「雰囲気」の版間の差分

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== 語誌と定義 ==
== 語誌と定義 ==
[[File:Thomas Baldwin, A balloon prospect from above the clouds (1786), p. 154.jpg|thumb|left|{{harvtxt|Gandy|2017|pp=355f.}} は、{{lang|en|atmosphere}}(大気・雰囲気)の[[ダブル・ミーニング]]の例として、[[トーマス・スコット・ボールドウィン]]による[[熱気球]]旅行についての記述を挙げる。]]
[[File:Thomas Baldwin, A balloon prospect from above the clouds (1786), p. 154.jpg|thumb|left|{{harvtxt|Gandy|2017|pp=355f.}} は、{{lang|en|atmosphere}}(大気・雰囲気)の[[ダブル・ミーニング]]の例として、[[トーマス・スコット・ボールドウィン]]による[[熱気球]]旅行についての記述を挙げる。]]
=== 近代まで ===
=== 近代以前 ===
雰囲気の語は前近代においては、[[オランダ語]]の{{lang|nl|Lucht}}の訳語として、『[[気海観瀾]]』(1827年){{efn2|<q>雰囲気者、不<sub>下</sub>啻交<sub>中</sub>諸雰気蒸気之自<sub>レ</sub>地升騰者<sub>上</sub>、気之原質亦不<sub>レ</sub>一</q>。}}などにおいて(とくに地球の)[[大気]]の意味で用いられていた<!--{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気(精選版 [[日本国語大辞典]])}}-->。その後[[明治]]初期に[[英語]]の{{lang|en|atmosphere}}の訳語として一般化し、明治末期ごろにはある特定の場所や人物の周りに作り出される特別な[[気分]]・ムードなどの意味{{efn2|以下本記事では、この意味ににおける雰囲気を中心に記述する。}}が定着するようになった{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気(精選版 [[日本国語大辞典]])}}。
雰囲気の語は前近代においては、[[オランダ語]]の{{lang|nl|Lucht}}の訳語として、『[[気海観瀾]]』(1827年){{efn2|<q>雰囲気者、不<sub>下</sub>啻交<sub>中</sub>諸雰気蒸気之自<sub>レ</sub>地升騰者<sub>上</sub>、気之原質亦不<sub>レ</sub>一</q>。}}などにおいて(とくに地球の)[[大気]]の意味で用いられていた<!--{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気(精選版 [[日本国語大辞典]])}}-->。その後[[明治]]初期に[[英語]]の{{lang|en|atmosphere}}の訳語として一般化し、明治末期ごろにはある特定の場所や人物の周りに作り出される特別な[[気分]]・ムードなどの意味{{efn2|以下本記事では、この意味ににおける雰囲気を中心に記述する。}}が定着するようになった{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気(精選版 [[日本国語大辞典]])}}。


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* {{harvtxt|大村ら|2014|p=1}} は音楽生成システムについての研究において、[[生活環境]]のなかで様々な[[知覚]]において得られる[[感覚]]の一つであるとしたうえで、<q>環境から知覚される[[情報]]の総体</q>として定義する。
* {{harvtxt|大村ら|2014|p=1}} は音楽生成システムについての研究において、[[生活環境]]のなかで様々な[[知覚]]において得られる[[感覚]]の一つであるとしたうえで、<q>環境から知覚される[[情報]]の総体</q>として定義する。
* {{harvtxt|西藤|神宮|2015|p=21}} による[[官能検査|官能評価]]についての研究においては、刺戟と反応の曖昧な関係において連続的に変化する<q>場面を全体として受けとめて実感を伴う[[意識]]状態</q>ないし<q>感情・情緒や[[意志]]と関係する複雑な多感覚情報</q>とされる。
* {{harvtxt|西藤|神宮|2015|p=21}} による[[官能検査|官能評価]]についての研究においては、刺戟と反応の曖昧な関係において連続的に変化する<q>場面を全体として受けとめて実感を伴う[[意識]]状態</q>ないし<q>感情・情緒や[[意志]]と関係する複雑な多感覚情報</q>とされる。
*{{Harvtxt|Griffero|Tedeschini|2019|pp=1-2}} は、雰囲気<small>({{Lang|en|atmosphere}})</small>の語が人文・社会科学において術語化しつつあるとした上で、それは一般的に<q>物理的に捉えられる身体<small>({{lang|de|[[:de:Körper (Biologie)|Körper]]}})</small>というよりも感じられるものとして捉えられる身体<small>({{lang|de|[[:de:Leib|Leib]]}})</small>に関わる感情空間</q>であると定義づける。
また、雰囲気の類義語としては英語の{{lang|en|mood}}からの[[借用語]]であるムードが挙げられ、{{harvtxt|佐藤|2013|pp=48ff.}} によるとこれらの2語は部分に還元されない全体から感じ取られる対象の性質という意味特徴を共有するが、ムードは<q>人間の情緒や感情に由来する</q>という制約を持つ{{efn2|たとえば、人間の存在が希薄な「[[アマゾン熱帯雨林|アマゾンのジャングル]]」「夜中の学校」「無人駅」などと組み合わせる場合や、「逃走した容疑者」についてなど客観的な情報を求める場合には、「ムード」の語は不自然となる{{sfn|佐藤|2013|pp=50f}}。}}点で雰囲気とは異なる。また、英語の{{lang|en|atmosphere}}の類義語として挙げられる{{lang|en|ambiance}}は、{{harvtxt|Roquet|2016|p=3}} によると<q>より主観的な媒介要素の働き<span style="letter-spacing: -4px; margin: 0 4px 0 2px;">——</span>すなわち気分<small>({{lang|en|mood}})</small>の生成の背後にありそこに同調する人間身体に焦点を当てたなんらかの作用<span style="letter-spacing: -4px; margin: 0 4px 0 2px;">——</span>を示唆</q>する語である{{efn2|{{lang|en|ambiance}}の接頭辞[[:wikt:ambi-|{{lang|en|''ambi-''}}]]は両側から包むことを意味するが、{{harvtxt|Roquet|2016}} がカレン・ピンカス({{lang|en|Karen Pinkus}})を引きつつ述べるところによると、これは2つの目・2つの耳のよる視覚・聴覚を示しており、あらゆる方向から取り囲む({{lang|en|in the round}})ことを意味する雰囲気({{lang|en|atmosphere}})や[[環境]]({{lang|en|environment}}、''「[[環世界]]」も参照'')に比して、人間の[[知覚]]作用を強調していると考えられる。}}。


