NHK杯テレビ将棋トーナメント
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NHK杯テレビ将棋トーナメント(えぬえいちけいはいテレビしょうぎトーナメント)[1]とは日本放送協会(NHK)が主催する将棋の棋戦である。対局者双方の持ち時間が少ない早指し戦であり、トーナメント方式で行われる。創設は1951年で、当時はラジオ番組であった。第12回(1962年度)からはテレビ放送が始まった。NHK杯戦およびその他のNHKの番組(『囲碁・将棋ジャーナル』など)の中では、前回優勝者は「NHK杯」または「NHK杯選手権者」の称号で紹介される[2]。
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[編集] 仕組み
[編集] 本戦出場者
大会初期の参加者は8名であったが第16回(1966年度)から16名に増え、第27回(1977年度)からは26名になり第31回(1981年度)から現行の50名参加となっている。
[編集] 本戦シード
抽選時(前年12月末時点)において下記の条件を満たす者(31名)は予選が免除され、本戦シードとなる。
- 本戦2回戦シード(14名)
- 前年度ベスト4(準決勝まで直接対決しないようにトーナメント表が組まれる)
- タイトル保持者
- 順位戦A級の棋士
- 永世称号者、永世称号資格者
- 本戦1回戦シード(17名)
- 順位戦B級1組の棋士
- 公式棋戦優勝者
- 成績優秀による選抜者[3]
さらに女流枠から出場する女流棋士1名も本戦1回戦シード者とされる。1回戦から登場のシード18名は1回戦で予選通過者と対局する。なおシード権保持者の人数によっては永世称号棋士が1回戦からの参加になったり、B級1組棋士の一部が2回戦からの参加になるなどの調整が行われる。
[編集] 対局ルール
- 先後(先手・後手)の決定は全局振り駒で行う[4]。
- 持ち時間は各15分(計時はチェスクロックを使用)で、それを使い果たすと1手30秒の秒読みとなる。ただし、秒読みに入ってからも持ち時間とは別に1分単位で10回の考慮時間を使用することができる[5]。
- 千日手で指し直しとなった場合は先後交替となり持ち時間無し(初手から1手30秒)、考慮時間は5回となる。
[編集] 予選
- 本戦シード以外の棋士は東西の将棋会館でトーナメント方式の予選を行い、通過した18名(関東13名、関西5名[6])が出場する。予選は持ち時間各20分(切れると一手30秒)の早指し戦を1日3局(棋士によっては2局)行なう。
- 女流棋士は前年12月末時点の女流タイトル保持者で予選を行い、1名が出場する。女流予選の決勝は本戦と同じ持ち時間で対局する。女流予選の模様はNHK教育テレビで放送される。
[編集] 放送
本戦の対局はNHKのテレビスタジオで収録され、NHK教育テレビ『将棋の時間』枠内の日曜10:20 - 12:00(以下JST)に毎週1局ずつ放送される。年度始めの4月に1回戦がスタートし、年度末の翌年3月に決勝戦が放送される。第58回(2008年度)の1回戦第1局(2008年4月6日放送分)からハイビジョン放送に対応している(アナログは14:9サイズ)[7]。
- ラジオ放送から始まったため司会(女流棋士)、大盤解説(棋士)、記録係(通常は奨励会員)のほか棋譜読み上げ(女流棋士)が加わる[8]。同じテレビ将棋でも銀河戦は記録係(女流棋士)しかおらず、棋譜読み上げは行われない。
- 録画放送だが放送日以降にならないと、日本将棋連盟のホームページや「将棋世界」等に結果は掲載されない。棋譜はNHK出版のテキスト「将棋講座」に掲載される。
