柳京ホテル

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柳京ホテル
柳京ホテル(2011年8月27日撮影)
柳京ホテル(2011年8月27日撮影)
施設情報
所在地 朝鮮民主主義人民共和国の旗朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市普通江区域
座標 北緯39度2分11秒
東経125度43分50秒
座標: 北緯39度2分11秒 東経125度43分50秒
状態 建設中
建設期間 1987年 - 未定
完成予定 未定
用途 ホテル
地上高
最頂部 330.02m
各種諸元
階数 105階(諸説あり)
延べ床面積 約360,000m²
柳京ホテル
各種表記
ハングル 류경호텔
漢字 柳京호텔
発音 リュギョンホテル
日本語読み: りゅうけいほてる
MR式
2000年式
英語
Ryukyŏng hot'el
Ryugyeong hotel
Ryugyong Hotel
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柳京ホテル(リュギョンホテル、りゅうけいホテル)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市普通江区域にあるホテルである。

沿革[編集]

建設の経緯[編集]

建設途中で放棄されていた柳京ホテル(2007年)

北朝鮮が1988年ソウルオリンピックに対抗して開催したとされる第13回世界青年学生祭典1989年)に間に合わせるべく、1987年に起工された。設計および建設は白頭山建設研究院(Baikdoosan Architects & Engineers)による[1]。北朝鮮の威信をかけた「世界一のホテル」として建設され、韓国一高いソウル63ビルよりも高く、さらに韓国の双竜グループが1986年シンガポールに建てた当時の高さ世界一のホテル・ウェスティン・スタンフォード・シンガポールよりも高く[2]することを目指したとされる。平壌の旧称である「柳京」から柳京ホテルと名付けられた。建設段階から国外へ向けての宣伝を行い、地図にも掲載されていた。

しかし、あまりにも巨大な施設のため世界青年学生祭典には間に合わず、急遽両江ホテル西山ホテルが建てられた[3]。その後も北朝鮮当局は日本など西側の外資を柳京ホテルに誘致する投資会社(Ryugyong Hotel Investment and Management Co.,)を設立し、カジノを設置して日本人観光客を誘致する案もあった[2]。柳京ホテルは建設中にもかかわらず外国人ツアーの経路にも入れられていた。だが、1992年に建設が中断され、15年以上にわたり備品はおろか窓も外装すらないまま放置された。この中断の原因は資金不足や電源不足、広汎な飢餓のためと推測される。

長らく放置されたことで、単独の建築としては世界最大の廃墟であると言われ、アメリカのファッション雑誌『エスクァイア』は2008年に、「人類史上最悪の建物」という題で柳京ホテルを「傾いた北朝鮮式シンデレラ城」と紹介した[4][5]。 柳京ホテルは『CNN』の選んだ「世界で最も醜い建物」の第1位に選出されている[6]。国際メディアからは「滅びのホテル(Hotel of Doom)」と呼ばれている。

建設再開[編集]

建設再開後の柳京ホテル。近傍にある祖国解放戦争勝利記念塔より(2010年4月)

2008年4月より、16年ぶりに建設が再開されたことが5月になって報じられ、窓ガラスの取り付け工事が始まった[5][7]。建設には北朝鮮で携帯電話事業の展開を計画中のエジプト企業オラスコム・テレコム社(当時の会長はナギーブ・サウィーリス)が関わっているとされ、1億8000万ドルを投資したという情報もある[8]2011年現在、外装工事はほぼ終了したとされ、内装工事は2012年4月15日の金日成の生誕100周年までの完成を目指しているとされたが[9]、結局4月には竣工の発表や式典などは行われていない。

完成すれば高さ330mのホテルとなり、2011年8月現在完成しているホテルの中ではドバイローズタワー(333m)に次ぎ世界2位の高さとなる。また、2012年の開業時期までに開業予定のホテルも合わせると、アブラージュ・アル・ベイト・タワーズ(601m)、エミレーツ・パーク・タワーズ・ホテル・アンド・スパ(395m)、前述のローズタワーに次ぐ世界4位の超高層ホテルとなる。しかし、現在も監視員が常時監視しており、平壌市内の観光コースからも外されている。 2012年9月23日に北京の旅行会社のスタッフが建物内部へ入った。その際、建設関係者から「完工まであと2,3年を要する」と示唆された[10]

