国鉄C55形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索
C55形蒸気機関車
C55 1 SL IMG 4380.jpg
梅小路蒸気機関車館で保存中のC55 1
動力方式 蒸気
製造所 川崎車輛汽車製造三菱重工業日立製作所
製造番号 別記
製造日 1935年 - 1938年
総製造数 71両
軸配置(ホワイト式) 4-6-2
軸配置(アメリカ式) パシフィック
軸配置(日本式) 2C1
軌間 1,067 mm
動輪 1,750 mm
全長 20,280 mm
全高 3,945 mm
最大軸重 13.62 t(第3動輪)
総重量 66.04 t
炭水車重量 113.04 t
燃料種別 石炭
ボイラ 過熱式
ボイラ圧力 14.0 kg/cm²
火格子面積 2.53 m²
大煙管寸法本数 140 mm×5,500 mm×18本
小煙管寸法本数 57 mm×5,500 mm×84本
煙管伝熱面積 115.0 m²
火室伝熱面 11.4 m²
全蒸発伝熱面積 168.8 m²
過熱器形式 シュミット式
過熱伝熱面積 41.4 m²
気筒 単式2気筒
気筒寸法 510 mm×660 mm
弁装置 ワルシャート式
出力 1,211 PS
定格出力 1,040 PS
引張力 11,680 kg
粘着係数 10,180 kg
単独ブレーキ 空気ブレーキ
列車ブレーキ 自動空気ブレーキ
運用者 鉄道省日本国有鉄道
形式 C55形
同一形式両数 62両
車両番号 C551 - C5562
愛称 シゴゴ
運用地域 四国以外の全国
保存 別記(4両)
運用者 台湾総督府鉄道台湾鉄路管理局
形式 C55形 → CT250形
同一形式両数 9両
運用地域 台湾
保存 別記(2両)

C55形蒸気機関車(C55がたじょうきかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計した亜幹線旅客列車用中型テンダー式蒸気機関車である。愛称はシゴゴ

目次

[編集] 誕生の背景

1930年代に入り、亜幹線の旅客輸送力強化を目的として、丙線規格の路線に入線可能なC51形後継機種の製造が計画されたが、最初に設計されたC54形1931年)はボイラー圧力の高圧化と過ぎた軽量化が原因で空転を頻発するなど、C51形に慣れた乗務員から不評を買い、17両で生産が打ち切りとなっていた。

だが、丙線規格の各線でより強力な旅客列車用機関車が必要な状況には変わりはなく、C54形の失敗を教訓としつつ棒台枠を採用するなど、より新しい技術を取り入れて本形式が設計された。

内地向けには1935年(昭和10年)から1 - 62号機まで3次に分けて合計62両が製造された。

以後も一部設計変更のうえで本形式が増備される計画であったが設計変更箇所が多かったため、63号機以降はC57形として新形式が付与されている。

[編集] 製造

川崎車輛汽車製造会社三菱重工業日立製作所の4社により、1935年(昭和10年)から1937年(昭和12年)までの間に62両が製造された。63両目以降は設計変更を行って製造される予定だったが、その変更点が多いことからC57形の新形式が与えられることになったため、C55形としての新製は打ち切られた。

製造年ごとの番号および両数は、次のとおりである。

  • 1935年(1次形): 1 - 19(19両)
  • 1936年(2次形): 20 - 40(21両)
  • 1937年(3次形): 41 - 62(22両)

製造会社別の番号と両数は次のとおりである。

  • 川崎車輛(39両)
    • C55 1 - 3(製造番号1538 - 1540)
    • C55 10 - 18(製造番号1541・1550・1576 - 1578・1584 - 1587)
    • C55 21 - 33(製造番号1628 - 1640)
    • C55 41 - 48(製造番号1754 - 1761)
    • C55 55 - 60(製造番号1763 - 1768)
  • 汽車製造(11両)
    • C55 4 - 7(製造番号1281 - 1284)
    • C55 20(製造番号1336)
    • C55 49 - 52(製造番号1457 - 1460)
    • C55 61・62(製造番号1461・1462)
  • 日立製作所(10両)
    • C55 8・9(製造番号620・621)
    • C55 19(製造番号687)
    • C55 34 - 40(製造番号709 - 715)
  • 三菱重工業(2両)
    • C55 53・54(製造番号200・201)

[編集] 構造

C51形やC54形の基本構成を踏襲し、3缶胴構成の缶胴部と1軸従台車で支持される広火室を組み合わせたストレート形煙管式ボイラーを備える、軸配置4-6-2(ホワイト式)あるいは2C1(日本式)の過熱式単式2気筒テンダー機関車である。

ただし、C51形やC54形で下り勾配走行中に水面傾斜が原因で蒸気ドーム内に湯が入り込むというトラブルが発生したことから、両形式で第1缶胴部に置かれていた蒸気ドームが第2缶胴部に置かれるようにボイラーが設計変更された。また、これにあわせて従来は第二缶胴部中央上に置かれていた砂箱を蒸気ドーム直前へ移設し、両者を一体のカバーで覆った[1]ため、電気溶接技術の進歩を受けて溶接工法の採用部位を大幅に拡大し、リベットを減少させるとともに多くの部分に直線基調のディテールを採ったことと併せて、古典的なC51形に比して格段にモダナイズされた外観となった。