- 入玉、千日手、その他の事情などで指し直し等長時間の将棋になった場合、途中を省略して放送することがある。また、短時間で終わって放送時間が余りすぎた場合は過去の名勝負や棋界情報などを放送することがある。一般的には感想戦を放送して丁度良い程度に時間が余ることが多い。
- プロ対局としては異例なほど、詰みの数手前まで指されるのが一般的。通常のプロ対局では、中盤までに形勢逆転不能と判断した時点で投了することも珍しくはない。
[編集] 歴代の司会者
現在、司会は毎週同じ女流棋士が務める。一方、解説や記録係、読み上げ担当は週替わりとなっている。女流棋士が司会となってからは、3年ごとに司会者が交代している。なお、女流棋士がNHK杯戦に登場する場合は登場する収録日の対局のみ他の女流棋士が司会を代わりにつとめる。
- ? - 1980年度:2代目神田山陽(講談師)
- 1981 - 1990年度:永井英明(近代将棋会長)
- 1991 - 1993年度:谷川治恵
- 1994 - 1996年度:山田久美
- 1997 - 1999年度:藤森奈津子
- 2000 - 2002年度:中倉彰子
- 2003 - 2005年度:千葉涼子
- 2006 - 2008年度:中倉宏美
- 2009年度 - :矢内理絵子
[編集] 優勝記録
第58回(2008年度)までの最多優勝は大山康晴の8回であり、次いで加藤一二三と羽生善治が7回、中原誠が6回優勝している。
3連覇の例はなく大山康晴(第4・5回)と羽生善治(第47・48回)、佐藤康光(第56・57回)がそれぞれ2連覇したのみである。
最年長優勝は第34回(1984年度)の大山康晴(当時61歳)、最年少優勝は第39回(1989年度)の羽生善治(当時18歳)である。また、最低段優勝は第40回(1990年度)の櫛田陽一四段(当時)である。
[編集] 名誉NHK杯
通算10回優勝すると名誉NHK杯の称号が贈られる。しかし、前述の通り優勝10回に達した棋士はいない。
ちなみに、「名誉」が冠される称号は「名誉NHK杯」のほかにいくつか存在する[9]。
なお、囲碁のNHK杯戦では坂田栄男が通算10回優勝して「名誉NHK杯」を獲得した(その後も1回優勝して通算11回)。
[編集] 歴代決勝結果
称号・段位は当時のもの。かっこ内数字は、その時点での通算優勝回数。
| 回 | 年度 | 優勝者 | 準優勝者 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 1951 | 木村義雄名人 | 升田幸三八段 | ラジオ放送でスタート。 |
| 2 | 1952 | 升田幸三八段 | 丸田祐三八段 | |
| 3 | 1953 | 塚田正夫九段 | 花村元司八段 | |
| 4 | 1954 | 大山康晴名人 | 塚田正夫九段 | |
| 5 | 1955 | 大山康晴名人(2) | 灘蓮照八段 | |
| 6 | 1956 | 原田泰夫八段 | 灘蓮照八段 | |
| 7 | 1957 | 升田幸三名人(2) | 灘蓮照八段 | |
| 8 | 1958 | 灘蓮照八段 | 大山康晴王将 | |
| 9 | 1959 | 丸田祐三八段 | 大野源一八段 | |
| 10 | 1960 | 加藤一二三八段 | 大山康晴名人 | |
| 11 | 1961 | 大山康晴名人(3) | 加藤博二八段 | |
| 12 | 1962 | 灘蓮照八段(2) | 升田幸三九段 | テレビ放送となる。本戦出場8名。 |
| 13 | 1963 | 升田幸三九段(3) | 加藤一二三八段 | |
| 14 | 1964 | 大山康晴名人(4) | 塚田正夫九段 | |
| 15 | 1965 | 丸田祐三八段(2) | 升田幸三九段 | |
| 16 | 1966 | 加藤一二三八段(2) | 二上達也八段 | 本戦出場16名となる。 |
| 17 | 1967 | 大友昇七段 | 二上達也八段 | |