2012年11月1日には、欧州のホテルチェーン企業ケンピンスキーが営業を請け負うこととなり、2013年中ごろに一部開業するとの見通しを明らかにした[11]。しかし2013年3月、ケンピンスキーの幹部は現時点では平壌でのホテル産業には参入できないとし、開業は事実上白紙となった[12]

開発断念[編集]

2013年4月9日、開発を担当していたケンピンスキーは、開発を断念すると発表した[13]

設計[編集]

平壌市普通江区域、平壌教員大学の近くにあり、平壌市主要部のいずこからもよく見える特徴的な三角形のフォルムをしている。矢羽のような三角錐状の外観は非常に特徴的で、安定性を重視した設計がなされているとされる。

延べ建築面積は約36万朝鮮労働党書記(現:総書記金正日の教示があった日である10月5日にちなんだとされる105階建(114階、117階説もある[3])で、客室数3,000室(6,000室説もある[3])以上を有し、最上階には3つの回転展望レストランを用意する予定であった。

『Engineering News Record』(1990年11月15日)によると、ホテルの工事費は7億5,000万ドルと推測された。ちなみに、北朝鮮の国内総生産は126億ドル(1998年韓国銀行推定値)であることを考慮すれば、このホテル建設プロジェクトが北朝鮮経済に及ぼした負担の大きさが窺える。柳京ホテルを完工するには専門家の見積もりによるとさらに5億~10億ドルがかかると言う[14]

安定性の高い三角形を設計に用いているが、もともと水田が多数存在した岸の地盤の悪い土地に建てており、現在もホテルが立地する地区の周囲は川に取り巻かれている。追い討ちをかけるように、設計ミスによる建物の傾きが判明している[3]。さらに、コンクリートのクラックに入り込んだ水分がの寒さで凍結膨張をくりかえしたため、一層強度が低下したともされ、建設継続は不可能と見る専門家もいた。

いつまでも完成しないことから「滅びのホテル(Hotel of Doom)」と呼ばれ、2008年にはアメリカの雑誌エスクァイアで「人類史上最悪の建物」に選ばれた[13]

ギャラリー[編集]

参考文献[編集]

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  1. ^ Cramer, James P.; Jennifer Evans Yankopolus, ed (2006). Almanac of Architecture & Design (7th ed.). Atlanta, Georgia: Greenway Publications. p. 368. ISBN 0-9755654-2-7. 
  2. ^ a b Ngor, Oh Kwee (1990-06-09). “Western decadence hits N. Korea”. Japan Economic Journal: 12. 
  3. ^ a b c d 加藤将輝・著、中森明夫・プロデュース『北朝鮮トリビア』飛鳥新社 2004年 ISBN 978-4-87031-619-5
  4. ^ Eva Hagberg, "The Worst Building in the History of Mankind", en:Esquire (magazine), January 28, 2008
  5. ^ a b 金素烈 北, 4月から「105階柳京ホテル」の工事を再開, デイリーNK, 2008-05-20.
  6. ^ "10 of the world's ugliest buildings", CNN, 2012-01-4
  7. ^ 「建設中断していた平壌の105階建てホテル、工事再開」2008年5月19日付『読売新聞
  8. ^ 「“史上最悪”北の摩天楼が完成? エレベーターはあの会社製…」:イザ! 2012年11月4日
  9. ^ “North Korea in the midst of mysterious building boom”. ロサンゼルス・タイムズ. (2008年9月27日). http://www.latimes.com/news/nationworld/world/la-fg-boom27-2008sep27,0,7763249.story?page=1&track=rss 2009年2月23日閲覧。 
  10. ^ “平壌の柳京ホテル、完工まで2年 外国人に異例の公開”. 共同通信. (2012年9月27日). http://www.47news.jp/CN/201209/CN2012092701001320.html 2012年9月27日閲覧。 
  11. ^ 「柳京ホテル「来年開業」 平壌、欧州チェーンが運営」産経ニュース 2012年11月1日
  12. ^ 「平壌のランドマーク」柳京ホテル、開業延期 着工から25年余産経ニュース 2013年3月30日
  13. ^ a b “スイス事業者、20年以上建設中の北朝鮮の「滅びのホテル」開業を断念”. AFPBB News. (2013年4月10日). http://www.afpbb.com/articles/-/2938057 2014年1月12日閲覧。 
  14. ^ 2005年6月5日付『朝鮮日報

外部リンク[編集]