ムーン・レンズ

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ムーン・レンズ』(原題:: The Moon-Lens)は、イギリスのホラー小説家ラムジー・キャンベル1964年に発表した短編小説。クトゥルフ神話の1つ。クトゥルフ神話「第二世代」作家であるキャンベルの作品で、1964年にアーカムハウスから短編集『The Inhabitant of the Lake and Less Welcome Tenants』に収録されて発表された。キャンベル作品の邦訳は限られており、本短編は2013年にようやく日本で翻訳された。文庫の冒頭に上げられ、翻訳者の尾之上浩司は「キャンベルお得意の、異世界へと踏み込んでしまった人間の恐怖をえがいた本邦初訳の力作」と解説している[1]

旧支配者シュブ=ニグラスの信仰を題材とし、またシュブ=ニグラスの外見を初めて描写した作品である。旧神のシンボルによる魔除け効果の設定も登場する。

デビュー前のキャンベルは、ラヴクラフトの模倣としてアーカムのクトゥルフ神話を書いていた。ダーレスが才能を見出すも、ダーレスは独自の舞台で独自の世界観の神話を書くよう指導した。1962年にクトゥルフ神話作家としてプロデビューしたキャンベルの作品は、イギリスの架空の田舎町ブリチェスターとゴーツウッドを舞台とする。本作品はゴーツウッドの話であり、Goatswood=山羊/木という地名そのものが森林の黒山羊シュブ=ニグラスを暗示し、作中でも地名の由来と語られている。

物語[編集]

医師のもとに、安楽死したいという青年が現れ、自分の体験した恐怖を語るという形式をとっている。

舞台設定[編集]

旧支配者シュブ=ニグラスは旧神星型の結界に封印され、がその肉体を戒めから解き放つ夜にしか姿を現せなくなる。サバトの夜に具現化する彼[注 1]を、ブリテン島に侵攻してきたローマ人達が知り、塔や地下洞窟を建造する。やがてその土地はゴーツウッドと呼ばれるようになる。

あらすじ[編集]

1961年4月1日、ロイ・リーキイは本を探しに列車でエグザムの町に向かうも、線路トラブルによってゴーツウッドの町に一晩足止めをくらうことになる。リーキイは、広場にある鉄塔の先端に複数枚の鏡と大きな凸レンズが備わっているのを見て、疑問を抱く。

ホテルの部屋に入ると、写真立てに奇怪な怪物の写真が納められており、支配人に質問するが覚えがないと言われる。何か、自分が町の住人達に注目されているような気配に勘付いたそのとき、突然部屋のドアが閉まり、鍵をかけられ、閉じ込められる。いったい誰が何の目的なのか、リーキイが考えをめぐらせているうちに、ドアの向こうにいる何者かは、山羊について長々と述べ、最後に「今夜お前はもっと詳しいことを知ることになる」と脅してくる。窓の下には住人達が集ってわけのわからないことを喋っている。リーキイは疲労感に襲われて眠り、目が覚めると月が上っていた。

リーキイが窓から広場を見下ろすと、住人達は丘を見つめている。リーキイは、異常者達の生贄に自分が選ばれてしまったことを察する。鉄塔を見ると、ホテルの支配人がローブ姿で呪文をつぶやいている。彼は縄を伸ばして塔先端の鏡とレンズを調整し、月光を収束させて丘を照らす。すると丘の中腹が裂け、通路が現れ、中からは先ほどの写真に映っていた怪物が出現し、ホテルに近づいてくる。リーキイは窓から飛び降りて逃げようとするが、落下中に怪物の触手で捕らわれ、身体に取り込まれてしまう。怪物は丘の通路へと戻り、地下道を進んだ所でリーキイを吐き出す。