雰囲気の類義語としては英語の{{lang|en|mood}}からの[[借用語]]であるムードが挙げられ、{{harvtxt|佐藤|2013|pp=48ff.}} によるとこれらの2語は部分に還元されない全体から感じ取られる対象の性質という意味特徴を共有するが、ムードは<q>人間の情緒や感情に由来する</q>という制約を持つ{{efn2|たとえば、人間の存在が希薄な「[[アマゾン熱帯雨林|アマゾンのジャングル]]」「夜中の学校」「無人駅」などと組み合わせる場合や、「逃走した容疑者」についてなど客観的な情報を求める場合には、「ムード」の語は不自然となる{{sfn|佐藤|2013|pp=50f}}。}}点で雰囲気とは異なる。また、英語の{{lang|en|atmosphere}}の類義語として挙げられる{{lang|en|ambiance}}は、{{harvtxt|Roquet|2016|p=3}} によると<q>より主観的な媒介要素の働き<span style="letter-spacing: -4px; margin: 0 4px 0 2px;">——</span>すなわち気分<small>({{lang|en|mood}})</small>の生成の背後にありそこに同調する人間身体に焦点を当てたなんらかの作用<span style="letter-spacing: -4px; margin: 0 4px 0 2px;">——</span>を示唆</q>する{{efn2|{{lang|en|ambiance}}の接頭辞[[:wikt:ambi-|{{lang|en|''ambi-''}}]]は両側から包むことを意味するが、{{harvtxt|Roquet|2016}} がカレン・ピンカス({{lang|en|Karen Pinkus}})を引きつつ述べるところによると、これは2つの目・2つの耳のよる視覚・聴覚を示しており、あらゆる方向から取り囲む({{lang|en|in the round}})ことを意味する雰囲気({{lang|en|atmosphere}})や[[環境]]({{lang|en|environment}}、''「[[環世界]]」も参照'')に比して、人間の[[知覚]]作用を強調していると考えられる。}}において、より客観的な{{lang|en|atmosphere}}と異なる
現代においては、雰囲気の語に含まれる「ンイ」という音の並びは発音しにくい{{efn2|「ンイ」を含む語の発音の変化の例としては、全員(ぜいいん)や原因(げいいん)なども挙げられる{{sfn|大修館書店|n.d.}}。}}ことから、[[誤用|誤って]]「ふいんき」と読まれることが増えている{{sfn|大修館書店|n.d.}}{{sfn|CHIGAKO|2018}}{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気([[デジタル大辞泉]])}}。

雰囲気の語に含まれる「ンイ」という音の並びは発音しにくい{{efn2|「ンイ」を含む語の発音の変化の例としては、全員(ぜいいん)や原因(げいいん)なども挙げられる{{sfn|大修館書店|n.d.}}。}}ことから、現代においては[[誤用|誤って]]「ふいんき」と読まれることが増えている{{sfn|大修館書店|n.d.}}{{sfn|CHIGAKO|2018}}{{sfn|コトバンク|loc=雰囲気([[デジタル大辞泉]])}}。


== 人文学における「雰囲気」 ==
== 人文学における「雰囲気」 ==
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=== 20世紀末以降 ===
=== 20世紀末以降 ===
[[File:Gernot Böhme mit Schaal.JPG|thumb|100px|ベーメ]]
[[File:Gernot Böhme mit Schaal.JPG|thumb|100px|ベーメ]]
20世紀末ごろから、現象学・文化人類学・[[建築学|建築理論]]・[[文化地理学]]などにおいて雰囲気に対する関心が高まっており、雰囲気論的[[パラダイムシフト|転回]]<small>({{Lang|en|atmospheric turn}})</small>との表現も用いられている{{sfn|Gandy|2017|p=354}}{{sfn|Volgger|Pfister|2019|p=1}}。
20世紀末ごろから、[[人文科学|人文]]・[[社会科学]](現象学・[[美学]]・文化人類学・[[建築学|建築理論]]・[[文化地理学]]などにおいて雰囲気に対する関心が高まっており、雰囲気論的[[パラダイムシフト|転回]]<small>({{Lang|en|atmospheric turn}})</small>との表現も用いられている{{sfn|Gandy|2017|p=354}}{{sfn|Volgger|Pfister|2019|p=1}}{{sfn|Saito|2019|loc=§6}}{{sfn|Griffero|Tedeschini|2019|pp=1-2}}。


[[ゲルノート・ベーメ]]はシュミッツを継承しつつ{{efn2|シュミッツの雰囲気概念は感情を指すのに対し、ベーメの雰囲気概念はより日常語のそれと近く、両者の間には相違点も見られる{{sfn|古川|2016|p=39}}。}}[[現象学]]の立場から、感情的・空間的な性質をもつものとして雰囲気<small>({{lang|de|[[:de:Atmosphäre (Ästhetik)|Atmosphären]]}})</small>を学術的な概念として導入した{{sfn|古川|2005|pp=89-92}}{{sfn|片上ら|2016}}。そこで雰囲気は、[[自己]]の外部たる周囲から襲い掛かり自己に情感を齎すものと定義づけられ、主–客の中間的な位置づけの準物体<small>({{lang|de|Halbding}})</small>という存在身分に置くものとされる{{sfn|立野|2011|pp=17ff}}{{sfn|立野|2014|p=142}}{{sfn|古川|2016|p=39}}。ベーメにおいては[[美]]も雰囲気の一種であり、『雰囲気と美学』では夕暮れ・都市・音響・コミュニケーションにおける雰囲気を考察の対象としている{{sfn|立野|2011|pp=14 & 22f}}{{sfn|片上ら|2016|p=147}}。ベーメは、イメージを媒介として雰囲気が伝えられるとし、町の雰囲気は音や光などの道具によっても演出可能ではあるとする一方で、町の雰囲気について、非視覚的な要素により構成される個性や感覚的に知られる日常生活であるともしており、そこにはボルノウらにつながる雰囲気を深い感情的なものと捉える考え方も残っている{{sfn|立野|2011|pp=21f}}{{sfn|立野|2014|p=142}}{{sfn|滝波|2018|pp=28f}}。
[[ゲルノート・ベーメ]]はシュミッツを継承しつつ{{efn2|シュミッツの雰囲気概念は感情を指すのに対し、ベーメの雰囲気概念はより日常語のそれと近く、両者の間には相違点も見られる{{sfn|古川|2016|p=39}}。}}[[現象学]]の立場から、感情的・空間的な性質をもつものとして雰囲気<small>({{lang|de|[[:de:Atmosphäre (Ästhetik)|Atmosphären]]}})</small>を学術的な概念として導入した{{sfn|古川|2005|pp=89-92}}{{sfn|片上ら|2016}}。そこで雰囲気は、[[自己]]の外部たる周囲から襲い掛かり自己に情感を齎すものと定義づけられ、主–客の中間的な位置づけの準物体<small>({{lang|de|Halbding}})</small>という存在身分に置くものとされる{{sfn|立野|2011|pp=17ff}}{{sfn|立野|2014|p=142}}{{sfn|古川|2016|p=39}}。ベーメにおいては[[美]]も雰囲気の一種であり、『雰囲気と美学』では夕暮れ・都市・音響・コミュニケーションにおける雰囲気を考察の対象としている{{sfn|立野|2011|pp=14 & 22f}}{{sfn|片上ら|2016|p=147}}。ベーメは、イメージを媒介として雰囲気が伝えられるとし、町の雰囲気は音や光などの道具によっても演出可能ではあるとする一方で、町の雰囲気について、非視覚的な要素により構成される個性や感覚的に知られる日常生活であるともしており、そこにはボルノウらにつながる雰囲気を深い感情的なものと捉える考え方も残っている{{sfn|立野|2011|pp=21f}}{{sfn|立野|2014|p=142}}{{sfn|滝波|2018|pp=28f}}。
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[[File:SyunkoSugiura66d.JPG|thumb|[[山水画]]における霧]]
[[File:SyunkoSugiura66d.JPG|thumb|[[山水画]]における霧]]