| 18 | 1968 | 丸田祐三八段(3) | 山田道美八段 | |
| 19 | 1969 | 内藤國雄棋聖 | 関根茂八段 | |
| 20 | 1970 | 大山康晴名人(5) | 中原誠十段 | |
| 21 | 1971 | 加藤一二三八段(3) | 大内延介七段 | |
| 22 | 1972 | 大山康晴九段(6) | 米長邦雄八段 | |
| 23 | 1973 | 加藤一二三九段(4) | 内藤國雄棋聖 | |
| 24 | 1974 | 中原誠名人 | 内藤國雄九段 | |
| 25 | 1975 | 大内延介八段 | 二上達也九段 | |
| 26 | 1976 | 加藤一二三九段(5) | 米長邦雄八段 | |
| 27 | 1977 | 中原誠名人(2) | 加藤一二三九段 | 本戦出場26名となる。 |
| 28 | 1978 | 米長邦雄八段 | 真部一男六段 | |
| 29 | 1979 | 大山康晴王将(7) | 森雞二八段 | |
| 30 | 1980 | 有吉道夫九段 | 中原誠名人 | |
| 31 | 1981 | 加藤一二三十段(6) | 伊藤果五段 | 本戦出場50名となる。 |
| 32 | 1982 | 中原誠十段(3) | 青野照市七段 | |
| 33 | 1983 | 大山康晴十五世名人(8) | 加藤一二三前名人 | |
| 34 | 1984 | 田中寅彦八段 | 加藤一二三王位 | |
| 35 | 1985 | 谷川浩司前名人 | 内藤國雄九段 | |
| 36 | 1986 | 前田祐司七段 | 森雞二九段 | |
| 37 | 1987 | 中原誠名人(4) | 中村修王将 | |
| 38 | 1988 | 羽生善治五段 | 中原誠棋聖 | |
| 39 | 1989 | 櫛田陽一四段 | 島朗前竜王 | |
| 40 | 1990 | 先崎学五段 | 南芳一棋王 | |
| 41 | 1991 | 羽生善治棋王(2) | 塚田泰明八段 | |
| 42 | 1992 | 中原誠名人(5) | 島朗七段 | |
| 43 | 1993 | 加藤一二三九段(7) | 佐藤康光前竜王 | |
| 44 | 1994 | 中原誠永世十段(6) | 米長邦雄前名人 | |
| 45 | 1995 | 羽生善治竜王・名人(3) | 中川大輔六段 | |
| 46 | 1996 | 森内俊之八段 | 屋敷伸之七段 | |
| 47 | 1997 | 羽生善治四冠(4) | 村山聖八段 | |
| 48 | 1998 | 羽生善治四冠(5) | 堀口一史座五段 | |
| 49 | 1999 | 鈴木大介六段 | 郷田真隆八段 | |
| 50 | 2000 | 羽生善治五冠(6) | 久保利明六段 | |
| 51 | 2001 | 森内俊之八段(2) | 佐藤康光王将 | |
| 52 | 2002 | 三浦弘行八段 | 先崎学八段 | |
| 53 | 2003 | 久保利明八段 | 羽生善治名人 | |
| 54 | 2004 | 山崎隆之六段 | 羽生善治四冠 | |
| 55 | 2005 | 丸山忠久九段 | 渡辺明竜王 | |
| 56 | 2006 | 佐藤康光棋聖 | 森内俊之名人 | |
| 57 | 2007 | 佐藤康光二冠(2) | 鈴木大介八段 | |
| 58 | 2008 | 羽生善治名人(7) | 森内俊之九段 |
[編集] 女流棋士の本戦出場者
出場棋士が本戦を勝ち上がった場合は対局順に複数の対戦相手を表記。
| 回 | 年度 | 出場棋士 | 対戦相手 |
|---|---|---|---|
| 43 | 1993 | 中井広恵 | 先崎学 |
| 44 | 1994 | 清水市代 | 平藤眞吾 |
