Wikipedia:執筆コンテスト/第四回執筆コンテスト/コメント

コメントをつける期間にはいりました。

分野A[編集]

手形金額重複記載事件[編集]

手形金額重複記載事件 - ノート - 2008年4月1日 (火) 09:07 (JST)

  • 2審判決で「原告A」「原告B」とありますが、概要によればAが被告でBが原告とのこと、錯綜しているように見えるのですが……。-- 赤い飛行船 2008年4月12日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
  • この事件の概要は良くまとまっており、解りやすいと思います。しかしその先がちょっと物足りないかなと。「有名な判例が生み出された」とありますが、どのような範囲で有名なのか、なぜ有名になったのかという記述がほしいです。「法形式論に過ぎるという批判も多い」とあり、その後で谷口正孝裁判官の批判が載せられていますが、それだけでなく法学者の間でどう評価されているのか、どのような批判(ないし肯定)があるのか、この判例がその後の裁判などに与えた影響はあるのか。などより記述を深めていただけると良いかと。らりた 2008年4月12日 (土) 11:46 (UTC)[返信]
  • (だぶってますが構わずコメント)簡潔にまとまった記事だと思います。レイアウト面では、テンプレート(?)の下から記事が始まっている点がやや残念です。また、冒頭の文章で「1審と2審では判断が分かれたため、最高裁判決による手形法の有名な判例が生み出された。」という表現が引っかかりました。下級審で判断が分かれたから有名、と読めるのですが、それでいいのでしょうか。同時に、「有名」とはなにをもっていうのか、記事からは明らかになっていません。この判決の意義や及ぼす影響について触れられればさらによかったと思います。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:09 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)私個人は、結構印象的で記憶しておりまして、今次改めて解説いただいて懐かしかったのですが、意外と知られていなかったのか、という所が意外でした(^^)。記事としては、裁判で見えている部分を過不足なく記述いただいていると存じます。一方で、更に周囲に話が及ぶと、より充実するのではないかと存じます。つまり、この手形は振り出してから最終的に受け取るまでは、1000,000円として、流通していた、という理解で宜しいのでしょうか。そして、最後にこの手形を持った人は1000,000円を払って手形を譲り受け、振出人からは100円しか受け取れないという事でしょうか。また、振出人自身は、1000,000円相当の金銭ないし物・サービスを受け取っているのでしょうか。そうすれば、不当利得云々で訴える事もできるかな、とか考えられます。その辺りの事情も判れば、より深みが増すでしょう。東 遥 2008年4月26日 (土) 05:37 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント):やはり、小切手法における重要な判例であるとすれば、その後の小切手法における学説の対立をこの記事に盛り込む必要があるのかなという気はします。--Tantal 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

京都大学芦生研究林[編集]

京都大学芦生研究林 - ノート - 2008年3月22日 (土) 02:11 (JST)

  • 地形学的観点、地質学的観点からの記述もきちんとされていて好感持てました。ただ、やっぱり地図が欲しいですね。1葉の地図があるだけでうんと理解しやすくなると思います。▼ひとつわからなかったのは演習林と研究林の違いです。表記が違うだけじゃないですよね。経済活動を伴うのが演習林、それがないのが研究林なのかなとも思ったりして……。-- 赤い飛行船 2008年4月12日 (土) 07:10 (UTC)[返信]
  • (これもだぶってますがコメント)正式名称がふりがなと並んで二重括弧になっていますが、別記するのがよいと思います。冒頭文の説明では研究林としての利用目的を明らかにしてほしいと思いました。基本的なところで「研究林」あるいは「演習林」の意味あるいは違いがわからないので、日本にはほかにどんな研究林・演習林があるといったことを含めた位置づけの説明があるといいと思います。「歴史」の節はたいへん充実しており、小見出しを立てると見通しがよくなるのではないでしょうか。この種の記事は、位置図や地形図、研究林の様子がわかる写真などの画像がぜひほしいところです。記事のさらなる充実を期待します。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:11 (UTC)[返信]
  • 森林軌道については一つの節を割いて記述されていますが、歴史の項目で水力発電所が建設されたとあり、このような施設を「研究林内にある施設」として書いていただけるとよいかなと思います。あと、研究林における営利事業は材木・木炭・しいたけ栽培・観光収入などが書かれていますが、他にはないのでしょうか。資料が難しいと思われますがこれらの事業の収支、それの大学の予算との割合、などが書かれていると良いかと。できればそういった経済的部分と研究としての部分とを切り離し、両者を明確に対比させるような構造になっていれば望ましいと思います。らりた 2008年4月18日 (金) 10:16 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)やはり、この研究林に即した画像が求められる記事だと思います。京都大学の施設でなおかつ、誰もが気軽に入山できる場所ではなさそうなので、急いで求める必要はないですが(この記事を読んだ京大の学生が投稿する事はあるかな?)。現在、研究林が置かれている環境に踏み込んだことは昨年の秋の加筆コンクールの土浦全国花火競技大会と同様で評価すべき点だと思います。植生の節での種数には脚注によるマークアップ、動物の節での芦生で特筆すべき種についての記述が望まれるところです。--Tantal 2008年4月19日 (土) 20:11 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)Tantalさんも触れられていますが、やはり現場の写真、場内の地図等があれば、親密度があがるかと存じます。また、1つの節が長く、読むのにちょっと努力が要りますので、できれば更に細かい節を設けて手掛かりを示されると読みやすいかなと存じます。これは好みの問題でもありますが。全体としては、対象を説明する記事として多角的な視点がありバランスもとれて良いと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 05:46 (UTC)[返信]

ブライスキャニオン国立公園[編集]

ブライスキャニオン国立公園 - ノート - 2008年3月5日 (水) 01:45 (JST)

  • (コメント)他言語版の秀逸記事らしく、構成的にはさすがによく整えられていると思います。画像も充実していて、目を楽しませてくれます。ただ、翻訳面では日本語として少々読みにくさを感じました。赤リンクがかなり目立つため、今後の記事化を期待します。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:12 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)英語版・ドイツ語版では秀逸な記事に選出されている記事なので、その骨格には問題がないと思います。それでは、さらに突っ込んで、日本語版で付与できる情報はなかったでしょうか?例えば、私は、昨年イスラーム建築を執筆する際に、英語版を骨格の基礎としながらも日本語文献を渉猟したのですが。--Tantal 2008年4月19日 (土) 20:01 (UTC)[返信]
  • 既に指摘されていますが、日本語として熟していない表現が見られます。
    • 「公園内にはブライス・キャニオンがある」というよりは「ブライス・キャニオンを中心とした国立公園」としたほうが良いのではないかと思います。
    • 節名の「人類史」という言葉も意味は取れるのですが、違和感がかなりあります。普通「人類史」といった場合にはネアンデルタール人がどうだとかそういったことを指すのでは。
    • 「生物」は「人類史」よりも前に、そして地理と絡めての記述があると良いかと思います。「公園の最も低い地域」とありますが、標高は何mから何mくらいを指すのか。など。らりた 2008年4月20日 (日) 11:37 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)ぱっと見て、冒頭部分がちょっと長いかな、という点が気になりました。地理の前に概要を設けて、そちらに移してまとめるのも宜しいかと。あとは、既に触れられている様に赤リンクが多い点も気になりました。主要なもの以外は敢えてリンクを外しておいてもよかったかな、と存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 05:52 (UTC)[返信]

富岩運河[編集]

富岩運河 - ノート - 2008年4月11日 (金) 21:55 (JST)

  • なぜこの運河が造られたのかがわかりません。これだけのものを築造するからにはそれなりの理由があったはずです。それがこの記事の一番の肝なんじゃないでしょうか?(外部リンクを読むとこの疑問は解けるし、この記事でも触れられているのですが、一読してわかるよう明確にしておいた方が良いと思います。)▼地理の記事にはやっぱり地図が要りますね。土地勘のある人なら、これで充分かと思いますけど、そうでなけりゃ何がなんだかわかりません。私も地図サイトを開いて理解したところです。▼定義部では「富山湾の岩瀬港(富山市岩瀬)から富山市湊入船町までをつなぐ運河である」となっているのに、「富山市中心部にある富岩運河環水公園から流れ始め」となっていて統一されていません。読み手を混乱させますね。それと本当に一方向に流れているのでしょうか。潮汐によって往ったり来たりしているだけのように見えるのですが。-- 赤い飛行船 2008年4月12日 (土) 12:49 (UTC)[返信]
  • (これもだぶってますがコメント)レイアウト面で、テンプレート(?)の下から記事が始まっている点がやや残念です。テンプレート内の数字が欠けているため、有用性が低くなっています。「地理」の節でも具体的なデータが少ないと感じました。「歴史」の節では、なぜ運河が必要とされたかの理由がほしいです。内務省幹部が賞賛したというところは出典が必要だと思います。掘削機にエキスカベーカが使われたとなっていますが、エキスカベーカだけ特筆する理由はなんでしょうか。「県」は富山県だと思いますが、「戦前」といった書き方を含めて、グローバルな百科事典にふさわしい表現を選んでもらいたいと思います。「水質汚染」の節は位置が微妙で、「歴史」の中に入れてしまうのも手かもしれません。あと、節見出しに脚注が付いているのは本文に付け直す方がよいと思うのですが、マウンドヴィルも同様なのですね。写真はどれもいい感じです。運河全体の地形図があればと思います。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:15 (UTC)[返信]
  • (執筆者の返事①)まず、赤い飛行船さんのコメントについて。造成された理由を書いてなかったのは大きな痛手だったといまさら気付きました。コンテスト全体が終了したゴールデンウィーク明けにでも書いておきます。定義部での不統一は「富山市中心部湊入船町にある富岩運河環水公園・・・」と書いて置けばよかったと反省しております。地図については他県の方が見ても分かる文章を書く心構えをしていませんでした。昔から説明力不足が著しくて大学受験では大変困りました。今後は誰が見ても分かる文章を書くことを心がけます。一方的に流れているのかについてですが、富山市中心部の標高は約10mほどで富山港から車で15分ほどかかります。(正確な数値がわからないので記事には書きませんでした)このことから潮の満ち欠けで往ったり来たりすることはないと思います。--ネプチューン 2008年4月19日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
  • (執筆者の返事②)次にみっちさんのコメントについて。河川情報はバイト稼ぎのために書きました。確かに情報量が少ないのにやるのはちょっと意味がありませんね。情報が少ないままでしたら消そうかと思います。「歴史」の節での諸問題についてはまず、内務省幹部のコメントは「参考資料」の節の北日本新聞の朝刊が出典です。赤司貫一などもここが出典です。他の記事を見て文献にも脚注をつけてあったのでまたもや失策です。エキスカベーカーはこれもバイト稼ぎです。書き方については認識が甘かったです。以後気をつけてまいります。水質汚染は富岩運河については重要な問題なのでわざわざ節に分けました。脚注を見出しに書くのはやはりよろしくないですかぁ。これもコンテスト終了後に直しておきます。--ネプチューン 2008年4月19日 (土) 13:37 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)人工物の記事を書く上で、やはり建設の目的がどうしても必要不可欠だと思います。例えば、三角港(熊本県)・野蒜築港(宮城県)も明治に建設されたこちらの場合は港ですが、それぞれの港の建設に関して目的が述べられています。また、富岩運河には複数の橋が架かっているとのことですが、その中でも特筆すべき橋梁はあるのでしょうか?何も隅田川のように架かる橋のほとんどが特筆すべき橋梁ではないのであれば、独立した記事を作る必要はないでしょうが。--Tantal 2008年4月19日 (土) 20:17 (UTC)[返信]
  • (執筆者の返事③)いまさら遅いのですが建設した目的を書いておきました。要約すると「明治時代になって富山港と富山市中心部の間で資材の運搬が盛んになり、この2つの地点を結ぶ水運が必要だったから。」です。あと、橋脚についてですが、コンテストエントリー以前からありました。履歴を見るとGappei2006さんが書かれたものです。特筆するものは今のところないのですが、せっかくGappei2006さんが書かれたものなので消すことは出来ません。--ネプチューン
  • (審査員コメント)用意するのは大変かと存じますが、およその位置とか、他の要素(神通川、富山湾、鉄道等)との位置関係を示す図面があると、より丁寧かと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
  • (執筆者の返事④)地図なら自宅にたくさんあるので用意できますけどコピーなどしてアップロードしてよいのでしょうか?そういうところは詳しく分からないので教えてください。--ネプチューン 2008年4月27日 (日) 11:51 (UTC)[返信]

枢軸時代[編集]

枢軸時代 - ノート - 2008年4月11日 (金) 07:21 (JST)

  • 私はどうしても中国史に関する記述が気になってしまうわけですが。細かいところですいませんが
  1. 劉邦(高祖)は儒家の説を重んじ
    • 劉邦は儒家嫌いで有名ですが、「儒家にも効用がある」と認めたというレベルかと思いますので儒家を重んじたというのはちょっとどうかと。
  2. 老子により大成された道の思想(道教)は
    • の思想が老子により大成されたというのもどうかと思いますが、それよりいわゆる老荘思想道教とは思想的つながりはあまり無いというのが普通の認識かと思います。また道教が中国の思想の上で極めて大きな影響を与えてきたわけですが、それとは別口で老荘思想が中国の思想の上で大きな影響を与えてきた訳でして、そのあたりも書いていただけたらなと思います。
  3. また諸子百家を全て並べる必要も無いんじゃないかと思えます。孔・孟・荀、老・荘、墨、韓非くらいを挙げておけば良いんじゃないかなぁという気がします。


以上のことはもしかしたらヤスパースがこう書いていたということなのかもしれませんが、それであるならば注記があると嬉しいです。いきなり細かい部分だけしか言わないでスイマセン。全体的なことに関しては後で述べます。らりた 2008年4月12日 (土) 12:01 (UTC)[返信]

  • (コメント)思想家の壮大な構想にふさわしい華麗な構成になっていると思います。ただ、「中立的観点」からいえば、記事の立ち位置として、少々構想の中に入り込みすぎている気がします。「枢軸時代」という歴史やその肯定的な影響面については詳述されていますが、この構想への批判や限界などについての客観的な記述がなく、バランスが取れていないと思います。個人的には、幅広くとれば600年というスパンはあまりにも広すぎて反則?ではないかとか、ここに挙げられる古典的思想・宗教の確立は、文字やその伝達手段の発達と不可分である割にその言及がない、などとツッコミどころを考えてしまいました。また、この点でヤスパースがアフリカ史やアメリカ大陸などの歴史を無視しているようなのも気になりました。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:17 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)お二方とも丁寧にお読みくださり、詳細なコメントをお寄せ頂きましてありがとうございました。おっしゃることは確かにごもっともなことであり、勉強になりました。正直申し上げて、気づいていながら、自分では直せないところもあり、わたしの力量では荷の重いテーマであったかもしれません。自分なりに真摯に受け止めまして、御指摘の懸案にはお答えしようと思っています。今後もマイ・ベストを尽くす所存でございますので、また教えてください。コメント、心より感謝申し上げます。--Greenland4 2008年4月15日 (火) 12:50 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)みっちさんの言うように、紀元前500年を挟んで前後300年というスパン・・・ヤルパースが提唱したのであれば、脚注がほしいところですが。実際はどうなのでしょうか?--Tantal 2008年4月17日 (木) 14:10 (UTC)[返信]
    • (執筆者返信)実際にヤスパースが言っています。脚注にも記しましたが、不充分だったかもしれません。今日は職場に本を置いてきてしまったので当該部分の前後を明日ここに記します。--Greenland4 2008年4月17日 (木) 14:29 (UTC)[返信]
    • (当該箇所について)ヤスパースは「枢軸時代の輪郭」の直前に述べています。「人間存在の形成は、特定の信仰内容にかかわりなく、西洋でもアジアでもあらゆる人間にとっても、経験的に必然的で理解可能なな認識とはならないが、それでも経験的理解に基づいて納得しうるような様式で行われたものであろう。この世界史の軸は、はっきりいって紀元前500年頃、800年から200年の間に発生した精神的過程にあると思われる。そこに最も深い歴史の切れ目がある。われわれが今日に至るまで、そのような人間として生きたところのその人間が発生したのである。この時代が要するに<枢軸時代>と呼ばれるべきものである。(ヤスパース「歴史の起原と目標」重田訳『世界の大思想 40』,p.16)--Greenland4 2008年4月18日 (金) 20:19 (UTC)[返信]

