羽生世代
羽生世代(はぶせだい)とは、羽生善治と同一の生年が1970年の将棋棋士達を指す俗称である。
島朗によって命名された「チャイルドブランド」類語義であるが、島朗より上の年長者棋士世代が自分の子どもに棋力を追い越される恐怖から名付けたものである。「チャイルドブランド」にとって将棋は、ただのゲームであって、最新定跡の研究と読む力の差だけによって結果が決まるものである。「チャイルドブランド」にとって将棋に物語がからむ余地は一切ない。彼らはそういう将棋観をもつ年配棋士から見たら恐ろしいドライな子ども世代棋士。 「羽生世代」という言葉は、彼らが若くして台頭した頃から使われていた。
目次 |
[編集] 「羽生世代」の棋士達
「羽生世代」とは羽生善治と同学年(1970年4月から1971年3月生まれ)で、順位戦A級を経験したことがある棋士達を指すと考えられる。
屋敷伸之は1972年1月生まれで、羽生と1学年しか違わないが、デビュー時から「羽生世代をも追いこしそうな存在」として紹介されており、羽生世代には加えないのが一般的である。そのため、羽生より1学年でも違う者は羽生世代とはいわないと考えられる。
(生年月日順)
| 棋士名 | 生年月日 | プロ入り (四段) |
初タイトル | 全棋士参加 棋戦初優勝 |
竜王戦1組 初昇級[1] |
順位戦A級 初昇級 |
その後 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 村山聖 | 1969年6月15日 | 1986年11月 | - | 1996年度 早指し選手権[2] |
1994年 | 1995年 | 1998年にA級のまま死去 |
| 佐藤康光 | 1969年10月1日 | 1987年3月 | 1993年度 竜王 |
同左 | 1992年 | 1996年 | 永世棋聖の資格獲得(2006年) |
| 先崎学 | 1970年6月22日 | 1987年10月 | - | 1990年度 NHK杯戦 |
1995年 | 2000年 | |
| 丸山忠久 | 1970年9月5日 | 1990年4月 | 2000年度 名人 |
1999年 全日プロ |
1998年 | 1998年 | |
| 羽生善治 | 1970年9月27日 | 1985年12月[3] | 1989年度 竜王 |
1988年度 NHK杯戦 |
1989年 | 1993年 | 永世棋王の資格獲得(1995年) -「永世六冠」達成(2008年) |
| 藤井猛[4] | 1970年9月29日 | 1991年4月 | 1998年度 竜王 |
同左 | 1998年 | 2001年 | 竜王戦史上初の3連覇 (1998 - 2000年) |
| 森内俊之 | 1970年10月10日 | 1987年5月 | 2002年度 名人 |
1989年 全日プロ |
1996年 | 1995年 | 永世名人の資格獲得(2007年) |
| 郷田真隆 | 1971年3月17日 | 1990年4月 | 1992年度 王位[5] |
同左 | 1999年 | 1999年 |
なお、同年代の棋士は他にも6人いるが、彼らは通常、「羽生世代(の棋士)」としては紹介されない[6]。
[編集] 歴史
[編集] 「チャイルドブランド」の台頭
後に「羽生世代」と呼ばれる棋士達のうち、10代から目覚ましい活躍をした羽生・村山・佐藤・森内の4人は、島朗によって「チャイルドブランド」[7]と命名された(年上の森下卓(1966年7月10日- )も広義でチャイルドブランドの一人とされた[要出典])。「アンファン・テリブル」[8]と呼ばれることもあった[要出典]。4人のうち羽生・佐藤・森内の3人は、島が主宰する研究会「島研」で腕を磨いたメンバーであった。
1980年代後半、彼らは先輩棋士達を打ち負かしていく。1988年度のNHK杯戦では、18歳の羽生が4人の名人経験者(大山康晴十五世名人、加藤一二三九段[9]、谷川浩司名人(準決勝)、中原誠棋聖・王座(決勝))を破るという、まるで作ったような舞台設定[10]で優勝し、チャイルドブランドからの初の棋戦優勝者となる。
[編集] 「羽生世代」の台頭
1990年ごろからは、森内と先崎が全棋士参加棋戦で優勝。さらには、郷田が同一年度に谷川に3度タイトル挑戦し、うち、王位戦で最低段位記録となる四段で初タイトル。佐藤は七冠へ駆け上がる途中の羽生(当時五冠)からいったん竜王位を奪い、初のタイトル獲得を果たす。羽生を含む彼ら5名は早熟のため、A級昇級よりも優勝・タイトルが先行した。その後、村山と丸山も順位戦で昇級を重ねるなどして追随する。
藤井は、B級2組(竜王戦は4組)に在籍していた1998年当時に、谷川をストレートで破って初タイトル・竜王を獲得し、一躍「羽生世代の一人」として認知されるようになる。
丸山は2000年に佐藤を破って名人位を獲得する。
[編集] 「羽生世代」による将棋界の席巻
1990年頃から十余年に渡って、タイトル棋戦やA級順位戦は、常に「羽生世代」の棋士達が主役となっており、各年度の7タイトルの過半数を占める状態が長らく続く(将棋のタイトル在位者一覧 (2) を参照)。その結果、タイトル獲得数3期以上(九段昇段の基準の一つ)の者が6人、永世称号を持つ者が3人(羽生、佐藤、森内 = 2011年現在)もいるという、特異な世代となっている。