信者達の包囲の中、怪物はリーキイに再び近づくが、リーキイはとっさに司祭を殴りつけ、階段へと駆け寄る。異次元の物理法則が作用し、リーキイはすぐさま階段にたどり着き、信者達を異様な角度の壁が阻む。階段を駆け上がるリーキイの後ろから、粘つく音を立てながら怪物が追ってくるが、星型の結界が怪物を阻む。リーキイは脱出に成功するが、自分の身体が邪神の影響を受けて変貌していたことを知り絶望する。

4月2日の深夜、リーキイはレインコートで全身を隠してリンウッド医師のもとを訪れ、安楽死を懇願する。断る医師に、リーキイはゴーツウッドでの体験を話す。医師は、ならば身体を見せるよう言い出し、リーキイは逡巡しつつも応じる。

リンウッド医師の悲鳴を聞き、病院職員が現場に来たとき、医師は両手で目を覆ったまま倒れていた。そのときリンウッド医師は「幻覚に悩まされていた患者」の問診を行っていたことがレコーダーに記録されているが、患者の行方はわからない。病院の医師たちは、疲れていたリンウッド医師が患者の幻覚に感化されてしまったのだろうと結論付ける。だがホイテッガー医師だけは、リンウッド医師の幻覚は事実が基になっていると確信する。第一発見者である彼は、ビルから逃げ去る何者かを目撃しており、顔は見えなかったが「絶対に人間のものではない手」をしていたと語る。

主な登場人物[編集]

  • ジェイムズ・リンウッド医師 - ブリチェースターのマーシーヒル病院の医師。安楽死について持論を提唱する。
  • ロイ・リーキイ - 主人公。ゴーツウッドの町で恐怖を体験した後、病院で安楽死を懇願する。
  • ゴーツウッド駅長 - 山羊じみた容貌の男。だぶだぶで不格好な制服を着ている。
  • ゴーツウッドの住人たち - 全員がだぶだぶの服を着ている。
  • ホテルの支配人/シュブ=ニグラスの司祭 - サバトを起こし、リーキイを山羊への生贄に奉げる。
  • ホイテッガー医師 - リンウッド医師の同僚。病院の事件の第一発見者・目撃者。

用語[編集]

ムーン・レンズ
仮称。塔に設置された装置であり、月光を集めることでシュブ=ニグラスを召喚する。
シュブ=ニグラス
ゴーツウッドの町にて、サバトの月夜に具現化する旧支配者。実体化しており写真にも映る。下記のような特徴をもつ。
  • 基本的には「彼」「山羊」「マグナ・マター(太母)」と呼ばれ、ほかにも「彼女」「雄羊と千匹の雌羊」などとも呼ばれる[注 2]
  • 頭部は白いクラゲ状で大きく丸く、ヌルヌルとした灰色(または黄色)の目玉が複数あり、中央には牙が並ぶ大きな嘴状の口を備える。髭状の器官を手のように伸ばす。
  • 胴体部は白い柱状をしている。手はない。複数の脚で立つ。脚は幾つもの関節があり、先端に3つの爪をもつ。
  • 獲物を捕まえて、アメーバ状の体内に一時的に収納する。囚われた者は、身体が変質してしまう。

クラーク・アシュトン・スミスの『アゼダラクの聖性』には「千の雌羊を随えし雄羊」という一節がある。ダーレスはこのフレーズをシュブ=ニグラスと結び付けており、本作に影響を与えた。[2]

収録[編集]

  • 『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待』扶桑社尾之上浩司訳「ムーン・レンズ」
  • 『グラーキの黙示1』サウザンブックス社、尾之上浩司訳「ムーン=レンズ」

関連項目[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 男性体または両性具有神らしい。詳細は後述。
  2. ^ 男性、女性、ヤギ、ヒツジ、それらのすべてで形容される。

出典[編集]

  1. ^ 扶桑社『古きものたちの墓 クトゥルフ神話への招待』8ページ。
  2. ^ サウザンブックス社『グラーキの黙示1』「ムーン=レンズ」解説、376-377ページ。