(執筆者コメント)思想関連記事の新規執筆はほとんど初挑戦に近かったのですが、難しさを痛感しました。これはまた、一種の(歴史上の)学説ともいえるものでもありますが、学説・観点に関連した記事に特有の難しさも感じました。いろいろ加筆しましたが、説明には全然成功していない感じがします。個人的には、エントリーを取り下げたいくらいです。とほほ。--Greenland4 2008年4月27日 (日) 00:46 (UTC)[返信]

シアバター[編集]

シアバター - ノート - 2008年3月11日 (火) 20:24 (JST)

  • (コメント)興味深く、かつ読みやすい記事です。構成のまとまりもよく、好印象。収穫がなぜ女性のみなのか、その理由をもう少し知りたく思います。「主役」である女性の仕事ぶりの画像や、シアバターを使った主な商品の紹介があるとさらに面白くなるのではないでしょうか。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:18 (UTC)[返信]
    • (執筆者回答)コメントありがとうございます。収穫者が女性である事、そうですね、私も興味深いです。この件についてはなかなかくわしく触れられている情報源がないのですが、もうひとがんばりして調べてみようと思います。主な商品の紹介も考えてみます。本日、ロクシタンのシアバターの画像を掲載してみました。--Cathkidston 2008年4月16日 (水) 04:49 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)小粒ながらも、必要なことを手際よく纏めている印象が御座います。アフリカの女性達のところで、もう少し女性の現状に触れてみるのも宜しいでしょう。また、経済的な手掛かりとして他の産物との比較もあると宜しいかと存じます。望むらくは、バター、ココアバターとの比較、バターという語源との関係もあると面白いでしょう。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント):アフリカ(エジプトと南アフリカを除く)に関して言えば、日本語版のみならず、どの言語版も弱点といえる地域だと思いますが、その中で、モノカルチャー経済へのアンチテーゼとして、現地の経済を知る上で、面白い記事だと思いました。既に述べられているとおり、収穫シーンの風景の画像があれば、深みを増す記事になると思います。--Tantal 2008年4月26日 (土) 14:51 (UTC)[返信]

帝国クライス[編集]

帝国クライス - ノート - 2008年4月9日 (水) 16:13 (JST)  

  • (コメント)大規模な記事ですが、構成がよく、画像も豊富で読みやすいです。クライスという言葉については、4つ目の脚注で現在も行政単位として使われているとありますが、本文で説明した方が良いのではないかと思います。これと関連して、この統治システムが後の時代やあるいは現代の行政区画にもたらした影響面はないか、気になるところです。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:19 (UTC)[返信]
    • (執筆者回答)コメントありがとうございます。脚注を付けたために、かえって誤解を与えてしまったようです。「クライス」という言葉自体は、特殊な専門用語ではなく、英語の circle にあたる一般的な言葉です。帝国クライスは帝国等族が集まったサークル、現在の行政区分のクライスは自治体が集まったサークルで「郡」と訳されているという具合です。両者に深い歴史的な結びつき云々はないと思います(私が知らないだけか?!)。むしろ現在クライスは普通に「郡」と訳されているけど、この記事はそれとは別だよ、と言う意味で付けた脚注だったのですが、かえってわかりにくいでしょうか?--汲平 2008年4月14日 (月) 14:21 (UTC)[返信]
    • 後世の統治システムに影響を与えた点については、ドイツの連邦的性質を決定づけたという点があると思います。ただ、この連邦制に皇帝権がどれだけ介入できたのかという点については、まだ専門家の間でも議論がなされている様子です。その後のプロイセンの拡大やヴァイマル共和制あるいは国家社会主義とめまぐるしく変貌する近代ドイツ史の中で、その性質がどの程度現在の連邦制に影響を及ぼしているのかは、まだ言及するほど熟成した議論になっていないようです。ドイツ人が行政の「州」とは別に、もっと身近に地方を表す「ラント」の概念(フランケンとかシュヴァーベンとか未だに言ってますからね)には、帝国クライスの区分が色濃いように思われます。ただし、これはもっと古い伝統に因るのかも知れません。--汲平 2008年4月14日 (月) 14:31 (UTC)[返信]
      • (了解)どうも反応すべき場所を間違ったようで、お恥ずかしい。ドイツでは国か州かというような地方単位の呼称議論もいろいろあるんでしたね。--みっち 2008年4月15日 (火) 08:44 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)中世以降の神聖ローマ帝国について詳細にまとめられた記事であるまとまった記事だと思います。数百の領邦国家から構成される神聖ローマ帝国において、小さい領邦国家が治安を維持するために、帝国クライスというブロックに所属するということを知るよい機会でした。唯一の難点は帝国等族という言葉が赤リンクであることでしょうか。参考文献に3冊挙げられていますが、他に参考文献として用いられたのはございますか?また、この記事を改善する上での課題を教えていただければと思います。--Tantal 2008年4月19日 (土) 20:37 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)帝国等族が赤リンクである点については、私も残念に思い、一応注釈で語義だけを付記しております。参考文献は、周辺情報については、一般的なドイツ史の教科書も使って勉強いたしましたが、こと帝国クライスに関する日本語文献については参考文献として挙げた3冊中特に最初の2点以上に詳細な文献は残念ながら存じません。今後のこの記事の課題としては、記事中でも触れておりますが、各クライス毎にそれぞれ性格や運営が異なっておりますのでクライス毎の各論記事があると良いかと思います。ただし、ドイツ語版でも各クライスについては成員一覧があるだけで、詳しい記述はありませんし、一部クライスを除けば日本語文献がありませんので原著文献を用いての勉強が必要で、素人の私の手には負えません・・・。もう一つの課題は、クライスの衰退・消滅に関する記述の充実があります。これについても、まだまだ勉強が必要で、いつ加筆できるというお約束はできそうにありません。--汲平 2008年4月21日 (月) 12:57 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)冒頭部分が長い様に思います。最初に概要の節をつくり、そこで纏めると宜しいかと存じます。いくつかの項目名にも「帝国クライス」という文字が見えますが、冗長ですので、省いてしまうと締まると存じます。それから、クライスの語源、きっかけとなったタイルの語源についても、説明があると面白いかと存じます。全般的には充実した記述がなされ、構成もよく纏まっており完成度が高いと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
    • (執筆者回答)コメントありがとうございます。また、過分のご評価を頂戴し感謝しております。ご指摘の点検討させて頂きたいと思います。--汲平 2008年4月27日 (日) 00:14 (UTC)[返信]

マルタ包囲戦 (1565年)[編集]

マルタ包囲戦 (1565年) - ノート - 2008年3月20日 (木) 18:41 (JST)

  • (審査員の質問):オスマン帝国本体の記事は秀逸な記事ですが、オスマン帝国が手がけてきた戦争については、まだまだ不十分な記事が多いかと思います。その中で、レパント海戦へとつながっていく地中海の歴史を楽しく拝読させていただきました。
さて、この記事を作成する上で、参照した日本語文献があれば教えてください。また、レパント以前では初めてのオスマン帝国の対ヨーロッパ勢力に対しての敗戦という記述ですが、なぜ、地中海で最強を誇っていたオスマン海軍がマルタ騎士団に対して敗北したのかとオスマン帝国内の国内的要因はあるのでしょうか?
Ayse Devrim Atauz氏の論文(記事内でリンクしてあった脚注22番のHPのPDF)"Trade, Piracy, and Naval Warfare in the Central Mediterranean: The Maritime history and Archaeology of Malta"の222ページには、当時のオスマン帝国は4正面での戦争を展開していたこと(対イランにおけるカザン、アストラハン方面、対ポルトガルにおけるインド洋方面、対神聖ローマ帝国における中央ヨーロッパ方面、地中海の覇権をめぐってのスペイン、ヴェネツィア)。しかし、スレイマン1世の時代にオスマン帝国は最大領土を達成する形になるわけですが、どうもマルタ包囲戦も含めて同時に展開された北アフリカ支配やエチオピア出兵はイスタンブルを中心とした支配の限界の露呈、あるいは冒険的政策の性格がありそうですが(出典は、永田雄三編『西アジア史Ⅱ イラン・トルコ』、山川出版社、pp.241-243)--Tantal 2008年4月12日 (土) 09:02 (UTC)[返信]
  • (執筆者回答):参照した日本語文献ですが、詳しく解説してある歴史の本に出会うことはかないませんでした。オスマン帝国側の歴史本も目を通しておりません。英語の記載のまま残してある脚注や参照は、全て英語版Wikipedia執筆で参考にされたものを乗せました(日本語版作成の際には参考にしておりません、の一文を入れておきます)。この記事を書くきっかけとなった、塩野七生氏の『ロードス島攻防記』には、後日談程度にしか触れておらず、全く手探りの状態でした。名前は知られているのに中身を知らない戦いがどのようなものだったか知りたい、という好奇心で始めたため、資料も知識も乏しいのを露呈し、正確性テンプレを貼られて今もそのままです。自分としては煮詰まってしまいました。--Magyon 2008年4月13日 (日) 16:01 (UTC)[返信]
  • (コメント)レイアウト面で、テンプレート(?)の下から記事が始まっている点がやや残念です。翻訳記事ということで、日本語の文章に難があります。例えば「マルタ騎士団」の節では、ロードス島包囲戦以降の経過やマルタ包囲戦の前哨戦でもあるゴゾ島の占領などが述べてあるため、もう少し見出しを適切なものにしてほしいと思います。兵力比較の節では、懐疑的とか合理的といった評価が書かれていますが、それがだれの判定なのかわかりません。さらにいえば、「ついに」とか「わずか」「真の」といった形容もだれのものなんだろうと思います。このあたり、やや「講談調」に傾いている印象があります。「オスマン帝国軍の集結」以下も、文意がくみ取れないところがかなりありました。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:22 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)冒頭部分が長い様に思います。最初に概要の節をつくり、そこで纏めると宜しいかと存じます。表現についても、ちょっと冗長なものが多いと存じます。例えば「~からである」「~のである」などが気になりました。このあたりを修正すれば表現が引き締まると存じます。翻訳ということで構成面でもそれを引き継いでいるのだと存じますが、構成、記述の順番も工夫の余地がある様に存じます。背景、包囲戦が生じるに至った経緯、戦争の経緯、結果、後への影響という風に順序を追って行くと宜しいかと存じます。それから、両軍の配置図の概略、砦等の配置などの図もあると、より判りやすいでしょう。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターのコメント)お疲れ様です。一連のヨーロッパとオスマンの戦いの流れの中に位置づけることや、その流れ自体の概要がほしいなと思いました。感じたことは既に指摘されているので、余談気味に加えると、この時期はトルコの軍楽隊とヨーロッパとの接触の時期で、太鼓がヨーロッパに受容される大きな機会となっているのですね。そういう、戦史としては重要ではないかもしれないけれど、この規模で項目を立てる際には、そのへんが補えるといいなあと思いました。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

アフリカ史[編集]

アフリカ史 - ノート - 2008年4月6日 (日) 08:40 (JST)

  • アフリカについて学校で習ったことといえば、エジプト文明があったことと、奴隷貿易と、ボーア戦争と、第二次世界大戦後の植民地からの独立ぐらいしか覚えていないのですが、そんな私がもっと勉強してみようかなと思わされるような記事でした。ただ、独立後も経済的には旧宗主国に依存せざるを得なかったことや、冷戦時代のことが抜けているように思います。ソ連崩壊によって支援が断たれ、それが紛争の遠因になっていることなども触れておいた方が良いように思いました。ところで、アフリカの歴史に関しては林晃史の仕事が良く知られていますが彼の著作、たとえば『アフリカの歴史』勁草書房、1991年、ISBN 978-4326098545 などが参考文献に入っていません。何か特別な事情などがあるのでしょうか?-- 赤い飛行船 2008年4月12日 (土) 17:43 (UTC)[返信]
    • (回答)コメントありがとうございます。参考文献には執筆に際して参考にした文献を並べており、今回の執筆にあたって上述の資料を参考にしていなかったという事以外に特に他意はございません。機会があれば図書館で取り寄せて確認してみたいと思います。--赤井彗星 2008年4月15日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
  • (コメント)大きな事象を流れよくまとめられていて、たいへん感銘を受けました。「暗黒大陸」などと呼ばれるだけに情報の欠落・断絶も多いはずですが、それを感じさせません。画像も適切に配置され、素晴らしい記事だと思います。1点、オラウダー・エキアノの画像に対応する記述が本文になく、脚注になっているのが惜しいです。画像説明ででもわかるように表示できないでしょうか。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:23 (UTC)[返信]
    • (回答)コメントありがとうございます。オラウダー・エキアノは当初は文中に組み込んでいたのですが、俯瞰して読んだ場合、かなり浮いたエピソードになってしまいましたので、脚注化してしまいました。本文中に組み込んで自然に読ませることができないか、構成を再考してみます。--赤井彗星 2008年4月15日 (火) 15:00 (UTC)[返信]
  • (コメント)近現代史の分量が少ないですね。特に独立の過程にほとんど触れられていないのは残念です。アルジェリア戦争、コンゴ動乱などいろいろありましたし、ナセル、エンクルマ、ケニヤッタといった英雄もいましたから、書くべきことはたくさんあると思いますが。--Cave cattum 2008年4月16日 (水) 10:35 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)Cave cattumさんのおっしゃるとおり、現代史が薄い印象を持ちます。何も53カ国全てに対しての記事の必要性は認めませんし(やるならば、各国史の分野でしょうから)、それでも、ある程度、アフリカ共通の悩みを記事内では打ち出すべきとは思います。トピックとしては、
  1. 南南問題の拡大、人口爆発、エイズ禍エボラ出血熱などのエマージングについての記述
  2. 資源をめぐっての紛争(ビアフラ戦争アンゴラ内戦など)
  3. アフリカ統一機構の結成とそれに反する形で拡大主義を取るモロッコの政策

このあたりを切り落とした理由は知りたいと思います。ただ、本当にスタブだった重要記事がここまで成長した点は評価したいとは思っています。--Tantal 2008年4月16日 (水) 13:51 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント)歴史に出てくる事柄を分け隔てなく程よく、バランスよく纏めており、アフリカの歴史を概観するうえでとても良い記事だと存じます。私など奴隷貿易と植民地化とを混同しておりましたが、時代からして別の事柄だったのですね、と改めて認識させていただきました。完成度は高いと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

学園前 (奈良市)[編集]

学園前 (奈良市) - ノート - 2008年4月8日 (火) 13:04 (JST)