| 45 | 1995 | 清水市代 | 畠山成幸 |
| 46 | 1996 | 清水市代 | 飯塚祐紀 |
| 47 | 1997 | 清水市代 | 深浦康市 |
| 48 | 1998 | 清水市代 | 北浜健介 |
| 49 | 1999 | 清水市代 | 石川陽生 |
| 50 | 2000 | 中井広恵 | 野月浩貴 |
| 51 | 2001 | 清水市代 | 畠山成幸 |
| 52 | 2002 | 清水市代 | 加瀬純一 |
| 53 | 2003 | 中井広恵 | 畠山鎮→青野照市→中原誠 |
| 54 | 2004 | 中井広恵 | 佐藤秀司→佐藤康光 |
| 55 | 2005 | 清水市代 | 川上猛 |
| 56 | 2006 | 千葉涼子 | 中田功 |
| 57 | 2007 | 千葉涼子 | 佐藤和俊 |
| 58 | 2008 | 清水市代 | 糸谷哲郎 |
| 59 | 2009 | 矢内理絵子 | 櫛田陽一 |
[編集] 女流予選
第55回(2005年度)より女流タイトル保持者による女流予選が行われるようになった。予選出場資格者が3名以上の場合はトーナメント戦。称号は当時のもの。
| 回 | 年度 | 勝者(本戦出場) | 決勝敗退 |
| 1回戦敗退(上の女流棋士と対戦) | |||
| 55 | 2005 | 清水市代女流三冠 | 中井広恵女流王将 |
| 56 | 2006 | 千葉涼子女流王将 | 清水市代女流二冠 |
| 57 | 2007 | 千葉涼子女流王将 | 清水市代女流王位 |
| 斎田晴子倉敷藤花 | 矢内理絵子女流名人 | ||
| 58 | 2008 | 清水市代女流二冠 | 矢内理絵子女流名人 |
| - | 石橋幸緒女流王位 | ||
| 59 | 2009 | 矢内理絵子女王 | 石橋幸緒女流王位 |
| 清水市代女流二冠 | 里見香奈倉敷藤花 | ||
上記の対局以外にも、第50回(2000年度)で女流棋士6名による女流予選が行われている。第50回の女流予選決勝(清水 - 中井戦で中井勝ち)と第55回以降の女流予選全対局の結果は、(女流棋戦ではなく)「男性棋戦」の公式記録となる[10]。
[編集] エピソード
段位、称号は当時のもの。
- 晩年の升田幸三実力制第4代名人が解説時、途中でトイレに行き解説者一時不在となった。その間司会の永井が1人で間をつないだ。
- 第38回(1988年度)の羽生善治五段は大山康晴、加藤一二三、谷川浩司、中原誠の当時現役だった名人経験者4人(升田幸三はすでに引退、米長邦雄は名人獲得前)を全て撃破して初優勝した。3回戦で羽生が大山を下した直後、当時司会を務めていた永井は「あ~~すごいですね、いや~たいしたもんですね~~、勝率8割1分8厘からまた上がりましたよ」と驚嘆していた。
- 第42回(1992年度)では丸田祐三九段が73歳で予選を突破し、1回戦で勝利するという記録を残している。
- 第47回(1997年度)の決勝では、最終盤で村山聖にミスが出て羽生に逆転負けをする。準優勝のインタビューでは、村山らしく笑顔で「優勝したはずだったんですが」とおどけてみせた。村山は病気のため明くる4月から全ての棋戦を休場。しかし、復帰を果たせず8月に死去する。
- 第49回(1999年度)は、決勝戦を初めて公開対局(テント(2000)みんなの広場、現ふれあいホール)で行った。
- 第50回(2000年度)は、決勝戦を初めて東京以外の場所(関西将棋会館)で行った。
- 第53回(2003年度)で中井広恵女流三冠が畠山鎮六段に続き当時A級だった青野照市九段を倒し話題となった。翌年にも2回戦で佐藤康光棋聖に善戦し、あわや男性タイトルホルダーが女流棋士に負けるかという事態まで起こした。結果は佐藤の逆転勝ちとなったが、女流棋士が着実に力をつけていることがテレビを通じて評価された。