ボイラー圧力やシリンダ寸法などはC54形のそれをそのまま踏襲しており、各動軸の軸重を増して空転対策としている。

放射状のスポーク動輪はC51形やC54形と同様に直径1,750mmであるが、それらの形式でスポークの割れる事故が多発したことから、動輪輪心部、特にスポークのリム部分に俗に「水かき」と呼ばれる補強部材を入れており、この機関車の特徴となっている。直後に設計されたD51形・C57形がアメリカ流のボックス型動輪を採用したことから、日本の大型蒸気機関車としては最後のスポーク動輪採用形式となった。

前述の通り、本形式はD50形C53形C50形で既に採用されていた肉厚圧延鋼板による棒台枠を採用している。このため、板台枠を採用していたC51形やC54形とは異なり台枠側面に大きな肉抜き穴が開口されており、前述のスポーク車輪の採用もあって、動輪のスポークと台枠越しに反対側が透けて見えるという、繊細さや軽快感の強い外観となっている。

本形式は、大別して1次形・2次形・3次形の3種に分けられる。

2次形は、後述のように流線形の覆いを装着して製造された。2次車が製造された当時、主要幹線の各機関区などでは20m形以上の大型転車台が設置されていたが、地方の亜幹線では旧規格の60フィート(18m)形転車台が多用されていたため、2次形以降では炭水車ボギー台車間距離および炭水車・機関車間の間隔を詰め、全長を240mm短縮して60フィート形転車台でも容易に転向可能としている。

[編集] 流線形

流線形のC55形、21号機

C55形が登場した当時は、美観とともに高速化に伴う空気抵抗を減らす目的で世界各国で鉄道車両や自動車の流線形ブームが起こっていた。その流れに沿い、C53 43で試験された流線形構造が本形式に本格導入され、1936年製の2次車(20 - 40)の21両が流線形デザインを採用して新造されている。

これらは、形状面ではC53 43と同様、ボイラー前端の煙室部分を斜めに掻き取って煙室扉周辺を傾斜させた上でボイラー全体にケーシングを被せ、、前部デッキからランボード、運転台までの足回りをスカートとケーシングで覆った構造で、炭水車も全溶接構造の車体上部までケーシングを伸ばし、台車周辺をスカートで覆うことで一体感を演出している。

なお、C53 43では独立した大型除煙板を取り付けず、ボイラーケーシングの煙突周辺に小型の除煙板を形成するに留めていたが、本形式ではその小型除煙板に加え、半円形の背の低い大型除煙板がランボード上のサイドスカートから連続する形で立てられている。

これらのケーシングやスカートはデモンストレーション効果だけでなく、空気の流れを良くすることで煙突から排出される煤煙が列車に絡みつくのを防ぐ目的もあったといわれる。また、流線形の初期製造車では側面にステンレス製の飾り帯が付けられていたが、後期製造車では省略された。この流線形機は四国以外の全国各地に数両ずつ分散配置され、主に急行列車の先頭に立った。名古屋機関区配属のC55 24 - C55 26は臨時特急「燕」の牽引にも起用された。

しかし、同じく流線形を採用したEF55形電気機関車とほぼ同様に、この流線形は当時の鉄道省における旅客列車の最高速度である100km/h前後までの運転速度では、実用上空力面の効果がほとんどなく、様々な部分がケーシングに覆われているため、整備点検の際にはそれらを取り外すか点検蓋を開ける必要があって一般車より余計に手間がかかる、密閉形運転台となるためその内部に熱がこもりやすい、炭水車には炭庫後方部の押寄せ板を蒸気ピストンによって前後動させる石炭押寄せ装置が設置されていたが、石炭の固着により動作不能となって故障することもあって運転中の石炭かき寄せ作業が出来ない、といった問題があり現場からは嫌われた。そのため、早い時期に先台車周辺のスカートや炭水車上部のケーシングの撤去が始まり、これは1940年の記録映画「鐵道信號」や同時期に撮影された写真で確認できる。さらに太平洋戦争激化後は足回りを中心にスカートやケーシングの大半を撤去、当初の外見とは大きく異なる無惨な姿で用いられた。

これら流線形機は1950年から翌1951年にかけて残っていた流線形ケーシングを完全に撤去し、1次車とほぼ同等の外観となるように再整備が行われて面目を一新したが、特に改修を必要としなかった丸みを帯びた深い運転台の屋根や側面の乗務員出入り口がそのまま残されており、蒸気ドーム前端が傾斜したままとなっている、また、一部は2基の安全弁がボイラーバレルよりも一段飛び出した取り付け座の上に取り付けられているなど、流線形時代の面影を残していた[2]

これらは流線形改造機、または流改機と呼ばれた。流線形の新車当時よりも、再整備後の方が美しい、という評もある。これら21両は再整備後は一般車と完全に同等の扱いを受け、本形式の最終期まで徐々に数を減じつつ運用された。もっとも、最後まで残り保存予定だった30号機が手違いで解体されてしまった(後述)ため、これらは1両も現存しない。