  • (コメント)町名や古来の地域名でない「住宅地」という記事項目はやや異色に感じました。この点で、いちばんの特色とする「民間主導で進められた開発」であることがどの程度珍しいことなのか、また並列されている「都市計画」との関係が不明です。また、町名や都市計画ごとに○○の指定がある、ということなどが数多く書かれているのですが、これらのデータが百科事典として特筆すべきことなのかもわかりませんでした。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:24 (UTC)[返信]
    • (執筆者回答)コメントありがとうございます。うまくまとめられずに、筆を止めてしまいすみません。思考が固まっていないので一貫性のある回答をする自信がないのですが、現時点で思っていることを述べます。◆1点目。記事名を「学園前」としたのは、新聞や雑誌など各種メディアでも使用される認知された呼び名であること、この地域の名前を町名や古来の地域名でカバーできないこと、が理由です。悪く言えば無計画に開発されたがため、計画的に開発された大規模ニュータウンのような地域名(例:千里ニュータウン)が定義されず、口伝えでいつしか「学園前」と呼ばれるようになったと私は理解しています。この理解、挙げた参考文献からは間接的にしか示せないので、今のところ「どこからどこが学園前か?」の事例を示すことで代えようとしています。◆2点目。「開発の特色」の節を強調する意図はありませんでした。この節の親節は「街並み」で、学園前がどんな街なのか、どんな街になろうとしているのかを述べるために設けました。「民間主導で進められた開発であるため、街が細切れになっている」という街並みを説明したかったのですが、「民間主導の開発」の方に説明の力点がずれてしまっていますね。逆に、「開発の特色」の節を強調するのはよいアイデアだと思いました。強調が実現できるか否かも含めて検討します。◆3点目。都市計画の記述ですが、書き過ぎなのは私もよくわかっていて、早いうちに整理しようと思っています。本当は観光案内的な文献から「街並み」の説明をしたいのですが、学園前が掲載された観光案内的な文献を発見できていないので、都市計画の説明で代えようとしています。◆まとめ方は再考中ですが、今考えている大筋では、1. どこなのか? 2. どんな場所なのか? 3. どんな街並み(+生活基盤)なのか? 4. どのように発展したのか? を書ければと思っています。--excl-zoo (会話/履歴) 2008年4月15日 (火) 12:29 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)資料をよく調べて書いてあり、感心致しました。とはいえ、途中で、町名・地名、要素のリストがある部分、例えば、学園前地域の各町のリストがあるのが、私としては却って残念です。対象を理解するうえでどれだけ寄与するか疑問ですし、読み進む上で流れを断ち切っております。思い切って削って、学園前とは何かを説明する上で必要な事柄に集中するとよりよいかと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターのコメント)行政区分などではなく、実際の生活圏に近い区分による項目という点では、その適不適について議論もあると思いますが、ある程度詳細な記述として提示されると、これはこれでひとつの試みかと思います。挑戦的な項目立てをするならこの水準で、という意味も含めて。
    • 歴史の「前史」や「地理」あたりは、他の区分との調整が必要かもしれません。この辺が、今後論点となりそうです。
    • 参考文献は、すべて読んだものでしょうか。錦絵新聞の手法も参照してみてください。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 16:39 (UTC)[返信]
  • (執筆者回答)東 遥さん、Ks aka 98 さん。コメントありがとうございました。お返事が遅くなり大変申し訳ございません。◆地名リストに関して。地名リストには位置関係と概要を書くつもりでしたが、現在は単なるリストにとどまっています。リストが説明の流れを分断しているのは私も感じています。リストは最後に回すなどの処理を施し、地名が示す場所は例えば画像にて図示するなどの対策を採りたいと思います。◆歴史の前史や地理に関して。これは記述されている地域の範囲をそろえたほうが良いという意見でしょうか? それとも、節立てを練り直したほうが良いという意見でしょうか? ◆参考文献に関して。現状の参考文献リストは暫定版です。全ての文献に関して概要を掴む程度に目を通し、図書館所蔵の資料は著作権法の範囲内で複写して手元に保存しています(気づいたら結構なコストになってしまった ... 。)。全ての文献の内容を本文中には反映できないと思うので、反映できなかった文献を錦絵新聞の手法を参考にしてまとめたいと思います。--excl-zoo (会話/履歴) 2008年5月25日 (日) 14:53 (UTC)[返信]

ラドクリフ女子大学[編集]

ラドクリフ女子大学 - ノート - 失格

松江騒擾事件[編集]

松江騒擾事件 - ノート - 2008年4月11日 (金) 23:58 (JST)

  • (コメント)ひとつの事件を深く掘り下げた記事で、興味深く読みました。レイアウト面で、テンプレート(?)の下から記事が始まっている点がやや残念です。主犯の岡崎功については生い立ちから書かれていますが、このあたりは単独で人物記事とした方が良いのではないかと思います。全体として、ひとつのノンフィクションとして優れた読み物だという印象があるのですが、読みすすむにつれて、文中から犯行メンバーへの共感がにじみ出てきている気がします。百科事典としては、「中立的観点」から疑問です。とくに、恩赦がメンバーにとって恩恵的でなかったという見方は、出典があるとしても全員にとってそのように断定できるか留保が必要と考えますし、「事件から学ぶ」といった姿勢は、読者に固有の価値観を表出したもののように読めます。同時にこの節の元記者の「考察」は、「現代日本社会」と照らし合わせてものをいっているために「古くなる表現」でもあります。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:26 (UTC)[返信]
  • (執筆者より)エントリー記事がたくさんあるなか、しっかり読んで頂いてどうもありがとうございました。自分としてはまだまだ未完成の記事です。既存の辞典ではほんのページ1/4以下しかない事件だったので手を付けたのですが、本来の目的だった和文タイプライターに関することについてはほとんど情報が見つからず、逆に私の関わりたくない恐ろしげな団体やら人物関係はわんさか出てきてしまい・・・・完全にエントリー記事選択を読み間違えた次第です。。ともあれ特異な事件で興味を持ちましたので、今後は岡崎氏らを監視していた特高警察側の動きなどもどこかでまとめておくつもりです。ついでに勤皇まことむすびという記事も説明に必要だったのでコンパクトに立項しました。脚注の整理等はまだまだ先になりそうです。
    • 中立的な観点に関わる問題について - 今のところ、ご指摘いただいた点については小手先で修正できる限りはやってみましたが、これは自分も悩んでいる点のひとつです。「文中から犯行メンバーへの共感がにじみ出てきている」なんですけれども、これは私が諸々の資料の文章を見たときの感想と全く一緒なんです。私の推論ですが、関係者がまだご存命の可能性もあり、あまり批判的なことは専門家でも書くのを控えているのかもしれません。ノート:松江騒擾事件#加害者・被害者の実名についてで書いたようにウィキペディアとしては問題はなくても、参考文献の中川氏は多くをイニシャル化しています(猪瀬氏をはじめ、ほかの資料はほとんど実名)。もし偏りがあるとするならば、誰かの説を追加して両論併記することが根本的解決なのですが、自分の調べた限り、現状ではこれ以上情報源が増えそうにありません。「恩赦」については猪瀬氏が最も力点を置いているところですので記述を外すわけにはいかないですが(むしろ加筆しなければならない)、だからといって他の方が猪瀬氏に対して反論をしている訳でもなく、中川氏の「姿勢」に対する考察も同様で、反論するものが見当たりません。今後の研究に期待するしか無いのかなあ・・・・という気がしています。
    • 岡崎功の単独記事化について - 私もここまで分量が増えるとは予想していなかったのですが、今となっては単独で立てたとしても問題はない人物であるとは思います。ただ、思想的な時代背景や関連組織を示すにはどうしても岡崎氏の経歴に触れざるを得ないので、文章が「もうこれ以上情報量が増えない」となった時点で、どこまで分割しても問題ないかを見定めて,単独記事化を考えてみようと思います。
    • テンプレートについて - WindowsとMacの両方のデフォルトブラウザで検証してみましたが,特におかしい点は見受けられませんでした。閲覧環境に依存する問題とは違うのでしょうか?--ZERO 2008年4月19日 (土) 19:11 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)第二次世界大戦終了直後、それも松江市で起きたトピックに関して、丹念に資料に基づいて記事を作成された良質な記事だと思います。テンプレートによるスタートは、単純に右肩のテンプレートに対して嗜好が分かれるところだと思いますし、個人的には、レバノンの歴史を皆様に見ていただきたいと思ったうえで、テンプレート(Template:LabaneseHistory)を作った記憶がありますし。それでは、質問です。重複になりますが、ZEROさんがこの記事を作成しようと思った理由、また、不完全だと思っている部分を教えてください。--Tantal 2008年4月20日 (日) 07:48 (UTC)[返信]
  • (執筆者より)作成理由については、はじめからこの記事でエントリーしようと思っていた訳ではなく、当初はJW-10でエントリーしようと考えていました。しかしバイト数が既に超過していましたので断念し、それに関係しそうなものを検索していたところ、この事件があることを知った次第です(結果としてはほとんど関係なかったのですが)。不完全だと思っている部分はたくさんあります。まず調べ始めてから日が浅いので、もうちょっと文章の推敲に時間をかけたいです。全体的な節立ても調整したいですし。脚注の調整もやりたいのですが、本文が固まらないとなかなか難しいので、現時点では後回しです。--ZERO 2008年4月25日 (金) 14:13 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)背景から事後の事柄まで順序良く、幅広い視点から丁寧に記述されており、完成度は高いと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターのコメント)お見事です。この事件そのものの文化的意味合い・位置づけがあるといいなと思いましたが、「忘れ去られている」ということなので、それも難しいのかなあ。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

実隆公記[編集]

実隆公記 - ノート - 2008年4月11日 (金) 13:51 (UTC)

  • (コメント)歴史資料という扱いのようですが、文学や書としての価値はどうなのか、気になります。「同時代の一級資料」、「室町時代後期の公家文化を理解するのに有用な史料」という評価はなにによる、あるいはどんな事実に基づくかということをはじめに説明した方がよいのではないでしょうか。「日記の内容」の節まで読めばある程度わかってくるのですが。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:27 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)主に歴史学の観点から記述しました。文学や書道としての価値がどの程度あるのか、研究資料を調べ切れていないところもありますが、文学的観点からの研究成果があまり見つからなかったことも事実です。文学史としては、本文にも示した通り多数の文献の名前が挙がっているので、重要な価値のある史料であるといえますが。また、執筆者として書き足りなかった点として、ご指摘にもあるようにこの史料の歴史的な位置づけのほか、実隆がなぜ日記を残そうとしたのか(実隆以前の三条西家は「日記の家」ではなかったと思われます)といった部分もあります。--Tamago915 2008年4月14日 (月) 13:45 (UTC)[返信]
  • (審査員からの質問)中世日本史における一級の資料を紹介していただきまして、ありがとうございました。この資料に対して、評価が書き加えられれば、FA選考にかけてもいい記事だと思います。期待したいのは、三条西実隆の記事が貧弱なので、本人の記事を充実していただきたいということです。また、同時代人の大内義隆との関連がこの日記で分かるのであれば、知りたいところです。というのも、1500年代初頭の公卿は、京都における生活で困窮していたために、山口市へ避難している者もいるからです(分からないのであれば、別にそこまでもとめません)。--Tantal 2008年4月20日 (日) 07:54 (UTC)[返信]
    • (執筆者より)三条西実隆に限らず、戦国時代の公家の記事は総じてサブスタブになっていると感じています。実隆の昇進経歴など、日記にも記述がありますが、日記の記事より人物の記事に書くべき事項であると判断してあえて記載しなかったものもあります。このあたりを記述していく方向で、人物の記事を充実させる方法はあるかと思います。山口については不勉強でしたが、経済的事情で地方に下った公家が多数いるという事実はあるようですし、大内義隆との関係を示す記述もあったと記憶しています。自分の研究内容が偏っているため、編集内容の取捨選択に不適切な部分はあるかと思います。--Tamago915 2008年4月21日 (月) 03:59 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)おぉ、こおゆうものがあったのか、と感心しつつ読ませていただきました。ただ、日記の書かれた背景として三条西実隆三条西家の状況も書かれていますが、御本人の記事よりも、こちらを見たほうが充実しているというのも一寸した逆転現象ですね、と存じた次第。また、視点として日記に限らず幅広い事柄に触れています。或いは、当該の風習や情勢を概観する記事があれば、そちらに書くべき事柄もあるかと存じますが、現状ではここに書くのもやむをえないのでしょう。記事としては読みやく纏まっていると存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
    • (執筆者より:期限が過ぎてしまいましたが)コメントありがとうございます。執筆コンテストの性格上、1つの記事だけが突出して充実する形になってしまいましたが、他の記事も今後発展するであろうことを期待するということでご理解願いたいと思います。「日記に限らず幅広い事柄に触れています」とのことですが、日記の記事だからといって日記の内容だけを書いているのでは不十分で、それが社会に与えた影響や評価、あるいは成立までの歴史といった側面を書いてこそ記事が立体的に充実したものになると考えています(余談になりますが、最近のテレビ番組や楽曲の記事では、そういった側面を全く書けていないどころか、検討もされていないだろうことが気になります)。上のコメントにも書きましたが、成立までの歴史は十分とはいえないので、このあたりをきちんと書くことで発展の余地はあると認識しています。--Tamago915 2008年4月26日 (土) 15:12 (UTC)[返信]
      • (御返事)早速回答賜り恐縮です。私も先年昭和金融恐慌を加筆した際には、やはり本編だけでは済まされず背景・側面を充実させていくうちに、何を書いてるのか見失いそうになった経験がございました(笑)。とはいえ、背景・側面がなければ充分伝えられないとなれば、やはり書くべきなのでしょう。関連する記事も充実して、それらと密接な連携がとれるようになると良いですね。東 遥 2008年4月29日 (火) 03:52 (UTC)[返信]
        • (執筆者より)「何を書いているのか見失いそうになった」、そういう部分はあると思います。過去の執筆コンテストでいうと卵かけご飯は、方向性を見失って迷走した事例に当たるといえると思います。自分もその点は気をつけたつもりで、上にも書きましたが三条西実隆三条西家に書くべきだと判断した内容はあえて記述しないようにしましたが、棲み分けが不十分な点はあると思います。--Tamago915 2008年4月29日 (火) 07:53 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターのコメント)お見事です。中世後期の文化・歴史を語る上で外せないということなのですが、いつごろからどのように公開されていたか、というようなことや、どのような研究に反映されていったかというようなことが分かると、史料としての有用性が具体的に理解できると思うのですが、そのへんはわからないでしょうか。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 16:39 (UTC)[返信]
    • (執筆者より)コメントありがとうございます。公開時期等については、記事に書いた以上のこと(三条西家に保管され、戦後に東大史料編纂所に移管された)はわかりませんでしたが、調査すればもっと詳しいことは判明するかもしれません。また、反映された研究については、CiNiiなどで実隆公記を取り上げた論文を検索できますので、これについても調べようはあると思います。ただ、現状そこまでは調査が進みませんでした。--Tamago915 2008年4月27日 (日) 00:19 (UTC)[返信]

熊本県の歴史[編集]

熊本県の歴史 - ノート - 2008年4月9日 (水) 02:45 (JST)

