小林尊

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こばやし たける
小林 尊
生誕 1978年3月15日(33歳)
日本の旗 日本 長野県
出身校 四日市大学卒業
職業 フードファイター
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小林 尊(こばやし たける、1978年3月15日 - )は、日本フードファイター大食いタレントである。アメリカ合衆国ニューヨーク市在住。

目次

[編集] 来歴・人物

長野県長野市生まれ。長野県長野商業高等学校を経て、四日市大学経済学部卒業。身長 173cm、体重 75kg、血液型はA型。

初めは日本のテレビ番組、『TVチャンピオン』や『フードバトルクラブ』などで活躍し、「プリンス」の愛称で人気を得た。さらに、アメリカ独立記念日である7月4日に毎年ニューヨーク市で開催される、『ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権』への出場によって広く知られるようになった。同大会では2001年からの6連覇を果たし、"The Tsunamiザ・ツナミ)" のニックネームで呼ばれるようになるとともに、アメリカでは幾つかのCMキャンペーンなどにも出演した。また、同地のテレビチャンネル、FOXスポーツネットでは、マイク・タイソンロジャー・フェデラーらと共に、「スポーツ界で最も恐れられている選手10人」に選出されている。現在日本での活動は行っておらず、ニューヨーク市に暮らしている。

[編集] 主な記録

小林がネイサンズ大会を6連覇していることを記した看板(2007年撮影)


ネイサンズ国際ホットドッグ早食い選手権
Year Place HDB's
(hot dogs & buns)
2001 1st 50*
2002 1st 50.5*
2003 1st 44.5
2004 1st 53.5*
2005 1st 49
2006 1st 53.75*
2007 2nd 63
2008 2nd 59
2009 2nd 64.5
2010 DNC
(contract dispute)
  • 2001年新井和響の世界記録の倍の50本を完食、自己記録を更新した新井を抑えて優勝。
  • その際、プラカードの数字では小林が食べた本数に足りなくなり、手書きノートの数字が掲げられた。
  • 2007年、小林の海外でのライバルであるジョーイ・チェスナットに破れ7連覇を逃す。
  • 2008年、チェスナットと同本数であった為、延長戦に突入するが延長で破れ準優勝。
  • 2010年、後述の契約を巡るトラブルから不参加となる。
  • 2011年、引き続き不参加となるが、飲食店が小林のために用意した別会場で同大会のテレビ中継を行いながら同時にホットドッグを食べ、非公式ながら69本の世界記録を達成した[1]
  • 大会の様子はアメリカのスポーツチャンネルで中継される。
ネイサンズ大会の顔となっている小林、写真中央右


クリスタル・スクウェア・オフ(ハンバーガー大食い選手権)
Year Place HDB's
(ハンバーガー)
2004 1st 69
2005 1st 67
2006 1st 97
2008 3rd 84
2009 1st 93
  • 大会の様子はアメリカのスポーツチャンネルで中継される。
  • 2007年は顎関節症の影響から欠場したと見られる。


フードバトルクラブTBSのテレビ番組)
Year TBSのテレビ番組 HDB's
(順位)
2001 フードバトルクラブ第01回大会 1st
2001 フードバトルクラブ第02回大会 2nd
2001[2] フードバトルクラブ King of Masters 2nd
2002 フードバトルクラブ Speed(早食い) 2nd
  • 第01回大会では圧倒的なパフォーマンスで優勝をさらう。
  • 第02回大会では新鋭の白田信幸がライバルとなり最終種目の牛丼大食いで白田に敗れる。
  • “King of Masters”でも白田とのライバル争いとなるが敗れる。
  • “Speed(早食い)”では大食いは白田、早食いでは小林に分があると見られたが白田に敗れる。
  • “Max(大食い)”が秋に、“King of Masters”が年末に行われる予定であったが後述の事故が発生した為、両方とも中止となる。
  • 高視聴率を記録したこともあり第02回大会では賞金総額が1000万になる
  • 皮肉なことにブームに影響された中学生が模倣し死亡する事故が発生した為、番組は中止となる。


カスペ!フジテレビ系テレビ番組)
  • 2010年4月20日放送の「超衝撃!ギネス世界記録公認!!奇跡の瞬間100連発SP 」で、ギネス3冠目のミートボール早食い、1分間に29個を達成した。それまでの記録は2002年のイギリス人の記録で、1分間に27個であった。