[[日本]]においては、[[小川侃]]が現象学の立場から日本語の[[気]]に着目した論考をおこなっているほか、[[佐々木健一 (美学者)|佐々木健一]]も注目するなど、21世紀初頭現在、美学における雰囲気についての研究が増加している{{sfn|片上ら|2016|p=147}}{{sfn|青木|2017|p=107}}。{{harvtxt|青木|2017}} は、[[西ヨーロッパ|西欧]]的な[[風景]]{{small|({{lang|en|landscape}})}}では大地や[[山水|山・河川・湖沼]]といった<q>[[世界]]を安定的に形成している[[自然]]の構造</q>が重視されるのに対し、[[東アジア]]的な景色においては[[気象]]・[[季節]]・明暗の変化といった<q>[[五感]]で捉えられる情調</q>としての雰囲気が重視されると指摘する{{sfn|青木|2017|p=114}}。ベーメは雰囲気の美学が欧米で注目されていない原因を西欧哲学の[[実体]]重視志向に見ており、青木は[[ドイツ]]の雰囲気研究について西欧の物志向に由来する違和感を表明している{{sfn|青木|2017|pp=120f}}。{{Harvtxt|Gandy|2017|p=354}} も<q>雰囲気という概念に[[批評|批判的]]に関与しようとするのであれば、[[ヨーロッパ]]の[[ヒューマニズム|人文学]]という枠組みの外部に脚を踏み出す必要がある</q>と述べるが、同時に[[身体論]]・[[認識論]]・[[人間論]]などを織り交ぜた[[史学史]]へのより一層の関与も必要であるとしてる。
[[日本]]においては、[[小川侃]]が現象学の立場から日本語の[[気]]に着目した論考をおこなっているほか、美学においても伝統的に状況の雰囲気に着目した研究がなされてきた{{sfn|片上ら|2016|p=147}}{{sfn|青木|2017|p=107}}{{sfn|Saito|2019|loc=§5-6}}。また[[佐々木健一 (美学者)|佐々木健一]]も注目するなど、21世紀初頭現在、美学における雰囲気についての研究が増加している{{sfn|片上ら|2016|p=147}}{{sfn|青木|2017|p=107}}。{{harvtxt|青木|2017}} は、[[西ヨーロッパ|西欧]]的な[[風景]]{{small|({{lang|en|landscape}})}}では大地や[[山水|山・河川・湖沼]]といった<q>[[世界]]を安定的に形成している[[自然]]の構造</q>が重視されるのに対し、[[東アジア]]的な景色においては[[気象]]・[[季節]]・明暗の変化といった<q>[[五感]]で捉えられる情調</q>としての雰囲気が重視されると指摘する{{sfn|青木|2017|p=114}}。ベーメは雰囲気の美学が欧米で注目されていない原因を西欧哲学の[[実体]]重視志向に見ており、青木は[[ドイツ]]の雰囲気研究について西欧の物志向に由来する違和感を表明している{{sfn|青木|2017|pp=120f}}。{{Harvtxt|Gandy|2017|p=354}} も<q>雰囲気という概念に[[批評|批判的]]に関与しようとするのであれば、[[ヨーロッパ]]の[[ヒューマニズム|人文学]]という枠組みの外部に脚を踏み出す必要がある</q>と述べるが、同時に[[身体論]]・[[認識論]]・[[人間論]]などを織り交ぜた[[史学史]]へのより一層の関与も必要であるとしてる。


なお気象と雰囲気の関係について附言しておくと、[[雰囲気#語誌と定義|前述]]のとおりヨーロッパにおける{{lang|en|atmosphere}}といった語も気象関連の意味([[大気圏|大気]])のほうが原義であり{{sfn|Gandy|2017|pp=354f}}{{sfn|青木|2017|p=106}}、{{harvtxt|Gandy|2017|pp=355f.}} は<q>[[持続|持続的]]な[[物質]]ないし気象的な[[実体]]が、現実的にであれ想像的にであれ、人間主体を取り巻いたり乱したりするものとして</q>雰囲気に含意されているのだと述べる。また[[ロマン主義|ロマン派]]以来の文学的伝統においても霧の雰囲気は創作に影響を与えており、気象と雰囲気とを関連付ける見方はボルノウやベーメあるいは[[#ナラティブやテクストの雰囲気|後述]]のライストナーにも見られる{{sfn|青木|2017|p=104}}<ref>[[#CITEREFレーマン2019|レーマン 2007/2019]], pp. 91f.</ref>。また[[中国語]]において{{lang|en|atmosphere}}は{{lang|zh|气氛}}(日本語の気分に相当)や{{lang|zh|氛围}}(日本語の常用漢字の分囲に当たり、意味は日本語の雰囲気に相当)と訳されるが、氛の原義は霧や曇りであり、これも気象関連の語と見做せる{{sfn|青木|2017|pp=106 & 120}}。
なお気象と雰囲気の関係について附言しておくと、[[雰囲気#語誌と定義|前述]]のとおりヨーロッパにおける{{lang|en|atmosphere}}といった語も気象関連の意味([[大気圏|大気]])のほうが原義であり{{sfn|Gandy|2017|pp=354f}}{{sfn|青木|2017|p=106}}、{{harvtxt|Gandy|2017|pp=355f.}} は<q>[[持続|持続的]]な[[物質]]ないし気象的な[[実体]]が、現実的にであれ想像的にであれ、人間主体を取り巻いたり乱したりするものとして</q>雰囲気に含意されているのだと述べる。また[[ロマン主義|ロマン派]]以来の文学的伝統においても霧の雰囲気は創作に影響を与えており、気象と雰囲気とを関連付ける見方はボルノウやベーメあるいは[[#ナラティブやテクストの雰囲気|後述]]のライストナーにも見られる{{sfn|青木|2017|p=104}}<ref>[[#CITEREFレーマン2019|レーマン 2007/2019]], pp. 91f.</ref>。また[[中国語]]において{{lang|en|atmosphere}}は{{lang|zh|气氛}}(日本語の気分に相当)や{{lang|zh|氛围}}(日本語の常用漢字の分囲に当たり、意味は日本語の雰囲気に相当)と訳されるが、氛の原義は霧や曇りであり、これも気象関連の語と見做せる{{sfn|青木|2017|pp=106 & 120}}。
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{{see also|場の空気}}
{{see also|場の空気}}