  • (審査員からの質問)昨年はボツワナの歴史に続く各国史オーストラリアの歴史がエントリーされて、土器もを抜かれましたが、考えてみると日本語版である以上、日本史の充実した項目、特に郷土史という観点は今まで、遅れていたのかもしれません。それに、昨年は熊本城築城400年で異様に盛り上がっていましたし。さて、質問です。
郷土史の本は、世の中に大量に出ていますが、主に参考にされた文献は何でしょうか?また、強いて避けたのかと思いますが、熊本県の歴史を語る上で絶対に欠かすことのできないトピックは
  1. 水俣病問題(これは現在も続く負の問題です)、平成の市町村合併(1.天草は苓北町以外が市町村合併を実施いたしました。2.植木町・合志町・西合志町・菊陽町の合併構想の破談、下益城郡4町+三角町による合併の成立など)
  2. 熊本市政令指定都市構想(富合町・城南町・植木町の熊本市編入問題)
  3. 現代における熊本県の産業誘致政策(植木、菊陽、大津町、松橋町(現宇城市)、城南町といった町は産業誘致に成功しています。それに比べて、八代市荒尾市は旧来型の産業が温存されているだけに、景気は沈滞気味ですし、人吉市は昨今の焼酎ブームもありそこまで景気は悪くなさそうです。また、黒川温泉が首都圏では人気があるそうですが、旧来の温泉地である山鹿市・菊池市はげんきがないなど)
まだ、他にもあるかと思いますが、上記の問題に対して、言及できればと思います。--Tantal 2008年4月13日 (日) 08:20 (UTC)[返信]
  • (執筆者回答)この正月に2年ぶりに帰省し数日滞在しましたが、天候にもあまり恵まれず、慌しさもあり熊本城本丸御殿などにも行けず終いでした。400年祭エピローグも見物できそうにありません。では、回答です。
文献は一番に『熊本県の歴史』山川出版社(1月入手)から記事の骨格を書き、二番に『街道の日本史51 火の国と不知火海』吉川弘文館(3月入手)を加えて全体に改訂しました。西南戦争節は『西南戦争』中公新書から多くを参考にしています。この3冊以外の出典はすべて脚注にしています。これらは基本的に文献記述を補填するために加えていますが、例外として「きりしたん崩れと流人たち」第二段落および「天草のキリスト教・ふたたび」節は司馬遼太郎『街道をゆく13』から記述しています。
戦後史は、ご高察の通り、かなり取捨選択し、結果として最低限なものにしました。文献にはもう幾つかが記述されていますが、執筆にあたり、熊本県の事例が他に無い特殊性を持っていたとか、影響を県外に及ぼしたとかを重視しました。無論、本当はこのような事例に当たるのだが小生が出典を見つけられていない可能性は存分にあると思っています。以下、現代史に書くべきか迷った事例を挙げます。かなり恣意的である点は前もってご了承下さい。(なお、No.は対応していません)
  1. 水俣病:絶対に避けて通れない事例。ただしここに細かく記述するのは見合わせ時系列的概要にとどめました。企業や行政の責任について足りないかもと感じますが、水俣病項に書くべきと思い、コッシュマンの英訳を解説してこれに仮託しました。
  2. 市町村の合併および熊本市の政令指定都市構想:日本全国での現象で、熊本固有の特色が見つからなかった。(以下伝聞ですが、国体などで財政赤字が膨らんだ熊本市に対し、有力企業を抱える合志や菊陽が合併を嫌って「東熊本市」構想を持ち上げたなどについて、出典があれば加えてもと考えています)
  3. 産業誘致政策:これも上と同じで、行政の誘致にどのような特色があるのかについて、出典を揃えないと記述が難しいと捉えています。シャープ誘致を仙台市と争い150億円(だったか?)の税優遇措置を講じた堺市とか、空港とからめトヨタ誘致に成功した苅田町ほど情報が揃えばと考えます。ソニー、サントリー、富士フイルムなどが何故熊本を選んだのか、小生に知見・情報が無いのが難点です。
  4. 黒川温泉:これは盲点でした。由布院温泉と並び秘湯ブームを巻き起こしたところとして、特筆すべきとのご意見に同意します。ただ、今これだけを加えると浮いてしまうような気がするところが難点で、おそらく他の温泉地などを包括した観光立県としての記述が必要だと思います。今手元には資料が無いのでおいおいさせて頂きます。
  5. 緑川製糸場および熊本製糸株式会社:『街道の日本史51 火の国と不知火海』にある事例で、士族商法の成功例および士族子女が女工として働き、嘉悦大学創始者の嘉悦孝が関係した事などが書かれています。しかし傍証が少なく、熊本という土地と嘉悦孝の行動の関連がいまひとつはっきり把握できなかった(どうも嘉悦孝は製糸業を学びに東京に出て、そのまま熊本には戻らなかった様子に見える)ので割愛しました。
  6. 大洋デパート火災:この悲惨な事件がどのように全国の消防法や危機管理などに影響したかが掴めれば、加えたいと思います。
  7. 九州新幹線:これも、富山県石川県と違う特異性があればと考えます。(これも伝聞ですが、細川護熙は知事当時、九州新幹線に反対だったが表立って表明できず、消極的賛成の立場だった。これを鹿児島県が非難した。これを出典つきで、しかも昨今の佐賀県並みに特筆性があれば書けるかもとは考えます)
  8. 川辺川ダム:現在進行形で、ダム建設の是非項の未来に決定的な役割を果たせれば特筆性も生まれるとは思います。いずれにしろ将来かと今は考えます。
  9. 焼酎ブーム:今、白岳「しろ」を呑みながら書いています。実は離れていると、芋焼酎ばかり聞こえて来て実感はあまりありません。本項、食文化の歴史はほとんど無い点何とかしたいとは考えています。
以上が、小生が執筆した際の考えです。文献の入手はその地を離れていると思ったよりも難しく、東京の八重洲や大阪のジュンク堂(ここでかろうじて『街道の日本史51』を入手)でも知れたものでした。図書館も他県の資料は少なく、次の帰省は未定で、諦めるつもりはありませんが果たしてこれら課題にいつ取り組めるかというところ、申し訳ありませんがご察し下さい。--Babi Hijau 2008年4月13日 (日) 13:48 (UTC)[返信]
  • (コメント)綿密な取材を感じさせる労作だと思います。とくに菊池氏や阿蘇氏、相良氏らの経緯については当該項目よりも詳しいくらいで、非常に面白く読みました。反面、戦後が水俣病関連のみというのはやや物足りませんが、現在進行中の事象には慎重な姿勢をとっておられるのだろうということで、これもまた納得のいくものです。適切な画像が加われば秀逸記事としてふさわしいと感じます。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:32 (UTC)[返信]
  • (執筆者から)ご意見ありがとうございます。おふたりのご感想から、初版では見合わせていました戦後史のうちそこそこ情報が揃った産業分野を加筆しました。まだ加えるべきものは多々あるのではと思いますが、コメント期間ぎりぎりに間に合うのはここまでの様です。それから、本項の加筆やリンク補正など頂いた皆様に、この場を借りて御礼申しあげます。--Babi Hijau 2008年4月26日 (土) 12:59 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 多くの資料を元に偏らずバランス良く記述された良作と存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]

朝倉軌道[編集]

朝倉軌道 - ノート - 2008年4月11日 (金) 23:12 (JST)

  • (コメント)「古き良き時代」を感じさせる、おもしろい記事で、読んで笑ってしまいました。しかも内容はよく調べてあって、データも充実しています。ただ、1930年ごろからの「徹底した合理化」が具体的にどういうものだったのか、ここ以外のところにもコメントというか、ツッコミを入れている湯口徹という人がどういう人物なのかの説明がほしいと思いました。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:33 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)「合理化」は、赤字区間の切り捨てと、適当な改造ガソリンカーによる低コスト運行を指したつもりでした。湯口氏は、こういった鉄道路線・車両(特に内燃動車)研究の第一人者な人です。このあたり、現在版で多少修正しておきました。--Akaloli 2008年4月14日 (月) 15:42 (UTC)[返信]
  • とても読みやすい記事でした。しっかりした構成と簡潔で過不足のない記述がされているためなのでしょう。ともかく文章を書き慣れていますね。手練とお見受けしました。▼内容に関してですが、バスの台頭に脅かされていたのに自社のバス事業を売却しているなんてしっくりきません。何か事情があったのでしょうか。それとハャメチャな経営しているのに咎められるどころか無理が通れば道理が引っ込むという対応なのはなぜなのでしょうか。-- 赤い飛行船 2008年4月26日 (土) 13:18 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) なかなか充実した記述で読み応えがあります。記述でちょっと良く判らない、意味を取りにくいところなどが所々あるのが気になりました。例えば「そもそも、新造ではなく既存客車の改造であるということは、最大幅が1,830mmとなる客車が以前から存在していたということになる 」は因果関係が良くわかりません。表現を確認していけば、読みやすくなると存じます。それと、構成として、途中に年表・収支実績の表が途中で出てきて戸惑いました。資料的なものと思えば最後に回してもよいと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)皆様ありがとうございます。コメント期間をすぎてしまいましたがコメントをば。
  1. バスの台頭に脅かされていたのに自社のバス事業を売却:この辺り詳細が書かれている資料がありませんで、よって以下は私見になってしまうのですが、おそらく補償金を受け取るためには「朝倉軌道」という会社を解散させる必要があったのだと思います。売却先の一つである両筑産業は、前の段落で書いています通り1931年から朝倉軌道の子会社ですので、バス事業を実質的には手放していなかったとも言えるのではないでしょうか。
  2. 無理が通れば道理が引っ込む:これについても上と同じく資料がないので私見ですが、当時の地方ローカル私鉄においては多少の法規無視は珍しくなく(さすがに朝倉軌道ほどハチャメチャな例は他に無いですが)、大きな事故でもあったりしたのでなければこれを厳しく取り締まるのは当局としても難しかったのではないかと思われます。
  3. 「そもそも、新造ではなく~」:車両を改造する場合に車幅が広がるということはなく、故に、幅が1,830mmである改造車が存在するのならば、幅が1,830mmの車両が以前から存在していたということになる、という感じです。これもちょっと文章がこなれてなくて我ながら分かりにくいですが……。
  4. 途中に年表・収支実績:全体の構成を「会社全体についての記述」→「車両についての記述」→「路線についての記述」という流れにと考えたのであのような順にしたのですが、分かりにくかったでしょうか。路線データの後にまた会社全体のデータというのも少し躊躇うものがあるのですが……。--Akaloli 2008年4月28日 (月) 17:53 (UTC)[返信]
  • (コメント)文意(そもそも~)について「新造」とか、そのあたりをそぎ落として、関わる要素を減らすのも宜しいかと存じます。例えば「そもそも提出された設計図の車両幅が1,830mmであるということは、改造の土台となった客車もそれだけの幅があったという事であり、認可された1,676mmm幅を超える車両が以前から存在したことを示唆する。その様な幅であった理由としては~」とかではどうかなと。ついでに、何度か読んで、この会社の車両について特筆すべき事実が「認可されていたのは1,676mmであるのに実際は1,830mmだった(笑)」という部分が判りますが、一読した所では把握し難い様に思われます。車両の節を読み進める途中で「認可されている車両最大幅が1,676mmであったにもかかわらず」の説明でようやく事情がある程度わかるのですが、では、その「認可」は何時なされたのか、会社開業時の認可か、それとも、個別の車両に「認可」が出たのか、そのあたりを最初のところで説明しておくと、「ぉぉ、認可はこうなのに、そんなことをしていたのか(笑)」ということがわかり易いと存じます。ぃゃぁ、それにしても、あちこちにフェースマークをつけたくなる会社・車両ですね(笑)。東 遥 2008年4月29日 (火) 03:25 (UTC)[返信]
  • (コメント)構成について 冒頭では日本の企業であるとございますので、会社についての記述と思って読み進めて「企業データ」「資料」である年表や実績が出てきたので、これで終わりかなっと思ったところに更に「中核(?)」の車両のお話が続いていくので、「あれ?」と存じた次第。まぁ、構成を考えると、企業に関わる部分はそれで纏めるというのも考え方ですね。東 遥 2008年4月29日 (火) 03:25 (UTC)[返信]
  • コメントありがとうございます。確かに、認可についていつなされたのかなど詳細は書き漏らしていました……。資料を再度整理して追記し、その時に文章全体の流れも再構成しておこうと思いますです。路線データ部分はともかく、車両とデータの順序は逆の方が良い気が私もしてきました。--Akaloli 2008年5月2日 (金) 17:17 (UTC)[返信]

マウンドヴィル[編集]

マウンドヴィル - ノート - 2008年4月11日 (金) 23:21 (JST)

  • (コメント)私のまったく知らない世界であるため、評価が難しい項目です。英語のまま残されている言葉や赤リンクから、アメリカの先住民族文化の最先端をいく研究成果なのだろうと推測します。内容は専門的かつ非常に詳しいのですが、日本語としてこなれており図像もかなり豊富なため、よくイメージできます。あえていえば、「マウンドヴィル」や「ウェストジェファーソン期」といったなじみのない用語の語源や説明がいくつかあればより親しめる内容になったと思います。あと、節タイトルに脚注が付いているのは、富岩運河と同じスタイルですが、本文に付け直した方がよくないでしょうか? 個人的に、「手のひらに目」というモチーフは、『指輪物語』のサウロン(目)とサルマン(白の手)の旗印を合わせたようなもので、トールキンはこれを見たのだろうか、考えてしまいました。--みっち 2008年4月14日 (月) 09:35 (UTC)[返信]
(執筆者回答)ご高覧いただきありがとうございました。「ウェストジェファーソン期」については、一応本文中に、「マウンドヴィルの北西70mの斜面上に位置するウェストジェファーソン・スチームプラント予定地遺跡を標式遺跡として定められたウェストジェファーソン相の文化である。」と解説はしていますが、いつの時期の話なのかわからない、というご指摘だとおうかがいしましたので、年代の記述を直後の項目の直後に加えようかとおもいます。また、マウンドヴィルの語源については解説しているものはありませんが、個人的には、マウンド+villa(屋敷、邸宅),village(村、村民、群落、まとまりをもった地域)⇒「マウンドが屋敷のように壮大で村のように集まっている地域」というような意味かなぁ、とおもいましたがそれを書いたら裏付けもないし、独自研究になってしまうので書けませんでした。注についてはおっしゃるようにに本文中につけ直すよう検討していきたいとおもいます。「手のひらに目」というモチーフについて、ご教示いただきありがとうございました。実は、北アフリカに「ファテイマの手」という全く同じようなモチーフがあり、邪視信仰(evil eye)、すなわち悪意をもったまなざしをさけるためのお守りに使われています。また、なぜか浦沢直樹の『20世紀少年』や『21世紀少年』に出てくるカルト的な政治勢力である「ともだち」の旗のシンボルにも登場します。自分は、邪視信仰と関連するのではと北米の神話をかなり徹底的にあらいましたが、それをほのめかすような記述はほとんど発見することができませんでした。最近の研究では、オリオン座の三ツ星やリゲルと関係の深いモチーフのようだと指摘されているようです。そのこともいずれマウンドヴィルの記事本体かサザン・カルトの記事に新たに執筆できたらと考えています。長たらしい記事にもかかわらず最後までお読み頂きありがとうございました。---Siyajkak 2008年4月16日 (水) 15:13 (UTC)[返信]
  • 正直言いまして、この記事を読むまではミシシッピ文化という概念すら知らなかった素人です。以下は批評というよりは感想になっていますが、素人にもわかりやすい記事にするということでは参考になると思います。
    • まずいきなり「研究史」の節が来るのは面食らいました。最初はまず概要が当たり前と思っていましたので。おそらくは冒頭の定義部分が概要を兼ねているのかと思いますが、まず「マウンド」とはピッチャーマウンドで想像するような「盛り上がった土」で良いのでしょうか?また「祭祀センター」という言葉は「祭祀場」という認識で良いのでしょうか?(たとえばストーンヘンジのような・・・)。出来れば最初に概要の節を設けてこのマウンドヴィルの5W1Hを書いていただければ良いと思います。
    • 研究史の節に関して。節全体に脚注として「Steponaitis1983,pp.6-9」とありますが、これはこの節自体がこの「Steponaitis1983,pp.6-9に拠る」ということでしょうか?そうであれば最後の三文字を付け加えたほうが良いと思います。以下の節でも同じようなものがありますが、それも同上です。「1851年のことでほんの数行のあつかいだった。それから19世紀後半の文学などに作品の背景として思いがけない形で記述されている」といったことに関してはどこでどのような扱いであったかを脚注で示していただければよいかと思います。
    • マウンドヴィルの歴史像の節に関して。「ウェストジェファーソン・スチームプラント予定地遺跡」という言葉は何のことか良くわかりませんでした。ウェストジェファーソンというのはおそらくアメリカ人の名前かと思うのですが、それがなぜこのマウンドヴィルの時代区分の名前に付けられるようになったのか。そのあたりを記述してほしいです。
    • マウンドヴィルの出土遺物の節に関して。土器の画像の説明文の中に「マウンドD」という言葉が出てきますが、それより以前の説明文ではマウンドDは出てこず、その下の「マウンドヴィルⅠ期後半からⅡ期前半の様子」の中でマウンドDの言葉が出てくるようです。「マウンドヴィルⅠ期後半からⅡ期前半の様子」の画像はもっと上に持ってきたほうが良いのではないかと思います。
    • 全体的に非常に専門的かつ詳しい記事で、凡百の百科事典にはまずあり得ない記事だろうと自慢したくなります。しかしその一方で素人には少々敷居の高い記事になっており、Siyajkakさんにとっては「説明するまでも無い常識」なのかもしれませんが、説明なしにいきなり話が飛び出てくる部分があるのでその辺りをもっと素人向けにしていただけるとさらにすばらしい記事になると思います。以上、取り留めの無い感想でした。らりた 2008年4月19日 (土) 14:20 (UTC)[返信]

