87の成績を残した。

2012年は一軍登板なし。二軍では17試合に登板したが、防御率10.45と散々な結果に終わった。2012年10月7日付けで戦力外通告を受け[5]、現役を引退する。

引退後[編集]

2013年からは古巣日本ハムに戻り、ベースボール・オペレーション・システム担当職員となった。

プレースタイル[編集]

最速147km/hのストレート(ツーシーム・ファストボール)と、スライダーフォークを主に投げる。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2007 日本ハム 12 2 0 0 0 0 1 0 0 .000 94 21.1 20 2 12 0 2 15 0 0 16 16 6.75 1.50
2009 3 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 10 2.1 2 1 1 0 0 3 1 0 2 2 7.71 1.29
2010 6 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 44 10.0 8 1 8 1 0 9 0 0 6 6 5.40 1.60
2011 ロッテ 14 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 67 15.2 14 2 5 0 1 12 0 0 5 5 2.87 1.21
通算:4年 35 2 0 0 0 1 1 0 0 .500 215 49.1 44 6 26 1 3 39 1 0 29 29 5.39 1.45

記録[編集]

背番号[編集]

  • 44 (2007年 - 2010年)
  • 28 (2011年 - 2012年)

脚注[編集]

  1. ^ a b 読売新聞、2001年7月25日付朝刊、島根地方面
  2. ^ 読売新聞、2006年12月1日付朝刊、P.21
  3. ^ 根本投手と北海道日本ハムファイターズ山本投手、高口選手のトレードについて - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト2010年11月14日
  4. ^ 山本一、プロ5年目の初勝利「勝ち投手は高2以来」 スポニチ Sponichi Annex、2011年7月21日
  5. ^ 戦力外通告のお知らせ - 千葉ロッテマリーンズ・オフィシャルサイト 2012年10月7日

関連項目[編集]

外部リンク[編集]