中村桃子 (将棋)

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 中村桃子 女流二段
名前 中村桃子
生年月日 (1987-11-30) 1987年11月30日(36歳)
プロ入り年月日 2007年10月1日(19歳)
女流棋士番号 38
出身地 埼玉県入間市
所属 日本将棋連盟(関東)
師匠 高橋道雄九段
段位 女流二段
女流棋士DB 中村桃子
2021年8月2日現在
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中村 桃子(なかむら ももこ、1987年11月30日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士女流棋士番号は38(2011年3月31日までは62)。高橋道雄九段門下。埼玉県入間市出身。埼玉県立狭山経済高等学校卒業。棋士中村亮介は実兄。

棋歴

女流プロになるまで

1997年、小学4年生のときに女流育成会へ入会する。2003年、第23回中学生選抜将棋選手権の男子の部[注釈 1]埼玉県代表となり、ベスト16に入った[1]2007年度前期女流育成会で9勝2敗の成績を収め、2個目の昇級点を獲得し[注釈 2]、10月1日付での女流棋士が内定した[2]2002年4月の村田智弘智穂以来2組目の「兄妹棋士」となる。なお、入会から10年かかっての女流プロ入りは2番目に遅い記録である[注釈 3]

女流プロ入り後

2007年10月1日付で女流2級としてプロ入り。

デビュー戦は10月20日マイナビ女子オープンの予選であった。1日で3回戦のトーナメントを行って本戦出場者を決める即決のシステムであるため、3連勝すれば、デビュー戦当日に女流1級昇級の資格を得ることができたが、3局目で敗れ、あと一つ届かなかった。

2009年3月30日、第36期女流名人戦予選決勝で山田朱未に勝ち、B級リーグ入りを果たし、規定により同日付で女流1級に昇級した[3]。同年4月から9月にかけてNHK将棋講座橋本崇載の受けのテクニック教えます」の聞き手を務めた。B級リーグは3勝6敗で終わり陥落。第37期は予選決勝で敗れB級リーグ復帰はならなかった。

2013年3月14日、第40期女流名人位戦予選決勝で本田小百合に勝ち、女流名人位リーグ入りを果たした。また、規定により同日付で女流初段に昇段した[4]

2013年度、第40期女流名人位リーグでは1勝7敗で陥落。第25期女流王位戦でも挑戦者決定リーグ入りを果たすも、2勝3敗(うち1勝は里見香奈に不戦勝)で惜しくも陥落した。

2016年度、第28期女流王位戦で3期ぶりに挑戦者決定リーグ入りを果たす。リーグも2連勝スタートとなるが、その後3連敗し残留はならなかった。

人物

昇段・昇級履歴

  • 1997年10月 女流育成会入会
  • 2007年10月1日 女流2級 = 女流プロ入り
  • 2009年3月30日 女流1級(女流名人戦B級リーグ入り)
  • 2013年3月14日 女流初段(女流名人位戦リーグ入り)
  • 2021年8月2日 女流二段(勝数規定)[8]

脚注

注釈

  1. ^ 第24回までは、男子の部に女子の参加が認められていた。
  2. ^ 1個目の昇級点は、2003年のAクラス・Bクラス合併直前にAクラスに在籍していたために付与されたもの。
  3. ^ 1位は大庭美夏の14年。

出典

  1. ^ 中村桃子女流育成会員が2007年10月1日付で新女流棋士に|将棋ニュース|日本将棋連盟”. www.shogi.or.jp. 2019年7月21日閲覧。
  2. ^ 中村桃子女流育成会員が2007年10月1日付で新女流棋士に”. 日本将棋連盟 (2007年9月3日). 2015年11月12日閲覧。
  3. ^ 中村桃子女流2級が女流1級に昇級”. 日本将棋連盟 (2009年3月31日). 2015年11月12日閲覧。
  4. ^ 中村桃子女流1級が女流初段に昇段”. 日本将棋連盟 (2013年3月15日). 2015年11月12日閲覧。
  5. ^ 米長邦雄『将棋の天才たち』講談社、2013年1月31日、167頁。ISBN 978-4062182782 
  6. ^ 女流棋士が担う将棋対局番組のMC「聞き手」 中村桃子女流初段「勉強にもなるし、おもしろい仕事」”. Abema TIMES (2017年12月23日). 2017年12月26日閲覧。
  7. ^ 本人ツイート2015年9月18日分より
  8. ^ 中村桃子女流初段が女流二段に昇段”. 日本将棋連盟. 2021年8月4日閲覧。

関連項目

外部リンク