三浦弘行

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 三浦弘行 九段
名前 三浦弘行
生年月日 1974年2月13日(40歳)
プロ入り年月日 1992年10月1日(18歳)
棋士番号 204 
出身地 群馬県高崎市 
師匠 西村一義 
段位 九段
戦績
タイトル獲得合計 1期
一般棋戦優勝回数 2回

三浦 弘行(みうら ひろゆき、1974年2月13日 - )は、日本将棋棋士。棋士番号204。

群馬県高崎市[要出典]出身。西村一義九段門下。独身。

戦績[編集]

  • 1995年棋聖戦でタイトル戦初挑戦。羽生善治との五番勝負は0勝3敗で敗れた。翌年1996年の棋聖戦で2年連続挑戦者となり、当時七冠を独占していた羽生を3勝2敗で破って初のタイトルを獲得した。羽生七冠の一角を崩した棋士として、一躍、時の人となる[1](棋聖位は、翌1997年、屋敷伸之に奪われる)。
  • 1998年度、新人王戦で、決勝三番勝負で畠山成幸を下して優勝。
  • 1998年度から2000年度の順位戦で3期連続昇級を果たし、2001年度にA級八段となる。
  • 2002年度、NHK杯の決勝で先崎学を破って優勝。
  • 朝日オープン将棋選手権で、第22回(2003年度)から3期連続でベスト4に進出。
  • 2005年竜王戦1組で優勝。決勝トーナメントでも挑戦者決定三番勝負に進むが、木村一基に敗れ、8年ぶりのタイトル戦登場はならず。
  • 2010年3月2日に行われた第68期A級順位戦において、郷田真隆を下して羽生善治名人への挑戦権を獲得。自身初の七番勝負2日制のタイトル戦登場となったが、七番勝負では4連敗で敗退した。
  • 2013年4月20日に行われた第2回将棋電王戦第5局でGPS将棋[2]に敗北した。
  • 2013年棋王戦渡辺明棋王への挑戦権を獲得するも、3連敗でタイトル奪取はならず。

棋風[編集]

  • 右四間飛車横歩取り3三桂戦法相横歩取りなど、他のプロはあまり指さない戦法も時々採用する。
    • 1999年度前期のNHK将棋講座で、右四間飛車の講座の講師を務めた。
  • 研究家として知られ、子供時代から親交のある行方尚史の評する所、広い局面より、狭くて深い局面、いわゆる「局地戦」で強さを発揮すると言う[3]
    • 羽生から棋聖位を奪った際は相掛かりの序盤で飛車を2八まで引いた(引き飛車)。それまでは飛車の位置を2六(浮き飛車)とするのが一般的であったが、三浦が採用したことによってプロ間で引き飛車が見直された。
    • 革新的な振り飛車戦法である藤井システムによって、対する居飛車側が穴熊に堅く囲うのが困難となった。そこで、三浦は穴熊に代わる新しい堅い囲いを創案し、実戦でも好成績を残す(ミレニアム囲い、トーチカ、三浦囲いなどと呼ばれる)。これにより2000年度将棋大賞の升田幸三賞を受賞。
  • 自分が先手番のときでも千日手になることを嫌わない、珍しい棋士である[4]

人物・エピソード[編集]