[[会話]]における雰囲気は、{{仮リンク|話者交換|en|Turn-taking}}時の振る舞いにより変化し、[[表情]]に大きな影響を受ける{{sfn|木村ら|2007|p=5}}{{sfn|片上ら|2016|p=146}}。[[コミュニケーション]]の場においては、言葉・表情・視線・頷きなどを通して、本人が関わる会話だけでなく[[他者]]同士の会話からも、雰囲気を容易に読み取ることが可能である{{sfn|木村ら|2007|p=1}}{{sfn|片上ら|2016|p=143}}。また、人は次に生じうる雰囲気を意識的・[[無意識]]的に予測しながらコミュニケーションをおこなっている{{sfn|片上ら|2016|p=143}}。雰囲気をうまく読み取れていないと捉えられた言動は「[[場の空気|空気]]が読めない(KY)」と揶揄的に表現される{{sfn|木村ら|2007|p=1}}。<q>陽気な雰囲気は生の実感や[[帰属|帰属意識]]を高める一方、嘲笑の雰囲気は集団の境界を高め</q>、そのような<q>空気</q>は<q>[[魂]]に栄養を与えることもあれば、吸い取ることもある</q>{{sfn|Willett|2017|p=614}}。
雰囲気を形作るものには人間の相互作用も含まれる{{sfn|Saito|2019|loc=§6}}。[[会話]]における雰囲気は、{{仮リンク|話者交換|en|Turn-taking}}時の振る舞いにより変化し、[[表情]]に大きな影響を受ける{{sfn|木村ら|2007|p=5}}{{sfn|片上ら|2016|p=146}}。[[コミュニケーション]]の場においては、言葉・表情・視線・頷きなどを通して、本人が関わる会話だけでなく[[他者]]同士の会話からも、雰囲気を容易に読み取ることが可能である{{sfn|木村ら|2007|p=1}}{{sfn|片上ら|2016|p=143}}。また、人は次に生じうる雰囲気を意識的・[[無意識]]的に予測しながらコミュニケーションをおこなっている{{sfn|片上ら|2016|p=143}}。雰囲気をうまく読み取れていないと捉えられた言動は「[[場の空気|空気]]が読めない(KY)」と揶揄的に表現される{{sfn|木村ら|2007|p=1}}。<q>陽気な雰囲気は生の実感や[[帰属|帰属意識]]を高める一方、嘲笑の雰囲気は集団の境界を高め</q>、そのような<q>空気</q>は<q>[[魂]]に栄養を与えることもあれば、吸い取ることもある</q>{{sfn|Willett|2017|p=614}}。


