シャンプー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。Luckas-bot (会話 | 投稿記録) による 2012年5月11日 (金) 23:20個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (r2.7.1) (ロボットによる 追加: cy:Siampŵ)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

20世紀初頭、ワシントンDCのC.L.ハミルトン社のシャンプーとローション
店頭で陳列販売されるシャンプー

シャンプー英語: shampoo)は、頭髪および頭皮を洗浄するための洗剤である。シャンプーの形状には粉末、固形、ペースト、液状などがあるが、現代ではほとんどが後者のものである[1]。ペット用のシャンプーもあり、この場合は頭に限定せず、全身を洗浄するものである。 車の外装用洗剤を「カーシャンプー」という場合もある。

また、洗髪自体を「シャンプー」「シャンプーする」と言う。

日本語では「シャ」にアクセントを置いて発音するが、英語では基本的に「oo」にアクセントを置く。

を基材に、ラウレス硫酸ナトリウムといった洗浄剤、増泡剤、保湿剤、キレート剤、香料防腐剤を成分とする。

JIS規格ではシャンプーの容器に凹凸を付ける事が望ましいとされている。この容器の凹凸は視覚障害者がリンスの容器と区別するためのもので『識別リブ』と呼ばれる。

概要

市場で幅広く流通し一般的に使用されているシャンプーは、陰イオン(アニオン系)界面活性剤のものが多く「高級アルコール」シャンプーと呼ばれる。「合成シャンプー」と呼ばれる場合もあるが、これはある石鹸メーカーが作り出した造語・俗称が広まった物であり、これに対し、脂肪酸ナトリウムや脂肪酸カリウムが主な洗浄成分のものを「石鹸シャンプー」と呼ぶ。石鹸シャンプーはアルカリ性であるが故に、弱酸性である髪の表面を覆うキューティクルが開き、剥がしたり、溶かしてしまう性質がある。他に、アミノ酸系やベタイン系の、陰イオン界面活性剤または両面界面活性剤を使用しているものがある。これらは高級アルコール系と比べると、洗浄力や泡立ちの点で少々劣る物が多く価格が高い傾向があるが、肌に与える刺激が弱いため他のシャンプーを使うと接触性皮膚炎を起こしやすい体質でも使用できる[要出典]。なお、洗髪の際にはシャンプーブラシが用いられることもある。

シャンプーで髪と頭皮を洗浄した後は、リンスコンディショナー、トリートメントなどで髪の保護をするのが一般的である。

販売形態

一般的にはシャンプー、リンス、コンディショナー、トリートメントはそれぞれ別のパッケージで発売されるが、シャンプーとリンスが一緒になった機能を持つリンスインシャンプーも発売されている。そのほか、キャンプ介護・非常時等入浴ができない場合に水なしで洗髪できるドライシャンプーも販売されている。

歴史

紀元前132年ハンガリー語の文献にシャンプーという言語を認めることが出来る。その頃のシャンプーは「マッサージする」という意味で、サンスクリット語champā(マッサージのために香油を塗る・香油の原料として使われていたキンコウボクMichelia champacaに由来)からヒンディー語chāmpoを経て伝わったと考えられている。

1759年シェイク・ディーン・マホメットイギリスブライトンハンマームを開設、これを切っ掛けとして洗髪の習慣がイギリスに広まった。最初のうちは髭剃り用石鹸にハーブを混入したものを洗髪に使用していたが、やがて石鹸シャンプーとして一般に普及。1930年代に至って界面活性剤が開発されると、高級アルコール系シャンプーが売り出される様になった。

日本

江戸時代

日本では、洗髪の習慣は過去に遡る程頻度が少なく、日本髪が結われていた時代は1ヶ月に一度程度というのが一般的であった。

また、結う際に油で艶を付けるという考えから、洗髪によって髪を美しくするという概念は今ほど強くなく、ふのり米ぬか小麦粉などで髪の油分を奪う洗い方が多く用いられていた。日本に洋髪が入ってきた時代、日本人の硬く太い髪を洋髪にするのは困難であり、髪に適度な油分を与えるシャンプーが好まれるようになり、普及し始めた。現在では知る人は少ない、「七夕に髪を洗うと髪が美しくなる」という言葉は、洗髪が日課として行われていなかった時代を反映していると言える。

