依田紀基

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

依田 紀基(よだ のりもと、1966年2月11日 - )は日本囲碁プロ棋士北海道岩見沢市出身。安藤武夫七段門下。1980年入段。1993年九段。

名人4期、碁聖6期、NHK杯優勝5回などタイトル獲得数35。棋道賞は昭和56年に敢闘賞で初受賞したのをはじめ、優秀棋士賞4回など計20回。左利き。

目次

[編集] 履歴

[編集] 棋風

  • 棋風は柔軟で優れた大局観を持ち、捨て石の名手ともされる。
  • 白2手目で天元大高目2連打などの意表を突く布石を時折用いる。2007年には「神のお告げがあった」として初手5の十や黒3手目での「7の十」を打ち、話題を呼んだ。

[編集] 人物

  • 179cm・90kg と大柄で、髪を短く刈り込んだいかつい風貌。体型が多少変わっても融通が利くことから、近年は公私ともに和服を着用することが多い。
  • 若くして頭角を現した「エリート棋士」の経歴からは想像しがたいが、以下に述べるように「最後の無頼派囲碁棋士」とでも呼ぶべき存在である。
  • 自著「プロ棋士の思考術」で、以下のようなエピソードを明かしている。
    • 小学校での成績がほとんどオール1であり、「このままでは自分は生きていけないのではないか」と激しい不安を抱いていた。
    • 18歳で師匠宅から独立して一人暮らしとなったのち、新宿歌舞伎町に入りびたり、ギャンブルなどに熱中する生活を送るようになった。その生活から脱却したのは、先輩棋士の上村邦夫の助言によるものだという。
    • 28歳で今度はバカラにのめりこむ。その生活を見直したのは、中村天風の著書を読んだことがきっかけだという。以降、天風の教えを自身の勝負観に盛り込んでいるという。
    • 韓国の李昌鎬、中国の常昊らとも親しい関係にある。
    • 「自分は意志が弱い」とし、名人戦のタイトル戦の対局前日に、熱狂的なファンである「三国志のゲーム」に熱中してプレイしていたこともあったという。
  • 他にも、野球のルールを全く知らなかったなど、逸話が多い。
  • 1988年に囲碁愛好家と結婚。その後離婚、1998年に女流棋士の原幸子と再婚し、2002年に長男、2003年に次男、2010年に三男が誕生している。原は依田を「大きな赤ちゃん」と形容し、「もしも私が3日間ほど彼の元を離れていたら、彼は餓死するかもしれない」と語っている。
  • 自他ともに認める子煩悩。あるアマ囲碁大会で長男が熱を出して欠場したときには、自らが代理出場している[2]
  • 対局中に激しくぼやくことで有名。第54回(2006年度)NHK杯の準決勝で趙治勲と対戦した際、優勢だった碁を自身の見落としで必敗の形勢にしてしまい、「ああ分かんねえよ、バカ」「ああひどいなあ、俺なあ」と激しくぼやきながら打つ姿が放送された。尚対戦相手の趙も対局中よくぼやくことで知られるが、この時は依田のあまりにも激しいぼやきぶりに黙りこんでしまった。
  • NHK杯に遅刻を繰り返したことから、当時名人の地位にありながらNHK杯への出場権を取り消されたこともある。
  • 世界最強とも目される韓国の李昌鎬、中国の古力相手に勝ち越している数少ない棋士。
  • 政治家の小沢一郎と親交が深い。2007年10月、小沢が与謝野馨と対戦した際には解説を務め、「小沢先生の手には一手一手理屈がある」と評している。

[編集] 表彰

  • 1995年5月29日 北海道栄誉をたたえて

[編集] 著書

  • 『プロ棋士の思考術』(PHP新書)
  • 『21世紀の旗手―依田紀基、タイトル獲得への歩み』(日本棋院)
  • 『依田ノート』(講談社)
  • 『依田流 並べるだけで強くなる古碁名局集』(マイコミ)
  • 『新版 基本布石事典 上・下』日本棋院

他多数

[編集] 外部リンク

個人用ツール
名前空間
変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス
他の言語