[[学級]]・[[授業]]や会社の[[オフィス]]においても雰囲気は重要とされ、関連する研究がなされている{{sfn|大久保ら|2013|p=29}}{{sfn|片上ら|2016|p=147}}{{sfn|木下|2017|p=192}}。教育研究においては、[[学級風土]]研究や学級雰囲気が学習の[[動機づけ]]に及ぼす影響についての研究などが中心的に行われてきた{{sfn|岸ら|2010|p=45}}。学級の雰囲気についての[[心理学]]的研究は、雰囲気を測定の対象とするもの(学級風土研究)が主流であったが、それらの研究においては雰囲気そのものについての[[概念]]的理解が不足しており、[[参与観察|参与]]を重視し雰囲気を記述的に書き留める[[定性的研究|質的研究]]においても、「場の全体性と見込まれ雰囲気」が[[対象|対象化]]・[[客観性 (哲学)|客観化]]され、場・事物・他者が「雰囲気の伝達に必要な諸特徴や諸要素」として扱われるようになってしまっていると{{harvtxt|木下|2017|pp=192f}} は指摘する。また[[学級崩壊]]などの問題を考える上では、行動の背景にある授業の雰囲気が重要であると{{harvtxt|岸ら|2010|p=46}} は指摘する。授業における雰囲気についての研究は、授業中の教師と児童の発話研究が中心であり、そのほか児童や第三者に雰囲気を評定させる研究なども行われている{{sfn|大久保ら|2013|p=29}}。さらに{{harvtxt|大久保ら|2013|p=29}} は、教師の[[非言語コミュニケーション|非言語行動]]と雰囲気の形成との関連についても焦点を当てる必要があると述べる。
[[学級]]・[[授業]]や会社の[[オフィス]]においても雰囲気は重要とされ、関連する研究がなされている{{sfn|大久保ら|2013|p=29}}{{sfn|片上ら|2016|p=147}}{{sfn|木下|2017|p=192}}。教育研究においては、[[学級風土]]研究や学級雰囲気が学習の[[動機づけ]]に及ぼす影響についての研究などが中心的に行われてきた{{sfn|岸ら|2010|p=45}}。学級の雰囲気についての[[心理学]]的研究は、雰囲気を測定の対象とするもの(学級風土研究)が主流であったが、それらの研究においては雰囲気そのものについての[[概念]]的理解が不足しており、[[参与観察|参与]]を重視し雰囲気を記述的に書き留める[[定性的研究|質的研究]]においても、「場の全体性と見込まれ雰囲気」が[[対象|対象化]]・[[客観性 (哲学)|客観化]]され、場・事物・他者が「雰囲気の伝達に必要な諸特徴や諸要素」として扱われるようになってしまっていると{{harvtxt|木下|2017|pp=192f}} は指摘する。また[[学級崩壊]]などの問題を考える上では、行動の背景にある授業の雰囲気が重要であると{{harvtxt|岸ら|2010|p=46}} は指摘する。授業における雰囲気についての研究は、授業中の教師と児童の発話研究が中心であり、そのほか児童や第三者に雰囲気を評定させる研究なども行われている{{sfn|大久保ら|2013|p=29}}。さらに{{harvtxt|大久保ら|2013|p=29}} は、教師の[[非言語コミュニケーション|非言語行動]]と雰囲気の形成との関連についても焦点を当てる必要があると述べる。
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* {{lang|de|Böhme, Gernot: ''Atmosphäre — Essays zur neuen Ästhetik''. [[ズーアカンプ|Suhrkamp]], 1995. {{isbn|3-518-11927-3}}.}}
* {{lang|de|Böhme, Gernot: ''Atmosphäre — Essays zur neuen Ästhetik''. [[ズーアカンプ|Suhrkamp]], 1995. {{isbn|3-518-11927-3}}.}}
** {{cite book|和書|date=2006-07|first=ゲルノート|last=ベーメ|authorlink=ゲルノート・ベーメ|title=雰囲気の美学 — 新しい現象学の挑戦|translator=梶谷, 真司、斉藤, 渉、野村, 文宏|publisher=[[晃洋書房]]|isbn=4-7710-1709-3}}
** {{cite book|和書|date=2006-07|first=ゲルノート|last=ベーメ|authorlink=ゲルノート・ベーメ|title=雰囲気の美学 — 新しい現象学の挑戦|translator=梶谷, 真司、斉藤, 渉、野村, 文宏|publisher=[[晃洋書房]]|isbn=4-7710-1709-3}}
* {{cite book|和書|date=2001-04|editor=[[小川侃|小川, 侃]]|title=雰囲気と集合心性|publisher=京都大学学術出版会|isbn=4-87698-422-0}}
* {{lang|it|[[:it:Tonino Griffero|Griffero, Tonino]], ''Atmosferologia — Estetica degli spazi emozionali''. [[:it:Editori Laterza|Laterza]], 2010. ISBN 978-88-420-9392-3.}}
* {{lang|it|[[:it:Tonino Griffero|Griffero, Tonino]], ''Atmosferologia — Estetica degli spazi emozionali''. [[:it:Editori Laterza|Laterza]], 2010. ISBN 978-88-420-9392-3.}}
** Griffero, Tonino. ''Atmospheres — Aesthetics of Emotional Spaces'' (Sarah De Sanctis, trans.). Ashgate, 2014. {{doi|10.4324/9781315568287}}. {{isbn|978-1-4724-2172-2}}.
** Griffero, Tonino. ''Atmospheres — Aesthetics of Emotional Spaces'' (Sarah De Sanctis, trans.). Ashgate, 2014. {{doi|10.4324/9781315568287}}. {{isbn|978-1-4724-2172-2}}.
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:* {{cite book|date=2017-02|first=Cynthia|last=Willett|authorlink=:en:Cynthia Willett|chapter=The Sting of Shame — Ridicule, Rape, and Social Bonds|title=The Oxford Handbook of Philosophy and Race|editor-first=Naomi|editor-last=Zack|editor-link=:en:Naomi Zack|publisher=[[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]]|pages=608-618|doi=10.1093/oxfordhb/9780190236953.013.18|ref=harv}}
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== 外部リンク ==
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* [https://journals.openedition.org/ambiances/ ambiances] - 学術雑誌


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2021年6月1日 (火) 22:27時点における版

雰囲気(ふんいき、英語: atmosphereambience[1]ドイツ語: Atmosphären[注 1]Stimmung[注 2])は、ある特定の場所や人物を取り巻いている気分的なものを指す語・概念である。類義語としてはムード(mood)が挙げられる[4]。もとは大気を意味する語であり、冒頭の意味における雰囲気の概念がこの語のもとに集約され定着したのは20世紀初頭ごろである。なお化学における雰囲気atmosphereは、ある特定の気体やそれで満たされた状態を指す[5][6]

以前から現象学美学人文地理学心理学などにおいて雰囲気概念についての考察はなされてきたが、20世紀末ごろから美学や都市論においてより盛んに研究がなされるようになっている(雰囲気論的転回)。コミュニケーションにも雰囲気は関わり、教育学などにおいて研究がなされている。またナラティブテクストに含まれる雰囲気についての研究や批評もある。音楽による雰囲気生成の試みもなされており、工学においても関連する研究がなされている。

語誌と定義

Gandy (2017, pp. 355f.) は、atmosphere(大気・雰囲気)のダブル・ミーニングの例として、トーマス・スコット・ボールドウィンによる熱気球旅行についての記述を挙げる。

近代以前

雰囲気の語は前近代においては、オランダ語Luchtの訳語として、『気海観瀾』(1827年)[注 3]などにおいて(とくに地球の)大気の意味で用いられていた。その後明治初期に英語atmosphereの訳語として一般化し、明治末期ごろにはある特定の場所や人物の周りに作り出される特別な気分・ムードなどの意味[注 4]が定着するようになった[7]

英語のatmosphereは、ラテン語Atmosphaeraἀτμός蒸気〉+ σφαῖρα球体〉)に由来し、初出は1638年のジョン・ウィルキンズ英語版[注 5]による月の居住可能性についての論文[注 6]であると考えられている[11]。また18世紀初頭以降のおもにドイツ語フランス語においては、人体や物体から発せられそれらを包む物質やさらには磁場なども指していた。この〈雰囲気〉には体液humors情念passionも含まれており、人間から発せられる〈雰囲気〉はその人間の様々な属性や状況(性格社会階層感情など)を示唆し、物質として嗅ぎ取られることで魅力や反感を促すことのできるものであった[12]。その後19世紀初頭ごろには、このような医学的な意味合いで使われることはまれになり[13]、またそのころ英語においては、大気の意味に加え場所や状況を支配するムードや映画、あるいは小説によって喚起される感情のごとき文化的表現といった意味で用いられるようになったが[14]Gandy (2017, p. 355ff.) によると後者の意味は前者の意味(大気)をダブル・ミーニングとして保持している。

