柳京ホテル

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世界測地系39°02′11″N, 125°43′50″E

柳京ホテル
画像
主体思想塔から望む金日成広場。右奥に見える柳京ホテルが、その壮大さを物語る。
芸術家による完成予想図
大城山革命烈士陵から見た柳京ホテルの最上部
各種表記
チョソングル 류경호텔
漢字 柳京호텔
平仮名
(日本語読み仮名)
りゅうけいほてる
片仮名
(現地語読み仮名)
リュギョンホテル
ローマ字転写:
英語
Ryugyeong hotel
Ryugyong Hotel
  

柳京ホテル(リュギョンホテル、りゅうけいホテル)とは、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)平壌市普通江区域にある、未完成のホテルである。

目次

[編集] 概要

かつての平壌の呼称である「柳京」から柳京ホテルと名付けられた。1987年に起工され、1992年に建設が中断されたが、2008年に再開されている(後述)。高さは330mで、この数字は2008年現在でも世界第16位である。さらに完成すればホテルの高さとしては2008年現在においても世界一となる。また、アメリカ合衆国以外では初の100階超のビルとなる。北緯39度02分11秒東経125度43分50秒 に位置している。 矢羽のような三角錐状の外観は非常に特徴的で、安定性を重視した設計が為されている。現在のところ、単独の建築としては世界最大の廃墟であると言われている。アメリカのファッション雑誌「エスクアイア」は、「人類史上最悪の建物」という題で柳京ホテルを「傾いた北朝鮮式シンデレラ城」と紹介した[1][2]

[編集] 建設の経緯

平壌市普通江区域、平壌教員大学の近くにあり、平壌市主要部のいずこからもよく見える特徴的な三角形のフォルムをしている。延べ建築面積は36万、北朝鮮の威信をかけた世界一のホテルとして建設され、105階、客室数3000室以上、最上階には三つの回転展望レストランを用意する予定であった。建設段階から、国外へ向けての宣伝を行い、地図にも掲載されていた。カジノを設置し、日本人観光客を誘致する案もあった。

1988年ソウルオリンピックに対抗したとされる、1989年に北朝鮮が開催した世界青年学生祭典に間に合わせようとして起工された。ソウル63ビルよりも高くすることを目指して105階建てにしたとされる(ちなみに105階というのは、朝鮮労働党書記(現:総書記金正日の教示があった日である10月5日にちなんだそうである)。

1992年に建設が中断され、15年以上にわたり備品はおろか窓も外装すらないまま放置された。この中断の原因は資金不足や電源不足、広汎な飢餓のためと推測される。

「Engineering News Record」(1990年11月15日)によると、ホテルの工事費は7億5000万ドルと推測された。ちなみに、北朝鮮の国内総生産は126億ドル(1998年韓国銀行推定値)であることを考慮すれば、このホテル建設プロジェクトが北朝鮮経済に及ぼした負担の大きさが窺える。柳京ホテルを完工するには専門家の見積もりによるとさらに5億~10億ドルがかかると言う(朝鮮日報2005年6月5日)。ただし、コンクリートの劣化等の事情により、建設継続は不可能と見る専門家も少なくない。

建設が再開された柳京ホテル遠景(2009年2月)

もともと水田が多数存在した岸の地盤の悪い土地であったという悪条件があった。現在もホテルが立地する地区の周囲は川に取り巻かれている。追い討ちをかけるように、設計ミスによる建物の傾きが判明し[要出典]、長い間工事は再開されなかった。また現在では、コンクリートのクラックに入り込んだ水分がの寒さで凍結膨張をくりかえしたため、一層強度が低下しているともされ、著しく危険であることから現在では立ち入り禁止となり、北朝鮮の地図からも削除され掲載されなくなった。

しかし、2008年4月より建設が再開されたことが5月になって報じられた[2][3]。建設には北朝鮮で携帯電話事業の展開を計画中のエジプト企業オラスコム社(en:Orascom group)がかかわっているとされる。2012年の金日成生誕100周年までの完成を目指しているとされる[4]

監視員が常時監視しており、今は観光コースからも外されている。

[編集] 参考文献

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[編集] 外部リンク

ウィキメディア・コモンズ