名人戦では、1994年から15年間以上、毎年、彼らのうちの誰かが七番勝負に登場しており、竜王戦では、創設翌年の第2期に羽生が獲得して以来、「羽生世代」の棋士が七番勝負に登場しなかったことが、ほとんどない。
2004年頃までは彼らより上の世代の谷川が孤軍奮闘した。
彼らが30代になると、逆に、若手の前に立ち塞がる壁となる。しかし、下の世代では、2004年からは彼らより一回り以上若い渡辺明が、佐藤、森内、羽生らを相手にして竜王の一冠を5連覇し、初代永世竜王の資格を獲得した。
2006年には、佐藤が棋聖5連覇で永世棋聖の称号の資格を得、2007年には、森内が名人通算5期で羽生より一歩先に永世名人の資格を得る。
2007年頃からは、渡辺に加え、深浦康市、久保利明、木村一基もタイトル戦の舞台に多く出場するようになり、1998年度の佐藤の名人奪取以来ずっと羽生世代の複数人がタイトル保持者という状況が、2008年度棋王戦で佐藤から久保が棋王を奪取したことでタイトル保持者が羽生四冠(名人・棋聖・王座・王将)・渡辺竜王・深浦王位・久保棋王の四人となりついにそれが崩れ、2009年度王将戦では久保が羽生から王将を奪取し、タイトルの過半数を羽生世代以外の棋士が占めることになった。
[編集] ポスト羽生世代
羽生世代のすぐ下の世代(~1975年生まれ)には、羽生世代の後を追ってA級入り・タイトル獲得を果たした「ポスト羽生世代」と呼ばれる有力棋士達がいる。羽生世代と比べればやや遅咲きで、30歳前後から本格的に才能を開花させた棋士が多い。以下にその世代のA級経験者を挙げる。(括弧内は生年月日)
- 屋敷伸之(1972年1月18日) - 1990年度前期の棋聖戦で初タイトル(相手は中原)。2011年にA級昇級。
- 深浦康市(1972年2月14日) - 2004年にA級昇級。2007年度の王位戦で初タイトル(相手は羽生)。
- 木村一基(1973年6月23日) - 2007年にA級昇級。
- 行方尚史(1973年12月30日) - 2007年にA級昇級。
- 三浦弘行(1974年2月13日) - 1996年度の棋聖戦で初タイトル(相手は羽生)。2001年にA級昇級。
- 鈴木大介(1974年7月11日) - 2003年にA級昇級。
- 久保利明(1975年8月27日) - 2003年にA級昇級。2008年度の棋王戦で初タイトル(相手は佐藤)。
なお、そのすぐ下の世代(1976年~1980年生まれ)の棋士からは、現在のところA級棋士・タイトル挑戦者が現れていない。しばしば伸び悩みを指摘されるが、そのひとつの要因として、羽生世代・ポスト羽生世代の層の厚さを挙げられることがある。ただ、さらに下の世代(1981年生まれ~)からはA級棋士やタイトル挑戦・獲得者が出ている。
[編集] 「羽生世代」に近い年代の女流棋士
「羽生世代」とは呼ばないが、彼らより少し年上の女流棋士である林葉・中井・清水は、「女流三強」と呼ばれた。
林葉は、女流王将10連覇などの記録を残した後、1995年に退会したが、その後も中井と清水は「女流二強」として長らく隆盛を誇り、若手の前に立ち塞がる壁となる。
特に清水は、女流棋界の第一人者として君臨し、羽生の七冠独占と同時期に4つの女流タイトルを独占して「女羽生(おんなはぶ)」とも呼ばれた。その後、さらに、クイーン四冠[11]の偉業を達成し、史上初の女流六段位を与えられる。
中井は、全女流棋士中で通算勝数1位を誇り、通算タイトル獲得数においても清水に次いで2位である。中井も女流六段位を与えられている。
[編集] 脚注
- ^ 羽生は第1期竜王戦で4組からのスタート。ほかの棋士は、プロ入り後、6組からのスタート。
- ^ 「早指し将棋選手権」には「早指し新鋭戦」の優勝者・準優勝者も出場できるので、ここでは全棋士参加棋戦扱いとした。
- ^ 加藤一二三、谷川浩司に次ぐ、史上3人目の中学生棋士。
- ^ 藤井は竜王位獲得の頃から「羽生世代」と呼ばれ始めた。
- ^ 四段でタイトルを獲得した唯一の例
- ^ 同年代の棋士とは、以下の6名のことである
- ^ 田中寅彦「将棋界の超新人類 これがチャイルドブランドだ!」(池田書店)
- ^ 「恐るべき子供達」の意のフランス語 enfant terrible より。
- ^ このときの羽生-加藤戦で、「伝説の▲5二銀」と呼ばれる妙手が出る。
- ^ 谷川浩司は「(対戦相手は抽選で決まるから)羽生が持って生まれた運」と表現している(別冊宝島380「将棋王手飛車読本」pp.16)。
- ^ 当時の女流タイトル4つ(女流名人、女流王将、女流王位、倉敷藤花)全てについてクイーン(通算5期以上獲得 = 永世称号に相当)となること
[編集] 関連項目
[編集] 参考文献
- 『将棋界の若き頭脳群団 (チャイルドブランド)』 石堂淑朗著、学習研究社、1992年、ISBN 4-05-106369-0
- 『これがチャイルドブランドだ! 将棋界の超新人類』 田中寅彦著、池田書店、1989年、ISBN 4-262-10182-7
- 『四人の名人を破った少年』 飛矢正順著、評伝社、1989年、ISBN 4-89371-815-0
[編集] 外部リンク
- NIKKEI NET 将棋王国