19世紀以前から、場所についての雰囲気的な感覚は詩・日記・旅行記などにおいて描写されてきたが、それらが雰囲気という語に集約され定着したのは20世紀である。雰囲気は、風景場所境界距離といった概念とは異なりそれを指す語が用いられるようになって初めて認識されるような概念であり、雰囲気の語が多用されることにより雰囲気に対する関心が高まった考えられる[15]

現代

「無人駅のムード」「アマゾンのジャングルのムード」といった表現は不自然である[16]。
「無人駅のムード」「アマゾンのジャングルのムード」といった表現は不自然である[16]

雰囲気は、実体を持たない曖昧な概念であるため、言語的に表現することは難しいとされる[17][18][19]後述ゲルノート・ベーメは、芸術についての言説においては言語化しにくいものを表現するために消極的かつ安易に雰囲気Atmosphärenの語が使用されていると指摘しつつ、日常において用いられる雰囲気の語についてはある意味で何か不明確なもの、茫洋としたものだが、決してそれが何であるのかがはっきりしないのではなく、そのものの性格を表すものとして積極的な役割を果たしていると評価している[20]。またトニーノ・グリッフォロイタリア語版[注 7] は雰囲気の特徴について、全てでありかつ何でもないことであると述べている[21]

21世紀初頭における雰囲気の定義の例としては、次のようなものが挙げられる。

  • 大村ら (2014, p. 1) は音楽生成システムについての研究において、生活環境のなかで様々な知覚において得られる感覚の一つであるとしたうえで、環境から知覚される情報の総体として定義する。
  • 西藤 & 神宮 (2015, p. 21) による官能評価についての研究においては、刺戟と反応の曖昧な関係において連続的に変化する場面を全体として受けとめて実感を伴う意識状態ないし感情・情緒や意志と関係する複雑な多感覚情報とされる。
  • Griffero & Tedeschini (2019, pp. 1–2) は、雰囲気atmosphereの語が人文・社会科学において術語化しつつあるとした上で、それは一般的に物理的に捉えられる身体Körperというよりも感じられるものとして捉えられる身体Leibに関わる感情空間であると定義づける。

雰囲気の類義語としては英語のmoodからの借用語であるムードが挙げられ、佐藤 (2013, pp. 48ff.) によるとこれらの2語は部分に還元されない全体から感じ取られる対象の性質という意味特徴を共有するが、ムードは人間の情緒や感情に由来するという制約を持つ[注 8]点で雰囲気とは異なる。また、英語のatmosphereの類義語として挙げられるambianceは、Roquet (2016, p. 3) によるとより主観的な媒介要素の働き——すなわち気分moodの生成の背後にありそこに同調する人間身体に焦点を当てたなんらかの作用——を示唆する点[注 9]において、より客観的なatmosphereと異なる。

雰囲気の語に含まれる「ンイ」という音の並びは発音しにくい[注 10]ことから、現代においては誤って「ふいんき」と読まれることが増えている[22][23][24]

人文学における「雰囲気」

本節では、哲学美学人文地理学における雰囲気概念について概観する。なお、コミュニケーションにおける雰囲気(心理学教育学)およびナラティブテクストの雰囲気(民俗学など)については、別途後述する。

1990年ごろまで

J・M・Wターナーはアートにおける雰囲気的眼差しの創始者であり、印象派へと繋がった[25]

フリードリヒ・シェリング風景画論においてアウグスト・ヴィルヘルム・シュレーゲルを引きつつ、主観と客観の音楽的統一として雰囲気Stimmung[注 2]について論じている[3][26]

シュミッツ

ルートヴィヒ・ビンスワンガーステファン・シュトラッサードイツ語版[注 11]マルティン・ハイデッガーの『存在と時間』に依拠し、内–外・主–客の区別を超越し、気分と互いに超越し合うものとして雰囲気を捉えた[29]オットー・フリードリッヒ・ボルノウもハイデッガーを踏まえ、場所の雰囲気Stimmungと人間心理とが相互に作用するとした[30][31]。また、ヘルマン・シュミッツは、感情内面的なものとして扱う西欧思想を批判したうえで、感情はあらゆる場所において空間に溢れ出る雰囲気的なものであり、それは身体の揺れ動きにより感知されると主張した[29][32][33]

このほかフーベルトゥス・テレンバッハは『味と雰囲気』において口腔感覚に着目し、嗅覚味覚といった雰囲気的なものが感知されることによって人と世界との出会いが準備されると考察している[29][34]。地理学においてはヘルベルト・レーマン[注 12]が、ゲオルク・ジンメルの『風景の哲学』の影響の元、風景の雰囲気Landschaftsatmosphäreという概念を分析カテゴリーとして導入し、空間の切り取りである風景が特別な気分や雰囲気によって統一されるとした[36]

ボルノウとは対称的なのがジャン・ボードリヤールディーン・マッカネルスペイン語版[注 13]であり、消費社会観光産業について論じる中で、雰囲気を記号的表象的なものと見做している[38]。1990年代においては、ジョン・アーリが観光客の買う商品には場所の雰囲気も含まれるとするなど、雰囲気をイメージと捉える傾向が優勢となっていった[38]

20世紀末以降

ベーメ

20世紀末ごろから、人文社会科学(現象学・美学・文化人類学・建築理論文化地理学など)において雰囲気に対する関心が高まっており、雰囲気論的転回atmospheric turnとの表現も用いられている[39][40][41][42]

ゲルノート・ベーメはシュミッツを継承しつつ[注 14]現象学の立場から、感情的・空間的な性質をもつものとして雰囲気Atmosphärenを学術的な概念として導入した[44][34]。そこで雰囲気は、自己の外部たる周囲から襲い掛かり自己に情感を齎すものと定義づけられ、主–客の中間的な位置づけの準物体Halbdingという存在身分に置くものとされる[45][46][43]。ベーメにおいてはも雰囲気の一種であり、『雰囲気と美学』では夕暮れ・都市・音響・コミュニケーションにおける雰囲気を考察の対象としている[47][33]。ベーメは、イメージを媒介として雰囲気が伝えられるとし、町の雰囲気は音や光などの道具によっても演出可能ではあるとする一方で、町の雰囲気について、非視覚的な要素により構成される個性や感覚的に知られる日常生活であるともしており、そこにはボルノウらにつながる雰囲気を深い感情的なものと捉える考え方も残っている[48][46][38]