- 橋本崇載四段が第54回(2004年度)の本戦に出場し松尾歩五段戦では金髪、パンチパーマ、紫のシャツという風貌で対局したのが放送され将棋界以外にも橋本の知名度を大きく上げた。
- 小林健二が時間切れの反則負けをしたことがある。自玉の頓死を見落とし駒を一度は持ったものの同じマス目に置き直し、記録係が30秒目のコールをした後に時間切れを告げるブザーが鳴った。あまりのことに自分にあきれ返ったから、次の手を指せなかったという。小林はこの対局の後、頭を丸坊主にした。
- 第54回(2004年度)では豊川孝弘六段、第55回(2005年度)では松尾歩五段がそれぞれ本戦で二歩を打って反則負けをした。
- 第54回の決勝戦の放送(2005年3月20日)は福岡県西方沖地震発生のニュースで中断し、そのまま1週間後の3月27日10:05に延期された。その時間に放送される予定だった女流予選(第55回)の放送は同日13:30からに変更された。
- 第57回(2007年度)の女流予選は、大会史上初めて女流4タイトルを分け合う4名によるトーナメント戦となった。この模様は女流棋士出場者決定戦として2007年3月25日 10:05からの放送予定であったが能登半島地震の報道の為延期となり、同年3月30日 23:00および4月21日 15:00(再放送)からの放送となった。
- 第57回(2007年度)の決勝戦はNHK囲碁・将棋トーナメントを通じて史上初の生放送で行われた。
- かつては喫煙しながらの対局もあったが、現在は見られない[11]。
[編集] 脚注
- ^ かつては「NHK杯争奪 将棋トーナメント」と称した。
- ^ たとえタイトル保持者であっても、そのタイトル名を省略して「(棋士名)NHK杯」のように呼ばれる。司会であった永井英明は番組内で「NHKチャンピオン」と称していた。また、かつてNHK杯選手権者はNHK杯保持者とされていた。
- ^ 選抜者の人数は、他のシード者の人数により毎回変わる。選抜者の決定は前年1月から12月における対局数、勝数、勝率の3部門の各順位を合計した総合ランキングによる。同順位の場合は、年度一覧の順位が優先される。
- ^ 過去には「名人は後手」の規則があった。
- ^ 過去には本戦も予選と同じく持ち時間20分、切れたら1手30秒であった。
- ^ ただし、人数の関係で1枠が東西混合枠となる場合がある。混合枠では東西どちらかで先に対局を行い、勝ち残った1名が遠征して予選決勝を戦う。
- ^ デジタル教育テレビでは通常サブチャンネル3(023ch)で独自編成(マルチ編成)を行なうため、16:9の標準画質で放送されている。
- ^ 以前は棋譜読み上げを蛸島彰子が長らく務め、記録係も山下カズ子や谷川治恵などの女流棋士が務めていた。
- ^ 「名誉」が冠される称号のうち、実力制の名誉称号としては名誉NHK杯とタイトル戦の永世称号の一つである名誉王座(中原誠、羽生善治)である。また過去に与えられた贈名誉称号には名誉十段(塚田正夫)、名誉名人(小菅剣之助、土居市太郎)、名誉九段(金易二郎、渡辺東一、加藤治郎、高柳敏夫、佐瀬勇次)がある。
- ^ 女流棋士成績一覧:日本将棋連盟も参照のこと。他の「男性棋戦」でも複数の女流棋士出場枠が設けられている場合、上位まで勝ち上がれば女流同士の対局があり得るが過去に対戦した例はない。
- ^ 2007年に『囲碁・将棋ジャーナル』で真部一男の訃報が伝えられた際、NHK杯で喫煙しながら対局する真部の映像が紹介された。田中寅彦も喫煙したことがある。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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