(執筆者回答)まずは長い記事を辛抱強く最後までお読みいただきありがとうございました。

  • この記事を読むまではミシシッピ文化という概念すら知らなかった素人です。
いえいえ、高校世界史の教科書に全く紹介されず、大学の史学科専攻で北米に関する講義でさえほとんど触れられることがないため知らないのが普通です。世界遺産に関心があれば、カホキア遺跡の背景にあるミシシッピ文化にようやく関心がいく、というところではないでしょうか。ただ世界遺産候補クラスにもかかわらずほとんど知られていない遺跡については、詳細な記事をつくって紹介する必要があるだろうと考えている次第です。
  • まずいきなり「研究史」の節が来るのは面食らいました。最初はまず概要が当たり前と思っていましたので
わたしとしては、定義部分の記述のみで十分で、ミシシッピ文化の記事に詳細な記述があれば、同じことを繰り返し書いてもしょうがないだろうと考えていました。そうなると、らりたさんもご存じのように、論文などでは簡単な概要のあとに研究史が次にくるのであまり気にとめなかったのですが、やはり、この記事をなんだろうといきなり読む読者がいるわけですから、ミシシッピ文化の中に位置づけられるマウンドヴィルの特徴が記述されることが読者にとって親切だろうということを考えさせられました。
  • 最初に概要の節を設けてこのマウンドヴィルの5W1Hを書いていただければ良いと思います。
とご指摘のように概要部分を膨らませてみようと思います。「マウンド」については、日本語で単純に「塚」としてしまうと一里塚みたいなイメージになってしまいますので、神殿の基壇であったり、マウンドヴィルの支配階層の住居の基壇であったり、古墳というか墓であったりします。おっしゃるように「ピッチャーマウンド」のようなイメージが浮かんでしまうとの厳しいご指摘は思いつきもしなかったので客観的なご意見として大変参考になりました。ありがとうございます。祭祀センターについては、北米から南米までのすべての遺跡について説明するための重要な概念(ティカルとかモンテ=アルバンとかも祭祀センター。単純に現在の感覚での都市とは言いきれないもの。ただしこの概念については見直そうという意見もある。)ですのでいつか独立した記事が立てられるべきかもしれませんが、とりあえず理解の助けになる注は必要だったと思わされました。これについても注ないし本文に加筆してみることにします。
  • 研究史の節に関して。節全体に脚注として「Steponaitis1983,pp.6-9」とありますが、これはこの節自体がこの「Steponaitis1983,pp.6-9に拠る」ということでしょうか
この書き方については好みによるのではないでしょうか。またみっちさんは、注は、本文中につけてほしいということでしたので併せて検討してみることにします。
  • 「1851年のことでほんの数行のあつかいだった。それから19世紀後半の文学などに作品の背景として思いがけない形で記述されている」といったことに関してはどこでどのような扱いであったかを脚注で示していただければよいかと思います。
研究史が載っている文献がさがせたのが幸運だったわけで、そのために本来研究史の記述がなければなされずに済んだご指摘であったのかもしれません。アメリカをはじめとする外国の細かい地名や人名については、なかなか地名や人名の専門事典にあたっても解説がのっていないことが多く、ましてや過去の地名については、どのような文献や小説にのっていたか探すというのは容易でないことと思われます。これ以上具体的にどのような文献や小説にのっていたか探すというのは容易でないことと思われます。しかし、それが見つけられれば記事の内容が格段に充実したものになるのは確かでそういった趣旨でのご指摘である、と受け取らせていただきます。
  • 「ウェストジェファーソン・スチームプラント予定地遺跡」という言葉は何のことか良くわかりませんでした。ウェストジェファーソンというのはおそらくアメリカ人の名前かと思うのですが、それがなぜこのマウンドヴィルの時代区分の名前に付けられるようになったのか。そのあたりを記述してほしいです。
これについては、Steam Plantを検索しましたが、核施設かなにかの一部の名称のようでしたが、West Jefferson Steam Plantが実際にそうなのか確認できませんでしたので、書けませんでした。おっしゃるような疑問や指摘が出てしまうことが予想されたので、遺跡の内容の本筋ではないにもかかわらず、ウェストジェファーソン期の名称の由来を記述するためには避けられなかったので執筆の際はジレンマでした。ウェストジェファーソン・スチームプラントという施設の建設予定地で調査された遺跡のことを「ウェストジェファーソン・スチームプラント予定地遺跡」といい、A.D.900~1050の時期に相当する遺物が出土したのでウェストジェファーソン期という名称がつき、マウンドヴィルでも同時期の遺物が出土しているという以上のことは申し上げられない、というのが本音のところです。こう申し上げても記事の内容を言い換えているだけのことで同義反復にお感じになってしまうかもしれません。例えば「○×(小、中、高等)学校遺跡」など調査後に建設される施設の名前を冠した遺跡の名称が日本国内にもみられますが、その由来は国内であれば比較的調べやすいでしょうが、先ほど申し上げたようにSteam Plantで検索してよくわからないという状況でした。もう一例、加曾利E式という呼び名を考えると、加曾利貝塚のE地点を標式遺跡とし、そこで確認された土器群およびそれに様式的に同じ土器群を指す土器型式ないし土器様式の名称ですが、地名辞典を調べないと名称の由来はわからないと思います。ましてやアメリカをはじめとする外国の細かい地名や人名については、地名、人名の専門事典にあたっても、まず解説がのっていないので、過去の地名については、どのような文献や小説にのっていたか探すというのは容易でないことと思われます。しかし、ません。一方で、この場合もそれが見つけられれば記事の内容が格段に充実したものになるのは確かでそういった趣旨でのご指摘である、と受け取らせていただきます。今回この指摘を受けてから改めてネットでいろいろ検索しましたが、やはり決定的にこれだという記述を発見することはできませんでした。ジェファーソン郡という行政区分がアメリカの至る所にあり、アラバマ州にもありますが、West Jefferson Steam Plant自体がジェファーソン郡にあるわけではありません。ジェファーソン自体は大統領のトマス・ジェファーソンに由来しているようですが、このことを含めあくまでも推測でしかありませんが、それを断ったうえでの注をつけることにします。
  • 「マウンドヴィルⅠ期後半からⅡ期前半の様子」の画像はもっと上に持ってきたほうが良いのではないかと思います。
これについては、エントリー期間内での最新版では歴史像の記述の部分でもマウンドの名称が出てくるために上のほうにもってきています。現在の版については、悩んだ末、サブクラン配置と土器の出土地点の説明のために下へ持っていったほうがいいかという判断をしたのですが、やはりそれでも不十分な印象をお受けになったことについて、本来調べ物に使うわけですからわかりやすく書かれるべきであるのであったという趣旨から、そのようなご意見があった事実はそのまま受け止めることにいたします。記事自体が長いために同じ図版であっても上にもう一ヶ所あったほうがいいかもしれません。この記事を書いた時点では時期順に土器の写真を並べましたが、遺構ごと(マウンドごと)に並べたほうがわかりやすいのかもしれません。ファミレスのメニューをみても同じメニューが別の場所に載っていることがあり見やすさを考えれば、同じ記事に同じ図版が繰り返し使われることがあってもそのようにしてはいけない理由はないのだから繰り返し使う場合も含めて工夫してみます。
  • 説明なしにいきなり話が飛び出てくる部分があるので
これについては、長い記事を書いているとどこがどうなのかということが具体的にわからなくなってしまうので、日本語としてとりあえずこなれているかどうかということばかりに神経がいってしまって申し訳ないです。わたしも審査員やコメンテーターの経験があるので、目立った短所がなければ、記事の長所ばかりに目がいってしまい、ほめるだけのコメントで執筆者の方に記事の成長につながる建設的な批判ができなくて申し訳なく思った経験があります。ですから、おそらく他の記事も読まなければならないのでつらいところとは思いますが二、三か所でいいので、また前回の加筆コンクールのようにコメント期間外でもいいので、どこが、どのように突然話が出てきたのか具体的にご指摘いただけると助かります。

長い記事にもかかわらず最後までお読みいただき、自分が気付かない点をご指摘いただきありがとうございました。自分の将来執筆するであろうほかの記事に関しても参考になるご意見でその意味でも非常にありがたいご指摘で感謝です。---Siyajkak 2008年4月21日 (月) 06:21 (UTC)---一部修正Siyajkak 2008年4月21日 (月) 06:45 (UTC)[返信]

まずマウンドについて、ミシシッピ文化に記述があったにもかかわらず、バカなことを言ってしまいすいませんでした。申し訳ない。
そのほかの点(画像の位置など)についても何かと読み込み不足で大変失礼いたしました。
説明無しで云々ということに関しては、そのマウンドや祭祀センターという言葉についてのことでした。これらの言葉に関して素人にも解り易い噛み砕いた表現が欲しいという意味でした。
概要のことに関して。確かに論文では一発目に研究史を持ってくるのが普通ですが、これは論文を読む人には当然その分野に関しての基礎知識は十分に備わっているはずであり、基礎知識をいちいち解説する必要は無いという前提があるからです。しかし百科事典の読者(それこそ私のような者)にはそれを期待することは出来ず(もしくは許されず)、いつ(A.D.900-1650)・どこで(これは書かれてます)・誰が(アメリカ州の先住民族)が何を(大規模な祭祀センター)・何のために・どのようにといった情報をまず冒頭に示すべきではないかと思ったわけです。
とりあえずこれだけです。また頓珍漢なことをいってやしないかとそれを恐れますが、前にもいいましたが素人にも解り易い記事を目指すという意味では一定の利益があるのではと思います。らりた 2008年4月22日 (火) 12:14 (UTC)[返信]

さっそくのお返事ありがとうございます。改善点を具体的にお答えいただいたので大変参考になりました。ありがとうございます。今後の編集に生かしたいと思います。---Siyajkak 2008年4月24日 (木) 14:06 (UTC)[返信]

(執筆者コメント)コメントが遅くなり申し訳ありません。東大の狩野千秋先生が出された論文で、中南米の「都市」について、テオティワカンとマヤの遺跡の比較をしたものがあったかとおもいましたので、赤い飛行船 さんのご指摘があったあと探しましたが手元に置いていないようですので、以下の記述は厳密さには欠けるかもしれません。新大陸の古代文明の「都市」遺跡と呼ばれるものはティカルモンテ・アルバンのような神殿や天文台や支配階層の住居や墓地に限定されるもの(マヤ型)と、被支配階層である一般住民の居住区をかかえているもの(テオティワカン型)に区分されるといったような趣旨だったかとおもいましたが、この分類にあてはめるとマウンドヴィルは、マヤ型になります。マウンドヴィルは、マヤにみられるような、まさしく「ピラミッド=神殿、基壇、宮殿その他を多く含んだ建物の複合体」(増田1982,p.516)に分類できるもので、残っている遺構のみから判断するのはおかしいのではないか(つまり腐ってしまう茅葺き土壁の建造物もあったのではないか)、という批判もあるかもしれませんが、テオティワカンをはじめとして、アンデス文明に7世紀前後から見られるガリンドワリ文化の諸遺跡、チムー王国のチャン・チャンなどの形態は、一般住民の居住区を明確に抱え込んでいることでそれ以前のモチェ文化やマヤと明らかに一線を画しています。面白いのは、テオティワカンの円筒型三足土器をはじめとする土器がベラクルス州やマヤ地域から出土していて直輸入品と在地のまねたものが出土している一方で、マウンドヴィルの場合は、本文中にも書きましたがマウンドヴィルの支配階層が石製パレットや銅板細工などに用いたモチーフを刻んだ土器がマウンドヴィルの政体もしくは首長制国家の勢力の及んだ範囲の小さな集落遺跡からも出土しているということです。マヤとテオティワカンの関係について土器から探る研究もすすんでいますが、マウンドヴィルの場合も土器の文様がどういった場所からどのモチーフが出土するかとか胎土を分析して産地とかも検証すればおもしろいかもしれません(ただし、分布範囲が限られているので有意の差は確認できない可能性も高いですが。)---Siyajkak 2008年4月29日 (火) 12:17 (UTC)---参考文献追加等Siyajkak 2008年4月29日 (火) 13:11 (UTC)[返信]
<<参考文献>>増田義郎1982「七 マヤ集落のパタンについて」『ソリタ「ヌエバ・エスパニャ報告書」/ランダユカタン事物記」』(大航海時代叢書第二期13)所収、岩波書店


  • (審査員コメント)大分な力作と存じます。で、細かいことには立ち入ることが出来ず申し訳ないのですが、ぱっと見たところで。概要から、急に詳細な説明が展開されるギャップに戸惑いました。もう一つ、中間的な記述があると良いのかな、と存じます。全体的に詳細ではありますが、表現がいまひとつこなれていないのと、一つの文に複数の要素が詰め込まれて、読んで解釈するのに労力がかかるのが難かと存じます。例えば「ブラックウォリアー河谷の上流や下流にわたって力をもっていた地域的な支配階層を想定していてさえマウンドが二ヶ所しか築かれなかったことは、ブラックウォリアー河谷の政治的発展の初期段階であって、 」では、前提や条件が詰め込まれて読むのに労力がかかりました。このあたり、まだまだ簡潔にスッキリとした表現にできるかと存じます。また、一つの節が大層長く、読む手掛かりが無いのも読むのに労力を要すると存じます。もう少し細かく節を分けてもよろしいかと。一方で、解説の図面が添えられている点は、非常に良いと存じました。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:47 (UTC)[返信]
(執筆者回答)長文にもかかわらず最後までお読み頂きありがとうございました。ご指摘の点、まさしく自分としても苦しんだ部分で、読んだものについて消化不良で、練り直しが十分でなかったことかと思います。また節が長いというご指摘もそのとおりで、どこで区分してよいか苦慮したところです。あってもなくてもいい部分とかないほうが意味が通じる部分については思い切って短くし、時間を要しますが言い換えや別の表現が可能な部分は今後直していこうと思います。具体的なご指摘ありがとうございました。---Siyajkak 2008年4月27日 (日) 15:15 (UTC)[返信]
  • (コメンテーターのコメント)全体の記述や構成は文句なしですが、あらかじめ知識がないとわかりにくいと思いました。
    • 冒頭「ミシシッピ文化」の前に年代を入れることはできないか。単にミシシッピ文化とあると、近現代の南部文化の一地域の様相というイメージが先にきます。同様に「センター」とあると、今日にまで残る何らかの祭祀的儀式を執り行う団体あるいは現代的施設ではないかという印象を受けます。それからマウンドヴィルてのは地域の名称なのか遺跡群の名称なのか。こんな感じにならないかなあ。
      マウンドヴィルは、アラバマ州の中西部に所在するマウンド(人工丘陵)群の総称。支配階層の住居、神殿の基壇あるいは墓の墳丘としても用いられ、1450年まで都市的な機能が限定されるか欠落した政治宗教の中心として機能したとされる。19世紀後半から記録・紹介されるようになり、20世紀初頭に大規模な発掘が行われた。アメリカ州先住民族によって形成されたミシシッピ文化の遺跡として1964年に アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定され…
    どうでしょう?--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 16:39 (UTC)[返信]

Ks aka 98さん コメントありがとうございます。ただ、おっしゃるような記述だとまったく意味や趣旨が変わってしまいます。大変申し訳ありませんが決定的な問題があるので至急コメントさせていただきます。

  1. マウンド群の総称でもないし人工丘陵という用語は使いません。はっきり申し上げればマウンドヴィルは遺跡単体の名称です。
  2. 「都市的な機能が限定されるか欠落した政治宗教の中心として機能したとされる。」→これは祭祀センターの説明としてつけたものであり、祭祀センターの用語がないと学術的な位置づけがわけわからなくなります。

ただ、分かりにくい表現のようにうけとられたということだけはわかりました。

マウンドヴィルは、アラバマ州の中西部に1050年から1450年まで祭祀センター、すなわち新大陸の古代文明に特徴的な都市的な機能が限定されるか欠落した形態の政治的宗教的な中心として繁栄した遺跡である。20基を超えるマウンドが支配階層の住居、神殿の基壇あるいは墓の墳丘として四辺形にめぐらされている。19世紀後半から記録・紹介されるようになり、20世紀初頭に大規模な発掘が行われた。アメリカ州先住民族によって形成されたミシシッピ文化の遺跡として1964年に アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定され…

くらいに言い換えたいと思います。大変恐縮ですがこの点については、おっしゃるような記述ですと記事の内容、遺跡の説明として意味をなさなくなる点ご承知ください。

赤い飛行船 さん、東 遥さん、長文をお読み頂きお疲れ様でした。コメントのお返事についてはしばらく時間をいただければと存じます。---Siyajkak 2008年4月26日 (土) 18:05 (UTC)---修正Siyajkak 2008年4月26日 (土) 18:23 (UTC)[返信]

ああ、わざわざ会話ページにまで&誤解をさせる文例を挙げてすみません。書いていただいた感じなら、十分理解できます。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 18:51 (UTC)[返信]

ご理解いただきありがとうございます。m(_ _)m(^ ^)。チンドン屋の完成度の高さには、今までは心から敬意を表している段階でしたが、今回は、改めて身をもって敬意を表します。---Siyajkak 2008年4月26日 (土) 18:59 (UTC)[返信]

分野B[編集]

縞状鉄鉱床[編集]

縞状鉄鉱床 - ノート - 2008年4月10日 (木) 06:46 (JST)

専門的観点から、かつ読みやすい文章で書かれた記事だと思います。特に大きな改善点などは見いだせませんでしたが、三点ほどマイナーな指摘として。

  • 鉱床の分布を表した世界地図を作製することは可能でしょうか? 地図があれば本項目の理解を大いに助けると思います。できれば、(1)世界全体での分布(スペリオル型/アルゴマ型/鉄鉱層を色分けできるとなお理想的)、(2)アメリカ大陸など大型の鉱床がある地域の拡大図、があれば、理想的だと思います。
  • スペリオル型とアルゴマ型の分類のところの文章がやや理解しにくく、何度か通して読み直してようやく理解できました。理解しにくい理由の一つは、両者を比較して考えられるだけの判断材料をざっと把握しにくいからではないかと思います。セクションの文章構成をもう一度見直していただくか、もしくは文章構成がそのままならばそれぞれの特徴を対比してまとめた表があると、全体を把握するのが容易になるのではないかと思います。
  • 成因のセクションについては、セクション冒頭でいきなりスペリオル型について各論の説明を行うとして、「謎」の部分まで読み進めないと全体像が把握できない文章構成になっています。しかし私はセクションのはじめに、とりあえず(1)縞が出来るメカニズムは判っていないこと、(2)アルゴマ型の生成については明らかになっていないこと、を述べた総論的な文章を書いた上で、まとめた方がいいのではないかと思います。言い換えるなら、「全体をまとめた結論を言う」形にした方が、文章を理解しやすくする上で望ましいと考えています(プレゼンでの「結論から先に言え」という原則と同じ考え方です)。

以上です。--Y tambe 2008年4月14日 (月) 09:53 (UTC)[返信]

基本的なところは十分ですので、余力があればの追加注文なのですが、縞状鉄鉱層に関して最も興味深いのは「なぜ縞模様になるのか?」という点です。英語版にも「季節変化によるものか、海洋中の非線形振動反応によるものか、あるいは他のサイクルによるものか議論中」「深海で生成されたという説もある」といった趣旨の記述があります。このあたりの成因に関する諸説について、いくつか取り上げて比較したものがあれば良かったですね。--Cave cattum 2008年4月15日 (火) 08:09 (UTC)[返信]

  • (コメント)簡潔にまとまっていると感じました。鉄の鉱床が地球の生成に深く関わっているとあらためて認識させられました。「鉄鉱石」の項目にある、「赤鉄鉱の鉱床」とはこの縞状鉄鉱床のことでしょうか。リンクされていないので違うのかな。専門用語がわからないので、この辺りの配慮をお願いしたいと思います。また、以下だぶりで申し訳ありませんが、「スペリオル型」と「アルゴマ型」について、分類方法や相違点、命名の由来はなんでしょうか。アルゴマ型についてははっきりしたことがわかっていないようなので、書きにくい点はあると思いますが、このあたりは触れてほしいと思いました--みっち 2008年4月15日 (火) 08:25 (UTC)[返信]
  • (コメント)「縞状鉄鉱層」という用語自体は日本の高等学校で使用されている地学Iの教科書にも触れられているものなのですが、今までちゃんとした項目がなかったのは驚きですね。そういった意味で非常に有用な記事だと思います。これからも執筆を応援しています。--森造 2008年4月16日 (水) 15:45 (UTC)[返信]
  • こんばんはMiya.mです。たくさんのコメントありがとうございます。世界地図は私も欲しいのですが自分で作るのは力不足です。「スペリオル型」と「アルゴマ型」については、実は自分も一生懸命調べている最中です。説明がすっきりしていない点を含めておいおい書き直します。縞模様の原因も参考文献ごとにいろいろ書いてあって迷う次第です。鉄鉱石からはリンクしました。貴重なコメントに対して、いろいろ力不足ですみません。(でも、『あらためて認識させられました』のご発言や、高校の教科書について言及いただいたのは嬉しかったです)Miya.m 2008年4月18日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)相変わらずのクオリティ、脱帽です。個人的には27-19億年前の地層に非常に多く存在する理由が、地球の環境変化に繋がるのだ、というところがもっともドラマティックだと思うので、そこの説明を先に持ってきたほうが記事として楽しいものになるように感じます。また、「大規模な縞状鉄鉱床の生成」のセクションにて、海中の酸素が徐々に増えてゆくこの時期に、酸素の存在する環境に適応した真核生物が生まれた。とありますが、ここでは真核生物ではなく好気性生物の方が正確ではないでしょうか?好気性原核生物の出現が先だと思います。--レイキャビク 2008年4月20日 (日) 02:57 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 凡そ、過不足なく適切に記述され、成因からスノーボールアースまで順序良く繋げるなど、良く纏まっていると存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:49 (UTC)[返信]

XB-42 (爆撃機)[編集]

XB-42 (爆撃機) - ノート - 2008年4月1日 (火) 00:33 (JST)

  • (コメント)レシプロからジェットへの移行期に計画され日の目を見なかった機体として興味深く読みました。写真も当時の貴重なものが載っていて、いうことありません。ただ、文章のクセなのか、「○○だが、△△」という係り結びが多用されていて、画一的でくどい印象があります(実は自分も同様のクセがあるのでよけいに気になりました)。この辺り、もう少し文章表現とつなぎ方を工夫すると読みやすくなると思います。また、XやBといったコードの意味は、専門家には自明でしょうが、項目のどこかで説明してもらいたいです。--みっち 2008年4月15日 (火) 08:26 (UTC)[返信]
  • (質問)推進式 (航空機)の記事にもあるとおり推進式にはいろいろなデメリットがあったようですが、XB-42では推進式の問題は解決されたのでしょうか。記事からはいまひとつ読み取れません。--Cave cattum 2008年4月15日 (火) 10:05 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)レシプロの推進式って第一次大戦イギリス王立航空工廠のBE2cのような失敗例や震電みたいに日の目を見なかった機体ばっかりの気がします。震電なんかはスタイルはかっこよくて好きなのですが何か根本的な問題があったのでしょうか。この点の記述は難しいかもしれませんが・・Miya.m 2008年4月18日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
  • (コメント)軍事のことは全くわからないのですが、XB-42とB-42の違いが明確でないのですこし戸惑います。また、なぜXB-42が開発されなければならなかったのか、先行機種の問題点とその解決法としてのXB-42の存在という視点がすこし薄いと思われます。--レイキャビク 2008年4月20日 (日) 11:06 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント) 当該機を理解する上で適切にかかれていると存じます。写真もあり、よく纏まっていると存じます。ただ、英文資料を参考にして訳出したためでしょうか、表現にちょっと違和感を感じる部分があります。例えば「レシプロエンジン2基が作動させるのはひとつのプロペラであった 」など。また、この部分で言えば、二重反転プロペラを一つ、というのもちょっと違和感がありますので、表現をもう少し工夫すると、より読みやすいでしょう。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:49 (UTC)[返信]
  • (コメント)軍のことは私にもよくわかりませんが、専門用語以外はとても読みやすいと言う印象を受けました。  可能な限り専門用語のリンクを張って見るといいと思います。ところで、内容の良し悪しに直接関係しないんですが、本文中の、制式採用って、この字でいいのでしょうか。--Imuzak 2008年5月10日 (土) 13:39 (UTC)[返信]

タンパク質構造[編集]

タンパク質構造 - ノート - 2008年3月10日 (月) 11:28 (JST) タンパク質の一次構造から四次構造までを総論的に解説しようとした記事であり、その取り組みは高く評価します。また全体的な章構成についての枠組みは、適切な方向性に向かっていると思います。しかし、「初版は英語版から翻訳しただけで、後で加筆したい」という執筆者のコメントがあり、その後加筆されてはいないようですから、仕方のないことだとは思いますが、現時点では完成度が低く、また問題のある記述が散見されます。とりあえずメジャーなポイントのみ指摘したいと思います。今後の参考になれば幸いです。

  • 記事全体を通じて、文章に生硬さが目立ちます。英文を逐語訳したかのような文章で推敲が不足しており、内容が十分に咀嚼されていないのではないかと思われる部分が散見されます。一例のみ挙げますと、冒頭の「タンパク質は〜残基と言われるアミノ酸のポリマーである」という文章は「タンパク質はアミノ酸が重合して出来た高分子(アミノ酸ポリマー)であり、その元素組成は炭素〜硫黄原子からなる。それぞれのアミノ酸に由来する部分は残基(アミノ酸残基:チロシン残基、セリン残基など)と呼ばれる。」などのような文章に修正されるべきでしょう。それぞれの文章について、平易に意味を取れるように推敲が必要だと思います。
  • タンパク質構造の持つ「意義・役割」についての解説が必要です。特に三次構造・四次構造などの高次構造は、タンパク質全体の「かたち」を決定することで、特定の立体構造を持った分子だけとの相互作用を可能にし、酵素の基質特異性や受容体タンパク質のリガンド特異性などを決定する上で重要です。また抗体の可変部の構造が抗原特異性を決定するなど、この立体構造による特異性が極めて微小な違いをも認識できることも重要でしょう。こういった、タンパク質の機能そのものにタンパク質構造が大きく関わるからこそ、タンパク質構造解析を行う意義があるわけですから、これらについての記述は総論にこそ必須のものです。
  • 立体構造解析については、なによりもまず「その決定が難しいこと」から述べる必要があるでしょう。単に一次構造が判っただけでは決定できないこと、近年のドメイン構造データベースの進展から多くの構造が予想されるようになったがあくまで「予想される構造」にすぎないという原則、などから、着実に説明する必要があります。
  • 構造解析については立体構造解析についてのみ触れられていますが、総論という位置付けからは一次構造解析、すなわちアミノ酸シークエンスや質量分析解析について、一次構造解析においては遺伝子配列の決定(各ゲノムプロジェクトなども含め)がどれだけ大きな意味を持つのかについても、触れる必要があるでしょう。
  • タンパク質フォールディングについてシャペロンの機能と関連させながらの解説が必要だと思います。糖鎖やリン酸による修飾などについても必要でしょう。特にリン酸化などに伴う立体構造変化とタンパク質の機能調節との話題については触れる必要があると思います。
  • 各論にあたる三次構造のセクション内容は、大きな推敲が必要だと思います。特に「通常タンパク質の機能とは無関係である」という文章は誤訳(英語版の indispensable=「切っても切れない」=必須、independentと間違えた?)であって、むしろ活性部位を直接決定する部分に相当しますから、「無関係」とは到底言えません。修正が必要だと考えます。

以上、とりあえず目についた点のみの指摘にて失礼します。--Y tambe 2008年4月14日 (月) 02:39 (UTC)[返信]

  • (コメント)専門用語が多い項目なので、評価は無理。いくつかひっかかる点のみ挙げます。書き出しの「タンパク質構造(Protein structure)では、タンパク質の構造について記す。」というところでまずつまずきました。なるべく重複しない表現を工夫してもらいたいです。「分子レベルのタンパク質の機能を理解するには、その三次元構造を明らかにしなければならない。」というのは誰が誰にいっていることでしょうか。4つの階層について、それぞれの相互の関係がよくわかりません。一次から二次、三次と進んでいくという理解でいいのでしょうか。さらにこの4階層とアミノ酸の構造との関係がわかりません。--みっち 2008年4月15日 (火) 08:27 (UTC)[返信]
  • (ライバルコメント)化学屋の骨董品を自認するMiya.mです。難しい項目にチャレンジされて立項されたことについて敬意を表します。個人的には「三次構造」以上の構造が酵素に代表される生体化学反応について重要な働きをしていると思います。生体分子の高次構造で最も興味深い分野ですので今後の加筆を期待します。Miya.m 2008年4月18日 (金) 14:04 (UTC)[返信]
  • タンパク質の構造を研究することにどのような意味があるのかをできるだけ日常的な言葉で一言でいいですから触れておくと良いと思いました。自然科学の記事はどうしても専門用語の羅列になりがちです。簡潔で正確な記述をするためには専門用語を用いるのは有効ですし、そうすべきことが多いでしょう。がしかし、百科事典が非専門家の抱いた疑問に応えるとか啓蒙するとかいった役割を持っているのだとするならば、そのための工夫もいると思います。おそらく定義部にある「分子レベルのタンパク質の機能を理解するには、その三次元構造を明らかにしなければならない。」という一言が私の求めているものに該当するのだろうと思いますが、もしそうであるならば
タンパク質構造(Protein structure)では、タンパク質の構造について記す。タンパク質は全ての生物が持つ、重要な生体高分子の一つである。タンパク質は炭素水素窒素リン酸素硫黄の原子から構成された、残基と言われるアミノ酸ポリマーである。ポリペプチドとも呼ばれるこのポリマーは20種類のL-α-アミノ酸の配列からできている。40以下のアミノ酸から構成されるものは、しばしばタンパク質ではなくペプチドと呼ばれる。その機能を発現するために、タンパク質は水素結合イオン結合ファンデルワールス力疎水結合などの力によって、特有のコンフォメーションをとるように折りたたまれる。分子レベルのタンパク質の機能を理解するには、その三次元構造を明らかにしなければならない。これは構造生物学の研究分野で、X線回折核磁気共鳴分光法などの技術が使われる。

とされているのを

タンパク質構造(Protein structure)を知ることは、分子レベルのタンパク質の機能を理解する上で不可欠である。特にその三次元構造を明らかにすることが重要で、これは構造生物学の研究分野であって、その解明のためにX線回折核磁気共鳴分光法などの技術が使われている。
タンパク質は全ての生物が持つ、重要な生体高分子の一つである。タンパク質は炭素水素窒素リン酸素硫黄の原子から構成された、残基と言われるアミノ酸ポリマーである。ポリペプチドとも呼ばれるこのポリマーは20種類のL-α-アミノ酸の配列からできている。40以下のアミノ酸から構成されるものは、しばしばタンパク質ではなくペプチドと呼ばれる。その機能を発現するために、タンパク質は水素結合イオン結合ファンデルワールス力疎水結合などの力によって、特有のコンフォメーションをとるように折りたたまれる。

としてみてはいかがでしょうか。そしてタンパク質の構造研究がどのような分野での応用につながっていくのか、たとえば医薬品の開発に役立っているんだとかいったことをいくつか例示すれば専門外の方にも近しいものとして受け止めてもらえるように思います。-- 赤い飛行船 2008年4月26日 (土) 14:32 (UTC)[返信]

  • (審査員コメント) 項目ごとに掘り下げ方にばらつきがあるのが気になりました。アミノ酸の構造では表が出ていますが、他とのバランスをみれば、これはアミノ酸に譲っても良いかもしれません。互いに大きく性質(親水・疎水など)の異なる代表的な例を数例、の方が、この記事ではよいかと存じます。また、この記事では各レベルの間の繋がりの説明が欲しいところですが、現時点では、各レベルの相互のつながりが判りにくいのが物足りないです。東 遥 2008年4月26日 (土) 14:49 (UTC)[返信]

H5N1亜型[編集]

H5N1亜型 - ノート - 2008年4月6日 (日) 03:57 (JST)

この記事は、今までのインフルエンザの種で今まで何があったのかから、現在の状況、この種の分類まで、質量ともに充実していました。この種に関して書かれていないことは見当たりませんでしたね。これはポイントが高いと思いますよ。--Imuzak 2008年4月12日 (土) 10:29 (UTC)[返信]

H5N1亜型について詳細に書かれていると思います。しかし全体的に見て、内容の整理が不十分な点が散見され、結果として記述されているところとそうでないところのバランスが大きく崩れているため、記事の完成度は低いと判断します。執筆コンテストは査読依頼や秀逸選考とは異なり、記事全体が完成されたかどうか、ではなく、どれだけ有用な加筆がなされたか、で評価すべきだと思いますが、今後の加筆の方向性なども考えて、指摘しておきたいと思います。