以上のように雰囲気は、記号的な側面と感情的な側面との二面から捉えられる[15]。2003年のフランス語の地理学事典の「建築や都市の雰囲気Ambiance architecturale et urbaine」の項においてパスカル・アンフ―Pascal Amphouxは、現代性の雰囲気(若さや弾けること)と固有性の雰囲気(情緒や風土)という両義性において雰囲気を捉え、前者を幻想にすぎないと批判する一方で、後者についても、現実そのものであるとしつつ、場所の神秘化という危険性を孕んでいると述べている[15]。なお、雰囲気を場の固有性とする定義は、山内 & 清水 (2010) にも見られる。

なお、雰囲気概念の都市論における有用性については、定義が曖昧であり情動affectとの混同が懸念されるといった懐疑的な見解もある[49]

西洋人文学の枠組みを超えて

山水画における霧

日本においては、小川侃が現象学の立場から日本語のに着目した論考をおこなっているほか、美学においても伝統的に状況の雰囲気に着目した研究がなされてきた[33][50][51]。また佐々木健一も注目するなど、21世紀初頭現在、美学における雰囲気についての研究が増加している[33][50]青木 (2017) は、西欧的な風景landscapeでは大地や山・河川・湖沼といった世界を安定的に形成している自然の構造が重視されるのに対し、東アジア的な景色においては気象季節・明暗の変化といった五感で捉えられる情調としての雰囲気が重視されると指摘する[52]。ベーメは雰囲気の美学が欧米で注目されていない原因を西欧哲学の実体重視志向に見ており、青木はドイツの雰囲気研究について西欧の物志向に由来する違和感を表明している[53]Gandy (2017, p. 354) も雰囲気という概念に批判的に関与しようとするのであれば、ヨーロッパ人文学という枠組みの外部に脚を踏み出す必要があると述べるが、同時に身体論認識論人間論などを織り交ぜた史学史へのより一層の関与も必要であるとしてる。

なお気象と雰囲気の関係について附言しておくと、前述のとおりヨーロッパにおけるatmosphereといった語も気象関連の意味(大気)のほうが原義であり[11][54]Gandy (2017, pp. 355f.) は持続的物質ないし気象的な実体が、現実的にであれ想像的にであれ、人間主体を取り巻いたり乱したりするものとして雰囲気に含意されているのだと述べる。またロマン派以来の文学的伝統においても霧の雰囲気は創作に影響を与えており、気象と雰囲気とを関連付ける見方はボルノウやベーメあるいは後述のライストナーにも見られる[55][56]。また中国語においてatmosphere气氛(日本語の気分に相当)や氛围(日本語の常用漢字の分囲に当たり、意味は日本語の雰囲気に相当)と訳されるが、氛の原義は霧や曇りであり、これも気象関連の語と見做せる[57]

コミュニケーションと雰囲気

雰囲気を形作るものには人間の相互作用も含まれる[41]会話における雰囲気は、話者交換英語版時の振る舞いにより変化し、表情に大きな影響を受ける[58][59]コミュニケーションの場においては、言葉・表情・視線・頷きなどを通して、本人が関わる会話だけでなく他者同士の会話からも、雰囲気を容易に読み取ることが可能である[17][18]。また、人は次に生じうる雰囲気を意識的・無意識的に予測しながらコミュニケーションをおこなっている[18]。雰囲気をうまく読み取れていないと捉えられた言動は「空気が読めない(KY)」と揶揄的に表現される[17]陽気な雰囲気は生の実感や帰属意識を高める一方、嘲笑の雰囲気は集団の境界を高め、そのような空気に栄養を与えることもあれば、吸い取ることもある[60]

学級授業や会社のオフィスにおいても雰囲気は重要とされ、関連する研究がなされている[61][33][19]。教育研究においては、学級風土研究や学級雰囲気が学習の動機づけに及ぼす影響についての研究などが中心的に行われてきた[62]。学級の雰囲気についての心理学的研究は、雰囲気を測定の対象とするもの(学級風土研究)が主流であったが、それらの研究においては雰囲気そのものについての概念的理解が不足しており、参与を重視し雰囲気を記述的に書き留める質的研究においても、「場の全体性と見込まれ雰囲気」が対象化客観化され、場・事物・他者が「雰囲気の伝達に必要な諸特徴や諸要素」として扱われるようになってしまっていると木下 (2017, pp. 192f) は指摘する。また学級崩壊などの問題を考える上では、行動の背景にある授業の雰囲気が重要であると岸ら (2010, p. 46) は指摘する。授業における雰囲気についての研究は、授業中の教師と児童の発話研究が中心であり、そのほか児童や第三者に雰囲気を評定させる研究なども行われている[61]。さらに大久保ら (2013, p. 29) は、教師の非言語行動と雰囲気の形成との関連についても焦点を当てる必要があると述べる。

ナラティブやテクストの雰囲気

霧の発生の雰囲気が伝説を生む

アルブレヒト・レーマンドイツ語版[注 15]は、語り研究ドイツ語版[注 16]において気分Stimmungや雰囲気Atmosphäreが語りに与える影響が十分に考察されてこなかったと指摘している。そのうえでA・レーマンは、雰囲気は主観的に体験される個人的なものを超えて、文化の一部をなし音や匂い、視覚的印象として経験され、あらかじめ用意されたパターン(Muster[ムスター])を基準に体験されてから、これにもとづき言葉で伝達されるものであり、したがって語り研究においてはテクスト全体から、そこに保存された雰囲気を取り出すことができるのだと主張する[65][66]。なおA・レーマンは、メルヘンの語り手の雰囲気に着目したリンダ・デグ英語版[注 17]や、デグの解釈に類似して雰囲気が語り手から聞き手に転写するとしたマティアス・ツェンダードイツ語版[注 18]を、上述シュミッツベーメと並べ雰囲気研究の先駆者として挙げている[70][67]

クトゥルフの呼び声』においては、ヴェネツィアの建造物も恐怖の雰囲気の一部となる[71]

またA・レーマンは、の発生の雰囲気が伝説を生むとしたルートヴィヒ・ライストナー英語版[注 19]や同様に霧の雰囲気について論じたボルノウを引きつつ、孤独体験こそ太古の伝説的な経験を齎す雰囲気であるとし、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』といった現代の映画においてもこの雰囲気は援用されているとも述べる[73]コズミック・ホラーの創始者であるハワード・フィリップス・ラヴクラフトも、信憑性は作品の構成ではなく感情の喚起によって生まれるのであり、それゆえ雰囲気が最も重要な要素であるしている[74][75]。それを受けファルネ (2019, p. 21) は、クトゥルフ神話のような小説ロール・プレイング・ゲームにおいては雰囲気こそが主人公を務めているのだと述べる。またナラティブ・ゲームと呼ばれるコンピューター・ゲーム作品は、日本においては雰囲気ゲーとも呼ばれることがある[76]。この雰囲気ゲーという言葉は、雰囲気のみについて肯定的でストーリなどについては否定的との意味合いを持つことも多い[77][78]。これは、映画や小説とは異なり、個々のプレイヤーに雑多な情報群から物語を作り出すことが委ねられているがゆえに、作品に対して抱く感想もそれぞれ異なり、感動にまで至らないことが多いためであると考えられる[76]