[編集] 運用

新造後、本州・九州・北海道の幹線・亜幹線を担当する各機関区へ配置され、運用が開始された。特に流線形となった2次車は、宣伝効果も考慮して少数ずつ全国の広範囲に分散配置が実施されている。

より近代化され,より強化されたC57形がすぐに登場して大量生産されたため、本形式はともすれば目立ちにくいきらいはあった。しかし両者はほぼ同等に取り扱うことが可能な上、性能や使い勝手も良好であったことから四国を除く各地の幹線・亜幹線で長期間にわたり重用された。本州では1966年頃までに転属や廃車で姿を消したが、北海道では1974年10月まで、九州では1975年3月まで現役にあった。

「門デフ」装着例(C55 46)

北海道で最後の使用線区になった宗谷本線では、1970年12月まで夜行急行列車「利尻」を牽引したことや、道北の自然風景を背景にした姿がファンに強い印象を残している。 また、戦後九州に配属されていたグループの大半は小倉工場製の切り取り形除煙板(門デフ)に交換されており、外観に極めて適合していたため、愛好者が多かった。

なお、事故や戦災による廃車は1両もなく、1964年まで62両全てが在籍していた。梅小路での保存後に除籍された1号機を除く最終廃車は1975年3月末日廃車の57号機である。

「門デフ」以外の主だった改造・変形

  • 北海道配属の1・3次形のキャブを密閉タイプに改造及びシールドビーム副灯取り付け(7号機を除く)。
  • 九州地区配属機の一部(51 - 54)がロングラン対応のため、D51形とテンダを交換した。
  • 11号機に一時、小倉工場で独自設計の集煙装置を取り付けて試用した。このため同機は煙突が短い。
  • 48号機(旭川所属時)のみ、前面左側手すりを入換対応形に改造。

重油併燃装置の追加搭載や動輪の振り替えなどは施工されていない。

[編集] 台湾総督府鉄道C55形

本形式は、内地向けのほか、当時日本統治下にあった台湾台湾総督府鉄道向けに、1935年および1938年に同形車9両(C55 1 - 9)が納入されている。最初の5両は基隆機関区に配置され、増備車が揃った1939年昭和14年)には台北機関区5両、苗栗機関区4両となっていた。1945年に日本が太平洋戦争に敗れた後は、台湾鉄路管理局に引き継がれてCT250形CT251 - 259)となり、1982年10月に形式消滅している。

  • 1935年(5両、国鉄向け1次形相当)
    • 三菱重工業 : 1 - 4
    • 川崎車輛 : 5
  • 1938年(3両、国鉄向け3次形相当)
    • 三菱重工業 : 6 - 9

[編集] 保存機

1号機が梅小路蒸気機関車館(2006年、「梅小路の蒸気機関車群と関連施設」として、準鉄道記念物に指定)に、50号機が小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館、旧・北海道鉄道記念館)に、52号機が吉松駅前に、46号機(車番は53)が大分市若草公園にそれぞれ静態保存されている。このうち50号機については、当初の保存予定では元流線型機の30号機が予定にあげられていたが、北海道総局内の不手際により1975年2月1日に廃車後苗穂工場で解体されてしまった。このため身代わりとして1974年11月18日に旭川機関区で廃車された50号機を30号機として北海道鉄道記念館に搬入したものの、外部より指摘を受けたため改めて50号機として保存された。走り装置の「C55 50」の刻印に「3」を上から打ち直した形跡が見られるのはそのような経緯があるためである[3]

なお稚内港北防波堤ドームにあった49号機は塩害による老朽化に伴って1996年に解体され、動輪のみが残っている。1号機が静態保存となったため、現在動態保存機は無い。

台湾のCT251(保存時にCT259と番号振り替え)が高雄市蓮池潭に、CT259(保存時にCT251と番号振り替え)が台南市体育公園にそれぞれ静態保存されていたが、CT251は2011年に高雄市の打狗鉄道故事館(旧高雄港駅)へ移設され、この際に番号を本来のCT259に戻されている。

[編集] 脚注

[ヘルプ]
  1. ^ このレイアウトは以後の国鉄制式蒸気機関車各形式に踏襲された。
  2. ^ 中でも、27号機は最後まで安全弁が高い位置のまま保たれていた。
  3. ^ 「鉄道ファン」1977年8月号REPORTより。

[編集] 参考文献

  • 臼井茂信「日本蒸気機関車形式図集成」1969年、誠文堂新光社
  • 臼井茂信「機関車の系譜図 4」1972年、交友社
  • 川上幸義「私の蒸気機関車史 下」1978年、交友社刊
  • 高田隆雄監修「万有ガイドシリーズ12 蒸気機関車 日本編」1981年、小学館
  • 寺島京一「台湾鉄道の蒸気機関車について」レイルNo.23(1988年)プレス・アイゼンバーン刊
  • 三品勝睴「C55,C57形式蒸気機関車」世界の鉄道'71 (1970年) 朝日新聞社
  • 『SL』第3巻、交友社、1971年11月。
個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス