高柳敏夫

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 高柳敏夫 名誉九段
名前 高柳敏夫
生年月日 (1920-02-20) 1920年2月20日
没年月日 (2006-09-05) 2006年9月5日(86歳没)
プロ入り年月日 1942年1月1日(21歳)
引退年月日 1963年(43歳)
棋士番号 31
出身地 東京府(現:東京都
所属 将棋大成会
日本将棋連盟(関東)
師匠 金易二郎名誉九段
弟子 芹沢博文中原誠安恵照剛宮田利男伊藤果田中寅彦大島映二島朗達正光村中秀史蛸島彰子宇治正子清水市代船戸陽子早水千紗
段位 名誉九段
棋士DB 高柳敏夫
順位戦最高クラス A級(4期)
2017年8月22日現在
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高柳 敏夫(たかやなぎ としお、1920年2月20日 - 2006年9月5日)は将棋棋士。名誉九段。棋士番号31。東京府(現:東京都)出身。金易二郎名誉九段門下。

経歴[編集]

順位戦A級に4期在籍したほどの実力者でありながら、B級1組からの陥落が決まった1963年に43歳で現役引退する。引退後は観戦記の執筆[1]や弟子の育成に力を注いだ。

1989年、第1回将棋ペンクラブ大賞の「雑誌部門」を受賞(「愛弟子・芹沢博文の死」(文藝春秋、88.3月号))。1994年勲五等双光旭日章受章。

2006年9月5日、東京都目黒区の病院で急性呼吸不全のため死去。享年86。

人物[編集]

棋風[編集]

  • 筋や定跡とは異なる、奇抜な手を使った指し回しが多かったため、「異常感覚」あるいは「新感覚」の持ち主といわれた。
  • 詰将棋の名手でもあり、その独特な感覚を用いた作品が特徴的である。

弟子[編集]

棋士となった弟子[編集]

名前 四段昇段日 段位、主な活躍
芹沢博文 1955年4月1日 九段、一般棋戦優勝1回、A級在籍2期
中原誠 1965年10月1日 十六世名人、永世十段、永世王位、名誉王座、永世棋聖、タイトル通算64期、一般棋戦優勝28回
安恵照剛 1971年4月1日 八段、一般棋戦優勝1回
宮田利男 1972年10月1日 八段
伊藤果 1975年6月19日 八段
田中寅彦 1976年6月4日 九段、棋聖1期、一般棋戦優勝6回、A級在籍6期
大島映二 1976年10月1日 八段
島朗 1980年9月18日 九段、竜王1期、一般棋戦優勝3回、A級在籍9期
達正光 1984年7月11日 追贈七段
村中秀史 2004年10月1日 七段

(2019年10月4日現在)

女流棋士となった弟子[編集]

名前 女流プロ入り日 段位、主な活躍
蛸島彰子 1974年10月31日 女流六段、女流名人4期、女流王将3期
宇治正子 1978年5月27日 女流三段(2015年に連盟退会)
清水市代 1985年4月1日 女流七段、女流名人10期、女流王位14期、倉敷藤花10期、女流王将9期、一般棋戦優勝11回
船戸陽子 1988年3月17日 女流三段
早水千紗 1996年10月1日 女流三段

(2021年1月21日現在)

昇段履歴[編集]

主な成績[編集]

在籍クラス[編集]

順位戦・竜王戦の在籍クラスの年別一覧
開始
年度
(出典)順位戦 (出典)竜王戦
名人 A級 B級 C級 0 竜王 1組 2組 3組 4組 5組 6組 決勝
T
1組 2組 1組 2組
1946 1 四・五段戦2位
1947 2 B級補欠19位
1948 3 B級
1949 4 B級
1950 5 A 08
1951 6 A 05
1952 7 A 10
1953 8 A 11
1954 9 B103
1955 10 B103
1956 11 B109
1957 12 B103
1958 13 B108
1959 14 B109
1960 15 B110
1961 16 B104
1961 17 B111
順位戦、竜王戦の 枠表記 は挑戦者。右欄の数字は勝-敗(番勝負/PO含まず)。
順位戦の右数字はクラス内順位 ( x当期降級点 / *累積降級点 / +降級点消去 )
順位戦の「F編」はフリークラス編入 /「F宣」は宣言によるフリークラス転出。
竜王戦の 太字 はランキング戦優勝、竜王戦の 組(添字) は棋士以外の枠での出場。

著書[編集]

出典・脚注[編集]

  1. ^ 例えば日本経済新聞の王座戦観戦では「又四郎」のペンネームを用いている。これは江戸時代の剣客、高柳又四郎に因んだものである。
  2. ^ 高柳敏夫「将棋、競輪、競馬、好奇心の一週間」『優駿』1993年9月号、日本中央競馬会、81頁

関連項目[編集]

外部リンク[編集]