音響の雰囲気と雰囲気の工学

サティ

上述ベーメは、雰囲気を作り出す上で実践知識が重要であるとし、デザイナー広告専門家、あるいは百貨店における音楽の専門家といった美学的作業をする人たちが雰囲気の構造を問うスペシャリストであるとした[79]Gandy (2017, pp. 358ff.) は、都市におけるサウンドスケープや音楽と雰囲気の関係について考察している。坂井ら (2018, p. 1) も、空間の雰囲気を形成する要素として視覚情報とともに聴覚情報が重要であり、BGMにより少ない労力で雰囲気を変えることができるとしており、マーケティングやムード演出のために音楽は広く使われている[21]。作曲家による雰囲気の解釈や雰囲気の生成の試みの例としては、エリック・サティ(「家具の音楽」など)やジョン・ケージ、あるいはブライアン・イーノが提唱した環境音楽が挙げられる[80][81]

人工知能や親和型ロボットの開発においては、雰囲気を測定評価する手法が必要とされ、関連する研究もなされている[82][83]。また、離れて暮らす恋人や家族とのコミュニケーションテレワークにおいて雰囲気を伝達するためのシステムについても開発がおこなわれている[84][85]。2013年以降片上大輔らを中心に、雰囲気工学Mood Engineeringの名の下、人工的な雰囲気の工学的なモデルを作成することを目指し、分野横断的な研究活動が行われている[86]

主要関連文献

  • Bollnow, Otto Friedrich: Mensch und Raum. Kohlhammer, 1963. OCLC 442085388
  • Schmitz, Hermann: System der Philosophie der Gefühle. Bd. 3, Teil 2: „Der Gefühlsraum“. Bouvier, 1967. OCLC 614723961.
  • Tellenbach, Hubertus: Geschmack und Atmosphäre — Medien menschlichen Elementarkontaktes. Otto Müller, 1968. OCLC 462792197
  • Böhme, Gernot: Atmosphäre — Essays zur neuen Ästhetik. Suhrkamp, 1995. ISBN 3-518-11927-3.
  • Griffero, Tonino, Atmosferologia — Estetica degli spazi emozionali. Laterza, 2010. ISBN 978-88-420-9392-3.
    • Griffero, Tonino. Atmospheres — Aesthetics of Emotional Spaces (Sarah De Sanctis, trans.). Ashgate, 2014. doi:10.4324/9781315568287. ISBN 978-1-4724-2172-2.
    • (→トニーノ・グリッフェロ『雰囲気 — 感情空間の美学』)

脚注

  1. ^ 空気感と訳されることもある[2]
  2. ^ a b 気分と訳されることもある[3]
  3. ^ 雰囲気者、不啻交諸雰気蒸気之自地升騰者、気之原質亦不
  4. ^ 以下本記事では、この意味ににおける雰囲気を中心に記述する。
  5. ^ イギリス神学者自然哲学者(1614年 - 1672年)[8][9]
  6. ^ 命題10。Atmos-Sphæraあるいは巨大な蒸気の球体が月という物体を直接取り巻いている[10][11]
  7. ^ イタリアの哲学者(1958年生)。
  8. ^ たとえば、人間の存在が希薄な「アマゾンのジャングル」「夜中の学校」「無人駅」などと組み合わせる場合や、「逃走した容疑者」についてなど客観的な情報を求める場合には、「ムード」の語は不自然となる[16]
  9. ^ ambianceの接頭辞ambi-は両側から包むことを意味するが、Roquet (2016) がカレン・ピンカス(Karen Pinkus)を引きつつ述べるところによると、これは2つの目・2つの耳のよる視覚・聴覚を示しており、あらゆる方向から取り囲む(in the round)ことを意味する雰囲気(atmosphere)や環境environment環世界」も参照)に比して、人間の知覚作用を強調していると考えられる。
  10. ^ 「ンイ」を含む語の発音の変化の例としては、全員(ぜいいん)や原因(げいいん)なども挙げられる[22]
  11. ^ オーストリア出身の哲学者(1905年 - 1991年)。トマス・アクィナスや後期フッサールの影響を受け、独自の現象学的心理学を提唱した[27][28]
  12. ^ Herbert Lehmann。ドイツ地理学者(1901年 - 1971年)。専門は地形学など[35]
  13. ^ アメリカ文化人類学者(1940年生)。ランドスケープ・アーキテクチャー記号論社会政策などを専門とする[37]
  14. ^ シュミッツの雰囲気概念は感情を指すのに対し、ベーメの雰囲気概念はより日常語のそれと近く、両者の間には相違点も見られる[43]
  15. ^ ドイツ民俗学者(1939年生)[63]
  16. ^ Erzählforschung。口承文芸研究や説話研究とも訳されるが、口承文芸民間説話だけでなくインタビュー、巷の話題、ナラティブライフ・ヒストリー英語版、戦争の経験談など、あらゆる種類の人々の語りを扱う[64]
  17. ^ ハンガリー民俗学者口承文芸研究者(1920年 - 2014年)[67][68]
  18. ^ ドイツ民俗学者(1907年 - 1993年)。専門は語り研究・聖人崇敬の研究など。『ドイツ民俗学地図ドイツ語版』への貢献でも知られる[69]
  19. ^ ドイツ文学史家・作家(1845年 - 1896年)。サガの研究などによって知られる[72]

出典

  1. ^ コトバンク, ambience.
  2. ^ & みすず書房 n.d.
  3. ^ a b 八幡 2017.
  4. ^ 佐藤 2013.
  5. ^ コトバンク, atmosphere.
  6. ^ 英辞郎.
  7. ^ コトバンク, 雰囲気(精選版 日本国語大辞典).
  8. ^ Henry 2009.
  9. ^ コトバンク, ウィルキンズ(世界大百科事典、第2版).
  10. ^ Wilkins 1638.
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参考文献

書籍
論文など
事典・データベースなど
ウェブページ

外部リンク