そんな中、江戸時代に「洗い髪」が、町屋、ことに花柳界の女性の伊達な誇りとして流行した。

江戸の女性は髪を洗うときは絞り染めの浴衣を着て、前垂を背にかけて、髪垢で着物が汚れないようにした。洗った後は髪が乾くまで散らし髪のまま近所を出歩き、乾くと油をつけないで仮結にし、それを粋の極致とした。この洗い髪の粋な艶姿で有名になったのは明治時代、東京の名妓、「洗い髪のお妻」である。

ただし、江戸でも御殿女中などが髪を洗うのは、依然甚だまれであった。髪を洗わない女性は唐でよく梳いて垢を取り去り、その後に匂油をつけて臭いを防いだ。

京阪でも髪を洗うのはすこぶるまれであったが、娼妓はしばしば髪を洗った。天保頃から江戸の女性を真似て往々髪を洗う女性が現れるようになった。しかし京阪では往来で散らし髪の女性は見られなかった。

くしけずることさえ「三箇月一度可梳之、日日不梳」(九条殿遺戒)といったほどであった。洗うよりも油を塗る方が多かった。最初期は粘土ヒルガオのような野生の蔓草の葉を搗いて砕いて、水に溶かした液体を用い、また灰汁などで洗った。関東では午の日に髪を洗うと発狂するといい、九州では夜、髪を洗うと根元から切れるという。民俗学者は前者は丙午の迷信と関連づけ、後者は『本朝医談』や『後見草』にあるかまいたちや妖狐などの仕業と考えた髪切の怪を思わせるという。髪洗いの吉日もあり、『権記』寛弘6年5月1日の条には暦林を引いて「五月一日沐髪良、此日沐令人明目長命富貴」という。阿波では旧10月の戌の日に行なう御亥の子祭の晩に髪を洗うと赤毛が黒くなり、老いても白髪にならないといい、福島市付近では七夕の夜、婦女が流に出て洗髪する。

20世紀以降

1926年に葛原工業より「モダンシャンプー」が出るが売れず、1932年に花王から「花王シャンプー」が発売される。 1950年以降には石鹸から界面活性剤へと変わり、なかでも「花王フェザーシャンプー」は、約80%のシェアを占めた[2]

1980年代中盤から朝早く起きてシャンプーをしてから通勤、通学する「朝シャン」が若い女性に流行し、1986年には資生堂から「モーニングフレッシュ」が発売されるなど、シャンプーが手軽に、短時間でできるような商品が開発された。シャンプーとリンスが一度で済むリンスインシャンプーのほか、裸になって風呂場まで行かずとも、洗面台で髪を洗えるシャンプードレッサーが登場した。女子学生の間でもセーラー服などの制服、セーターにミニスカート姿などの衣装着用のままでシャンプーをしてから出かける人も増え始めた。

雑誌の広告には1988年末に「服を着たままシャンプーができる」というキャッチコピーを掲げたハンディシャワーに、セーラー服姿の女子高生シャワーを持って微笑んでいる写真が掲載されていた[要出典]テレビCMでは1989年山瀬まみ主演の「資生堂 しなやか恋コロン①」で20代くらいの女性コーラス隊6人が、白のブラウスに黒のスカート着用のままで髪にシャンプー剤をつけて白い泡をたてて髪や頭を洗いながら歌うという設定でテレビで放送されていた。[要出典]

現在では

またここ数年、クールビズの浸透に乗って、理容店では夏場に冷やしシャンプーを取り入れている。全国理容生活衛生同業組合連合会のキャンペーンによるものである。主にトニック系、メントール系の強いシャンプーを冷凍庫に入れて冷やしたり、氷を混ぜて冷やしたりという手法がとられている。山形県で最初に提案された、とテレビでも紹介があった。中でも東京神田神保町にある理容店「セブンヘアー」の「冷やし頭」登録商標している。

成分

石鹸をドロドロに溶かしたもの、ハーブエキス醤油が含まれていることが多い。石鹸には汚れを落とす効果、ハーブエキスには髪の毛をサラサラにする効果、醤油には大豆によって髪の毛を保護する効果がある[要出典]

脚注

  1. ^ 『現代商品大辞典 新商品版』 東洋経済新報社、1986年、615頁
  2. ^ 日刊工業新聞MOOK編集部『身近なモノの履歴書を知る事典』

関連項目