もみじ饅頭
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もみじ饅頭(-まんじゅう)は、饅頭の一種であり、広島県の厳島(宮島)の名産品である。
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[編集] 概要
紅葉の名所として知られる日本三景・安芸の宮島の名物で、代表的な土産品。現在では広島市内でも多くの店舗で購入が可能で、広島みやげとして知名度が高い。
小麦粉・卵・砂糖・ハチミツを原料とするカステラ状の生地で餡を包み、モミジの葉をかたどった型に入れて焼き上げた和菓子である。焼饅頭の一種で、明治後期に誕生した。
餡はこしあんを基本とする。その他、昭和初期につぶあん入りが、戦後には白あん・抹茶あん・栗あん入り等が派生した。1980年代以降、チーズ入りを皮切りに各種のバリエーションが生まれ、現在でも新たな試みが活発に行われている(後述)。
基本となるこしあんのもみじ饅頭の製法についてはどの店もほぼ同一である。また、店頭に据えられているオートメーションの製造器も同じものである。これは宮島(厳島)の中のみやげ物店がどの店でも作れるようにという考案者の計らいがあった[要出典]。
特に宮島(厳島)には多くの店が軒を連ねており、昔ながらの茶屋の風情で緑茶やコーヒーとともに焼きたてを食べることもできる。
広島市などの県西部(安芸地方)が種類・企業ともに最も多いが、福山市などの県東部(備後地方)でも有名メーカーのものが多く売られている。県外でも広島県のアンテナショップや一部のコンビニエンスストア(ファミリーマートなど)で売られている。
全国的な知名度は高く、例えば2009年にも朝日新聞が会員サービス「アスパラクラブ[1]」内で行ったアンケート調査「日本一のまんじゅうは?」で全国1位となっている[2][3]。
[編集] 起源
もみじ饅頭を発案した人物は明治後期の厳島(宮島)の和菓子職人、高津常助とされている[4]。島内の紅葉の名所・紅葉谷にあって伊藤博文やヘレン・ケラーら国内外の要人が多く利用した旅館「岩惣」に和菓子を納入していた高津は岩惣から「紅葉谷の名にふさわしい菓子を」と依頼され、試行錯誤の結果1906年(明治39年)に「紅葉形焼饅頭」を完成させた。4年後の1910年7月18日には商標登録しており、この商標登録証は子孫の元に残っている。なおこのとき登録された焼き型は「7つの切れ込みのある葉に短い葉柄がついたもの」であり、今日のもみじ饅頭とは趣が異なるが、しばらくして高津はより現在の形に近い焼き型を使い始め、この型は現存している。呼び名も、常助の代にはすでに「もみじ饅頭」と呼ばれ始めていたと本人が子孫に語っている[5]。
中身はこしあんであったが、昭和初期にはつぶあん(小倉あん)のもみじ饅頭(つぶもみじ)が考案された。こちらの起源は岩村もみじ屋である。1934年(昭和9年)5月10日に高松宮宣仁親王が厳島を訪れた際、同店の初代・岩村栄吉に「つぶあんはないのか」と所望したのがきっかけで誕生した。
[編集] 伊藤博文の冗談が起源とする説について
もみじ饅頭の起源には伊藤博文がかかわっていたという説があり、今日でも広く流布している。内容は、「伊藤が紅葉谷の茶屋で休憩していた折、給仕した茶屋の娘の手を見て『なんと可愛らしい、もみじのような手であろう。焼いて食うたらさぞ美味しかろ』と冗談を言い、茶屋の女将が広めたこの話を饅頭屋が聞いて考案した」というものである。伊藤は当時から厳島びいきで知られ、たびたび島に滞在していた上(厳島の項目を参照)、当時すでに総理大臣を辞して大勲位にあって「女好きの好々爺」というイメージが民衆の間に確立していたことから、この説は広く受け入れられた。現在でも、大手もみじ饅頭メーカー(例えばやまだ屋:もみじ饅頭の由来)や地元の宮島観光協会(宮島観光協会:もみじ饅頭)が由来として掲げるほど親しまれている説である。実際にはそのようなエピソードの記録は公式に残っているわけではない。前述の高津常助はこのあたりの状況を熟知していると考えられるが、伊藤とのつながりを認めたことはない(ただし否定したこともない)。そのため「茶屋の娘へのお色気冗談」説は、あくまで俗説・噂にとどまる。ただし高津の和菓子屋「高津堂」は伊藤の定宿である岩惣の門前にあり、取引先の岩惣の依頼でもみじ饅頭を考案したのであって、高津と伊藤が互いを認識していた可能性はある。またマスコミや記録媒体が発達途上であったこの時代、休暇中の伊藤の冗談まですべて記録することには無理があり、この冗談もすべて創作と断じることはできない。
[編集] 発展
もみじ饅頭の知名度が全国的に高まり広島を代表する銘菓と認識されるようになったのは、1980年代初期の漫才ブームの中で、お笑いコンビ「B&B」の島田洋七が「モミジマンジュウ!」と叫ぶギャグが流行してからである。
ブームに乗って売り上げは飛躍的に伸び、1984年に「チーズもみじ」が発売されたのを皮切りにカスタードクリーム入り、チョコレートクリーム入りなど多くのバリエーションが生み出された。
[編集] ぷよまんのヒット
1990年代に大ヒットしたゲームソフト「ぷよぷよ」の開発元であるコンパイルは、広島に本社を構えていた(一時期は宮島対岸の佐伯郡大野町に本社を構えた)ことから、同ソフトのキャラクターである「ぷよぷよ(ぷよ)」をかたどってもみじ饅頭製造機の焼き型とした「ぷよまん」を発売した。同社は広島市内の本通商店街や広島駅ビル、もみじ饅頭の本場である宮島、遠くは幕張メッセでの東京ゲームショウに出展したブース等に「元祖ぷよまん本舗」を構えて、自社グッズとともに販売した。ぷよまんは派生商品としては異例のヒット商品となったが、ぷよぷよブームの終結やコンパイルの倒産に伴い、2003年を最後に製造・販売が打ち切られた(詳細はぷよまんの項を参照)。
[編集] 現状
大手をはじめ約20社のメーカーが伝統の味を受け継ぐ一方で、新商品や新たな試みを模索している。
近年ではカステラ状の生地にレーズンを織り込んでそのまま焼き上げた洋菓子風味のものや表面にチョコレートを塗ったもの、生キャラメル入りや竹炭入りの「黒もみじ」など、メーカーが趣向を凝らした新しいもみじまんじゅうを開発している。もみじ饅頭の天ぷら(通称「あげもみじ」)やもみじ饅頭ソフトクリームなど、従来の概念を覆すような商品も登場している。2009年には、萌えを地域商品に組み込むブームに乗じた“萌えもみじ饅頭”「もみまん。」なる商品も登場した[6]。
[編集] 主なメーカー
[編集] 脚注・出典
- ^ アスパラクラブ
- ^ 朝日新聞 2009年1月27日付夕刊be evening・同2009年1月28日付朝刊 23面
- ^ 新聞大好き! - 自分自身の尺度も大事にしたい
- ^ 生誕100周年もみじ饅頭物語(西広島タイムス 2007年1月1日付)
- ^ 生誕100周年もみじ饅頭誕生の歴史
- ^ 宮島がモチーフの「萌え」もみじまんじゅう-広島の老舗が発売(広島経済新聞 2010年1月14日付)
[編集] 関連項目
- B&B(島田洋七、郷土ギャグ「モミジマンジュウ!」)
- ぷよまん - コンパイル (企業)