  • 口数少なく将棋にストイックに取り組む姿勢と、その男らしい風貌から「武蔵」の異名を取る。
家族・プロ入り以前
  • 小学校3年の時、父(アマ四段)に親子間の会話がないので、せめて共通の趣味でも持とうということで、将棋を教えられたことが、将棋と出会ったきっかけ。
  • 2007年6月8日に父が死去。
  • 小学生の頃はおちつきがなく、おしゃべりでうるさく、早指しだったという[5]
  • 三浦九段のお祖父様と故・福田赳夫首相は従兄弟同士。(月刊宝石2002年10月号、湯川恵子さんの「将棋・ワンダーランド」より。)
  • 藤井猛は同郷の兄弟子に当たる。二人は2001年、同時にA級昇級した。また、奨励会入会試験で1度落ちた経験があることも、二人の共通点である。
  • 明和県央高等学校卒業。
  • 群馬の実家在住。「通勤に便利でも誘惑が多いので、東京には住みません」と断言した[6]
将棋に対する無類の熱心さ
  • 屋敷伸之と棋聖戦を戦った当時のインタビューで、一日の将棋の勉強時間が10時間を越えると答えたことがある。「愛読書は『将棋年鑑』」。屋敷は当時、勉強をほとんどしないことを自称していたため、対極的な二人として話題になった。
  • 研究会には入らず、1人で勉強に打ち込んでいたが、後に関西の若手棋士と研究をしたりしている。
  • 野月浩貴の結婚式では誰とも話さず詰将棋を解いていた[7]という噂もあったが、野月の結婚式には出ていないとし、三浦本人が噂を否定している[8]
  • 連盟職員の結婚パーティーに招かれた時は、他の職員や一般の出席者と気さくに会話していた。
  • 木村一基の結婚式ではずっと詰将棋を解いていた(2012年月10月31日にニコニコ生放送で放送された第25期竜王戦の解説において、木村本人が語ったところによる)。
  • 若い時には所かまわず目隠し将棋を挑んでいた。加藤治郎名誉九段(元将棋連盟会長)の葬儀の後、駅への帰り道で鈴木大介と目隠し将棋を指していた[9]
  • TVの解説では聞き手の顔を一切見ずに、盤とモニターだけ見ている。時々自分の世界に入り込んで、解説するのを忘れてしまう。2012年12月9日放送のNHK杯で解説として登場したとき、聞き手の矢内理絵子に「先生、一人で納得してないで解説を」と言われた。
  • 2008年4~5月に順位戦に向け早々とトレーニングを開始したところ、根をつめすぎ体調を崩してしまった[10]
対局関連
  • 極度の寒がりで、四段当時加藤一二三とクーラーのスイッチのON/OFFの盤外を繰り広げた。
  • 加藤とのA級順位戦最終局で加藤が入れたストーブがあるにもかかわらず、もう1台ストーブを入れて貰えるように頼み、加藤に「暑い」と言わせストーブを後ろに下げられた事がある。冬は毎年スーツの中にセーターを着込むなどかなり厚手の服装をしている。
  • タイトル戦で、対局相手の羽生の雪駄を履いて出て行ってしまった事がある。
  • タイトル戦で宿に宿泊した夜、波の音がうるさく寝られないと苦情を申し立てて、部屋を替えさせた。
  • 栄養ドリンクをよく使用する。銘柄はゼナ大正製薬)。持ち時間の短いNHK杯でもドリンクは欠かせない。眠気覚ましドリンクも飲んでいる。和服姿で対局に向かったとき、小物を入れるべき巾着袋からゼナを取り出して対戦相手の羽生を笑わせた。
  • 対局の合間の休憩になると、飲み物を一旦鞄に回収してから食事に出かける[11]
  • タイトル戦で対局中に出されるおやつとしてカロリーメイト(ブロックタイプ)をよく注文する。理由は「(ケーキ等だと)勝負が佳境に入るとおやつを食べる暇もなくなり、結局捨てられてしまうのがもったいない」「カロリーメイトなら袋に入っているから残っても誰かが食べられる」というもの[12]
テレビ関連
  • NHK杯の放送では、冒頭にテーマ曲とともに前年度優勝者が「初手」を指す映像が毎回流れる。三浦は2002年度に優勝したので、2003年度の放送の冒頭で姿が映されたが、三浦が指した「初手」は、当時ではやや異端といえる▲5六歩であった。
  • フットボールアワー岩尾望に似ているということで、将棋ファンの推薦で探偵!ナイトスクープの中で紹介されたことがある。
  • 羽生7冠から棋聖を奪取した際には、当時松村邦洋が司会をしていた人気テレビ番組「進め!電波少年」における松本明子の結婚候補の1人として不運にも選ばれ、松本にウエディングドレス姿で結婚をせまられた過去もある。
  • 2012年4月11日の名人戦ニコニコ生放送『ネット初!完全生中継【将棋】​第70期名人戦七番勝負第1局​(2日目)森内俊之名人vs羽​生善治二冠』の解説において、聞き手の安食女流のあだ名が「あじあじ」であるという話の流れを受け、視聴者より「みうみう」というあだ名を提案され、「これから私の事はみうみうと呼んでください」と快諾していた[13]。2013年のニコニコ生放送のタイトル戦の解説においても、他の棋士に「みうみう」と呼ばれている事から、棋界でもそれなりに浸透しているようである。

A級順位戦等にまつわる幸運・戦績[編集]