まずメジャーな点として、

  • 何よりも、1997年の香港型のアウトブレイクに関する記述がほとんどない点は重大な欠陥だと思います。これはH5N1亜型を語る上で、ヒト医学上から、そしてそれに派生する社会的な観点から、記事の4分の1〜2分の1程度を費やしてもおかしくない必須の内容にも関わらず、です。あえて、著者が香港のアウトブレイクに関する記述を外しているようにすら見えます。何らかの執筆上の意図(別記事への分割など)があってそうしているにせよ、全体のバランスを大きく崩していることには変わりなく、この点は改善を必要とするでしょう。
  • H5N1亜型について、一般向けに説明する上では、「トリインフルエンザ」の「トリ」と一口に言っていても、水鳥と家禽で大きく違うということを最初に上手く説明しておく必要があるでしょう。また一口に「H5N1亜型」と言っているものの中に、宿主を異とする複数のウイルス株が含まれている、というような説明も必要でしょう。こういった、基本的な説明を抜きにして、細かい内容の解説を行っているため、この記事を読んだ人は恐らく、H5N1亜型について「判ったような気になる」ことは可能でも、体系的に正しく理解することは不可能だと考えます。これも重大な問題の一つです。このような「体系的」な理解を助けるためには、まず記事の構成(特に概説や分類などの前半部分)をきちんと見直すことが必要だと思います。
  • これはやや専門的な内容になりますが、家禽に対するビルレンス(毒性)の強弱には、HAの開裂の容易さが大きく関与しているということは、コンセンサスを得られていると考えます。これについても、より字数を費やして説明する必要があります。
  • 上述のような、H5N1の理解に必要な内容が不十分なのにも関わらず、直接関係のない、あるいは薄い部分について字数が費やされているという問題があります。これも全体のバランスを崩しています。例えば「H5N1の特性」の「高い変異率」は、H5N1独自の特性ではなくインフルエンザウイルス全般の特性ですが、そう明言する形で書かれてはおらず、またH2N2やH3N2など直接の関係がない話で埋められており、不自然です。よりH5N1と関連させた話にするか、それができなければ取り除くことも考えて然るべき内容だと考えます。

それから細かいことですが、記事名の読みについて「あがた」のみを採用されてますが、これには何らかの根拠がありますか? 個人的には、これは臨床よりの慣用的な読みの一つだと認識してましたので。個人的には「あけい」を先にして並記するのがいいかな、とも思ったのですが、用語集等でその根拠になるようなものを探せませんでした(戸田新の古い版あたりはまだ探してないので、それを漁れば見つかるかもしれないな、と考えてますが) 他にも細々した点はありそうですが、とりあえず気付いた点ということで、指摘させていただきます。--Y tambe 2008年4月12日 (土) 23:32 (UTC)[返信]

  • (コメント)これも専門分野なので、わかりにくいところだけ。項目は「H5N1亜型」なのに、本文中では「H5N1」と表記されている理由はなんでしょうか。「亜型」を省略するなら、断り書きが必要だと思います、でなければいっそのこと項目名を「H5N1」にしてしまった方がよくないでしょうか。「概要」の節では当初「HPAI A(H5N1)は」と書き出されていて、これも混乱の一因でしたが、現行版では改善されています。とはいえ、冒頭の説明からトリインフルエンザ中心に記述されていて、すでにあるトリインフルエンザの項目との関係・区別が判然としません。構成的に、「用語」や「遺伝子構造と亜型」といった全体像が把握できる内容を上に持っていくと、多少印象が違うのではないかと思いました--みっち 2008年4月15日 (火) 08:29 (UTC)[返信]
  • (審査員コメント)今注目されている項目にフォーカスしており興味を持って読ませていただきました。凡そ充分な記述とは思いますが、説明の順序などにまだ工夫が出来ると存じます。私個人の疑問としては、常日頃から高病原性H5N1が注目されるところですが、何故H5N1が問題になるのかの説明が欲しいです。ヘマグルチニン・ノイラミニダーゼの型や型の組み合わせが病原性に関与するのか、それとも、H5N1が現代の人にとって新興感染症であり、パンデミックを起こし得る事が問題なのか。その辺り、本文をじっと読んでいくとある程度想像がつくのですが、頭で簡潔に纏めていただくとわかり易いと存じます。それから、前にも触れていますが「亜型」の意味するところについて説明があると良いでしょう。インフルエンザウイルスの中にH5N1という型があるのか、H5N1の中に、更に細かく区分する型があるのか、そのあたりがはっきりするとよいと存じます。東 遥 2008年4月26日 (土) 15:06 (UTC)[返信]

分野C[編集]

カリュドーンの猪[編集]

カリュドーンの猪 - ノート - 2008年4月4日 (金) 07:55 (JST)

  • (審査員からの質問)ギリシア神話は、分からないところだらけなので、本当に初心者からの質問と思ってください。アルゴ船の物語が数多くの星座の題材となった(カストル・ポルックス⇒双子座、ヘラクレス⇒ヘラクレス座など)のに対して、カリュドーンの猪が後世の天文学に与えた影響はないのでしょうか?芸術の分野では、かなり多くの絵画が残されているようなのですが、ピーテル・パウル・ルーベンスなどがなぜ、カリュドーンの猪を題材に絵画を描いたのかも知りたいとは思いますが、いかがでしょうか?--Tantal 2008年4月20日 (日) 08:43 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。難しいご質問です。ギリシア神話と関係のある星座というと、もっぱら「トレミーの48星座」ということになると思います。これらは、黄道十二星座ふたご座を含む)を中心として、エジプト(とりわけアレキサンドリア)の天文学あるいは西洋占星術の発達とともに定着していったもののようです。ペルセウス伝説など、古代ギリシア文化圏のなかでも比較的エジプトに縁のある物語が多く星座になっていることは、この点からうなずけます。また、神話の中でも比較的古いものが題材に採られていて、有名であっても例えばトロイア戦争テーセウスアテーナイの悲劇詩人たちが好んで題材にした)伝説などの新しいものは見られません。以上からすると、アルゴ座ヘルクレス座があるのになぜ「カリュドーンの猪」関連の要素が星座にないのかは、地域的にエジプトではあまり知られなかった、あるいは神話の成立がヘーラクレース伝説などより新しいという二つの理由が考えられます。--みっち 2008年4月21日 (月) 09:05 (UTC)[返信]
    • 後世の芸術の題材としては、まずローマ期から好まれていたということがあります。これは、英雄たちが集っての狩りという勇壮な場面の中に、メレアグロスアタランテーのロマンスやオウィディウスが好んだ変身要素も入ることで、ローマ人好みの物語であったのではないでしょうか。バロック期のルーベンスは「カリュドーンの猪狩り」以外にもギリシア神話を題材として多くの絵画を描いています。絵画の題材としてギリシア神話がなぜ採られたかですが、動的な構図や対比の強調など、ルネサンス美術とは一線を画するこの時代の劇的表現に、ギリシア神話は好適だったのではないかと考えます。しかし、以上は個人的な考えの域を出ていませんし、この項目内で語れる内容とも少し離れる感じがします。個人的考えという点では、猪(アレース及びアルテミスの聖獣)、メレアグロス(アレースの子)、アタランテー(女狩人でありアルテミスに近い)というように、この物語の主要モチーフはアレースとアルテミスの信仰が象徴的に関わっているように思うのですが、これ以上はほとんど妄想になってしまいますね。--みっち 2008年4月21日 (月) 09:05 (UTC)[返信]
  • (コメント)たいへんおもしろく拝読いたしました。とくに素晴らしいと思ったのは「主要な原典」の節の各作品のまとめで、簡単にして要を得ていると存じます。ただ「狩の参加者たちの異同」については、いささかわずらわしい感じがしましたが、いかがでしょうか。あと、重箱の隅のようなことなのですが、ある事柄についてまったく知識はないけれども、そのことを「知りたい」と思って項目を読む人のために、以下のことを気をつけてくださればよいのではないかと感じました。まず、メレアグロスのお父さんについて。冒頭文と「概要」の節で、2つの説が紹介されていますが、知識のない者は少々混乱し、また冒頭文を読み返すようなことになってしまいます。そのあたりの御配慮をいただけたらと思いました。(メレアグロスの項目にはそのへんのいきさつが書かれているのですが、誰もがリンク先を丁寧に読むとはかぎりませんので)。また、アンカイオスとケペウスについても、初出箇所に簡単な説明があったほうがよいと思いました。また、「メレアグロスの死」の節にでてくるアルタイアーについても、一言 「メレアグロスの母アルタイアーは」などと添えてあると、「アルタイアーって誰だっけ?」と前のほうを見ずにすむかなあ、と思った次第です。以上審査版[1]を読んでの感想でした。ともあれ、なかなかの力作だと思いました。ありがとうございました。Toki-ho 2008年4月21日 (月) 17:29 (UTC)[返信]
    • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。百科事典は一種のセンス・オブ・ワンダーだと考えている私にとって、「たいへんおもしろい」という感想をいただけたのはとてもうれしいことです。「狩の参加者たちの異同」は、秋の加筆コンクールで「アルゴナウタイ」をエントリしたとき、原典ごとに物語を紹介しないのかといった指摘を受けたような記憶があり、今回せめて登場人物だけでも整理してはどうかと思ってフランス語版のアイデアに習ってみたのですが、なくもがなだったかもしれません。このような人物リストは西洋では重要視される場合があるらしく、英語版にもリストがあり、ここではパウサニアスが参照されているようです。それで、実は現行の表にパウサニアスを加えた4者比較の構想を持っていたのですが、『ギリシア案内記』の文庫を借りたところ、抄訳だったために肝心の箇所がなく、頓挫した経緯があります。メレアグロスの出自についての概要部分、アンカイオスとケーペウス、アルタイアーについてはご指摘の箇所を修正・加筆しました。--みっち 2008年4月22日 (火) 09:04 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)毎度お疲れ様です。全体のクオリティは安定してすばらしいと思います。「狩の参加者たちの異同」はあったほうがいいなあ。
    • 概要の最初が「由来」から始まるのは、敷居が高いなあと思いました。
      • 「カリュドーンの猪の由来~アレースの聖獣でもあるとする」は、「研究者の解釈」へ動かす
      • 「カリュドーンの猪を~薪を燃やされて死んだ」を取り込んで、冒頭ほど切り詰めず「神話」の節ほど深入りしないような物語の概要/あらすじがつかめるものをここで加えて、「このような英雄たちの集結は~」という物語の順序的な位置づけにつなげる。
    としておけば、「研究者の解釈」の節も、理解しやすくなるのではないかなと思いました。
    • また、概説の由来のところで「ストラボン」「ロバート・グレーヴス」の説を並列に扱っているように見えますが、両者の生きた時代はだいぶ異なるということは、本文だけでもわかったほうがよいかなと。
    • アルゴナウタイのときも「概要」についてコメントした記憶がありますが、ギリシャ神話関係って、教養ある人たちは、けっこう深い内容までも周知のこととして説明抜きに使うことも多いと思うのですね。ギリシャ神話とまったく関係ない話題でも。そういう時に、百科事典の項目として、冒頭の定義でも、項目本文全体でもなく、「概要」のところがすごく重要な情報提供の場になるわけで、過不足なく要諦をまとめてほしいなあ、と、難しいことを要求してしまっていて申し訳ないです。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
      • (執筆者コメント)コメントありがとうございます。コメント期間を過ぎましたが返信してよろしいでしょうか。この項目は神話の猪が主題ですが、物語は「狩り」が中心であるため、「猪」と「狩り」の焦点の当て方にちょっと悩みました。概要として過不足ない記述を心がけたつもりではありますが、まだ解決し切れていないかもしれません。同時に、「過不足ない記述」の見解にずれがあるようにも思います(おそらく、私の方が認識不足なのかもしれませんが)。以下具体的に述べます。私としては、「カリュドーンの猪」がどういう猪であるかは記事の核心部分であり、由来を概要から外すわけにはいかないと考えます。また、ご指摘のとおりストラボンは古典記、グレーヴスは現代で時代が異なりますが、猪に関する情報として並列に扱うことに問題があるとは考えませんでした。むしろ、古いあるいは新しいなどと時代性を際だたせることで意図しない対比を生み、その対比に意味があるかのような読み方をされる可能性を恐れます。後段の教養うんぬんについては、申し訳ありませんがどういうことなのか文意が汲み取れませんでした。--みっち 2008年4月28日 (月) 09:29 (UTC)[返信]
      • んーとですね。まず、何か読んでたら、「カリュドーンの猪」というのが唐突に出てきて、何はなんやらさっぱりわからないので調べてみました、という立場で読もうとすると、敷居が高いと思うのが第一です。
        • この記事が、神話に登場する「猪」を主題とした記事であり、この猪が登場して狩を行なう「物語」を主題とした記事ではないということなら、現在の構成でよいと思います。この場合、「研究者の解釈」の節の冒頭部「この物語」は、「この猪が登場する物語」などと改めるのが好ましいと思います。逆に、「カリュドーンの猪」と言えば、「神話」の節にある一連の物語をも含むということであれば、冒頭部あるいは概要のところで、その旨に触れてほしいなと思いました。つまり、ご返答を受けてコメントを改めるならば、「猪」と「物語」の関係を、冒頭あるいは概要の段階で明示してほしい、ということになります。概要に「由来」が必要ということであれば、「物語」の概要としてアルテミスが巨大な猪を地に放ち、家畜や作男たちを殺し、農作物に大損害を与えた、というところから始めることで、「雌猪パイア」との関係や「研究者の解釈」の節も見えやすくなるかと思います。現在の「概要」には、その部分の記述がないのですが、これを加え、第二段落(狩の物語)、第一段落(由来)、第三段落(物語の時系列的な位置づけ)、第四段落(美術への広がり)とすれば、だいぶわかりやすい。
        • ストラボンとグレーヴスについては、両者を対比させる必要はないとしても、前者は原典して挙げられている史料の成立時期と差がない時期の記述であり後者は学術的な見解であるとして区別できるようにしておくべきではないかと。
        • 教養云々は余分だったかもしれません。すみません。言いたかったのはどういうことかというと、特に聖書絡みと神話絡みと言うのは、特に、文脈と関係なく比喩とかに使われたり、説明なく使われたりすることが多いと、理系育ちで人文系に手を出すようになった、ぼくのような浅学な人間は感じています。ある種の固有名詞は、限られた範囲では常識であり、その他の範囲では常識ではない。もちろん通常、その「範囲」は区別して認識されますが、先に挙げた聖書や神話というのは(他の分野でもいろいろあると思いますけれど)、その範囲から滲みだすことも多いといいましょうか。なので、「何はなんやらさっぱりわからないので調べてみました、という立場」から読まれることへの配慮を、やや強めに持ってほしいなというお願いです。百科事典の記事として、「カリュドーンの猪」は、各論的な位置づけにあるものですから、一般的には、ある程度神話関連についての前提となる知識を、リンク先などに委ねることがあってもよいと思うのです。ところが、上で述べたようなことから、よくわからないまま調べているというような状況が、比較的ありえる分野でもあると思うのです。ひょっとしたら、過度にわかりやすさを求めているのではないかとも懸念しつつ、「「猪」と「物語」の関係を、冒頭あるいは概要の段階で明示してほしい」という指摘をさせていただいているのは、そのような考えがあるということでご理解ください。--Ks aka 98 2008年4月28日 (月) 11:12 (UTC)[返信]
          • (執筆者再コメント)やはり認識にずれがあると思います。神話の猪なのですから、物語上の存在であることは自明であり、ことさら「猪」と「物語」の関係を明らかにする必要性を感じません。また、グレーヴスが学術的でストラボンがそうでないなどとされるのはご自由ですが、そういう価値判断をしたくないし恐れる、と私は書いたつもりです。理系とか人文系といった切り分けでいえば、おそらく私はコテコテの文系なのでしょう。申し訳ありませんがご要望には沿いかねるということで、ご理解願います。--みっち 2008年4月29日 (火) 11:10 (UTC)[返信]

ジャック・テイタム[編集]

ジャック・テイタム - ノート - 2008年4月6日 (日) 00:49 (JST)

