富岩運河
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| 富岩運河 | |
|---|---|
富岩運河(富山市興人町付近。奥に見える橋は永代橋) |
|
| 水系 | 運河 |
| 種別 | 閘門式運河 |
| 延長 | 5.1 km |
| 水源の標高 | -- m |
| 平均流量 | -- m³/s |
| 流域面積 | -- km² |
| 水源 | 富岩運河環水公園 |
| 河口(合流先) | 富山港(富山県富山市) |
| 流域 | 富山県 |
富岩運河(ふがんうんが)は、神通川下流の東岸に沿って位置し、富山湾の岩瀬港(富山市岩瀬)から富山市湊入船町までをつなぐ運河である。富山県道富山港線や富山ライトレール富山港線とほぼ平行に流れている。
目次 |
[編集] 地理
富山市中心部の湊入船町にある富岩運河環水公園から流れ始め、中島閘門までは工場や住宅地の間を流れる。中島閘門を過ぎると住宅地や工場や木材などの資材置き場、日本海ガスのガス貯蔵庫や途中で住友運河と合流する。萩浦小橋を過ぎると右岸には工場、左岸は神通川の堤防が続く。富山港付近になると港湾関係の施設が続き、富山港に流れ出る。
[編集] 歴史
江戸時代、現在の富山港には他の地方からの船舶が多く停泊していて岩瀬地区では古くから商業が盛んであった。しかし、岩瀬地区から富山城のある富山市中心部までは遠くて不便であった。さらに明治時代に入ると資材の運搬が盛んになり、岩瀬地区と富山市中心部を結ぶ水運が不可欠となった。
1928年 当時、内務省の技師であった赤司貫一(1890年 - 1954年)が立案した計画をもとに富山の都市計画事業が決定する。赤司が立案した計画は、当時はばらばらに整備するのが一般的だった運河、区画整理、街路や公園の整備を同時に行う画期的な計画だった。この計画に当時の内務省幹部は「日本初の試みだ。」と賞賛した。
1930年に工事は着工した。この工事ではエキスカベーカという掘削機が使用されていた。そして、1934年に、整備は完成した。この工事で削り取られた130万m³の土砂は富山市市街地で曲がっていた神通川の馳越(はせこし)工事による廃川地の埋め立て工事と富山港修築工事に利用された[1]。
戦前は木材や貨物などを運ぶために敷設された富岩鉄道(現在の富山ライトレール)や安い電力、広い工業用地などで流域には多くの工場が建設された。これによって富山の工業は発達した。
しかし戦後は、電力料金の高騰や上流の水質悪化、住宅地建設、などで立地環境が低下した。そのため流域の工業は衰退した。また、木材置き場になりつつあって本来の役割を果たしていなかった。県は1979年に運河を埋め立てて富山市中心部と国道8号線をつなぐ幅25mの道路を建設する計画を発表した。しかし県は1984年に、むしろこれをいかして運河を中心とした街づくりを目指すため残すことを発表した。[1][2][3]。
そして、1988年、富山駅北地区の新都市拠点整備事業「とやま都市MIRAI計画」が始まり、富岩運河環水公園の工事が始まった。1997年 富岩運河環水公園が開園。市民の憩いの場となっている。2007年3月22日 富岩運河環水公園内に小運河と人工島「あいの島」が開園した。また、富岩運河環水公園から中島閘門間の脇には遊歩道や休憩所が整備され、かつてのゴミ捨て場から市民の憩いの場所へと変わった。[3]
[編集] 流域の観光名所[4]
- 富岩運河環水公園 - かつては船溜(ふなどまり)として富山港へ向かう船がたくさん停泊していた。今ではボート教室、自然観察会などの行事が盛んに行われている。[1]
- 中島閘門 - 1930年に着工し、1934年に完成した。閘門、放水路、周辺の土地等は「富岩運河水閘施設」の名称で国の重要文化財に指定されている。上流と下流の水面の約2.5メートルの高低差を克服するためにパナマ運河式の閘門設備がある。富山ライトレール越中中島駅から徒歩15分。
- 牛島閘門 - 富岩運河環水公園の近くにあり、国の登録有形文化財に登録されている。船が航行できるように水を60cm調節できるようになっている。富岩運河環水公園の建設に伴って一度取り壊されたが、2001年に復元された。
