青野照市

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 青野照市 九段
青野照市
名前 青野照市
生年月日 1953年1月31日(61歳)
プロ入り年月日 1974年4月1日(21歳)
棋士番号 114 
出身地 静岡県焼津市 
師匠 廣津久雄九段 
段位 九段
戦績
一般棋戦優勝回数 4回
2014年7月31日現在

青野照市(あおの てるいち、1953年1月31日 - )は、将棋棋士廣津久雄九段門下。棋士番号は114。静岡県焼津市出身。竜王戦1組通算6期、名人戦A級通算11期。

棋歴[編集]

研究派として知られ、A級通算11期を数える。

A級に11期在籍し、その間、大山康晴中原誠米長邦雄谷川浩司等としのぎを削り、さらに羽生善治佐藤康光森内俊之藤井猛等(いわゆる「羽生世代」)が台頭してきた中でも健闘した。
1999年度のB級1組順位戦で1位となり、2000年に10年ぶりにA級に復帰したとき、羽生世代の棋士たちがA級の大半を占める中での活躍は「中年の星」として話題となった。

将棋に熱中し出したのは中学の頃で、後に一流棋士になった者としては晩学である[1]

東西対抗三段リーグ制度(奨励会A組)の最後のリーグ卒業者である。青野が関東優勝を決めた後、過去に2度の関西優勝歴があった淡路仁茂が関西優勝をしたため、東西決戦なしで二人が同時に四段に昇段することとなった。その朗報が青野のもとに届いた当日、青野がちょうどタイトル戦の記録係をしていたことは話題となった[1]

プロ1年目(1974年度、21歳)で新人王戦に優勝。出場時は四段昇段前であったが、2回戦と3回戦の間に四段昇段している。

プロ2年目(1975年度)には、順位戦でC級1組昇級を決め、さらには第27期棋聖戦と第2回名将戦でも本戦で活躍するなど全棋士中トップの勝率(0.745)を挙げ、第3回将棋大賞の勝率一位賞と新人賞を同時受賞。

1978年度、公式戦15連勝を記録(将棋大賞連勝賞)。同年度、第5期名棋戦で優勝。

第37期(1978年度)C級1組順位戦、第38期(1979年度)B級2組順位戦で、ともに9勝1敗で1位となり、2年連続昇級でB級1組に上がる。そして、B級1組3年目で9勝3敗・1位の成績を収め、1983年、A級八段となる。その後3期目で陥落するが、1期で復帰している。

1979年度、新人王戦で2度目の優勝。記念対局では、前回優勝の時には敗れた中原誠名人に勝つ。

第32回(1982年度)NHK杯戦で決勝進出。中原誠に敗れて準優勝。第1回全日本プロトーナメントで準優勝。

第24期(1983年度)王位戦でリーグ入り。谷川浩司、大山康晴、田中寅彦森安秀光を相手に4連勝する快進撃であったが、5回戦で新鋭の高橋道雄との全勝対決で敗れ、挑戦権を逃す(高橋はこの期に王位を獲得し、史上最低段タイトルの記録を作ることとなる)。

第46期(1987年度)A級順位戦で5勝4敗とし、A級で初めて勝ち越す。

第37期(1989年度)王座戦でタイトル初挑戦。五番勝負で途中まで2勝1敗として中原誠王座を角番に追い詰めるが、そこから2連敗して惜敗。全局先手番勝利のタイトル戦であった。

第3期(1990年度)竜王戦で高橋・谷川・中原らを破り、1組優勝。

2000年、10期ぶりにA級に復帰(以降4期連続で在籍)。同年、史上23人目の通算600勝(将棋栄誉賞)を達成。次の第59期A級順位戦では5勝4敗とし、A級の順位を自己最高の5位とした。

第8回(2000年)および第11回(2003年)の達人戦(非公式戦)で優勝。第16回(2008年)には準優勝。

第68期(2009年度)B級2組順位戦で、降級点を1つ抱えた状態で序盤4連敗しC級への陥落が危ぶまれたが、そこから5勝5敗の指し分けとし、逆に降級点を消した(2年連続指し分けの規定)。同じクラスから元タイトルホルダーの内藤國雄森けい二が降級していく中で、ベテランの意地を見せた。

2010年、第58期王座戦でベスト4に進出。

2011年2月17日、史上23人目の通算700勝(655敗)を達成。

研究家[編集]

人物・エピソード[編集]

  • 和服を好み、大一番の対局以外でも羽織袴の姿が多い[要出典]
  • 弟子に西尾明八代弥及び安食総子女流棋士)がいる。
  • 2007年5月の棋士総会の理事選挙に立候補してトップ当選し、日本将棋連盟の渉外及び営業広告・出版・販売担当の理事に就任した。以前にも過去2期4年にわたって理事を務めた。
  • 1997年10月27日、竜王戦2組・対中川大輔戦で僅か33手で敗れる。しかも逆転負けという非常に珍しい将棋であった。
  • 2003年度のNHK杯テレビ将棋トーナメントで女流棋士の中井広恵に敗れた。現役A級棋士が女流棋士に負けた初の事例となった。
  • 奨励会時代に反則負けの直後の一局で後手にも関わらず先に指してしまい初手反則負け、2局連続どころか2手連続での反則負けという不滅の記録(本人談)を打ち立てたことを自著で述べている[2]

昇段履歴[編集]

昇段規定は、将棋の段級 を参照(ただし、四段昇段は旧規定)。

  • 1968年 4級 = 奨励会入会
  • 1970年 初段
  • 1974年4月1日 四段(奨励会A組(旧三段リーグ)関東優勝、東西決戦無し = プロ入り
  • 1976年4月1日 五段(順位戦C級1組昇級)
  • 1979年4月1日 六段(順位戦B級2組昇級)
  • 1980年4月1日 七段(順位戦B級1組昇級)
  • 1983年4月1日 八段(順位戦A級昇級)
  • 1994年8月5日 九段(勝数規定)

主な成績[編集]

タイトル戦登場[編集]

登場回数1、獲得0

棋戦優勝[編集]

  • 新人王戦 2回(1974年度 = 第5期、1979年度)
  • 名棋戦 1回(1978年度 = 第5回)
  • 勝抜戦5勝以上 1回  … 第7-8回(1984-1985年度)にまたがり6連勝

在籍クラス[編集]

竜王戦と順位戦のクラスは、将棋棋士の在籍クラス を参照。

将棋大賞[編集]

  • 第3回(1975年度)勝率第一位賞・新人賞
  • 第6回(1978年度)連勝賞
  • 第25回(1997年度)升田幸三賞(鷺宮定跡)

その他表彰[編集]

  • 1993年 国際交流基金設立20周年記念感謝状
  • 1998年 現役勤続25年
  • 2000年 将棋栄誉賞(通算600勝達成)
  • 2000年 しずおか大賞
  • 2011年 平成23年度外務大臣表彰
  • 2013年 現役勤続40年[3]

主な著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 将棋世界」2000年1月号付録
  2. ^ 青野照市 『勝てる将棋格言36 プロの実戦に学ぶ妙手』p.326 創元社 2003年8月20日 ISBN 4-422-75088-7 香落ちの下手(後手)なのに先に初手を指してしまった。(本書執筆時点で)奨励会時代も合わせて反則決着が10局存在する、とも述べられている。
  3. ^ 第39回「将棋の日」表彰・感謝の式典の模様 | お知らせ|お知らせ・イベント情報:日本将棋連盟

関連項目[編集]

外部リンク[編集]