  • (審査員からの質問):アメフトに造詣がないとなかなか理解し得ないのがアメフト選手の記事の弱点ですが、この記事はその弱点をある程度、克服しています。それは、Darryl Stingleyに対して一切の謝罪を行っていないことでも分かります。ただ、もう少し、人物像を掘り下げていただければ面白いスポーツ人物記事になったと思いますし、引退後の生活がやや貧弱だと思います。不動産ビジネスやレストラン経営で果たして成功した人物なのかどうか、彼が執筆した3冊のベストセラーの内容は何を描いたものなのか、糖尿病になった理由等を知りたいと思いますが、いかがでしょうか?また、アメフト史における彼の評価は具体的にどのように定まっているのでしょうか?例えば、野球におけるベーブ・ルースルー・ゲーリックハンク・アーロン王貞治、サッカーにおけるペレディエゴ・マラドーナ、F1におけるアイルトン・セナミハエル・シューマッハなどはある程度、評価が固まっていたりするのですが。--Tantal 2008年4月14日 (月) 12:33 (UTC)[返信]
  • (執筆者コメント)洋書3冊に関しては読んだことがないので内容に関して今のところわかっておりません。引退後の事業に関しては大失敗したり、大きな資産を築いた場合(チームの共同オーナーになる)などがあると加筆しやすいのですが今後情報を探していくしかないかなと感じています。評価に関していうとアメリカで人気のNFLのテレビゲームのシリーズ(他社に独占契約を結ばれたため引退した伝説の選手たちを集めたシリーズ)[2]で選択できる選手の1人となっており、優れたスピードを持ち、最上級の相手選手へのヒット能力を有する設定(評価)がなされています。本来ならば殿堂入りしてもおかしくない選手であるが、プレシーズンゲーム(公式戦開幕前のオープン戦のような試合)でのハードヒット(クリーンヒットでありラフプレーではないのですが、公式戦でもないのに相手選手がその後ほぼ全身麻痺したまま余生を送ったことから激しく当たりすぎたのではないかという批判の意見も多い)が原因でおそらく殿堂入りを逃すであろうと考える意見のある選手です。[3]スポーツイラストレイテッド誌のDr.Zというコメンテーターもそのように記しています。][4]--Tiyoringo 2008年4月14日 (月) 23:20 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)人物記事として取り上げるべき選手であったことは伝わってきますし、英語圏で活躍した人物であること情報源の量や選択、曖昧ではない情報の記載などといった点でも、英語版からの翻訳をする意義のある項目だと思います。ただし、これはスポーツ雑誌の文体であり、百科事典の文章ではないと感じます。翻訳のあと、日本語として推敲し、また当該分野の専門用語をどこまで残し、説明し、リンクや補足的な脚注で処理するか、というところをもうちょい考えてほしいと思いました。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]

調緒[編集]

調緒 - ノート - 2008年4月11日 (金) 21:56 (JST)

  • (審査員からの質問):材質が麻だということは分かりますし、最近では合成繊維が用いられていることも分かりますが、ここで質問です。まずはいつごろから調緒が使用されるようになったのかがこの記事では分かりません。また、主要産地とか分かれば知りたいです。加えて、いつごろから合成繊維が使用されるようになったのかが気になります。--Tantal 2008年4月14日 (月) 12:25 (UTC)[返信]
  • (コメント)まず、能楽関係の項目を書いてくださったこと、感謝いたします。ありがとうございました。さて審査対象版2008年4月11日 (金) 21:56 (JST)を拝読、調緒の性質については、よく書けていると存じます。ただ記述が少々エッセイ風で、百科事典的でないところが気にかかりました。以下具体的に例示します(斜体が項目からの引用 →のあとがこう直したほうがよいと思われる例)。「代表的な伝統芸能」→「伝統芸能」、「活躍する楽器」→「演奏される楽器」、「能楽ファンなら一度は聞いたことがあるだろうが」→「(削除)」、「この楽器の大小の違いによる音色の違いは、能楽公演などを見ていると面白いギャップがある。」→「つまり楽器の大小が音色の高低に比例しない。」、「、つまり「小鼓方」は他の二つの楽器担当者よりも少し「しゃれっ気」があるようで、」→「は」という具合にしたほうが、より客観的な記述になると思います。その他こまかいことでは、種類のところの各楽器の並べ方が、大きさ順(小鼓、大鼓、太鼓)などにするほうがよいかと思いました。それと、鼓、太鼓を使用するのは、能ばかりでないと思いますので、長唄などで使用する楽器の調緒についても言及していただけるとありがたいです。(能のものと違いがないなら、そういうふうに)。また、調緒を通す穴の数なども平凡社の能狂言事典に載っている程度の言及度でいいので、あったほうがよいと思いました。また、演奏時に、小鼓方が調緒をどのように持つのかということ、調緒の色に許しがあるかどうかということなど、加筆することは多そうです。最後に、いちばん大切なことなのですが、参考文献があがっていないのが、残念です。あとからでよいので、あげておいてください。お願いいたします。以上、やや厳しいコメントになりましたが、主執筆者の果敢な挑戦に拍手をおくります。また記事を充実させていただいた方々のご尽力に敬意を表します。Toki-ho 2008年4月20日 (日) 04:00 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)あまり手が付けられていない分野への投稿に感謝します。全体に、通常必要とされる情報は押さえられているように思います。情報源と文章表現については、Toki-hoさんの指摘があるので、一つだけ。資料があれば、産業的な位置づけ(どんな人が作るのか、など)や、歴史的経緯などがあると、なおよいでしょう。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]

東大寺の歴史[編集]

東大寺の歴史 - ノート - 失格

錦絵新聞[編集]

錦絵新聞 - ノート - 2008年4月11日 (金) 21:33 (JST) 

  • (コメント)審査版 2008年4月11日 (金) 21:33 (JST) 拝読しました。まず解説がわかりやすく、記述量も適切、さらに解説文、脚注、参考文献、リンクなどともにバランスのとれたよい項目だと思いました。あえて難をいいますと、現代の読者は「新聞」と聞くと、枚葉のある文字と写真中心のものをまず思い浮かべますので、錦絵新聞の一般的なサイズと、一枚もの(?)であることをどこかに書いていただくと、イメージがつかみやすいかと思いました。その点、審査版の画像が削除されたのは残念ですね。適切な画像があればぜひ加えていただきたいです。また、略年表が、「主な錦絵新聞」のあとの節にきていますが、錦絵新聞の歴史の概略を知ってから、どのようなものが出版されたかを知るために、上にきたほうがよいように感じました。略年表のさらなる充実も期待します。ただし、あまり細かくなりすぎないように、発生から衰退までの流れが一目でわかるようにしていただきたいです。欲を言いますと、参考文献、関連文献のISBNがあったほうが読者には親切でしょう。これはこれから機械的にでもできますので、時間があればお手伝いしたいと思います。とてもよい項目をありがとうございました。Toki-ho 2008年4月20日 (日) 05:31 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)画像も含めた記事全体の構成、特に資料・外部リンクの扱いには感服しましたですよ。「参考文献」「関連文献」は、実際に目にしたものと、目にしていないものの違いということでよいのかな。これは、非常にいい使い分けだと思いますし、コレクション/データベース関係の外部リンクは有用です。
    • 冒頭から概要にかけて「錦絵」について一言も説明がないのはいかがなものか。「浮世絵の流れを汲み云々である錦絵で絵解きしたもの」などと、数十字の修飾があればだいぶ変わると思います。
    • 成立に至る過程や動機付けの説明がない。「民衆の錦絵離れ」も、どういう理由で離れたのか、錦絵新聞との時期的な関連などが、もう少し書かれていてもよいでしょう。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]

ルネサンス文学[編集]

ルネサンス文学 - ノート - 2008年4月11日 (金) 22:12 (JST)

  • (審査員の質問):もう少し、分量があってしかるべき記事だと思います。文学を知る上での取っ掛かりでは問題ない記事だとは思います。さて、質問ですが、やはり、ダンテ・アリギエーリの『神曲』で始まるルネサンス文学ですが、文学面におけるルネサンスの意義とは一体何なのかがよくつかめきれていないと思います。確かに、文面では、中世の因習からの脱却と国民文学の萌芽を読み取ることができますが、やはり、主要国のイタリア、フランス、スペイン、イギリス、ドイツ(オランダを含む)における各国での意義を知ることができれば良質な記事へと脱皮することができるとは思いますが、どうでしょうか?というのも、建築においてはルネサンスに続くロココあるいはルネサンス以前のゴシックと各時代の建築においては優れた分量の記事が存在しているだけに(cf.ルネサンス建築ロココ建築ゴシック建築北方ルネサンス建築など)、なおのこと、知りたいと思います(それでは、今、自分が加筆しているムガル帝国における文学はどうなのかと突っ込まれると勉強不足で回答しきれないのが現実ですが……)--Tantal 2008年4月14日 (月) 12:21 (UTC)[返信]
  • (執筆者の回答):回答させて頂きます。まず、分量が少ないという点ですが、私も提出後に他の方々のエントリと比べて、記事の分量の少なさは感じました。他の方々が専門的な項目で詳細な記事を執筆されているのに対し、この記事は項目の大きさに対し記事内容は簡易です。ただ、いくつかの点で、この項目については書き過ぎもよくないと感じた面もありますので、ご質問の回答と併せ、その点も説明いたします。
    • 質問の一つ目、主要国における各国別の意義を解説した記事があればよいということですが、これはまったくご指摘の通りだと思います。いまの記事では「イタリアでの発祥」と「欧州各地への波及」で簡易にまとめてある部分は、各国別にさらに膨らます余地が十分にあると思います。ただ、各国の中世とルネサンス期の文学の知識が必要となりますので、今回は全欧州的な文学現象という面に限った簡易なまとめ方にしました。誰か適切な方がいれば加筆をお願いしたいと思います。なお、フランスについてはフランス・ルネサンスの文学という充実した記事がすでにあります。各国文学史の記事とも重なる部分ですので、あるいはそちらへリンクを貼るという方法が合理的かもしれません。
    • 二つ目に、文学面におけるルネサンスの意義が記事文面からは曖昧であるという点ですが、これは上記の事情より記事が簡易なものになってしまったという面もありますし、また歴史評価に踏み込むことは避けたという面があります。歴史評価は、とくに文学という数値や形状で測れない分野での評価は、中立客観性をもって下すのが難しいと考えますが、いかがでしょうか。たしかに「中世の因習からの脱却と国民文学の萌芽」という評価はほぼルネサンスの意義として認められているところではあるのですが、これもまだ議論の残る点があるようで、ルネサンスにも解説がある通り、中世を停滞と不毛の時代とする近代歴史家の見方には最近かなり反論も見られるようです。そうした事情もあり、短いはっきりとした言葉でルネサンスの意義を示すことはなかなか難しいと思われます。ただし、文学の場合には14世紀から16世紀にかけ、新しい性格を持ったすぐれた作品が全欧的に登場してきたことは間違いないですので、それら作品を生んだ運動と影響の面を主として記事を書きました。
    • 最後に記事の分量についてですが、このルネサンス文学の場合はすでに、ルネサンス全体(ルネサンス)、個々の作家(ダンテボッカチオチョーサー)、主要な作品(神曲デカメロンカンタベリー物語)、各国の文学史(イタリア文学フランス文学イギリス文学)については、それぞれ記事がありましたので、内容を文学運動としての発生と影響関係のみにしぼりました。分量が少なめになったのはそうした事情もあります。もちろん各国別の状況のように、まだ膨らます余地は十分にあるとは思いますが、この記事ですべてを説明するのではなく、他の記事との連絡を考えると、あるいは関連記事へのリンク案内などの整備が必要かもしれません。このあたりはまだウィキペディア執筆に馴れていないため、按配がはっきりわかりません。助言いただければと思います。--inoue.t 2008年4月16日 (水) 05:14 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)これまた難しいものを。全体を見渡すような項目では、包括的・概観的な記述というだけでなく、他の項目との関係などをうまく捌く必要があります。方法論的なところは、まだ日本語版全体で模索中という段階かなあ。項目内に出てくる名前や出来事は、詳説するくらいなら、個々の項目に任せればいいと思いますが、この項目だけ読んだとしても、ある程度のわかりやすさ、完結性が得られるように配慮していただければと思います。逆に、書けるなら、悩んだりせず、他の項目気にせずに書いてしまってもいいですし。
    • 作家の節はもっと後でもいいと思う。
    • 全体に何年の作品・出来事かというのが書かれていないため、流れがつかみにくいかな。
    • ルネサンスとは文芸運動であり他の分野へ波及したのは、文化的運動でありその中核に文学があるのか、というところが曖昧なまま記述されているような印象を受けます。冒頭では後者として位置づけていますが、「ルネサンスとその文学」の節ではやや前者よりの認識から説明を進めています(たとえば「さらにルネサンス(再生)という語は、ただ文芸においてだけでなく、さまざまに広い含意を込めて使われてきた。」)。
    • また、「ルネサンスとその文学」「人文主義者」「イタリアでの発祥」の各節の関連がうまく見えてこないように思います。「ルネサンスとその文学」がおおよそ概説、「イタリアでの発祥」というのは「イタリアにおける文学の創作の発祥」として、中間にある「人文主義者」のところは「研究」から「創作」の移行において重要な役割を担ったというのを強調する必要があると思いました。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント):大項目⇒小項目とする方法が記事作成としては1つ有効かもしれません。手前味噌ながら、昨年のコンテストに私が投稿したイスラーム建築においては現在子記事として、オスマン建築サファヴィー建築が存在します。ルネサンス文学においても、フランス・ルネサンス文学が既に記事として存在する以上、イタリア・ルネサンス文学やイギリス・ルネサンス文学の記事を独立させても面白いかもしれません。親記事にはこれらの子記事の概要を集約させつつ、それでいて、全体を俯瞰できるように仕向けていく作業が欠かせないと思います。例えば、こちらも手前味噌ながら、イギリス東インド会社ネイボッブを詳細に書く必要性は求められないわけで、{{main|○○}}で、ネイボッブの説明はその記事に任せつつ、東インド会社と役割分担させてしまうという手法です。この方法で、自分の専門外の領域に深入りせず、思い切り、自分の土俵で勝負できます(笑)--Tantal 2008年4月26日 (土) 14:45 (UTC)[返信]
  • (審査員の質問)まもなく審査が始まるのですが、質問させていただきます。まず、一通り読んだ感想はルネサンスは奥が深いのにも関わらず内容が物足りないことです。本題に入りますが、ルネサンス文学が後のヨーロッパや文学に与えた影響が詳しく書かれていないのが大変残念です。十字軍とかヨーロッパの出来事には後の時代に多大な影響を与えているはずです。もし、ご存知であれば教えてください。--ネプチューン 2008年5月2日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

文化遺産保護制度[編集]

文化遺産保護制度 - ノート - 2008年4月11日 (金) 23:14 (JST)

  • (審査員の質問):まとまった記事だと思います。ただ、どうしても日本中心になりがちな記事なだけに、日本とそれ以外の国の比重をできるだけ、同じにするようにすれば、いいのかとは思いますが、世界遺産という言葉があるように、全世界で文化遺産を保護する制度はあると思います。そこで、質問ですが、日本以外にイギリス、フランス、ドイツ、アメリカ合衆国、中華人民共和国、中華民国がこの記事で紹介されていますが、例えば、世界遺産の数では最大のイタリア、スペイン(ともに40を超えます)、逆に、世界遺産制度の嚆矢となったエジプトといった他の国がどういう制度があるのか逆に気になります。--Tantal 2008年4月14日 (月) 12:11 (UTC)[返信]
  • (審査員のコメント)他国の制度まで目を配り、丁寧にまとめられた記事だと思います。日本の制度の分量については、日本語版でもっとも充実した記述が書かれることが望ましく、後の分割なども含めて考えれば、現時点では差があってもいいかなと思いました。
    • この項目名が、どの程度確立したものなのか。一般的な用語法として広く使われているということなのか、省庁などによって用いられているのか。たとえば文化財保護制度ではないのはなぜか。
    • 概要のところが、国内事情と国際的な条約一般にあてはまるものが混在しているような印象を受けます。
    • 節の流れは国際的な条約→各国のほうがよさそう。
    • フランスはおそらく脚注にある資料が全体の情報源となっていると思われ、中国は一部について情報源が記されていますが、他の国ごとの制度についての情報源は? 参考文献から推察できる部分もあり、根拠なく書いているのではないとおもいますから、これくらいの規模・対象の広さを持つ記事では、どこかで脚注で「主としてほげほげ2004を参照」などとして、本文と関連付けるのが好ましいと思います。
    • 4.1 「制度の変遷」 は、「文化財保護法へ至る制度の変遷」としたほうがよさそう。--Ks aka 98 2008年4月26日 (土) 09:48 (UTC)[返信]