リスボン

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リスボン
所属する県 リスボン県
面積 84.8 km²
人口 564,652人
人口密度6,368人/km²
所属する教区数 53
自治体首長 {{{presidente}}}
住民呼称 {{{gentílico}}}
都市の休日 6月13日

リスボン: Lisboa)はポルトガルの首都であり、ポルトガル最大の都市である。南ヨーロッパ有数の世界都市でもある。面積84.6平方キロ、人口564,652人(2001年)。北緯38度43分、西経9度8分。近郊を含む都市的地域の人口は238万人であり、ポルトガルの人口の20%以上に相当する[1]。日本語では「リスボン」と表記されることが多いが、これは英語名Lisbonをカタカナ表記したものであり、ポルトガル語では「リジュボア」という。

ポルトガルの政治、経済、文化、教育の中心である。リスボン港はポルトガル最大の海港である。またリスボン大学を始めとする高等教育機関の所在地でもある。

地理

大西洋に流入するテージョ川の河口に位置する港湾都市である。テージョ川沿いのすぐ近くまで丘が迫っており、市街地の多くはその丘の上に発達している。そのため坂の多い街であり、別名「7つの丘の街」とも呼ばれる。これらの坂を上り下りする市電ケーブルカーが名物である。市街地はテージョ川沿いの旧市街とその北の高台に広がる新市街からなる。

気候

典型的な地中海性気候である。 は晴れた日が多くほとんど雨が降らない。時折アフリカ方面から来る熱波により40度近くなることもあるが、乾燥しているため日陰にはいると過ごしやすい。夜は気温が下がるので肌寒くなることもある。 は、ぐずついた天気が多くなるが、それほど気温は低くならない。雪はめったに降ることはない。

歴史

リスボンは古代からフェニキア人カルタゴ人)などにより港として利用されてきた。当時はフェニキア語アリス・ウボと呼ばれた。紀元前のギリシア人の集落跡が出土している。大プリニウスは『博物誌』でリスボンの創健者をオデュッセウスであるとしている。

紀元前205年にローマの支配下に入り、オリピソの名で知られる。紀元前48年にはガイウス・ユリウス・カエサルによりローマ都市の資格を与えられ、フェリキタス・ユリアと改名。属州ルシタニアの首都となった。

719年イスラム教徒であるムーア人に占領される。以後1147年に最初のポルトガル国王アフォンソ1世イスラム教徒より支配権を奪うまでイスラム教徒に支配された(リスボン攻防戦)。1260年には、アフォンソ3世コインブラから遷都し、ポルトガル王国の首都となった。

12世紀にはパドヴァのアントニオがリスボンから出た。この修道士がしばしばリスボンのアントニオとも呼ばれるのはこのためである。パドヴァのアントニオはポルトガルの守護聖人のひとりとみなされている。

15世紀はじめには大航海時代の幕開けとともに、世界貿易の中心都市となって35万人の人口を有し、当時の世界最大級の都市となった。しかし1531年にはリスボン地震で被害を受け、また1569年にはペストにより6万人の死者を出した。

カルモ教会

1755年リスボン大地震で市民の3分の2にあたる約6万人の死亡者を出した(地震の被害者総計は約9万人から10万人といわれる)。市内は津波と火災により多くの家屋も損傷し、リスボン市のみならずポルトガルの国内経済にも影響を与える甚大な被害を受けた。市内はのちにポンバル侯爵の設計で再建された計画都市となった。

1924年から1974年ファシズム政権、いわゆるエスタド・ノヴォのもとで、市街はさらに拡張された。

近現代の略史

主な地区と観光名所等

リスボンのパノラマ

セントロ(旧市街)

市西部

  • 国立古美術館: ポルトガルの代表的美術館。6点の南蛮屏風が収蔵されている。
  • 4月25日橋: テージョ川の河口付近に架けられた橋で1966年完成。かつてはサラザール橋と呼ばれた。
  • モンサント森林公園: リスボン市西部の多くの面積を占める公園。市街地に近接する公園としてはヨーロッパ最大級。
4月25日橋

新市街

  • リベルダーデ大通りパリシャンゼリゼ通りを手本に作られたリスボンのメインストリート。
  • エドゥアルド7世公園:イギリス王エドワード7世のリスボン訪問を記念してつくられた。
  • ポンバル公爵広場:リベルダーデ大通りの北端に位置し、多くのバスの停留所、メトロ、主要な道路が集まる交通の要所。周囲はビジネス街である。
  • グルベンキアン美術館:石油で財をなしたアルメニアグルベンキアン氏の個人的に収集した、紀元前から近代に至るまでの幅広い美術品が展示されている。
  • 闘牛場:5月から10月にかけて毎週木曜日の夜に闘牛が開催される。

ベレン地区

エキスポ地区(EXPO'98)

リスボン万博の跡地を再開発した地区で、近代的なビルが立ち並ぶリスボンの新しい副都心。

  • 国際公園(Parque das Nações):リスボン万博のメイン会場跡地。当時のパビリオンの建物が、国際展示場などに再利用されている。また水族館は大阪の海遊館と同じ設計者。
  • ヴァスコ・ダ・ガマ橋4月25日橋の混雑を軽減する目的で1998年に完成したヨーロッパ最長の橋。
ヴァスコ・ダ・ガマ橋

交通

地下鉄(リスボンメトロ
4路線ある。運賃はゾーン制ではあるが、リスボン市内だけであれば同じゾーンとなるため実質的に均一料金。2010年現在片道0.85ユーロ
市電・バス等(carris
市電は5系統。(12番,15番,18番,25番,28番)主な観光地は市電で網羅されている。そのほかケーブルカー3路線、バスがある。また、バイシャ地区とバイロアルト地区とをつなぐサンタ・ジェスタのエレベータも運営している。[2]
鉄道(ポルトガル鉄道Fertagus
コインブラポルト方面へ向かう玄関口としてサンタ・アポローニャ駅カスカイス方面へ向かう玄関口としてカイス・ド・ソドレ駅シントラ方面への玄関口としてロシオ駅がある。なお、リスボン国際博覧会開催に合わせてオリエンテ駅が整備されターミナル駅としての新しい玄関口としての役割を果たしている。
空港
ポルテラ空港:アクセスは、アエロ・バスかタクシー。市街地に近いので、タクシーを使った場合、中心部(マルケシュ・ポンバル)まで10ユーロでお釣りがくるぐらい。
フェリー
カイス・ド・ソドレおよびスル・イ・スエステから、テージョ川対岸のカリーシャス、セイシャル、バレイロ、モンテージョへフェリーが出ている。

ギャラリー

文化

  • ファドの本場として知られ、「ファドとポルトガル・ギター博物館」もある。

リスボンが舞台の作品

リスボン出身の人物

市内にあるフェルナンド・ペソアのブロンズ像

姉妹都市

脚注

  1. ^ Demographia: World Urban Areas & Population Projections
  2. ^ “リスボン市内交通案内(英語). http://www.carris.pt/en/colors-map/ 

関連項目

外部リンク

公式
日系機関
旅行
その他

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