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島 朗(しま あきら、1963年2月19日 - )は、将棋棋士。初代竜王。日本将棋連盟非常勤理事。東北統括本部長。
棋士番号146。高柳敏夫名誉九段門下。東京都世田谷区出身。宮城県仙台市在住。竜王戦1組通算10期、順位戦A級通算9期。
[編集] 来歴
- 1980年四段プロデビュー。いわゆる「55年組」の一人である。
- 1988年の第1期竜王戦で米長邦雄に4-0のストレート勝ちし、初代竜王に輝く。将棋界では、島が竜王になるとはほとんど予想されていなかったため、「シンデレラボーイ」と呼ばれた。なおホテルで行われた第一局では、初日の終了後にホテルの付属のプールで水泳をした。また、前夜祭で花束を贈呈したミス川崎と、交際して結婚した。
- 2004年8月8日、静岡市民文化会館で行われた第25回JT将棋日本シリーズ1回戦第4局で藤井猛に勝ち、1046局目の対局にして通算600勝を達成。森内俊之に次いで、史上30人目の将棋栄誉賞に輝く。[1]
- 2005年5月から2007年5月まで、日本将棋連盟理事(普及事業、出版、会館担当)を1期勤めた。理事在任中の実績として栄光ゼミナール主催の小学生将棋大会「栄光ゼミナール杯」誘致がある。(島は理事選挙立候補時の公約の一つとして「教育業界との連携による普及事業推進」を掲げていた)
- 2006年の第47期王位戦リーグで白組優勝を果たしている。48,49期もリーグ入り。
- 2007年7月 渉外・普及特別顧問(東北担当)という新たな肩書きを将棋連盟に作ってもらい、2008年4月には自身も宮城県仙台市へ引っ越して、東北地方の将棋普及に本腰を入れている。朝日新聞の2008年10月17日付朝刊(宮城県内版)の記事によると、対局で訪れた仙台にほれ込んだといい、将棋好きな梅原克彦仙台市長(当時)に頼み込んで、仙台青葉まつりで青空将棋教室を毎年開催している。ちなみに、河北新報の記事によると、夫人は仙台市に隣接する利府町出身である。
- 2011年5月より、日本将棋連盟非常勤理事に就任。併せて、東北統括本部長に就任。
[編集] 人物
- 若手との研究会や、パソコンによるデータ管理など、将棋界に新風を吹き込んだ(当時は研究は一人で行うのが普通であった。)。中でも、羽生善治・佐藤康光・森内俊之が参加していた「島研」(1986年(昭和61年)頃から1990年(平成2年)頃まで)は伝説的研究会といわれる。島が名付けた訳ではないのだが、米長邦雄が各方面で言及した結果、定着してしまったとのこと。島研のメンバーはのちに全員が竜王位を経験した[2]。この島研時代の研究量は他を圧倒していた。NHK杯の解説で、指された手に対して数年前の対局の棋譜を並べだすこともよくあった。
- 第1期竜王戦ではブランド物(アルマーニ)のスーツで現れ、マスコミを賑わせた[3]。高額な盤駒を購入するくらいなら、ブランドのスーツを買うと述べたこともあった。2004年の談話では、スーツを着るからには変なスーツを着るわけにはいかなかった。和服を着ておけば楽だったものを、一体当時は何を考えていたのか…、などと述懐している[4]。
- そして竜王戦の賞金は服と靴と車に消えた。当時バブル景気が賑わっていたと言う背景もあったようである。また、税金も泣きそうなほど支払った。ただし、モノを見る目が養えたとのことである[4]。
- 翌年の竜王戦は羽生善治との対戦であったが、初日の終了後に、羽生らとモノポリーに興じた(対局者同士は別行動がそれまでの常識であった)。
- 王座戦等の観戦記を執筆。棋士の観戦記には評論のような文章が多いとされるなかで、独特の文体と描写で物語のような文章となっている。
- 自著の「角換わり腰掛け銀研究」は1995年に第7回将棋ペンクラブ著作部門大賞を受賞した。この本はあまりに詳細にわたる研究だったため、島自身も忘れている部分があり、若手棋士との対局で島がある変化手順について尋ねたところ、「島先生の本に載ってました」と答えられたというエピソードがあるほどである。
- テレビ対局の銀河戦(1998年、当時は非公式戦)で、持ち駒の銀将を裏返して(成銀)打つという珍しい反則負けを喫したことがある。当事者である島は、銀河戦で使用する駒は表・裏とも1文字のもので、金将と成銀の書体が似ているために起こったハプニングであると将棋世界1998年9月号で述懐した。[5]
- 同じタイトル経験者(名人2期・棋王1期)かつA級在位経験者の丸山忠久には公式戦初対局から0勝18敗と完封されている。トップ棋士同士でこれだけの大差が生じるのは非常に珍しい。ちなみに上述反則負けの際の相手も丸山であったが、非公式戦のため記録には計上されていない。
- 麻雀愛好家であるが、ハマりすぎるために麻雀牌を川に捨てたというエピソードが先崎学の著書にある。
- また、大のパチンコ好きでもあると先崎学の著書[6]にある。
- 社会問題への関心も強く、「THE・サンデー」や「しんぶん赤旗」のコメンテーターとしても活躍していた。
[編集] 棋風