[編集] その他経歴・戦歴

  • 2000年
    • TVチャンピオン・全国大食い選手権でデビュー。赤阪尊子岸義行新井和響ら大食いスーパースターを相手に優勝。決勝での1時間ラーメン16杯は当時の新記録。
  • 2001年
    • 白田信幸らと「Food Fighter Association(FFA)」を結成、早食い・大食いをスポーツとして確立すると共にタレントとして活動することを目指した。
  • 2002年
    • 愛知県で中学生が給食の時間に早食いを競い喉に食物を詰まらせて死亡する事件が発生、テレビ番組や早食い・大食い大会の開催が自粛され、FFAが自然消滅。
  • 2004年
    • 「United Food Fighter Organization(UFFO)」を立ち上げ、早食い・大食い競技をスポーツとして確立する活動を再開。
  • 2006年
    • ESPN(米国のスポーツ専門TV)の看板番組、SportsCenterのCMに出演(日本ではJ SPORTSで放映)
  • 2007年
  • 2010年
    • 後述する契約上のトラブルが原因で、従来米国での活動母体となっていたメジャーリーグ・イーティング(MLE)を離脱。
    • 11月13日、ピザの早食いでギネス4冠目を狙うも結果は2分3秒92で、世界記録である1分45秒37には届かなかった[4]
  • 2011年
    • 7月4日、ホットドッグ早食いコンテストに出場できなかった代わりにマンハッタンのバー230 Fifth Rooftop Barの屋上で大会テレビ中継を競争相手に早食いに挑戦。優勝5連覇のジョーイ・チェスナットの10分間に62個完食を上回る69個を完食、非公式であるが世界記録を記録した。ただし大会主催団体メジャー・リーグ・イーティングは会場で出た記録でなければ認定できないとしている[5]

[編集] エピソード

日本の番組に出演していた頃には、端正な顔立ちと細身の体型でだったが咀嚼力などを鍛え、また基礎代謝を上昇させるための筋力トレーニングでボディビルダーのような体型に変化していた時期もあった。しかし先天的な要素に加え、トレーニング時に歯を食いしばることなどにより発症した顎関節症になってからは元の体型に戻っている。

アメリカ映画やテレビドラマ中のセリフなどで言及されるほか、2009年にはケーブルテレビ局が主催する「Spike Guys' Choice Awards」の授賞式に招待されている。

CSIではフードファイト会場のシーンに小林尊をモデルにしたと思われるエキストラが配され、CSI:NYシーズン1では、エピソードの14話の冒頭「去年の7月またコバヤシがネイザーを破った。12分間にホットドッグ53個半だ。世界記録だよ。人間業じゃないな」と主人公が話す場面がある。

Xbox 360の「The Simpsons GAME」や、Wiiウェアの「メジャーリーグ・イーティング」には、小林をモデルにしたキャラクターが登場する。

食料品の食べ残しを減らそうというキャンペーンでは捨てられた食品が全て箱詰めされたホットドッグに加工され、それを猛スピードで食べ続ける小林が登場するが、やがて処理し切れない小林がダンボールに囲まれるというものも登場している。意図としては「無駄に捨てられている食品の量は“あの小林でも処理できない!”」というものである。

陸上競技選手の入江幸人、フェンシング選手太田雄貴女子サッカー選手澤穂希らとはよく飲みに行く仲であり、その様子はしばしば小林のブログで紹介されている[6]

後述の2010年の小林の逮捕劇は2010年AOLの変わったニューストップテンの5位にランクインした。小林はこの逮捕劇を逆手に取り大食いコンテストの際に護送車や警察官に連行されながらやってくるというパフォーマンスを行っている。[7]

[編集] トラブル

2009年のネイサンズ選手権の様子
  • 小林が日本での活動を行っていない理由として、日本で大食いブームが起こった2000年代前半に、特定テレビ局(TBSでは無いと本人がブログで語っている)が小林を専属タレントとして契約しようとした為といわれている。この契約は、小林が他のテレビ局の番組や大会などに出演する際にも契約しているテレビ局の許可が必要になり、自由な活動が出来なくなる内容だったために本人が拒否し、フリーの立場を貫いた(このトラブルにより、しがらみにウンザリした小林は日本を離れる)[8]
  • 2010年のネイサンズ大会に欠場した理由として、大会に出場するにあたって契約書にサインをする義務があり、契約書には小林が「1年間は許可なく他の大会に出場しない、番組などで大食い・早食いのパフォーマンスを行わない」という旨が記載されており、本人によれば「私的には何もできない」契約書だったという。小林はこの契約を不服として、賞金などの「金銭は一切要らない、出場するだけでも良い」と契約内容の変更を申し出たが、契約内容の変更には至らず契約書にはサインをしなかった為欠場となった。初参加から数年間はフリーとして自由参加をしていたが、年々契約書にサインをすることが多くなり、また内容も厳しいものになっていったという。さらに契約書の内容は個人ごとに違いがあり他の大会に出ることに制限は設けられていない参加者も存在するという[9]が、この制限が設けられていない参加者がプロなのかアマチュアなのかは明かしていない。
    • なお上記の大会を欠場し現場で観戦していた小林は、大会終了後にステージに上がろうとしたところを拘束され逮捕された。これに対しては情報が飛び交っており、複数人で「Free Kobi」と書かれた黒色のTシャツを着ていた為、大会運営陣営に対して抗議が目的だったとの情報や、現場に小林がいることを知った観戦者から「小林コール」が起こった為、勝者の祝福も兼ねてステージに上がろうとした、またはその場で即席のパフォーマンスを行い優勝者の記録に対して自分が挑もうとしてステージに上がろうとしただけとの報道もある[10][11]
    • 2010年8月5日、ニューヨーク州刑事裁判所の判決は、6ヶ月間の保護観察処分。罰金は科されず保護観察期間中に問題を起こさなければ犯罪記録も残らない寛大判決であった[12]

[編集] 脚注

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[編集] 外部リンク

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