  • 初参加の第60期は3勝6敗とA級の高い壁に苦しんだが、加藤一二三先崎学が2勝7敗と振るわなかったため、8位で残留。新参加の棋士が3勝6敗で残留できるのは稀である。
  • 第61期は4勝5敗で丸山忠久(1位)・青野照市(7位)・島朗(9位)・郷田真隆(10位)と並んだが、順位の差で7位に浮上。
  • 第62期は5勝4敗とA級初の勝ち越しを決め、自己最高の5位にジャンプアップ。
  • 第63期は4勝5敗で谷川浩司(3位)・丸山(4位)・鈴木大介(6位)・深浦康市(9位)と相星で並んだが、順位の差で7位(最終局の高橋道雄に敗れていたら陥落だった)。
  • 第64期も3勝6敗と低調、藤井猛(2位)・久保利明(3位)・鈴木(8位)・森下卓(9位)とまた相星で並んだものの、ここでも順位の差に助けられて8位。
  • 第65期も4勝5敗と負け越し、佐藤康光(3位)・丸山(5位)・藤井(6位)・久保(7位)・深浦(9位)と6人が相星で並ぶ(最下位は阿部隆の2勝7敗)異例の展開となったが、幸運なことに3期連続で順位の差が味方して土俵際の8位に踏みとどまる。
  • 第66期では6局目の木村一基戦で自身2回目のA級勝ち越しとなる5勝目をあげ、早々と来期のA級残留(連続8期目)が確定。名人挑戦はならなかったものの、7勝2敗の好成績で第67期は自己最高位の2位で迎える。
  • 第67期では終盤に5連敗を喫するなど3勝6敗と大苦戦。鈴木(9位)・深浦(10位)と相星であったが、熾烈な降級争いの渦中にいた深浦が丸山に屈したため、辛うじてギリギリの8位で踏みとどまった(降級は鈴木・深浦)。
  • 第68期は2勝2敗から怒涛の5連勝、2年ぶりとなる7勝2敗の好成績を残して初の名人挑戦を果たす。なお、前年度A級8位からの挑戦権獲得は第14期に加藤・第42期に森安秀光が挑戦して以来、26年ぶり3人目の快挙である。
  • 序列1位で迎えた第69期は、終盤まで星が伸びずに苦しんだが、最終戦で熾烈な残留争いを演じていた木村との一騎討ちに快勝、4勝5敗で終えて5位(降級は3勝6敗の木村・藤井)。
  • 第70期のA級順位戦は7回戦を3勝4敗で終えた時点で残留が確定した。最終的には5勝4敗で3位。
  • 深浦康市は好成績をあげながら順位の差に泣くことが多いが、その時順位の差で深浦を上回っているのは三浦であることが多い。
    • 第53期C級2組-三浦(6位、9勝1敗、昇級)、深浦(9位、9勝1敗、昇級ならず・次点)
    • 第58期B級2組-三浦(20位、9勝1敗、昇級)、深浦(21位、9勝1敗、昇級ならず・次点)
    • 第63期A級-三浦(5位、4勝5敗、残留)、深浦(9位、4勝5敗、降級)
    • 第65期A級-三浦(8位、4勝5敗、残留)、深浦(9位、4勝5敗、降級)
    • 第68期A級-三浦(2位、3勝6敗、残留)、深浦(10位、3勝6敗、降級) 
この因縁はさかのぼれば、第52期C級2組最終局での三浦-深浦戦で三浦が勝ったことに由来する。この勝利によって三浦は深浦を星1つ上回り、その結果第53期で上位となったためである。

昇段履歴[編集]

  • 1987年 6級 - 奨励会入会
  • 1989年 初段
  • 1992年10月1日 四段(第11回三段リーグ戦優勝) - プロ入り
  • 1995年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1996年10月1日 六段(特別昇段・棋聖獲得など抜群の成績)
  • 2000年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 2001年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 2013年8月16日 九段(勝数規定)

主な成績[編集]

獲得タイトル[編集]

登場回数5回 獲得合計1期

一般棋戦優勝[編集]

優勝合計 2回

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第24回(1996年度) 殊勲賞
  • 第28回(2000年度) 升田幸三賞(ミレニアム囲いで高い勝率をあげたことから)
  • 第41回(2013年度) 名局賞特別賞(第72期A級順位戦9回戦)

主な著書[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ 羽生の全冠独占直後に将棋マガジン日本将棋連盟発行)の中で「羽生から最初にタイトルを奪取するのは誰?」というアンケートが行われ、大抵の人が谷川浩司佐藤康光と答えた中、三浦と答えたのは僅か4人であった。
  2. ^ 東京大学のiMac666台とその他13台、計679台をクラスタ接続した特別仕様で、1秒に2億手以上を読む性能になっていた。
  3. ^ 梅田望夫、2010、『どうして羽生さんだけが、そんなに強いんですか? 現代将棋と進化の物語』、中央公論新社 ISBN 978-4-12-004177-8
  4. ^ 千日手が成立すると、先後逆(先手と後手を逆にすること)で指し直しになる。将棋は先手が有利なゲームであると考え、先手番で千日手になることを嫌う棋士が大多数である。
  5. ^ 2000年のNHK杯で三浦七段(当時)の解説をした藤井竜王(当時)の話による。
  6. ^ 2001年5月号のNHK将棋講座テキストのインタビュー記事に記載。
  7. ^ 米長邦雄永世棋聖の話による。[要出典]
  8. ^ 将棋世界2012年2月号 111頁。
  9. ^ 先崎学著「世界は右に回る」による。
  10. ^ 2008年8月16日掲載の朝日新聞の観戦記による。
  11. ^ NHK杯の放送で解説をした佐藤康光による。毒物の混入もしくは、間違えて飲まれるのを防ぐためと推測していた。
  12. ^ 気遣いカロリーメイト(週刊将棋2月11日号) - マイナビBOOKS・2014年2月10日
  13. ^ http://live.nicovideo.jp/watch/lv86990932?ref=top&zroute=index