- 基本的に居飛車党であるが、著書には振り飛車編を詳細に解説した大著「島ノート」がある。講談社出版の将棋書籍として珍しいものだが、これは週刊現代に塚田泰明と交互連載していた「ハイパー実戦塾」の振り飛車部分を大幅に加筆修正したもので、将棋界でも画期的な名著とされている。特に、島が考案して紹介した「鬼殺し向かい飛車」戦法はネット将棋で一時期大流行した。また、島がインターネットを用いて読者の質問に答えたことも先例のないことであった。この本は元来もっと大部にする予定だったものの、「辞書になってしまう」という理由で現在のページ数に抑えている。なお、元囲碁名人の依田紀基はこれに倣って「依田ノート」を著している。
- 独特の美意識を持った人物であり、形勢が不利になるとあっさり投了してしまうことがある。
- 従来、将棋の駒は盤の枠内の真ん中に置くものとされていた。それに対し島は駒を枠内の手前の線にピッタリ置く。駒音も静かであり、後に多くの若手棋士が島のスタイルに追随していった。中村修はNHK杯の解説で、「島さんの功績・功罪」と述べていた。
[編集] 昇段履歴
[編集] 主な成績
[編集] 獲得タイトル
登場6回 獲得合計 1
[編集] タイトル戦挑戦
- 1988年 第38期王将戦
- 1994年 第65期棋聖戦
- 1996年 第44期王座戦
- 1997年 第45期王座戦
[編集] 一般棋戦優勝
- 勝ち抜き戦(5連勝以上) 3回(第5回-1982年度・8回・9回)
- 優勝合計 3回
- 非公式戦
[編集] 在籍クラス
竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。
[編集] 将棋大賞
- 第12回(1984年度) 新人賞・最多勝利賞
- 第16回(1988年度) 殊勲賞
[編集] その他表彰
- 2004年 将棋栄誉賞(通算600勝達成)
- 2005年 現役勤続25年
[編集] 主な著書
[編集] 脚注
- ^ 599勝目後、12連敗を記録しており大変な難産の末の達成であった。
- ^ 『日本将棋用語事典』pp.87-90, 93
- ^ タイトル戦でスーツを着用した例は島の他には加藤一二三及び村山聖(1993年・第24期王将戦で谷川浩司王将の挑戦者となったが、和服の発注が間に合わず、第1・2局のみスーツ姿で対局に臨んだ。)以外知られていない。
- ^ a b 『日本将棋用語事典』pp.175-178
- ^ 2005年1月にNHK衛星第2テレビで放映された「大逆転将棋」のプロ反則特集でも取り上げられ、解説者として番組に出演していた木村一基は「僕も将来(同じような局面になったら)やるかもしれません。」と島を「擁護」した。
- ^ まわり将棋は技術だ p.183
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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日本将棋連盟所属現役棋士・現役女流棋士 |
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| 六段 |
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| 四段 |
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女流棋士
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| クィーン称号者 |
女流六段(クィーン名人・クィーン王位・クィーン王将・クィーン倉敷藤花)清水市代
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| 詳細は将棋棋士一覧及び将棋の女流棋士一覧を参照 |
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第25期竜王ランキング戦(2011年冬 - 2012年秋)(第24期竜王:渡辺明) |
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| 2組 |
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| 3組 |
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| 5組 |
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| 6組 |
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| 休場 |
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| 詳細については将棋棋士の在籍クラスを参照 |
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