- 馬場記念公園 - 東岩瀬の廻船問屋である馬場はるの寄付金のもと1923年に設立された旧制富山高校(現富山大学)があった場所である。遊具ゲートボールもできる広場や遊具、野球場、テニスコートなどがある。ライトレール蓮町駅前の信号で県道富山港線を横断してすぐのところにある。
- 官立富山薬学専門学校跡地 - 1920年から1951年まで存在し、現在の富山大学薬学部である。上流の奥田寿町公園内にあって記念碑もある。
[編集] 富岩運河クルーズ[5]
2007年6月から富山市が富山観光遊覧船株式会社に委託して松川にある遊覧船を利用して富岩運河チャータークルーズを行っている。以下の2種類のコースがある。原則、乗船日の3日前までに予約制で料金前納制である。
[編集] 富岩運河・中島閘門わくわくクルーズ
- 出発時間 - 遅くとも14:00まで(中島閘門の利用が15:00までなので)
- コース - 富岩運河環水公園船着場(天門橋)と中島閘門内を往復する。
- 所要時間 - 約1時間(中島閘門体験あり)
- 料金 - 91,800円(飲食物持ち込むときはさらに1人310円必要である。)
- 最大乗員 - 51名
- 定休日 - なし
[編集] 富岩運河ディナークルーズ
- 出発時間 - 17:30
- 飲食物は用意されないので持ち込まなければならない。
- コース - 富岩運河環水公園船着場(天門橋)と中島閘門前を往復する。
- 所要時間 - 約1時間30分(中島閘門体験なし)
- 最大乗員:51名
- 定休日:月曜日(月曜日は祝日の場合、祝日の翌日)
- 料金 - 下の表参照
| 乗船人数 | 15名 - 30名 | 31名 - 40名 | 41名 - 51名 |
|---|---|---|---|
| 料金 | 105,000円 | 135,000円 | 153,000円 |
| 持ち込み料金 | 9,300円 | 12,400円 | 15,810円 |
[編集] 水質汚染
富岩運河では流域に工場が建設されたことによって高度経済成長期までは運河に工場の排水がそのまま流されていた。そのため上流ではヘドロが堆積し、船での航行が出来なくなった。水質調査を行うと、ダイオキシンの濃度が環境基準を大幅に超えていた。また、流域の井戸の水質も悪化し、飲んではいけない基準を超えていた。これを受けて富山市はヘドロの除去やごみ拾いなどを行い、水質を改善させようとした。
市が行った平成18年度の水質調査によると下流の千原崎町では浮遊物質(SS)が3mg/l、溶存酸素(DO)が8mg/l、75パーセント生物化学的酸素要求量(BOD)が1.0mg/lと環境省の環境基準では良い方である。[6][7]しかし、上流の方はこれより水質が悪く、県が行った平成18年度のダイオキシン類環境調査によると千原崎町でのダイオキシン濃度は1.1pg-TEQ/Lで依然環境基準の1.0pg-TEQ/Lを超えている。[8]
[編集] 橋梁
※岩瀬港から富山駅方面へ
- 萩浦小橋(国道415号)
- 千原崎橋
- 新上野新橋(木材置き場につながるだけで行き止まりである。)
- 上野新橋
- 富岩運河橋(国道8号)
- 中島橋(中島閘門)
- 永代橋
- 大島橋
- 新下橋
- 木場橋
- 天門橋(富岩運河環水公園船着場)
[編集] 流入水路
- がめ川
- 住友運河 - 岩瀬スポーツ公園付近から流れていて岩瀬スポーツ公園付近には多くの木材が置かれている。
以上の他にも、直接流入しているわけではないが、岩瀬運河が岩瀬港(富山港)に流入している。釣り用の船舶が多く停泊している。
[編集] 脚注
- ^ a b c よみがえった富岩運河
- ^ 富岩運河の建設と利用の歴史
- ^ a b 一石三鳥を狙った富岩運河
- ^ 富岩運河周辺
- ^ 富岩運河チャータークルーズ
- ^ 平成18年度富山市水質汚濁についての統計
- ^ 生活環境の保全に関する環境基準
- ^ 富山県のダイオキシン類環境調査
[編集] 参考文献
- 『富山大百科事典』北日本新聞社、1994年
- 『富山の街 若手技師が計画』北日本新聞社、2007年6月2日朝刊35面
- 『ぜひ県都のオアシスへ』北日本新聞社、2007年6月21日夕刊1面
- 大熊孝「重要文化財富岩運河水閘施設(中島閘門)の変遷と保全・活用の意義」『月刊文化財』416号、第一法規、1998

